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  遠山康光

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「遠山左衛門康光にございます」
 北条の使者、遠山康光は深く頭を下げる。
 四十半ばの切長の目をした、品のある男だ。
「当家と手を結びたいと?」
「はい」
 小太りだが姿勢が良く、堂々としている。
 北条の様な大きな家の使者として、申し分ない人物だ。

「それでそちらの条件は?」
 輝虎は黙って康光を見ている。問うているのは直江景綱だ。
 一度ゆっくり瞬きをした後、康光は条件を述べていく。

 北条方が輝虎の関東管領職と、上野統治を認める。
 代わりに輝虎が信濃から、武田を攻撃してくれとの事だ。

「・・・・・・・」
 黙って輝虎は康光を見つめる。
「少し、ご猶予を頂きたい」
 景綱がそう答えると、承知しました、と康光は退る。


 一見、悪くない条件の様に思える。
 しかし当然、裏がある。

 一つ目の輝虎の関東管領職を認めると言う件。
 表面上は輝虎に譲っている様に見えるが、管領職の主人である関東公方は、北条氏康の妹婿の息子、足利義氏なのだ。
 だから輝虎の管領職を認めても、北条が優位な立場にいる事になる。

 二つ目の上野統治を認めるというのも曲者だ。
 上野統治を認めるということは、暗に下野、武蔵の北条支配を認めろという事だ。
 更に言えば、上野半分以上は武田が支配している。
 輝虎が上野を統治するという事は、その武田を追う払えと言っているのである。

 食わせ者め、と康光の品のある顔を思い出し、輝虎は苦笑する。
 康光の物言いも挙措も、礼儀正しく涼やかで、こちらに譲歩するという様な言い方をしていたが、結局は北条優位の条件である。

 勿論、国と国との駆け引き、これくらいは当たり前の事だ。

 うううっむ、と輝虎は悩む。
 一見、こちらに譲っている様に見せて、実は北条優位のこの話。だが輝虎にすればそんな単純ではない。

 先ずは関東公方の件。
 確かに氏康の甥である義氏を認めるのは癪だが、かと言って代わりはいないのだ。
 輝虎が管領職に就くときに祭り上げた、義氏の異母兄、藤氏は既に北条に捕まり処刑されている。
 だから義氏を認める以外に、他に手はないのだ。

 そしてもう一つの上野統治を認めると言った件も、悩みどころだ。
 輝虎は越後さえ安全ならそれで良い。別に領地を広げようとは特に思わない。
 なぜなら越後には青苧の商いがある。それだけで充分豊かだからだ。
 ただ越後の周囲を、自分に友好的にしておきたい。
 なぜなら越後を攻められたくないからだ。
 だから越中、信濃、上野、そして出羽が友好的ならそれで良い。
 別に下野や武蔵がどうなろうと、どうでも良いと言えばどうでも良い。

 そう言う意味でこの条件、北条方にすればしてやったりの策だろうが、輝虎とすればそこまでしてやられていないのだ。

 「殿」
 輝虎が考え込んでいると、景綱が声をかけてくる。
「取り敢えず、もう少し様子を見られては如何でしょうか?」
 ふむ、と輝虎は息を吐く。
「甲斐からも何か言って来るかもしれませぬ」

 景綱の言う通りだ。
 氏康が輝虎と信玄、両方を敵に回したく無い様に、信玄も氏康、輝虎両方と戦いたく無いはずだ。
 ならば信玄からも何か言って来るかもしれない。

 別に信玄と手を結ばなくても構わない。
 それをチラつかせて、氏康からもっと優位な条件を引き出してもよい。

「そうだな・・・・・」
 悩むところだ。
 あまりつり上げれば、氏康が輝虎との同盟を諦め、再び信玄と結ぼうとするかもしれない。
 ここは力加減が重要である。

「こちらの条件を考えておけ」
 そう景綱と豊守に命じる。
 二人は、ハハッ、と頭を下げた。
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