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  亀裂

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 黒田秀忠の居城、黒滝城攻めは、あっさりするほど、簡単に成功した。
 景虎の読み通り、稲刈りの時期に攻めて来ると、誰も思わなかったらしい。
 腕利きの者、数十人で夜襲を掛けると、秀忠らは城から逃げ出した。

「逃したか・・・・・・」
 報告を聞いて、景虎は顔をしかめる。
 もう少し兵がいれば、逃げ道に置いていたのだが仕方がない。
「しかし妻子を捕らえました」
 そう言って本庄実乃は、一人の婦人と子供を二人連れて来る。
 子供は七つぐらいの息子と、四つぐらいの娘だ。

 息子の方が、娘を背に庇い、グッと景虎を睨む。
 良い目だ、
 母親の方も、毅然としている。
 秀忠は、景虎の父為景が可愛いがっていた、武勇の士。
 その妻子も、気骨があるのだろう。
 だがしかし・・・・。

「斬れ」
 景虎は淡々と命じる。
 可哀想だが、それでも武家の習い。
 秀忠は兄たちの仇、その妻子も処刑せねばならない。
 娘はさすがに赦してやって寺に入れても良いが、息子の方は駄目だ。
 斬らねば、こちらがやられる。

「お待ちを」
 実乃が止める。
「この者たちを餌に、和泉守をおびき出しましょう」
「上手くいくか?」
 景虎は眉を寄せる。
「やってみる価値はあります」
 うむ、と少し悩んだが、
「分かった、やってみろ」
 と実乃に任せた。




「なんて事をしてくれたのです」
 細長い顔をした、黒川清実が甲高い声を上げる。
「黒田和泉は兄上の仇だ」
「関係ありませぬ」
 景虎を言葉を清実は一蹴する。

 黒川備前守清実は、兄晴景の使者として春日山からやって来た。
「良いですか、平三どのの務めは、この栃尾に来て長尾平六郎を討つこと」
 強い視線で清実は景虎を睨む。
「それが終われば、春日山に戻る、それが務めでござる」
 それを・・・・と清実は顔を歪める。
「いつ迄、戻らず勝手に戦さをするなど・・・・・・」
「兄上たちの仇を討っ為だ」
「関係ないと申したはずです」
 大きな声で景虎が言うと、更に大きな声で清実が返す。

 まったく・・・・・と清実は呟く。
「和睦が進んでいたのに・・・・・」
「待て」
 清実の呟きに、景虎が驚く。
「兄上は和睦をするつもりだったのか?黒田和泉守と?」
「ええ、そうです」
 顔を顰めて清実は告げる。
「馬鹿な、我ら兄弟の仇ではないか」
「馬鹿とはなんですか」
 妙な揚げ足を清実は取る。
「殿を馬鹿呼ばわりされるのですか」
「いや、そうではなく」
 平三さま、と背後にいた金津義旧が宥める。

「黒田和泉は我ら兄弟の仇、兄上とて・・・・」
「平三どの」
 冷めた声を清実は上げる。
「平三どのは殿の弟御ではございますが、家臣の一人であることは我らと変わりませぬ」
「・・・・・・・」
 清実の言うことは正しい。正しいが言い方が腹が立つ。
「そして黒田和泉守も、亡くなられた二人の兄上もそれは変わりませぬ」
 カッと景虎の頭に血が上る。
「ふざけるな」
「ふざけておりませぬ」
 激昂する景虎に、淡々と清実は返す。

「殿は二人の弟どのの事は水に流し、黒田和泉守と和睦する事にしたのです」
 グググッと景虎は唸る。
「そしてこれは、御屋形さまの命でもあるのです」
 御屋形さまとは、越後の国主である上杉定実の事である。
 晴景にしろ、清実にしろ、秀忠にしろ、皆、定実の家臣という事では同じだ。
 勿論、景虎もである。

「和泉守の妻子は連れて行きます」
 当然という様に、清実は告げる。
 影虎は黙っているしかない。
「追って沙汰を申しつけます」
 そう言い残すと、清実は広間を出ていく。
「・・・・・平三さま」
 背後に控えていた本庄実乃が、静かに告げる。
「和睦の事、おそらく成らぬでしょう」



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