冬の窓辺に鳥は囀り

ぱんちゃん

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tapestries. とある休日の過ごし方③

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ロイドさんが欲しがっていた雨とは庭の水やりの事だ。
僕はまず、花壇から水やりをすることにした。

コンサバトリーの前のボーダー花壇は、ロイドさんの仕事の中で最も人の目に触れる。
春から秋にかけて花を絶やさず、花が終わった後も葉形の美しさで彩りを添えられるよう、考えに考え抜かれた花壇なのだ。
その繊細な仕事に見合うだけの繊細な水やりを、僕はいつも肝に銘じてる。

ここは、真っ当で正当な霧雨を降らせよう。
生繁る葉で水が地面に届きにくいから、ゆっくり丁寧に。
強い雨粒で花を傷めてしまわないよう。優しく降りしきる、雨のように。

春の花は、淡い色が多い。
僕の降らす細かな雨粒が、優しく花と葉に降り注いできらきらとその色味を増していく。
ロイドさんの花壇を前にすると、僕はいつもピオに見せてあげたいなと思う。
教会の裏庭をいつの間にか花園にしてしまったピオ。まるで緑の指を持ってるみたいに植物に好かれていた。



お屋敷の裏側は、厨房の為のキッチンガーデンになっている。
テラスから見えるこの花壇も、やっぱり人目に触れるのでとても立派。
でもシェフ達の為っていうのが第一の庭なので、花壇の中にはレンガが敷かれた小道がある。
その縦横に伸びる小道を歩きながら、キッチン担当の人達と一緒に次々にハーブを摘んでいくのもすごく楽しい。そのハーブが食卓に上るのも、すごく嬉しいんだ。

ここは口に入るものだし、植物にも良さそうな感じにしたい。
ローワン先生が、僕の自己治癒力向上の魔法を『ピュシス』と名付けてくれた。
いつまでも『アレ』とか『アノ魔法』じゃわかんなくなるからって。
人に効果があるってことは、植物にも有効なのかな?

喉の調子はいまいちだけど、音階の中には聴くに堪えうる声もある。
明るい曲にしよう。だって生命の躍動だもの。
元気にするには、楽しい方が良いに決まっているもの。

雨に溶け込むように歌を歌う。
ブーストさせながらの方が、やっぱり体は楽だと思う。
誰も聴いていなくたって、この空気が漏れているような声はやっぱりつらい。
コルスにいた時、たまにお手本としてオーフェン先生が歌ってくれることがあった。
先生の声は、つやつやで、厚くて、すごく空気が震える。
今の僕はあの声を目指したいって思ってる。コルスを去っても、先生は変わらず僕の指針なのだった。

清涼な空気を纏った雨。
微かないい香りは魔法のものかハーブのものか分からないけれど、なんとなく身体にも植物にも良さそう。
毎日この水やピュシスの歌を植物にかけ続けたらどうなるかな。
ローワン先生に実験の相談もしてみよう。



キッチンガーデンを抜けるとガードナー用の小屋があって、そこを通り過ぎるとお屋敷の左側に来る。
小屋から前庭に続く小道は、緩やかにカーブしながら色とりどりのバラの木々の間を通り、余すところなくその色彩と香りを披露してゆく。

僕はこの華やかなローズガーデンも素敵だと思うけど、実はこの奥にあって誰の目にも触れないようになっている苗畑がこの庭の中で一番好きだ。
そこはロイドさんの試行錯誤の作業場で、ボーダー花壇に植える次の苗や、テラコッタ鉢に植えられた苗が大きく育つまで待機している。
小さな苗たちが、来るべき日を待って育っている。そしてその苗たちのポットを並べ替えて、花壇の配置を考えている様子を眺めるのが僕はとても楽しいのだ。
種まきから植栽の時期まで綿密に計算された場所なので、慎重にいく。遊びで向き合ってはいけない場所なのだ。



バラ園を抜けると、もうそこは前庭だ。
外の通り沿いにある塀の隅には、花木や冬口に葉が色づく木が高低差をつけて植わっている。
若葉が出たばかりの木々にはまだ花の気配がない。もう少ししたら白やピンクの三角形の花が沢山付くと言っていた。

そして塀沿いの木や道沿いのジュニペルス以外は広々とした芝生が広がっている。
ロイドさんが盛大にやってもいいと言ったのは、水の魔法の解釈だ。
ここはフォルティス様のお屋敷だけど、庭はヘッド・ガードナーのもの。
お屋敷の総監督であるデリオットさんですら、庭のことには口を出せないって言っていたので、きっと誰もロイドさんには逆らえないのだ。
その管理者からお許しが出たのだ。僕はもう、張り切るしかない。


天よりそそぐ 恵みの雫 流れ落ちたる 慈愛の雨よ 
あまねく大地に降りしきる 渇きを潤す 清らの水よ

まずは定型文を組み替えてみる。
僕の組み立ては、どうしても聖歌の言葉に寄ってしまうから歌って光魔力も増やしておく。

その御手の慈しみ あまねく潤す 慈愛の雫
ひとしく全ての ものの身に 穢れを流す 清らの命


そうして、僕の試行錯誤の雨が庭に降り続く。
春の盛りの空は青く。ふわふわとした柔らかそうな雲が流れていく。
陽射しは優しく暖かく、僕の身体をポカポカと包み。
さぁさぁと降る細かな雨が、陽をすかして眩しく煌めく。

ああ。なんて美しいんだろう。


「輝く陽を仰ぐ 恵み深き雨よ 大地に降りそそぐ その愛の御手
心に溢れる この喜びのうた 妙なる調べよ いと高き御天みそらへと」

 
なんだかうまく組み上がったけれど、雨からもの凄く遠ざかってしまった気がする。

急に魔力が抜けた怠い身体を引きずるようにポーチへと向かう。
たぶん、教会の言語に寄りすぎてしまったのだ。

ぼんやりと回らない頭が眠りを欲していた。
こんなに抜けたのは久しぶりだったので、余計に怠く感じるのかもしれない。

ガーデンチェアは二人掛け。座って少しだけ横になるつもりで身体を横たえると、吸い込まれるようにあっという間に眠りの中に飲み込まれてしまったのだった。





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