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第二章 捧魂契約のリセットスイッチ
契約を終えた後、携帯電話を操作し、メール画面を開く。
すでに太陽は完全に沈み、携帯電話のわずかな光だけが僕の視界のすべてだった。
携帯電話には二つの変化があった。「契約完了の通知」という簡素なタイトルの新着メールが届いたこと。
そして、もう一つ――
先程受信したメールを表示する。グリードから聞いていたとはいえ、異常事態に鳥肌が立った。
メールの内容が、変化していたことだった。
《差出人:夜澤ミライ》
《送信日時:2012年 10月6日 17時32分》
《件名:無題》
《本文:リセット条件→心臓に外傷を与えた後に死亡 残機数→5》
「心臓への外傷?」
『送られてくる《リセット条件》は毎回異なる。どんな内容なのかはオレにだってわからない』
「残機数が増えてるのは?」
『前に送ったのは体験版だからな。契約を行ったことで残機数は最大の五になった』
「……五回」
『さらに、《リセットスイッチ》にはもう一つの力がある』
悪魔が楽しげに言葉を放った瞬間、ふたたび携帯電話にメールが届いた。
『開いてみろ。面白いことが書いてあるはずだ』
言われるまま操作を行う。奇妙なメールには慣れたと思っていたのに、届いた文面はまたしても僕を困惑させるものだった。
《差出人:夜澤ミライ》
《送信日時:2012年 10月6日 18時2分》
《件名:ボーナス条件》
《本文:見知らぬ誰かのために命を捨てる。達成した場合、残機数は5へ回復する》
『わかるか? このメールの意味が』
グリードの言葉に首を振る。僕の表情に満足したのか、グリードがこの上なく楽しそうな声で続ける。
『リセットできる回数は増やせるんだよ。契約の力はお前にチャンスを与える。《残機数の増加》という、な』
「エクス……テンド?」
『そう。コインを百枚集めて1UPするように、お前が人生において大きな壁を乗り越えたとき、契約は残機数の増加を認める』
彼のたとえに思わず口元が緩んだ。
死体を前にして、悪魔グリードがたとえたのはゲームである。随分と俗っぽい言葉選びではないか。
『つまりミライ。お前の精神が成長すればするだけ、《リセットスイッチ》はお前に力を与えるって訳だ。まあ、他にもできることはあるんだが、追々説明してやる。いま、お前がやらねばならないことが終わったら、な』
彼の言葉に、強くうなずく。僕が悪魔と契約した理由はただ一つなのだから。
『鍵は恐らくレイプ事件。林田章吾たちの行為を阻止すれば、きっとこの女は助かるはずだ』
言われなくてもわかっていた。
もちろん不安はある。もし、《リセットスイッチ》なんてものが電話の向こうの狂人のたわごとだったら、僕はただ死ぬ。物言わぬ物体になる。暗い街を赤く彩るオブジェの一つになるだけだ。
――別に、いいじゃないか。
ただ死ぬだけでも僕はこの重圧から解放される。
罪のない少女が僕の身代わりになっただなんて現実から逃れることができる。
臆病だと言いたければ言うがいい。軽蔑するのならすればいい。理不尽と絶望の奥で足掻くことしかできない僕を嘲笑えるものなら、嘲笑えば良い。
それに、ただ一つだけ確実なことがあった。動かなければ何も変わらないという残酷な事実だ。
静かに腰をかがめ、少女の首に刺さったナイフを思い切り引き抜く。
刃が肉を滑り、金属板を爪でひっかく何十倍もの不快感が、ずるりと僕の手を駆け抜けた。
傷口から、そしてナイフからだらだらと血が流れ、地面を濡らす。
『《リセット条件》は心臓に外傷を与えた後に死亡。わかるな?』
「……このまま刺せってことでしょ」
『正解だ。ただ、一つだけ注意することがある。もし、手がすべって肺や首を刺してみろ。そのとき、お前に訪れるのは過去への跳躍ではない。絶対の死だ』
「……プレッシャー、与えないでくれないかな」
失敗は、許されない。
僕は過去に戻るため、確実に心臓を貫き、死ななければならないのだ。
そっと、ナイフを自分の胸に押し当てる。理科室の人体模型で見た心臓の位置なら覚えている。
しかし、果たして一発で刺し貫くことはできるだろうか。胸骨が邪魔をしないだろうか、間違って肺に突き刺さらないだろうか。
――「見捨てちまいなよ」
心の底から、声がした。
――「あんな知らないガキ、死んでも関係ないじゃないか。林田はもう死んだんだ。放っておけば、僕の学校生活は平和になるんだよ?」
僕の声だった。心の中の、悪魔のささやきだった。
声の言う通り、リーダーを失ったグループは瓦解するだろう。残った二人も学校から追放されるはずだ。
――「死んだら終わりなんだよ? 折角命が助かったってのに、どうしてリスクを冒すのさ」
声が、大きくなっていく。力を増していく。
だけど、僕はもう決めたんだ。
「……黙れよ」
荒い息とともに、ささやく者に向かって吐き捨てる。
ここで逃げたら、林田たちと同じだ。僕は、違う。
彼女を殺したのは僕だ。僕が彼女を殺したんだ。自分の罪を押しつけて、平和な日常を謳歌するなんてまっぴらだ。
罪は償わなくちゃならない。罰は背負わなくちゃならない。
――「はんっ。じゃあ、死んじゃえよ。僕はもう、知らないから」
ささやきが、消えた。もう邪魔をする者はいない。
目を閉じ、息を止め、自分自身の胸にナイフをあてがう。
少しずつ滑らせ、骨の隙間を探り当てる。できれば苦しみたくない。一発で決めたいところ。
間もなく止まることになる心臓が、最後の足掻きとばかりに凄まじい勢いで暴れている。
手が震え、死への恐怖が一押しを躊躇わせる。
どれだけの時間が経っただろうか。
数秒かもしれないし、あるいは何十分も止まっていたのかもしれない。
「……やるしか、ないんだ」
声とともに息を吐きだし、腕に力を込める。
最初に感じたのは痛みだった。
皮膚を引き裂き、肉を断ち、骨の隙間にナイフが埋まっていく感触。耐えがたいほどの、激痛。
現実の時間にすれば一瞬。なのに、僕の中では何秒にも何分にも感じられる。
骨と筋肉をえぐりながら刃が心臓へと到達すると、痛みは痺れに変わった。
最悪なことに、まだ意識がある。人間、簡単には死ねないらしい。
全身が痺れ、体が急速に冷えていく。
刃は熱いのに、体は冷たい。命が流れていく感覚、闇が覆い尽くしていく不快感。
飛び降りたときと同じだ。
冷たい喪失、終わりの始まり。
やがて、僕の意識は闇に包まれて――
気付けば、僕は自分の部屋にいた。前回と同じ、自室のパソコンの前に。
デスクトップに大きく映っているのは十月六日午前三時三十分の文字。僕の記憶が確かならば、前回とまったく同じ時間だった。
――成功、した?
同時に確信する。すべてが現実だったと。
妹が汚されたことも、僕が死んだことも。そして、すべてがリセットされたことも。
携帯電話を確認する。例のメールはまだ来ていない。《リセット条件》のメールが届いたのはいつだったろうか。
「グリード! いるんだろ!」
《取り消した世界》において、僕はずっと視線を感じていた。そして、グリード自身も『ずっと見ていた』と言っていた。ならば、いまも近くにいるはずだ。
携帯電話を操作するが、何の変化もない。代わりに反応したのは、勉強机に置かれた古びたデスクトップパソコンだった。
『……夜中に叫ぶな。いいから落ち着け、ミライ』
液晶画面に内蔵されたスピーカーから、しゃがれた声が放たれた。
「えっ、パソコン……から?」
グリードとはほんの先程まで、携帯電話を通じて話していたはずだ。
なのに、いまはパソコンから声がする。
『どうやら死んだことで混乱しているようだな。まあいい、まずは深呼吸だ。そして、ゆっくりと思考の整理をしろ。自分の身に起きたこと、一つ一つを仔細漏らさず、確実に言葉にしていくんだ』
スピーカーから漏れる声は諭す口調だったが、僕の焦りを取り除くことはできなかった。
「そんなことやってる時間なんて――」
反抗しようとする僕に向かい、辛抱強い悪魔の声が割り込む。
『落ち着いて、口に出して、順序立てて何が起きたのかを整理するんだ。オレは意味のないことは言わない。意味があるからこそ、こうやってお前に言っているんだ。それに、余り大きな声を出すと家族が来るぞ』
まるで、最初から準備していたかのような流暢な台詞だった。僕がパニックに陥ることなんて想定済みだったのだろう。もしかしたら過去の契約者も同じ状態になったのかもしれない。
『口に出して頭で整理することで、人間はより理論的に物事を考えることができる。テストの暗記でもそうだろう? 口に出し、文字にして書くことでより深く記憶できるんだ。お前はいま、時間がないと言った。だが、それは本当か? 猶予はあと何分だ?』
彼の言葉に反応し、時計を確認する。時刻は午前三時半を回ったところ。林田たちの事件は午後五時過ぎに起きたので、十三時間以上の余裕があるはずだった。
『少しは落ち着いたか。大事なのは論理的な思考だ。さあ、ゆっくりと言葉を組み立て、自分自身に向かって説明するんだ。繰り返しになるが、オレは意味のないことは言わない』
グリードの言葉に従い、はやる気持ちを抑え、思考をまとめる。
一つ一つの出来事を整理し、口に出していく。しどろもどろになりがちな僕の説明にグリードはじっくりと耳を傾けてくれた。
「僕と林田たちが出会えば家に押しかけられる。だけど、出会わなければ別の場所で悲劇が起きる。何の罪もないクギョウさんが、死ぬ」
声に出すことで、混乱していた頭から迷いが吹き飛び、改めて覚悟の気持ちが湧きあがる。
「つまり、僕は奴らと出会うことなく彼女を救わなければならない。見つかることなく、犯行を未然に防がなければならない」
『……そうだ。わかっているじゃあないか』
聞き役に徹していた悪魔が、余裕の声を漏らす。
僕の持つアドバンテージは未来を知っていること。彼女がどこで連れ去られ、どこに連れて行かれたかを知っていることだ。逆に、問題はそれが「いつ」なのかわからないこと。
僕が彼女を発見したときにはすべて終わった後だったからだ。
「どうすれば、いいのかな」
力ずくは不可能だ。僕の腕力では絶対に敵わないし、顔を見られれば報復から逃れるすべはない。少女に危機を知らせても無駄だろう。僕自身が夢だと思っていたことを、他人に信じさせられる訳がない。
行き詰まりを感じてグリードに意見を聞いてみるが、彼は素知らぬ声で――
『そいつを考えるのはお前の仕事だろう。オレはただ、観察するだけだ』
と言うだけだった。
――どうする。どうすればいい。
ただただ、思考する。敵の行動を、自分が成すべきことを。完璧な答えを。
どれだけの時間が経っただろうか。僕の頭に一つの閃きが舞い降りた。
「……これなら、いけるかも。情報さえあれば」
危険ではあるが、妙案を思い付き、笑みが浮かぶ。
高揚感のままにネットの検索エンジンに語句を打ちこんでいると、グリードが感心した声を漏らした。
『なるほどな。いい手じゃあないか』
「……僕が何を調べてるのかわかるの?」
うしろから覗かれているような引っかかりを感じ、振り返る。もちろん、誰もいない。
『当然だ。何せ、いまの俺は、お前のパソコンそのものなんだからな』
「へ?」
突然の発言に面くらい、モニターを凝視するが、もちろん画面に悪魔は映っていなかった。
『言ってなかったか? オレは電子の悪魔だ』
呆気にとられたまま首を振る。僕のイメージの中にある悪魔は、古びた本や魔法陣から煙とともに出てくる存在だ。それがいきなりコンピュータと言われてもピンとこない。
『グレムリンという悪魔を知っているか?』
グリードの質問に、僕はふたたび首を振った。
『機械に潜み、故障させる小鬼の総称だ。人間にとってはまったくの原因不明の故障であり、第一次世界大戦中は多くの飛行機乗りが奴らの行為により命を落とした』
歌うように、心底楽しそうに、芝居がかった口調で言葉を紡いでいく。
『つまり、だ。悪魔は時代とともに生まれ、変化する。二十世紀前半の時点で機械に潜む悪魔が存在したんだ。情報がすべての現代に、電子の海から生まれた悪魔がいたっておかしくないだろう? それに契約は死が二人を別つまでともにいること。つまり、お前のそばにいるにはパソコンがベターってことだ。携帯電話だと記憶容量が少なすぎて、住めやしないからな』
電子の悪魔。
今後は彼との共同生活を送ることになるようだ。
少女を助けた後も、ずっと。同じ部屋で夜を明かし、寄り添う。
――何だかなぁ。
現実感のない中、キーボードを叩き、マウスを動かす。
グリードからお墨付きをもらった作戦の情報整理が終わるころには、すでに夜が明けていた。
僕が深夜に調べていたのは、駅前の詳細な地図だった。
最寄り駅の天野丘駅は普段から利用する場所ではあるが、細い道や店舗の一つ一つまでは把握していない。
だけど、いまの僕は知っておく必要があった。
林田たちを尾行するために。
『同じ日に同じ人間に出会ったら、きっと同じ結果になるだろう?』とはグリードの弁。
もし僕が林田たちと会ってしまったら、先に待つ未来はたった一つ。最初の死で味わった絶望だけだ。
奴らに見つかることなくクギョウさんを救う。そのために僕が考えた方法は至って単純なものだった。
地理を完全に把握し、完璧に三人を尾行し、そして彼女がさらわれた瞬間に警察へ通報する。もちろん、ただの通報ではない。事件現場を先回りして知らせるのだ。
「少女が男たちに暴行されようとしている」と。
結果、林田たちがクギョウさんを連れ込んだ先にはすでに警察がいるという訳だ。
地図を頭に叩き込み、ただひたすら準備をする。眠る暇などはなかった。
そして時刻は昼過ぎ――
僕はいま、植え込みの陰にあるベンチから三人組の様子を窺っていた。
三人はカフェの前にしゃがみ込み、何かを喋っている。
二十メートルほど離れているため、何を喋っているかは当然聞き取れないし興味もない。
どうせ《取り消した世界》とまったく同じ内容なのだろう。
――このまま何時間か粘れば勝ちだ。
逆に、見つかればすべてが水の泡になる。緊張感で、手先に痺れが走る。
見つかればアウトになる一方、見失うことも許されなかった。彼女がさらわれたのは駅前大通りという所まではわかっている。だが、細かい場所まではわからない。
今日は週末で人通りも車通りも多い。一度見失えば、ふたたび探し出すまでにはかなりの時間を必要とするだろうし、見つかる危険も跳ね上がるに違いない。
――車通り?
ふと、とんでもないことに気付く。
僕は、見落としていたのだ。
林田が車を持っていることを。
僕には追いかける手段がないことを。
いつもそうだ。僕は肝心なときに詰めが甘い。
後悔が胸を横切ると同時に、林田が立ち上がった。取り巻きの二人も後に続いていく。
僕は慌てて立ち上がり、追跡を始める。
怪しいにも程があったが、幸い三人は気付いていないようだ。
だが、現実は甘くない。
僕の願いとは裏腹に、三人が向かった先は、駅近くのコインパーキングだったのだ。きっと、ドライブでも楽しんだ後に、彼女を襲うことを思い付いたのだろう。
――どうする。どうすればいい。
考えれば考えるほど思考が散らばっていく。
己の浅はかさを呪い、準備不足を罵りたかった。
事件が起きるまで、あと三時間から五時間。
被害者の彼女の話から予想すると、林田たちが次に車を止めるのは駅近くの路上だ。
いつ戻るのか、そしてどこに現れるのかもわからない三人を、僕はどうやって探し出せばいい。
――時間を、戻せればいいのに。もう一度、やり直せればいいのに。
「……そう、だ」
僕はやり直せるのだ。《リセットスイッチ》の力で。
携帯電話に《リセット条件》のメールはまだ届いていない。しかし、以前のパターンから推測すると五時半ごろには届くはずだ。
いまは、メールをただ待てばいい。誰にも見つからない場所で、何も考えずに。
そうすれば、次は彼女を救えるはずだ。
――「けどさ、メールが来たとき、あの子はまた犯されてる。あの真っ暗な瞳で、ビルの谷間で、絶望の表情でたたずんでるんだよ。僕はそれでいいんだね」
心の中の弱気が現れ、僕に語りかける。
――「また、逃げるんだ。選択から。まあ、仕方ないよ。それが僕なんだもんね」
ささやき声が血塗れになった彼女の姿を網膜に蘇らせた。生気の失せた声が再生され、ナイフの突き刺さった首筋が色をもって形となる。
――「彼女はまた、同じ絶望を繰り返す。だけど、今度は偶然じゃない。僕が自分の意志で彼女を見捨てるんだ」
見捨てる。
僕が、見捨てるせいで、選択を先延ばしにするせいで。
「……彼女は、また死ぬ?」
白い乗用車にエンジンがかかり、駐車場を飛び出していく。僕はただ、間抜けな顔で見送ることしかできなかった。
「どう、しよう」
闘志がどんどん抜け落ちていく。
無駄だった。全部無駄だった。
死んで過去に戻って来たことも、朝まで地図を下調べしたことも、何もかもが無駄だったんだ。
もう一度リセットしたところで同じだろう。きっと僕なんかでは助けることはできない。同じように失敗するだけなのだ。
立ち上がる気力さえ残っていない。いまの僕には、ただ力なく震えることしかできなかった。
「もう、駄目だよ……」
口にしたと同時――携帯電話が、無数の人ごみの中で、けたたましい着信音を響かせた。
「……何、だよ!」
やけくそで、発信者も確認せずに電話に出る。
聞こえてきたのはしゃがれた男の声。悪魔グリードだった。
『ようミライ。随分とブリリアントな絶望を味わっているようだな』
「気楽に言うな! 僕は、僕は……!」
『いいから落ち着け。まだ時間はある。考えろ、方法はある。お前はすでに答えを掴んでいるんだぞ?』
答えを、掴んでいる?
『オレはお前を観察するだけだ。ヒントは与えても答えはやらない。後は自分で考えるんだな』
言いたいことだけを言うと、通話はぷつりと切れてしまった。かけ返そうにも、電話番号が表示されるべき場所は空白になっている。
「……答えを、掴んでいる」
噛みしめるように、自らに言い聞かせるようにつぶやきながら、地面を踏みしめ立ち上がる。
どうやら、僕はまだ絶望することを許されていないようだった。
◆◆◆
西日をビルが遮る薄闇の中、クギョウアカリは恐怖に震えていた。
「大人しくしてりゃあスグ終わるさ。チョットばかし写真は撮らせてもらうがよ」
長髪の男が、手のひらサイズのデジカメをちらつかせる。
どうしてこうなったのか、彼女にはまったく理解できなかった。本当ならいまごろは一か月ぶりに帰省する兄に会い、夕食の準備をしていたはずなのだ。
なのに、現実に彼女がいるのは、人気のないビルの隙間。三人の男に囲まれ、ナイフを突き付けられて動けずにいる。口はガムテープで塞がれ、声も出すことができない。
もっとも、声が出せたところでこんな場所に誰か来るとは思えなかったが。
「おい、脱がせろ」
長髪の命令で、うしろに控えていた二人が下卑た笑みを浮かべ、スカートへとゆっくり手を伸ばしていく。
「……っ!」
不快な感触が走ったのは一瞬だった。
そのまま一気に布を引きずり下ろされ、純白の下着があらわになる。
「乱暴にすんなバカ」
「へへっ。悪ィ悪いィ」
げらげらと笑う男たち。ただ、涙だけが後から後から溢れてきた。
この世のすべてが憎かった。恐ろしかった。
どうして自分ばかりが貧乏くじを引くのだろうか。
シャッター音とともにカメラのフラッシュが彼女の目を焼く。
――もう、終わりだ。私は、もう終わりなんだ。
正義のヒーローなんて、この世にいない。
警察も、大人も、友達も役には立たない。
母のいない喪失感も、一人ぼっちの寂しさも、目の前の危機も誰も救ってくれないのだ。
男の腕が、彼女のシャツをまくり上げ、ブラジャーを引っ掴む。
そのときだった。
「こっちです! こっちで、女の子が!」
必死に叫ぶ男の声が彼女の鼓膜を震わせた。
「やべっ」
「どうすんだよオイ!」
「うるせぇっ、逃げろ!」
声に反応し、我先にと三人がお互いを押しのけ、逃げ出す。
もちろん、彼女を置いて。
涙と薄闇で視界はゼロだったが、男たちが遠ざかって行くのは足音でわかった。
「よ、よかった」
三人が立ち去った後、疲れ切ったような男の声が聞こえた。
「大丈夫?」
そろり、そろりと男の声が近付いてくる。
先程の三人のような粗野な声ではなく、どこか子供っぽさの残る、穏やかな声だった。
やがて、男の気配が目の前に達したとき、彼女の視界を光が照らした。携帯電話のライトだ。
「よかった。間に、あっ――」
男が、目を逸らす。きっと、スカートをはぎ取られた彼女の姿を見てしまったからだろう。
彼の声には、羞恥と気まずさが同居していた。
彼女自身も自分の姿に気付いて、恥ずかしくなり、被っていた帽子を思い切りずり下げる。
「あ、あのさ。うしろ向いてるから、服、着なよ」
男は、彼女より年上だろう。
高い身長を台無しにするような酷い猫背。伸ばしっぱなしの髪の毛。
ほっそりとした体を覆う黒を基調とした地味な服装。
一般の基準からすれば、冴えない男以外の何ものでもない。
だがいまの彼女には、目の前の気まずそうな表情の男が、まるでテレビに出てくるヒーローのように見えたのだった。
◆◆◆
彼女に背を向けたまま屈みこみ、疲労と緊張のせいで乱れた呼吸を整える。
どうにか、間に合った。彼女を救うことができた。安堵の溜息が肺の奥から漏れる。
『答えをすでに掴んでいる』。グリードのたった一言が僕を立ち直らせてくれた。
車を追いかける術はなかった。だが、僕は誘拐現場を知る方法を知っていたのだ。
『ゲームセンターの対戦格闘ゲームで連勝していた』
《取り消した世界》で彼女の口から直接聞いた間違いのない事実。
おそらく、ゲームセンターに立ち寄り、スーパーで買い物を終えた直後に事件は起きたのだろう。
ならば、彼女は昼間はゲームセンターにいたはずだ。
昨晩の時点で天野丘駅周辺の地理は調べつくしていた。
そして、この辺りに格闘ゲームを置いているゲームセンターは一軒しかない。あとは、簡単な話だった。林田たちではなく彼女を尾行した。本当は彼女が声をかけられた時点で警察に通報しようと考えていたが、新たにもう一つの誤算が立ち塞がった。
事件発生時に、僕が再開発地区のどこにいたのかわからなかったのだ。
場所を確認する前に自殺したため、間抜けにも、細かい位置を確認していなかった。
そのため、僕が一芝居うつことになってしまった。まだ、心臓がばくばく鳴っている。
「ははっ。実は、一人なんだよね。けど、通報はしたから。もうすぐ本当の警察も来るよ」
改めて考えてみると一か八かの賭けだったが、どうやら勝ちを掴めたようだ。後は警察の到着を待って、彼女の保護を頼むだけだ。
「何もされてない?」
背中を向けたまま、声をかける。上ずった声なのが自分でもわかった。
それでも、僕の胸を満たすのはたっぷりの満足感。
僕は、やり遂げたのだ。彼女を林田たちから救うことができたのだ。生まれてこの方感じたことのない充足感と達成感が僕の気分を高揚させる。
しかし――
「……別に」
少女の声には感情がなかった。
状況を見るに、乱暴をされはしたが取り返しのつかない所まではいっていないはずだ。
最悪の結果は間違いなく回避できている。なのに、どうして彼女の様子はおかしいのだろうか。
首を傾げる僕に向けられた少女の返事は、予想外の物だった。
「別に、大丈夫だったし。助けなんか……なくたって」
「へ?」
「私一人でも大丈夫だったって言ってんの! あんなサイテーの奴ら、私一人で、一人で!」
次第に強くなる語気に思わず振り返る。彼女はすでに衣類を身に着けていた。
帽子を深くかぶっているせいで表情は読めない。
だが、何故だろうか。少女は僕を睨んでいるように見えた。
考えてみればわかることだ。未遂にしろ、彼女は性的暴行を受けていた。
ぬぐいきれない心の傷を負ってしまった。
パニックに陥った彼女が冷静でいられないのは当然のことだろう。
だが――いまの僕は、彼女以上に冷静ではなかった。
「僕は……」
無意識だった。
喉の奥から勝手に言葉が溢れだす。抑えることはできなかった。
興奮していたのもある。充足感に水を差されたのもある。万能感に酔っていたのもある。
だが、それらすべてを差し引いても、次に僕の放った言葉は余りにも愚かなものだった。
「あんな過去を……!」
駄目だ。言っちゃ駄目だ。
――「言え。教えてやれ。僕がどれだけ苦しい思いをして助けたのかを」
駄目だ。言うな。言っちゃ駄目だ。
相反する感情がぶつかり合った結果、僕が放ったのは――
「あんな過去を取り消したのは僕なのに。何だよその態度!」
取り返しのつかない台詞だった。
当然、少女が返してくるのは不審な目つき。
「過去? あ、あんた、何言ってんの」
「僕が過去を変えなきゃ、君はあいつらにメチャクチャにされてたんだよ! 三人に、繰り返し繰り返し犯されて、写真まで撮られてたんだ!」
一度決壊した感情のダムがすぐに修復されることはなかった。小さな穴をきっかけに、次から次へと言葉の濁流が押し寄せてくる。
「何でそんな目で見られなきゃいけないんだ! 僕が助けたから君は人殺しにならなくて済んだのに!」
少女は、呆気に取られているようだった。
ただ、いまの僕には彼女の困惑さえも気に障った。頭の中を支配しているのは、絶望に染まった妹と、そして彼女自身の《取り消した世界》での表情。
目の前の少女の言い草は、二人の苦しみを馬鹿にしているように思えたのだ。
「それだけじゃない。君は、君は……絶望の中で自殺したんだ! レイプされ、逃げようともがくうちに長髪の男を刺し殺して、罪と恐怖と絶望に耐えられず自ら命を断ったんだよ! なのに、何で、何で……!」
そして、僕は口にしてしまった。
言ってはならない、最後の言葉を。
「過去を変えてまで、僕は君を助けてやったのに!」
自己嫌悪。
彼女が林田たちに狙われたのは僕のせいだ。
彼女を救ったのは、僕の自己満足のためだ。決して感謝されたくてやった訳ではない。
なのに、僕の放った言葉は、どうしようもなく押しつけがましい物だった。
「過去を、変えた? ば、馬鹿じゃないの?」
「君の名前はクギョウアカリ。年齢は十四歳」
ぴしり、と指差し宣言する。直後、不安と怒りに満ちていた彼女の目が見開かれた。
「あ、あんたもアイツらの仲間なの!? ずっと私に乱暴しようと狙ってたのね。だ、だから私の名前も知ってるってわけ?」
「君には、大学生の兄がいる。今日は実家に帰ってくる兄のためにハンバーグを作ろうとしていた」
「な、何で……」
少女の顔が青ざめていくのがわかった。
「何で知ってるかって? 君の口から聞いたからだよ。尊厳を踏みにじられ、人を刺し殺し、この路地でうずくまる君から。絶望の表情で自殺してしまう直前の君自身から!」
絶叫するように言い放ち、そして気付く。
――こんな行為に意味なんかない。
どうせ信じないだろうし、信じる必要もない。
きっと、僕は誰かに聞いてもらいたかっただけなのだ。異常な事態の連続に精神が耐えられず、今日出会ったばかりの少女に、後腐れがなさそうな相手に理解してもらいたかっただけなのだ。
なんて、愚かなのだろう。
「……冗談だよ。いま言ったのは全部デタラメ」
「ま、待って。どういうこと、どういうことなの?」
「だから、全部デタラメだよ。適当なこと言っただけ」
「だから待って。デタラメだったら名前なんて――」
「待たねぇよ」
僕たちの言い争いを遮ったのは、林田の声だった。
「隠れてやり過ごしてりゃ、ケーサツなんて来ねぇじゃねーか。ナメた真似しやがって」
「ブッ殺してやる。ツラぁ見せやがれ!」
怒声とともに何かが蹴り飛ばされる音がビルの谷間に響く。先程逃げたはずの三人が戻ってきたのだ。
不幸中の幸いだろうか。辺りが薄暗いせいで僕の正体には気付いていないようだった。
――逃げろ!
理性が警告を放つ。
だが、僕の足は動いてくれなかった。林田の悪魔のように歪んだ表情が脳裏に浮かび、妹の悲鳴が耳に蘇ったせいで。
「動くんじゃねぇぞ。オレらをコケにしたこと、絶対に後悔させてやるかんな」
――逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ。
終わりだ。全部、終わりだ。このまま、僕は見つかり、いままでの行為はすべて台無しになる。
最悪の事態。《取り消した世界》で味わった絶望が二つ重ねで襲いかかってくるのは想像に難くなかった。
――また、リセットするのか。同じ絶望を味わって、また命を断つのか。
足は動かない。声を出そうにも喉は震えず、体が石にでもなってしまったかのようだった。
だが――
「助けて! お願い! 誰かっ!」
彼女、クギョウアカリは違った。
林田たちを逆なでする危険も顧みず、あえて大声を出したのだ。
「動くな! そこで何をしているっ!」
直後に聞こえたのは自転車が倒れる音。そして複数の大人の男の声。
数秒も経たずに警察官と思しき気配が現れた。懐中電灯の光が僕らの背後から、林田たちを照らす。
気付けば、パトカーのサイレンも近付いてきているようだった。
「やべぇっ逃げろ! 今度はマジだ!」
「待てっ。動くな!」
一人が追い、もう一人が僕らへ歩み寄ってくる。振り返ると、予想通り警官だった。
「もう大丈夫だ。何があったのか、話してくれるかい?」
優しい口調、逞しい腕を確認して安堵する。僕たちは助かったのだ。
ふと、少女の方を見る。彼女は、微笑みを浮かべて僕の傍らに立っていた。
「私、耳がいいの。今度は私が助ける番だったね」
自転車を漕ぐ音を聞きとり、大声を出したということだろうか。余裕綽々、といった台詞だが、間違いなく見せかけだ。
彼女は僕のジャケットの裾を強く握りしめていた。震える腕で、細く小さな指で。
気恥ずかしさはあるが、指摘しようものなら間違いなく気まずい空気が流れるだろう。彼女のためにもここは黙っておいた方がよさそうだ。
「あ、ありがとう」
代わりに僕が漏らしたのは、本心からの言葉だった。
ヒーローのように格好よくとはいかないが、目的を達成することができたようだ。
今度こそ、本当の意味で。
「通報したのは、僕です」
サイレンの音が近付いてくる中、警察官に向けて頭を下げる。
犯人の名前も学校もわかっているのだ。
後は僕や彼女が証言して捜査されれば、奴らは法の裁きを受ける。そして、僕にも平穏な日常が訪れるのだ。
「彼女が車に連れ込まれるのを見て――」
警察官に説明を始めようとした瞬間だった。
僕の言葉が、轟音によって遮られた。
ありったけの金属板を、幾千ものツメで思いっきり引っ掻いたような音。聞き慣れてはいないが、聞き覚えがある音。
――車のブレーキ音?
直後、鼓膜を破るほどの重音が周囲に響いた。
「……!?」
警察官、彼女、そして僕が同時に声にならない声を上げた。
コンクリートが砕ける音、金属がひしゃげる音、ガラスが砕ける音。すべてが混じり合った異様な不協和音。
まるで、急発進した車がコントロールを失い、ビルに衝突したみたいな。
「ここを動かないで」
警察官が僕たちに警告し、飛び出していく。
嫌な予感がした。言葉にならない、たとえようもなく嫌な予感。
いま、何が起きたのか確かめたい気持ちはあった。
だが、体が動いてくれなかった。
薄闇の中に残されたのは、僕ら二人だけ。
「いまの、あいつらの車かも」
彼女が、無機質な声でつぶやく。その言葉を裏付けるかのように、遠くから男の叫ぶ声が聞こえてきた。
「ショーゴ! ショーゴ! 返事してくれよ、なぁ!」
「近付くなっ! 早く救急車をっ!」
林田章吾。三人組のリーダー。《取り消した世界》で、喉をナイフで貫かれて死んだ男。
僕は予感していた。彼は助からないのではないのか、と。
憎むべき男がこの世からいなくなるというのに、僕の心には「嬉しい」なんて気持ちはなく――
「やっぱり」という、どこか場違いな感慨だけだった。
そして僕の予感は的中することになる。
林田は頸椎を骨折し、病院に運ばれる前にその命を失ったのだ。
警察からの事情聴取を終え、自宅のベッドに身を投げ出したのは午後九時を過ぎたころだった。
警察署まで迎えに来てくれた父親は、息子が少女を助けたことと、クラスメイトの蛮行と死の事実を目撃したことを同時に知り、何とも複雑な表情で、長椅子に座った僕を見下ろし「頑張ったな」と軽く頭を叩いただけだった。きっと、僕と同じで感情の整理がつかないのだろう。
クギョウアカリの両親はしきりに僕に頭を下げて娘にも直接礼を言わせてほしいと申し出られたが、彼女本人に会うことはやんわりと断った。
とにかくいまはもう、何も考えたくなかったのだ。
『もう何も考えたくないってツラだがな。お前に一つ伝えておかねばならないことがある』
瞼を閉じ、まどろみの中に逃げ出そうとする僕を引きとめたのは、パソコンのスピーカーから漏れるグリードの声だった。
「勘弁してよ。明日じゃ駄目なの?」
『駄目ってワケじゃあないが、重要なことだ。早い方がいいだろう。いいからパソコンの前に座れ』
彼の声音は真剣だった。拒否しようものなら嫌がらせに大音量でベートーヴェンの「運命」でも垂れ流されるかもしれない。
それでも、いまの僕には起き上がる気力などなかった。
「今日はパス。わかるだろ。本当に疲れてるんだ」
『そうか。ならばオレは残酷な手段を取らねばならないな』
「……残酷な手段?」
『電波系萌えアニメソングを最大音量で垂れ流す。お前の家族によォく聞こえるようにな』
電子の海の向こうで悪魔が凄絶な笑みを浮かべているのが想像できた。
まさに異次元の智謀。きっと両親は僕の部屋に駆けあがり、頭の狂った受験生を生温い目で見るに違いない。
『それともアダルトビデオのクライマックスシーンを流される方が……って、何をしているんだ』
最後の力を振り絞り、ベッドから起きあがった僕にグリードが疑問を投げかける。
「何って、パソコンの電源を抜こうとしてるだけだよ」
彼がどのような手段を取ろうとも、僕は屈するつもりはなかった。あらゆる脅迫に抵抗し、眠りの世界に逃げ込んでみせる覚悟だ。とにかくいまは、放っておいてほしかった。
『おい、やめろ。やめるんだ。電源を抜いたら……』
「抜いたらどうなるっていうのさ」
溜息混じりに壁のプラグを引っこ抜き、勝利を確信する。悪魔といえど所詮はパソコンだ。
後は携帯電話の電源を切ってしまえば彼には何もできなくなる。
だが――
『別にどうにもならないんだな、これが』
今度は僕が慌てる番だった。指でつまんだプラグとモニターを交互に見比べる。
パソコンには何の変化もなかった。ハードディスクの回転音も止まっていなければ、モニターもデスクトップ画面を映したままだ。グリードの声だってスピーカーから響いている。
『いま、このパソコンはオレそのものだ。電源を抜いたくらいじゃあ、何も変わらないぜ? さあ、選べ。家族の生温い視線を浴びるか、オレの言うことを聞くか!』
腕を組み、ふんぞり返る悪魔の様子が目に浮かぶ。どうやら、僕に選択肢は存在しないらしい。
「……それで、何の話?」
『《リセットスイッチ》の最後の機能を説明しようと思ってな』
椅子に座って頬杖をつき、不機嫌そうに問う僕に対し、相変わらず楽しそうに悪魔が答える。
「最後の機能?」
『その前に一つ。《リセット条件》のメールはもう読んだか?』
「いや、まだ……メールが届いたの、パトカーの中だったし……」
『大事なことだからこれから何度でも言うぞ。《リセット》後は必ずメールのチェックをしろ。もし不慮の事故で《リセット条件》以外の死に方をすれば、お前は完全な死を迎えるんだからな』
言い訳がましい僕を射ぬくような語気に圧倒され、深くうなずく。
脱ぎ散らかした上着から携帯電話を取り出すと、新着メールを知らせるランプが点滅していた。
「えっと、一件目は《リセット条件→過去二回の方法以外での自殺 残機数→5》。あれ?」
わずかな違和感。新たな《リセット条件》が提示されているのはわかる。だが、確か《取り消した世界》でも残機数は《5》を示していたはずだ。一度死んだのだから減っているべきではないのだろうか。
疑問を抱えたまま次のメールを開く。見覚えのある件名、契約完了の通知だ。
こちらのメールもやや疑問を感じる。僕はいまの世界でグリードとは契約をしていないはずだ。
『お前自身に契約を行ったという記憶と認識がある以上、改めて契約するまでもない、ってことだな』
僕の心を読んだかのようにグリードが口にする。納得しながら親指を液晶の上で滑らせ、最後のメールを開く。
《差出人:夜澤ミライ》
《送信日時:2012年 10月6日 17時33分》
《件名:残機数増加の通達》
《本文:エクステンド条件を達成したため、残機数は5へと回復した。契約者の今後の健闘を祈る》
『残機数が減っていない理由はそいつだ。《取り消した世界》で受け取っただろう? 《エクステンドメール》を』
「僕の心が成長するために乗り越える壁、だっけ?」
契約直後に受信したメールを思い出す。確か内容は《見知らぬ誰かのために命を捨てる》だったはずだ。
「つまり、僕が彼女を助けるために命を投げ出せたから、残機数が増えたってこと?」
『その通りだ。今後もお前の目の前に大きな壁が現れたとき、何度でも《エクステンドメール》は届く』
「まるでゲームだね。経験値を稼いでレベルアップする、みたいな」
『最高にスリリングだろう?』
彼の言葉にうなずくことはできず、苦笑で返す。何せゲームとは違い、実際に恐怖と痛みが存在するのだから。
『そして、これをさらに面白くするのが――』
彼が言葉を止めた瞬間、周囲の空気が変わった。
冗談混じりの温かい雰囲気から、肌を刺すような冷気へ。
気のせいだろうか。僕の傍らにふたたび悪魔の幻影が立っている気がした。
彼の声には僕にそう思わせるだけの存在感があり、強い意志の力が存在していた。
赤黒い揺らめきが、耳元で最後の機能の名を告げる。
『セーブ機能だ』
理由はわからない。ただ、心臓が強く高鳴った。
『お前はいま、まるでゲームだと言った。ならばわかるだろう? セーブ、行動の記録、レポート、冒険の書。言葉は何でもいい。つまり《リセットスイッチ》には戻る地点、すなわちセーブポイントを設定する機能がある』
「……君の言うことは、いつも突飛過ぎて理解に苦しむよ」
『たとえばだ。いま、お前がセーブをせず《リセット条件》を満たせば、昨日の深夜に戻る。だが、いまからセーブを行えば、どうなると思う?』
「セーブした時間……いまに戻る、ってこと?」
『グッド! 呑み込みが随分早くなってきたじゃあないか。残機数と違い、セーブ回数に制限はない。ただし、一つだけ気を付けなければならないことがある』
赤黒い揺らめきが鉤爪の形になって、僕の頬をそっとなで、告げる。
『セーブは常に上書きされる。《リセットスイッチ》で戻れるのは、最後にセーブした時間だけだ。一度セーブをすれば、前の時間――今回で言えば昨日には戻ることができなくなる』
「なるほど、やっとわかったよ。目的を達成したんだからセーブしろって言いたいんだね」
『こまめなセーブは攻略の基本だからな』
モニターをよく見ると、デスクトップにはアルファベットの「S」をモチーフにしたsave.exeのアイコンが増えていた。
確かに、彼の言う通りだ。目的を達成したのだから、今日という日をもう一度やり直す必要はどこにもない。セーブを行うのが正しいのだろう。
だが――
「本当に、いいのかな」
『何を迷っている?』
「だって、だってさ……」
僕には一つ、気がかりなことがあった。
死ぬはずのなかった人間が、一人死んでいるのだ。
「林田は、どうなるのさ」
『言わなくてもわかるだろう。あの茶髪は死んだ。死んだのだから、死んだままだ。人間は生き返ったりしない』
迷う僕に対し、グリードの答えはあっさりとしたものだった。
いまセーブしてしまえば、林田章吾の死は確定する。
「確かにさ、あいつは最低のケダモノだ。殺してやりたいと思ったことさえある。けどさ……」
本当に、死んだままにしてしまっていいのだろうか。
『別にお前が殺した訳じゃあないだろう。ただの間抜けな交通事故だ。お前が罪に問われることはないし、罪悪感を感じる必要もない。それに心の底では思っているんだろう? ざまあみろ、ってな』
「そんなこと思って……!」
いない、とは言い切れなかった。
林田たちは僕から金をむしり取り、暴力を振るい、他にも思い出したくないような精神的屈辱を与えた憎むべき相手だ。妹を蹂躙したことも、クギョウさんを襲ったことも、許せるわけがない。
死んでせいせいしたと思っている自分がいるのも確かだ。
「けど、もう取り消したんだ。妹もクギョウさんも無事なんだし……」
『だから、奴が死ぬ理由はないと? だったら答えは一つだ。お前がいまから《リセット》すればいい。メールに書かれた手順で死ねば午前三時半に戻ることができる。もう一度土曜日をやり直して、誰も傷付かないようにすればいいだけだ。もっとも、確実に達成できる保証はないがね』
気付けば、赤黒い陽炎ははっきりと悪魔の形を取っていた。
グリードの幻影が、僕の傍らで裂けた口を皮肉気に歪めている。
『奴を助けることで、他の誰かが犠牲になるかもしれない。ふたたびお前の妹やクギョウアカリが傷付けられる可能性だってある。そこまでしてお前はあの男を助けたいのか?』
グリードの質問に対し、静かに首を振る。林田のために命を捨てる義理もなければ、死の痛みを乗り越えてまで助けたいとは思わなかった。
『オレから言えるのは一つだけだ。リセットするか、しないか、選ぶのは、お前自身だ』
言い換えれば、林田を見捨てるか見捨てないか。殺すか殺さないか。
僕にとっては、余りにも重い選択だった。
『さあ、決めろ。どうせいつかは決めなければならないことなんだからな。セーブは簡単だ。デスクトップのセーブアイコンをクリックするだけでいい。それとも、メールに書かれているように死んでみるか? 今回の条件は、心臓にナイフを突き刺すよりずっと簡単そうだろう?』
グリードの言葉で、携帯電話に目を向ける。条件は、《過去二回の方法以外での自殺》。
《リセット条件》が記された携帯電話は、どす黒い悪意を発しているようにさえ見えた。
汗が、滲む。手が、震える。携帯電話を握りしめたまま、ただただ時間が過ぎていく。グリードの金色の瞳が急かすように見つめてくるが、やはり僕の体は動かない。
「お兄ちゃん?」
荒い息を吐きながらモニターを睨んでいると、突如ドアをノックする音が響いた。
「警察の人から電話だよ。今日の事件で聞きたいことがあるって」
ドアを開けて入って来たのは「一回目」の土曜日では死んだはずの妹、真帆だった。
「あ、うん」
曖昧な返事をし、コードレスの電話を受け取る。相変わらず目を見ることはできそうにない。
「どうしたの?」
「何でもない。ちょっと具合が悪いだけ」
「そう言えば今朝も言ってたね。風邪薬いる?」
心配顔の真帆に「大丈夫」と首を振り、部屋から追い出す。もちろん、僕の生み出した幻影でしかないグリードの姿は真帆には見えていない。
静かになった部屋で、大きく息を吐く。
《リセットスイッチ》がなければ、妹はいまここで心配の表情を作ることさえできなかった。
もし、林田を救ったらどうなるだろう。ふたたび真帆が襲われる可能性だってあるのだ。
僕は、林田たちの蛮行を鮮明に覚えている。
泣き叫ぶ妹の声。目を焼くカメラのフラッシュ。剥き出しの肌。次第に光を失っていく瞳。
そして、血に染まった死体。
「……生かしちゃ、駄目だ。あいつだけは」
無意識に、口にした言葉に自分で驚く。間違いなく、本心からの言葉だった。
『覚悟は決まったようだな。だったら早く実行するんだ。決心が鈍らないうちにな』
「そう、だね。警察の人を待たせるのもよくないし」
いまここでセーブすれば、すべてが確定する。
林田が死ぬことも、その他二人が警察に捕まることも。そして、僕の高校生活に平穏が戻ることも。
「やるしか、ないんだ」
モニターに刻まれたセーブアイコンを睨みつけ、マウスを握る手に力を込める。
「あ、あれ」
どうしてだろうか。マウスポインタが、がくがくとあちらこちらに動いていた。
バグではないと気付く。ただ、僕の腕が震えているだけだった。
『おいおい、しっかりしろよ。キーボードで操作すればいいだろう』
グリードのアドバイスに従い、矢印キーでカーソルを合わせる。
心臓が引き裂かれそうだった。呼吸はコントロールできないほど荒くなり、いまにも肺が破裂してしまいそうだ。
僕が、人を、殺す。殺人を、犯す。人殺し。
ヒトゴロシニナル。
『さあ、あとはエンターキーを押すだけだ。それで、お前は人間を超える。神にもなれる力を本当の意味で手に入れるんだ』
僕の内心を知ってか知らずか、グリードの声は興奮していた。
「あ、あ、あぁ……」
動かない。体が、動いてくれない。
殺す。僕が、林田を、殺す。
できない。できるわけがない。
『思い出せ、夜澤ミライ! お前が受けた屈辱を。妹を辱められた痛みを。お前は何のために契約をした。自分自身の後悔と過ちを消し去るためだろう!』
悪魔の鉤爪が僕の肩を強く握る。
『いまがその瞬間だ。自分を、過去を変えるときなんだよ! さあ、押せ! 押すんだ、ミライ!』
グリードの言葉を皮切りに、頭の中から声が響いてくる。
押せ、押せ、押せ! と。
声が頭を支配し、拒否する心とぶつかり合い、矛盾した感情が渦巻き、爆発する。
「う、うう……うわああああああああああああっ!」
そして僕は、自身の迷いを振り切るように叫び――
涙を浮かべた瞳を固く閉じ、叩き潰すような勢いで――
エンターキーを、押した。
契約を終えた後、携帯電話を操作し、メール画面を開く。
すでに太陽は完全に沈み、携帯電話のわずかな光だけが僕の視界のすべてだった。
携帯電話には二つの変化があった。「契約完了の通知」という簡素なタイトルの新着メールが届いたこと。
そして、もう一つ――
先程受信したメールを表示する。グリードから聞いていたとはいえ、異常事態に鳥肌が立った。
メールの内容が、変化していたことだった。
《差出人:夜澤ミライ》
《送信日時:2012年 10月6日 17時32分》
《件名:無題》
《本文:リセット条件→心臓に外傷を与えた後に死亡 残機数→5》
「心臓への外傷?」
『送られてくる《リセット条件》は毎回異なる。どんな内容なのかはオレにだってわからない』
「残機数が増えてるのは?」
『前に送ったのは体験版だからな。契約を行ったことで残機数は最大の五になった』
「……五回」
『さらに、《リセットスイッチ》にはもう一つの力がある』
悪魔が楽しげに言葉を放った瞬間、ふたたび携帯電話にメールが届いた。
『開いてみろ。面白いことが書いてあるはずだ』
言われるまま操作を行う。奇妙なメールには慣れたと思っていたのに、届いた文面はまたしても僕を困惑させるものだった。
《差出人:夜澤ミライ》
《送信日時:2012年 10月6日 18時2分》
《件名:ボーナス条件》
《本文:見知らぬ誰かのために命を捨てる。達成した場合、残機数は5へ回復する》
『わかるか? このメールの意味が』
グリードの言葉に首を振る。僕の表情に満足したのか、グリードがこの上なく楽しそうな声で続ける。
『リセットできる回数は増やせるんだよ。契約の力はお前にチャンスを与える。《残機数の増加》という、な』
「エクス……テンド?」
『そう。コインを百枚集めて1UPするように、お前が人生において大きな壁を乗り越えたとき、契約は残機数の増加を認める』
彼のたとえに思わず口元が緩んだ。
死体を前にして、悪魔グリードがたとえたのはゲームである。随分と俗っぽい言葉選びではないか。
『つまりミライ。お前の精神が成長すればするだけ、《リセットスイッチ》はお前に力を与えるって訳だ。まあ、他にもできることはあるんだが、追々説明してやる。いま、お前がやらねばならないことが終わったら、な』
彼の言葉に、強くうなずく。僕が悪魔と契約した理由はただ一つなのだから。
『鍵は恐らくレイプ事件。林田章吾たちの行為を阻止すれば、きっとこの女は助かるはずだ』
言われなくてもわかっていた。
もちろん不安はある。もし、《リセットスイッチ》なんてものが電話の向こうの狂人のたわごとだったら、僕はただ死ぬ。物言わぬ物体になる。暗い街を赤く彩るオブジェの一つになるだけだ。
――別に、いいじゃないか。
ただ死ぬだけでも僕はこの重圧から解放される。
罪のない少女が僕の身代わりになっただなんて現実から逃れることができる。
臆病だと言いたければ言うがいい。軽蔑するのならすればいい。理不尽と絶望の奥で足掻くことしかできない僕を嘲笑えるものなら、嘲笑えば良い。
それに、ただ一つだけ確実なことがあった。動かなければ何も変わらないという残酷な事実だ。
静かに腰をかがめ、少女の首に刺さったナイフを思い切り引き抜く。
刃が肉を滑り、金属板を爪でひっかく何十倍もの不快感が、ずるりと僕の手を駆け抜けた。
傷口から、そしてナイフからだらだらと血が流れ、地面を濡らす。
『《リセット条件》は心臓に外傷を与えた後に死亡。わかるな?』
「……このまま刺せってことでしょ」
『正解だ。ただ、一つだけ注意することがある。もし、手がすべって肺や首を刺してみろ。そのとき、お前に訪れるのは過去への跳躍ではない。絶対の死だ』
「……プレッシャー、与えないでくれないかな」
失敗は、許されない。
僕は過去に戻るため、確実に心臓を貫き、死ななければならないのだ。
そっと、ナイフを自分の胸に押し当てる。理科室の人体模型で見た心臓の位置なら覚えている。
しかし、果たして一発で刺し貫くことはできるだろうか。胸骨が邪魔をしないだろうか、間違って肺に突き刺さらないだろうか。
――「見捨てちまいなよ」
心の底から、声がした。
――「あんな知らないガキ、死んでも関係ないじゃないか。林田はもう死んだんだ。放っておけば、僕の学校生活は平和になるんだよ?」
僕の声だった。心の中の、悪魔のささやきだった。
声の言う通り、リーダーを失ったグループは瓦解するだろう。残った二人も学校から追放されるはずだ。
――「死んだら終わりなんだよ? 折角命が助かったってのに、どうしてリスクを冒すのさ」
声が、大きくなっていく。力を増していく。
だけど、僕はもう決めたんだ。
「……黙れよ」
荒い息とともに、ささやく者に向かって吐き捨てる。
ここで逃げたら、林田たちと同じだ。僕は、違う。
彼女を殺したのは僕だ。僕が彼女を殺したんだ。自分の罪を押しつけて、平和な日常を謳歌するなんてまっぴらだ。
罪は償わなくちゃならない。罰は背負わなくちゃならない。
――「はんっ。じゃあ、死んじゃえよ。僕はもう、知らないから」
ささやきが、消えた。もう邪魔をする者はいない。
目を閉じ、息を止め、自分自身の胸にナイフをあてがう。
少しずつ滑らせ、骨の隙間を探り当てる。できれば苦しみたくない。一発で決めたいところ。
間もなく止まることになる心臓が、最後の足掻きとばかりに凄まじい勢いで暴れている。
手が震え、死への恐怖が一押しを躊躇わせる。
どれだけの時間が経っただろうか。
数秒かもしれないし、あるいは何十分も止まっていたのかもしれない。
「……やるしか、ないんだ」
声とともに息を吐きだし、腕に力を込める。
最初に感じたのは痛みだった。
皮膚を引き裂き、肉を断ち、骨の隙間にナイフが埋まっていく感触。耐えがたいほどの、激痛。
現実の時間にすれば一瞬。なのに、僕の中では何秒にも何分にも感じられる。
骨と筋肉をえぐりながら刃が心臓へと到達すると、痛みは痺れに変わった。
最悪なことに、まだ意識がある。人間、簡単には死ねないらしい。
全身が痺れ、体が急速に冷えていく。
刃は熱いのに、体は冷たい。命が流れていく感覚、闇が覆い尽くしていく不快感。
飛び降りたときと同じだ。
冷たい喪失、終わりの始まり。
やがて、僕の意識は闇に包まれて――
気付けば、僕は自分の部屋にいた。前回と同じ、自室のパソコンの前に。
デスクトップに大きく映っているのは十月六日午前三時三十分の文字。僕の記憶が確かならば、前回とまったく同じ時間だった。
――成功、した?
同時に確信する。すべてが現実だったと。
妹が汚されたことも、僕が死んだことも。そして、すべてがリセットされたことも。
携帯電話を確認する。例のメールはまだ来ていない。《リセット条件》のメールが届いたのはいつだったろうか。
「グリード! いるんだろ!」
《取り消した世界》において、僕はずっと視線を感じていた。そして、グリード自身も『ずっと見ていた』と言っていた。ならば、いまも近くにいるはずだ。
携帯電話を操作するが、何の変化もない。代わりに反応したのは、勉強机に置かれた古びたデスクトップパソコンだった。
『……夜中に叫ぶな。いいから落ち着け、ミライ』
液晶画面に内蔵されたスピーカーから、しゃがれた声が放たれた。
「えっ、パソコン……から?」
グリードとはほんの先程まで、携帯電話を通じて話していたはずだ。
なのに、いまはパソコンから声がする。
『どうやら死んだことで混乱しているようだな。まあいい、まずは深呼吸だ。そして、ゆっくりと思考の整理をしろ。自分の身に起きたこと、一つ一つを仔細漏らさず、確実に言葉にしていくんだ』
スピーカーから漏れる声は諭す口調だったが、僕の焦りを取り除くことはできなかった。
「そんなことやってる時間なんて――」
反抗しようとする僕に向かい、辛抱強い悪魔の声が割り込む。
『落ち着いて、口に出して、順序立てて何が起きたのかを整理するんだ。オレは意味のないことは言わない。意味があるからこそ、こうやってお前に言っているんだ。それに、余り大きな声を出すと家族が来るぞ』
まるで、最初から準備していたかのような流暢な台詞だった。僕がパニックに陥ることなんて想定済みだったのだろう。もしかしたら過去の契約者も同じ状態になったのかもしれない。
『口に出して頭で整理することで、人間はより理論的に物事を考えることができる。テストの暗記でもそうだろう? 口に出し、文字にして書くことでより深く記憶できるんだ。お前はいま、時間がないと言った。だが、それは本当か? 猶予はあと何分だ?』
彼の言葉に反応し、時計を確認する。時刻は午前三時半を回ったところ。林田たちの事件は午後五時過ぎに起きたので、十三時間以上の余裕があるはずだった。
『少しは落ち着いたか。大事なのは論理的な思考だ。さあ、ゆっくりと言葉を組み立て、自分自身に向かって説明するんだ。繰り返しになるが、オレは意味のないことは言わない』
グリードの言葉に従い、はやる気持ちを抑え、思考をまとめる。
一つ一つの出来事を整理し、口に出していく。しどろもどろになりがちな僕の説明にグリードはじっくりと耳を傾けてくれた。
「僕と林田たちが出会えば家に押しかけられる。だけど、出会わなければ別の場所で悲劇が起きる。何の罪もないクギョウさんが、死ぬ」
声に出すことで、混乱していた頭から迷いが吹き飛び、改めて覚悟の気持ちが湧きあがる。
「つまり、僕は奴らと出会うことなく彼女を救わなければならない。見つかることなく、犯行を未然に防がなければならない」
『……そうだ。わかっているじゃあないか』
聞き役に徹していた悪魔が、余裕の声を漏らす。
僕の持つアドバンテージは未来を知っていること。彼女がどこで連れ去られ、どこに連れて行かれたかを知っていることだ。逆に、問題はそれが「いつ」なのかわからないこと。
僕が彼女を発見したときにはすべて終わった後だったからだ。
「どうすれば、いいのかな」
力ずくは不可能だ。僕の腕力では絶対に敵わないし、顔を見られれば報復から逃れるすべはない。少女に危機を知らせても無駄だろう。僕自身が夢だと思っていたことを、他人に信じさせられる訳がない。
行き詰まりを感じてグリードに意見を聞いてみるが、彼は素知らぬ声で――
『そいつを考えるのはお前の仕事だろう。オレはただ、観察するだけだ』
と言うだけだった。
――どうする。どうすればいい。
ただただ、思考する。敵の行動を、自分が成すべきことを。完璧な答えを。
どれだけの時間が経っただろうか。僕の頭に一つの閃きが舞い降りた。
「……これなら、いけるかも。情報さえあれば」
危険ではあるが、妙案を思い付き、笑みが浮かぶ。
高揚感のままにネットの検索エンジンに語句を打ちこんでいると、グリードが感心した声を漏らした。
『なるほどな。いい手じゃあないか』
「……僕が何を調べてるのかわかるの?」
うしろから覗かれているような引っかかりを感じ、振り返る。もちろん、誰もいない。
『当然だ。何せ、いまの俺は、お前のパソコンそのものなんだからな』
「へ?」
突然の発言に面くらい、モニターを凝視するが、もちろん画面に悪魔は映っていなかった。
『言ってなかったか? オレは電子の悪魔だ』
呆気にとられたまま首を振る。僕のイメージの中にある悪魔は、古びた本や魔法陣から煙とともに出てくる存在だ。それがいきなりコンピュータと言われてもピンとこない。
『グレムリンという悪魔を知っているか?』
グリードの質問に、僕はふたたび首を振った。
『機械に潜み、故障させる小鬼の総称だ。人間にとってはまったくの原因不明の故障であり、第一次世界大戦中は多くの飛行機乗りが奴らの行為により命を落とした』
歌うように、心底楽しそうに、芝居がかった口調で言葉を紡いでいく。
『つまり、だ。悪魔は時代とともに生まれ、変化する。二十世紀前半の時点で機械に潜む悪魔が存在したんだ。情報がすべての現代に、電子の海から生まれた悪魔がいたっておかしくないだろう? それに契約は死が二人を別つまでともにいること。つまり、お前のそばにいるにはパソコンがベターってことだ。携帯電話だと記憶容量が少なすぎて、住めやしないからな』
電子の悪魔。
今後は彼との共同生活を送ることになるようだ。
少女を助けた後も、ずっと。同じ部屋で夜を明かし、寄り添う。
――何だかなぁ。
現実感のない中、キーボードを叩き、マウスを動かす。
グリードからお墨付きをもらった作戦の情報整理が終わるころには、すでに夜が明けていた。
僕が深夜に調べていたのは、駅前の詳細な地図だった。
最寄り駅の天野丘駅は普段から利用する場所ではあるが、細い道や店舗の一つ一つまでは把握していない。
だけど、いまの僕は知っておく必要があった。
林田たちを尾行するために。
『同じ日に同じ人間に出会ったら、きっと同じ結果になるだろう?』とはグリードの弁。
もし僕が林田たちと会ってしまったら、先に待つ未来はたった一つ。最初の死で味わった絶望だけだ。
奴らに見つかることなくクギョウさんを救う。そのために僕が考えた方法は至って単純なものだった。
地理を完全に把握し、完璧に三人を尾行し、そして彼女がさらわれた瞬間に警察へ通報する。もちろん、ただの通報ではない。事件現場を先回りして知らせるのだ。
「少女が男たちに暴行されようとしている」と。
結果、林田たちがクギョウさんを連れ込んだ先にはすでに警察がいるという訳だ。
地図を頭に叩き込み、ただひたすら準備をする。眠る暇などはなかった。
そして時刻は昼過ぎ――
僕はいま、植え込みの陰にあるベンチから三人組の様子を窺っていた。
三人はカフェの前にしゃがみ込み、何かを喋っている。
二十メートルほど離れているため、何を喋っているかは当然聞き取れないし興味もない。
どうせ《取り消した世界》とまったく同じ内容なのだろう。
――このまま何時間か粘れば勝ちだ。
逆に、見つかればすべてが水の泡になる。緊張感で、手先に痺れが走る。
見つかればアウトになる一方、見失うことも許されなかった。彼女がさらわれたのは駅前大通りという所まではわかっている。だが、細かい場所まではわからない。
今日は週末で人通りも車通りも多い。一度見失えば、ふたたび探し出すまでにはかなりの時間を必要とするだろうし、見つかる危険も跳ね上がるに違いない。
――車通り?
ふと、とんでもないことに気付く。
僕は、見落としていたのだ。
林田が車を持っていることを。
僕には追いかける手段がないことを。
いつもそうだ。僕は肝心なときに詰めが甘い。
後悔が胸を横切ると同時に、林田が立ち上がった。取り巻きの二人も後に続いていく。
僕は慌てて立ち上がり、追跡を始める。
怪しいにも程があったが、幸い三人は気付いていないようだ。
だが、現実は甘くない。
僕の願いとは裏腹に、三人が向かった先は、駅近くのコインパーキングだったのだ。きっと、ドライブでも楽しんだ後に、彼女を襲うことを思い付いたのだろう。
――どうする。どうすればいい。
考えれば考えるほど思考が散らばっていく。
己の浅はかさを呪い、準備不足を罵りたかった。
事件が起きるまで、あと三時間から五時間。
被害者の彼女の話から予想すると、林田たちが次に車を止めるのは駅近くの路上だ。
いつ戻るのか、そしてどこに現れるのかもわからない三人を、僕はどうやって探し出せばいい。
――時間を、戻せればいいのに。もう一度、やり直せればいいのに。
「……そう、だ」
僕はやり直せるのだ。《リセットスイッチ》の力で。
携帯電話に《リセット条件》のメールはまだ届いていない。しかし、以前のパターンから推測すると五時半ごろには届くはずだ。
いまは、メールをただ待てばいい。誰にも見つからない場所で、何も考えずに。
そうすれば、次は彼女を救えるはずだ。
――「けどさ、メールが来たとき、あの子はまた犯されてる。あの真っ暗な瞳で、ビルの谷間で、絶望の表情でたたずんでるんだよ。僕はそれでいいんだね」
心の中の弱気が現れ、僕に語りかける。
――「また、逃げるんだ。選択から。まあ、仕方ないよ。それが僕なんだもんね」
ささやき声が血塗れになった彼女の姿を網膜に蘇らせた。生気の失せた声が再生され、ナイフの突き刺さった首筋が色をもって形となる。
――「彼女はまた、同じ絶望を繰り返す。だけど、今度は偶然じゃない。僕が自分の意志で彼女を見捨てるんだ」
見捨てる。
僕が、見捨てるせいで、選択を先延ばしにするせいで。
「……彼女は、また死ぬ?」
白い乗用車にエンジンがかかり、駐車場を飛び出していく。僕はただ、間抜けな顔で見送ることしかできなかった。
「どう、しよう」
闘志がどんどん抜け落ちていく。
無駄だった。全部無駄だった。
死んで過去に戻って来たことも、朝まで地図を下調べしたことも、何もかもが無駄だったんだ。
もう一度リセットしたところで同じだろう。きっと僕なんかでは助けることはできない。同じように失敗するだけなのだ。
立ち上がる気力さえ残っていない。いまの僕には、ただ力なく震えることしかできなかった。
「もう、駄目だよ……」
口にしたと同時――携帯電話が、無数の人ごみの中で、けたたましい着信音を響かせた。
「……何、だよ!」
やけくそで、発信者も確認せずに電話に出る。
聞こえてきたのはしゃがれた男の声。悪魔グリードだった。
『ようミライ。随分とブリリアントな絶望を味わっているようだな』
「気楽に言うな! 僕は、僕は……!」
『いいから落ち着け。まだ時間はある。考えろ、方法はある。お前はすでに答えを掴んでいるんだぞ?』
答えを、掴んでいる?
『オレはお前を観察するだけだ。ヒントは与えても答えはやらない。後は自分で考えるんだな』
言いたいことだけを言うと、通話はぷつりと切れてしまった。かけ返そうにも、電話番号が表示されるべき場所は空白になっている。
「……答えを、掴んでいる」
噛みしめるように、自らに言い聞かせるようにつぶやきながら、地面を踏みしめ立ち上がる。
どうやら、僕はまだ絶望することを許されていないようだった。
◆◆◆
西日をビルが遮る薄闇の中、クギョウアカリは恐怖に震えていた。
「大人しくしてりゃあスグ終わるさ。チョットばかし写真は撮らせてもらうがよ」
長髪の男が、手のひらサイズのデジカメをちらつかせる。
どうしてこうなったのか、彼女にはまったく理解できなかった。本当ならいまごろは一か月ぶりに帰省する兄に会い、夕食の準備をしていたはずなのだ。
なのに、現実に彼女がいるのは、人気のないビルの隙間。三人の男に囲まれ、ナイフを突き付けられて動けずにいる。口はガムテープで塞がれ、声も出すことができない。
もっとも、声が出せたところでこんな場所に誰か来るとは思えなかったが。
「おい、脱がせろ」
長髪の命令で、うしろに控えていた二人が下卑た笑みを浮かべ、スカートへとゆっくり手を伸ばしていく。
「……っ!」
不快な感触が走ったのは一瞬だった。
そのまま一気に布を引きずり下ろされ、純白の下着があらわになる。
「乱暴にすんなバカ」
「へへっ。悪ィ悪いィ」
げらげらと笑う男たち。ただ、涙だけが後から後から溢れてきた。
この世のすべてが憎かった。恐ろしかった。
どうして自分ばかりが貧乏くじを引くのだろうか。
シャッター音とともにカメラのフラッシュが彼女の目を焼く。
――もう、終わりだ。私は、もう終わりなんだ。
正義のヒーローなんて、この世にいない。
警察も、大人も、友達も役には立たない。
母のいない喪失感も、一人ぼっちの寂しさも、目の前の危機も誰も救ってくれないのだ。
男の腕が、彼女のシャツをまくり上げ、ブラジャーを引っ掴む。
そのときだった。
「こっちです! こっちで、女の子が!」
必死に叫ぶ男の声が彼女の鼓膜を震わせた。
「やべっ」
「どうすんだよオイ!」
「うるせぇっ、逃げろ!」
声に反応し、我先にと三人がお互いを押しのけ、逃げ出す。
もちろん、彼女を置いて。
涙と薄闇で視界はゼロだったが、男たちが遠ざかって行くのは足音でわかった。
「よ、よかった」
三人が立ち去った後、疲れ切ったような男の声が聞こえた。
「大丈夫?」
そろり、そろりと男の声が近付いてくる。
先程の三人のような粗野な声ではなく、どこか子供っぽさの残る、穏やかな声だった。
やがて、男の気配が目の前に達したとき、彼女の視界を光が照らした。携帯電話のライトだ。
「よかった。間に、あっ――」
男が、目を逸らす。きっと、スカートをはぎ取られた彼女の姿を見てしまったからだろう。
彼の声には、羞恥と気まずさが同居していた。
彼女自身も自分の姿に気付いて、恥ずかしくなり、被っていた帽子を思い切りずり下げる。
「あ、あのさ。うしろ向いてるから、服、着なよ」
男は、彼女より年上だろう。
高い身長を台無しにするような酷い猫背。伸ばしっぱなしの髪の毛。
ほっそりとした体を覆う黒を基調とした地味な服装。
一般の基準からすれば、冴えない男以外の何ものでもない。
だがいまの彼女には、目の前の気まずそうな表情の男が、まるでテレビに出てくるヒーローのように見えたのだった。
◆◆◆
彼女に背を向けたまま屈みこみ、疲労と緊張のせいで乱れた呼吸を整える。
どうにか、間に合った。彼女を救うことができた。安堵の溜息が肺の奥から漏れる。
『答えをすでに掴んでいる』。グリードのたった一言が僕を立ち直らせてくれた。
車を追いかける術はなかった。だが、僕は誘拐現場を知る方法を知っていたのだ。
『ゲームセンターの対戦格闘ゲームで連勝していた』
《取り消した世界》で彼女の口から直接聞いた間違いのない事実。
おそらく、ゲームセンターに立ち寄り、スーパーで買い物を終えた直後に事件は起きたのだろう。
ならば、彼女は昼間はゲームセンターにいたはずだ。
昨晩の時点で天野丘駅周辺の地理は調べつくしていた。
そして、この辺りに格闘ゲームを置いているゲームセンターは一軒しかない。あとは、簡単な話だった。林田たちではなく彼女を尾行した。本当は彼女が声をかけられた時点で警察に通報しようと考えていたが、新たにもう一つの誤算が立ち塞がった。
事件発生時に、僕が再開発地区のどこにいたのかわからなかったのだ。
場所を確認する前に自殺したため、間抜けにも、細かい位置を確認していなかった。
そのため、僕が一芝居うつことになってしまった。まだ、心臓がばくばく鳴っている。
「ははっ。実は、一人なんだよね。けど、通報はしたから。もうすぐ本当の警察も来るよ」
改めて考えてみると一か八かの賭けだったが、どうやら勝ちを掴めたようだ。後は警察の到着を待って、彼女の保護を頼むだけだ。
「何もされてない?」
背中を向けたまま、声をかける。上ずった声なのが自分でもわかった。
それでも、僕の胸を満たすのはたっぷりの満足感。
僕は、やり遂げたのだ。彼女を林田たちから救うことができたのだ。生まれてこの方感じたことのない充足感と達成感が僕の気分を高揚させる。
しかし――
「……別に」
少女の声には感情がなかった。
状況を見るに、乱暴をされはしたが取り返しのつかない所まではいっていないはずだ。
最悪の結果は間違いなく回避できている。なのに、どうして彼女の様子はおかしいのだろうか。
首を傾げる僕に向けられた少女の返事は、予想外の物だった。
「別に、大丈夫だったし。助けなんか……なくたって」
「へ?」
「私一人でも大丈夫だったって言ってんの! あんなサイテーの奴ら、私一人で、一人で!」
次第に強くなる語気に思わず振り返る。彼女はすでに衣類を身に着けていた。
帽子を深くかぶっているせいで表情は読めない。
だが、何故だろうか。少女は僕を睨んでいるように見えた。
考えてみればわかることだ。未遂にしろ、彼女は性的暴行を受けていた。
ぬぐいきれない心の傷を負ってしまった。
パニックに陥った彼女が冷静でいられないのは当然のことだろう。
だが――いまの僕は、彼女以上に冷静ではなかった。
「僕は……」
無意識だった。
喉の奥から勝手に言葉が溢れだす。抑えることはできなかった。
興奮していたのもある。充足感に水を差されたのもある。万能感に酔っていたのもある。
だが、それらすべてを差し引いても、次に僕の放った言葉は余りにも愚かなものだった。
「あんな過去を……!」
駄目だ。言っちゃ駄目だ。
――「言え。教えてやれ。僕がどれだけ苦しい思いをして助けたのかを」
駄目だ。言うな。言っちゃ駄目だ。
相反する感情がぶつかり合った結果、僕が放ったのは――
「あんな過去を取り消したのは僕なのに。何だよその態度!」
取り返しのつかない台詞だった。
当然、少女が返してくるのは不審な目つき。
「過去? あ、あんた、何言ってんの」
「僕が過去を変えなきゃ、君はあいつらにメチャクチャにされてたんだよ! 三人に、繰り返し繰り返し犯されて、写真まで撮られてたんだ!」
一度決壊した感情のダムがすぐに修復されることはなかった。小さな穴をきっかけに、次から次へと言葉の濁流が押し寄せてくる。
「何でそんな目で見られなきゃいけないんだ! 僕が助けたから君は人殺しにならなくて済んだのに!」
少女は、呆気に取られているようだった。
ただ、いまの僕には彼女の困惑さえも気に障った。頭の中を支配しているのは、絶望に染まった妹と、そして彼女自身の《取り消した世界》での表情。
目の前の少女の言い草は、二人の苦しみを馬鹿にしているように思えたのだ。
「それだけじゃない。君は、君は……絶望の中で自殺したんだ! レイプされ、逃げようともがくうちに長髪の男を刺し殺して、罪と恐怖と絶望に耐えられず自ら命を断ったんだよ! なのに、何で、何で……!」
そして、僕は口にしてしまった。
言ってはならない、最後の言葉を。
「過去を変えてまで、僕は君を助けてやったのに!」
自己嫌悪。
彼女が林田たちに狙われたのは僕のせいだ。
彼女を救ったのは、僕の自己満足のためだ。決して感謝されたくてやった訳ではない。
なのに、僕の放った言葉は、どうしようもなく押しつけがましい物だった。
「過去を、変えた? ば、馬鹿じゃないの?」
「君の名前はクギョウアカリ。年齢は十四歳」
ぴしり、と指差し宣言する。直後、不安と怒りに満ちていた彼女の目が見開かれた。
「あ、あんたもアイツらの仲間なの!? ずっと私に乱暴しようと狙ってたのね。だ、だから私の名前も知ってるってわけ?」
「君には、大学生の兄がいる。今日は実家に帰ってくる兄のためにハンバーグを作ろうとしていた」
「な、何で……」
少女の顔が青ざめていくのがわかった。
「何で知ってるかって? 君の口から聞いたからだよ。尊厳を踏みにじられ、人を刺し殺し、この路地でうずくまる君から。絶望の表情で自殺してしまう直前の君自身から!」
絶叫するように言い放ち、そして気付く。
――こんな行為に意味なんかない。
どうせ信じないだろうし、信じる必要もない。
きっと、僕は誰かに聞いてもらいたかっただけなのだ。異常な事態の連続に精神が耐えられず、今日出会ったばかりの少女に、後腐れがなさそうな相手に理解してもらいたかっただけなのだ。
なんて、愚かなのだろう。
「……冗談だよ。いま言ったのは全部デタラメ」
「ま、待って。どういうこと、どういうことなの?」
「だから、全部デタラメだよ。適当なこと言っただけ」
「だから待って。デタラメだったら名前なんて――」
「待たねぇよ」
僕たちの言い争いを遮ったのは、林田の声だった。
「隠れてやり過ごしてりゃ、ケーサツなんて来ねぇじゃねーか。ナメた真似しやがって」
「ブッ殺してやる。ツラぁ見せやがれ!」
怒声とともに何かが蹴り飛ばされる音がビルの谷間に響く。先程逃げたはずの三人が戻ってきたのだ。
不幸中の幸いだろうか。辺りが薄暗いせいで僕の正体には気付いていないようだった。
――逃げろ!
理性が警告を放つ。
だが、僕の足は動いてくれなかった。林田の悪魔のように歪んだ表情が脳裏に浮かび、妹の悲鳴が耳に蘇ったせいで。
「動くんじゃねぇぞ。オレらをコケにしたこと、絶対に後悔させてやるかんな」
――逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ。
終わりだ。全部、終わりだ。このまま、僕は見つかり、いままでの行為はすべて台無しになる。
最悪の事態。《取り消した世界》で味わった絶望が二つ重ねで襲いかかってくるのは想像に難くなかった。
――また、リセットするのか。同じ絶望を味わって、また命を断つのか。
足は動かない。声を出そうにも喉は震えず、体が石にでもなってしまったかのようだった。
だが――
「助けて! お願い! 誰かっ!」
彼女、クギョウアカリは違った。
林田たちを逆なでする危険も顧みず、あえて大声を出したのだ。
「動くな! そこで何をしているっ!」
直後に聞こえたのは自転車が倒れる音。そして複数の大人の男の声。
数秒も経たずに警察官と思しき気配が現れた。懐中電灯の光が僕らの背後から、林田たちを照らす。
気付けば、パトカーのサイレンも近付いてきているようだった。
「やべぇっ逃げろ! 今度はマジだ!」
「待てっ。動くな!」
一人が追い、もう一人が僕らへ歩み寄ってくる。振り返ると、予想通り警官だった。
「もう大丈夫だ。何があったのか、話してくれるかい?」
優しい口調、逞しい腕を確認して安堵する。僕たちは助かったのだ。
ふと、少女の方を見る。彼女は、微笑みを浮かべて僕の傍らに立っていた。
「私、耳がいいの。今度は私が助ける番だったね」
自転車を漕ぐ音を聞きとり、大声を出したということだろうか。余裕綽々、といった台詞だが、間違いなく見せかけだ。
彼女は僕のジャケットの裾を強く握りしめていた。震える腕で、細く小さな指で。
気恥ずかしさはあるが、指摘しようものなら間違いなく気まずい空気が流れるだろう。彼女のためにもここは黙っておいた方がよさそうだ。
「あ、ありがとう」
代わりに僕が漏らしたのは、本心からの言葉だった。
ヒーローのように格好よくとはいかないが、目的を達成することができたようだ。
今度こそ、本当の意味で。
「通報したのは、僕です」
サイレンの音が近付いてくる中、警察官に向けて頭を下げる。
犯人の名前も学校もわかっているのだ。
後は僕や彼女が証言して捜査されれば、奴らは法の裁きを受ける。そして、僕にも平穏な日常が訪れるのだ。
「彼女が車に連れ込まれるのを見て――」
警察官に説明を始めようとした瞬間だった。
僕の言葉が、轟音によって遮られた。
ありったけの金属板を、幾千ものツメで思いっきり引っ掻いたような音。聞き慣れてはいないが、聞き覚えがある音。
――車のブレーキ音?
直後、鼓膜を破るほどの重音が周囲に響いた。
「……!?」
警察官、彼女、そして僕が同時に声にならない声を上げた。
コンクリートが砕ける音、金属がひしゃげる音、ガラスが砕ける音。すべてが混じり合った異様な不協和音。
まるで、急発進した車がコントロールを失い、ビルに衝突したみたいな。
「ここを動かないで」
警察官が僕たちに警告し、飛び出していく。
嫌な予感がした。言葉にならない、たとえようもなく嫌な予感。
いま、何が起きたのか確かめたい気持ちはあった。
だが、体が動いてくれなかった。
薄闇の中に残されたのは、僕ら二人だけ。
「いまの、あいつらの車かも」
彼女が、無機質な声でつぶやく。その言葉を裏付けるかのように、遠くから男の叫ぶ声が聞こえてきた。
「ショーゴ! ショーゴ! 返事してくれよ、なぁ!」
「近付くなっ! 早く救急車をっ!」
林田章吾。三人組のリーダー。《取り消した世界》で、喉をナイフで貫かれて死んだ男。
僕は予感していた。彼は助からないのではないのか、と。
憎むべき男がこの世からいなくなるというのに、僕の心には「嬉しい」なんて気持ちはなく――
「やっぱり」という、どこか場違いな感慨だけだった。
そして僕の予感は的中することになる。
林田は頸椎を骨折し、病院に運ばれる前にその命を失ったのだ。
警察からの事情聴取を終え、自宅のベッドに身を投げ出したのは午後九時を過ぎたころだった。
警察署まで迎えに来てくれた父親は、息子が少女を助けたことと、クラスメイトの蛮行と死の事実を目撃したことを同時に知り、何とも複雑な表情で、長椅子に座った僕を見下ろし「頑張ったな」と軽く頭を叩いただけだった。きっと、僕と同じで感情の整理がつかないのだろう。
クギョウアカリの両親はしきりに僕に頭を下げて娘にも直接礼を言わせてほしいと申し出られたが、彼女本人に会うことはやんわりと断った。
とにかくいまはもう、何も考えたくなかったのだ。
『もう何も考えたくないってツラだがな。お前に一つ伝えておかねばならないことがある』
瞼を閉じ、まどろみの中に逃げ出そうとする僕を引きとめたのは、パソコンのスピーカーから漏れるグリードの声だった。
「勘弁してよ。明日じゃ駄目なの?」
『駄目ってワケじゃあないが、重要なことだ。早い方がいいだろう。いいからパソコンの前に座れ』
彼の声音は真剣だった。拒否しようものなら嫌がらせに大音量でベートーヴェンの「運命」でも垂れ流されるかもしれない。
それでも、いまの僕には起き上がる気力などなかった。
「今日はパス。わかるだろ。本当に疲れてるんだ」
『そうか。ならばオレは残酷な手段を取らねばならないな』
「……残酷な手段?」
『電波系萌えアニメソングを最大音量で垂れ流す。お前の家族によォく聞こえるようにな』
電子の海の向こうで悪魔が凄絶な笑みを浮かべているのが想像できた。
まさに異次元の智謀。きっと両親は僕の部屋に駆けあがり、頭の狂った受験生を生温い目で見るに違いない。
『それともアダルトビデオのクライマックスシーンを流される方が……って、何をしているんだ』
最後の力を振り絞り、ベッドから起きあがった僕にグリードが疑問を投げかける。
「何って、パソコンの電源を抜こうとしてるだけだよ」
彼がどのような手段を取ろうとも、僕は屈するつもりはなかった。あらゆる脅迫に抵抗し、眠りの世界に逃げ込んでみせる覚悟だ。とにかくいまは、放っておいてほしかった。
『おい、やめろ。やめるんだ。電源を抜いたら……』
「抜いたらどうなるっていうのさ」
溜息混じりに壁のプラグを引っこ抜き、勝利を確信する。悪魔といえど所詮はパソコンだ。
後は携帯電話の電源を切ってしまえば彼には何もできなくなる。
だが――
『別にどうにもならないんだな、これが』
今度は僕が慌てる番だった。指でつまんだプラグとモニターを交互に見比べる。
パソコンには何の変化もなかった。ハードディスクの回転音も止まっていなければ、モニターもデスクトップ画面を映したままだ。グリードの声だってスピーカーから響いている。
『いま、このパソコンはオレそのものだ。電源を抜いたくらいじゃあ、何も変わらないぜ? さあ、選べ。家族の生温い視線を浴びるか、オレの言うことを聞くか!』
腕を組み、ふんぞり返る悪魔の様子が目に浮かぶ。どうやら、僕に選択肢は存在しないらしい。
「……それで、何の話?」
『《リセットスイッチ》の最後の機能を説明しようと思ってな』
椅子に座って頬杖をつき、不機嫌そうに問う僕に対し、相変わらず楽しそうに悪魔が答える。
「最後の機能?」
『その前に一つ。《リセット条件》のメールはもう読んだか?』
「いや、まだ……メールが届いたの、パトカーの中だったし……」
『大事なことだからこれから何度でも言うぞ。《リセット》後は必ずメールのチェックをしろ。もし不慮の事故で《リセット条件》以外の死に方をすれば、お前は完全な死を迎えるんだからな』
言い訳がましい僕を射ぬくような語気に圧倒され、深くうなずく。
脱ぎ散らかした上着から携帯電話を取り出すと、新着メールを知らせるランプが点滅していた。
「えっと、一件目は《リセット条件→過去二回の方法以外での自殺 残機数→5》。あれ?」
わずかな違和感。新たな《リセット条件》が提示されているのはわかる。だが、確か《取り消した世界》でも残機数は《5》を示していたはずだ。一度死んだのだから減っているべきではないのだろうか。
疑問を抱えたまま次のメールを開く。見覚えのある件名、契約完了の通知だ。
こちらのメールもやや疑問を感じる。僕はいまの世界でグリードとは契約をしていないはずだ。
『お前自身に契約を行ったという記憶と認識がある以上、改めて契約するまでもない、ってことだな』
僕の心を読んだかのようにグリードが口にする。納得しながら親指を液晶の上で滑らせ、最後のメールを開く。
《差出人:夜澤ミライ》
《送信日時:2012年 10月6日 17時33分》
《件名:残機数増加の通達》
《本文:エクステンド条件を達成したため、残機数は5へと回復した。契約者の今後の健闘を祈る》
『残機数が減っていない理由はそいつだ。《取り消した世界》で受け取っただろう? 《エクステンドメール》を』
「僕の心が成長するために乗り越える壁、だっけ?」
契約直後に受信したメールを思い出す。確か内容は《見知らぬ誰かのために命を捨てる》だったはずだ。
「つまり、僕が彼女を助けるために命を投げ出せたから、残機数が増えたってこと?」
『その通りだ。今後もお前の目の前に大きな壁が現れたとき、何度でも《エクステンドメール》は届く』
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赤黒い揺らめきが鉤爪の形になって、僕の頬をそっとなで、告げる。
『セーブは常に上書きされる。《リセットスイッチ》で戻れるのは、最後にセーブした時間だけだ。一度セーブをすれば、前の時間――今回で言えば昨日には戻ることができなくなる』
「なるほど、やっとわかったよ。目的を達成したんだからセーブしろって言いたいんだね」
『こまめなセーブは攻略の基本だからな』
モニターをよく見ると、デスクトップにはアルファベットの「S」をモチーフにしたsave.exeのアイコンが増えていた。
確かに、彼の言う通りだ。目的を達成したのだから、今日という日をもう一度やり直す必要はどこにもない。セーブを行うのが正しいのだろう。
だが――
「本当に、いいのかな」
『何を迷っている?』
「だって、だってさ……」
僕には一つ、気がかりなことがあった。
死ぬはずのなかった人間が、一人死んでいるのだ。
「林田は、どうなるのさ」
『言わなくてもわかるだろう。あの茶髪は死んだ。死んだのだから、死んだままだ。人間は生き返ったりしない』
迷う僕に対し、グリードの答えはあっさりとしたものだった。
いまセーブしてしまえば、林田章吾の死は確定する。
「確かにさ、あいつは最低のケダモノだ。殺してやりたいと思ったことさえある。けどさ……」
本当に、死んだままにしてしまっていいのだろうか。
『別にお前が殺した訳じゃあないだろう。ただの間抜けな交通事故だ。お前が罪に問われることはないし、罪悪感を感じる必要もない。それに心の底では思っているんだろう? ざまあみろ、ってな』
「そんなこと思って……!」
いない、とは言い切れなかった。
林田たちは僕から金をむしり取り、暴力を振るい、他にも思い出したくないような精神的屈辱を与えた憎むべき相手だ。妹を蹂躙したことも、クギョウさんを襲ったことも、許せるわけがない。
死んでせいせいしたと思っている自分がいるのも確かだ。
「けど、もう取り消したんだ。妹もクギョウさんも無事なんだし……」
『だから、奴が死ぬ理由はないと? だったら答えは一つだ。お前がいまから《リセット》すればいい。メールに書かれた手順で死ねば午前三時半に戻ることができる。もう一度土曜日をやり直して、誰も傷付かないようにすればいいだけだ。もっとも、確実に達成できる保証はないがね』
気付けば、赤黒い陽炎ははっきりと悪魔の形を取っていた。
グリードの幻影が、僕の傍らで裂けた口を皮肉気に歪めている。
『奴を助けることで、他の誰かが犠牲になるかもしれない。ふたたびお前の妹やクギョウアカリが傷付けられる可能性だってある。そこまでしてお前はあの男を助けたいのか?』
グリードの質問に対し、静かに首を振る。林田のために命を捨てる義理もなければ、死の痛みを乗り越えてまで助けたいとは思わなかった。
『オレから言えるのは一つだけだ。リセットするか、しないか、選ぶのは、お前自身だ』
言い換えれば、林田を見捨てるか見捨てないか。殺すか殺さないか。
僕にとっては、余りにも重い選択だった。
『さあ、決めろ。どうせいつかは決めなければならないことなんだからな。セーブは簡単だ。デスクトップのセーブアイコンをクリックするだけでいい。それとも、メールに書かれているように死んでみるか? 今回の条件は、心臓にナイフを突き刺すよりずっと簡単そうだろう?』
グリードの言葉で、携帯電話に目を向ける。条件は、《過去二回の方法以外での自殺》。
《リセット条件》が記された携帯電話は、どす黒い悪意を発しているようにさえ見えた。
汗が、滲む。手が、震える。携帯電話を握りしめたまま、ただただ時間が過ぎていく。グリードの金色の瞳が急かすように見つめてくるが、やはり僕の体は動かない。
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荒い息を吐きながらモニターを睨んでいると、突如ドアをノックする音が響いた。
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《リセットスイッチ》がなければ、妹はいまここで心配の表情を作ることさえできなかった。
もし、林田を救ったらどうなるだろう。ふたたび真帆が襲われる可能性だってあるのだ。
僕は、林田たちの蛮行を鮮明に覚えている。
泣き叫ぶ妹の声。目を焼くカメラのフラッシュ。剥き出しの肌。次第に光を失っていく瞳。
そして、血に染まった死体。
「……生かしちゃ、駄目だ。あいつだけは」
無意識に、口にした言葉に自分で驚く。間違いなく、本心からの言葉だった。
『覚悟は決まったようだな。だったら早く実行するんだ。決心が鈍らないうちにな』
「そう、だね。警察の人を待たせるのもよくないし」
いまここでセーブすれば、すべてが確定する。
林田が死ぬことも、その他二人が警察に捕まることも。そして、僕の高校生活に平穏が戻ることも。
「やるしか、ないんだ」
モニターに刻まれたセーブアイコンを睨みつけ、マウスを握る手に力を込める。
「あ、あれ」
どうしてだろうか。マウスポインタが、がくがくとあちらこちらに動いていた。
バグではないと気付く。ただ、僕の腕が震えているだけだった。
『おいおい、しっかりしろよ。キーボードで操作すればいいだろう』
グリードのアドバイスに従い、矢印キーでカーソルを合わせる。
心臓が引き裂かれそうだった。呼吸はコントロールできないほど荒くなり、いまにも肺が破裂してしまいそうだ。
僕が、人を、殺す。殺人を、犯す。人殺し。
ヒトゴロシニナル。
『さあ、あとはエンターキーを押すだけだ。それで、お前は人間を超える。神にもなれる力を本当の意味で手に入れるんだ』
僕の内心を知ってか知らずか、グリードの声は興奮していた。
「あ、あ、あぁ……」
動かない。体が、動いてくれない。
殺す。僕が、林田を、殺す。
できない。できるわけがない。
『思い出せ、夜澤ミライ! お前が受けた屈辱を。妹を辱められた痛みを。お前は何のために契約をした。自分自身の後悔と過ちを消し去るためだろう!』
悪魔の鉤爪が僕の肩を強く握る。
『いまがその瞬間だ。自分を、過去を変えるときなんだよ! さあ、押せ! 押すんだ、ミライ!』
グリードの言葉を皮切りに、頭の中から声が響いてくる。
押せ、押せ、押せ! と。
声が頭を支配し、拒否する心とぶつかり合い、矛盾した感情が渦巻き、爆発する。
「う、うう……うわああああああああああああっ!」
そして僕は、自身の迷いを振り切るように叫び――
涙を浮かべた瞳を固く閉じ、叩き潰すような勢いで――
エンターキーを、押した。
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