捧魂契約のリセットスイッチ

白城海

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十月六日。今年十五歳になるクギョウアカリは、上機嫌で駅前大通りを歩いていた。
時刻は午後四時半。太陽がビルの向こうへ沈もうとする夕暮れ時。普段は鬱陶うっとうしいとしか思わない人々の群れさえ、いまの彼女は気にならなかった。
彼女の機嫌がいいのには理由がある。
ゲームセンターの対戦格闘ゲームで連勝できたことはもちろん、何より嬉しかったのは、遠く離れた大学に通っている兄が連休を利用して実家に戻ってくることだった。
幼いころに母を亡くした彼女。父が再婚した相手とそりが合わず、家の中が苦痛でしかなかった彼女にとって、兄のなつあきと会えるのは何よりも嬉しいことだった。
――今日は、私が夕食を作るんだ。
兄の大好きなハンバーグ。
七か月ほど前、大学入試の前日にうまいうまいと食べていた姿が脳裏に浮かぶ。
材料は帰宅途中に買い込んだ。あとは家に帰るだけだ。
思わず、口元に笑みが浮かぶ。
帰宅すれば、優しい兄が待っていることだろう。彼女のハンバーグを心待ちにしていることだろう。少なくとも、この連休中は家にいる時間を楽しいと感じられるだろう。
そう思っていた。しかし――
「おう、久しぶりじゃん」
背後からかけられた男の声。振り返り、確認するが見覚えのない顔だった。ひょろりと背の高い、長髪の男。高校生くらいだろうか。
「えっと、どちらさま、ですか?」
「えっ。俺のこと覚えてないの? ヒドくね? ほら、よく顔見てくれよ」
長髪が腰をかがめ、顔を近付けてくる。品のないコロンの香り。彼女の苦手な匂いだった。
「……ナンパですか?」
「あ、バレた? いま、ヒマかな」
「いまから帰らないといけないんで。それじゃ」
そのまま、男を避けて足を進める。実年齢より大人びた外見をした彼女は、街を歩いていて声をかけられることがよくあった。面倒な手合いには慣れていた。
だが、その認識は甘かった。彼女はもっと用心深くあるべきだったのだ。
「簡単に帰れると思ったら大間違いだ」
突如、男の声が氷のように冷たいものに変わった。同時に、背中に鋭いものを突きつけられる。
「ナイフだ。声を出せば、刺す」
「……こんな大通りでそんなことしてタダで済むと思ってんの?」
にらむようにうしろを振り返る。恐怖はあったが、屈するのは御免だった。
もちろん、ただ怒り任せににらんだわけではない。勝算もあった。いくらイカれたナンパ男といえど、人通りの中で無茶をするとは思えなかったからだ。
「残念。一人じゃないんだなァ、これが」
背後から聞こえたのは別の男の声。視線をゆっくりと後ろへ向けると、背中に突き付けられているナイフを別の二人の男が壁となって隠していた。
「誰にもナイフなんて見えてないぜ。さあ、動きを止めるな。ついて来い。言う通りにすりゃあ乱暴はしないさ」
相手は三人。それも自分よりはるかに大柄で、凶悪そうな男たち。
抵抗すればどうなるかわからない。周囲の通行人に視線で助けを求めるが、それに気付く者はいない。
無関心。冷淡。孤独。この幾千もの人の群れの中、彼女は一人ぼっちだった。
声は出せない。出したら、殺されるかもしれない。
男たちはうすら寒い笑顔で手を取り、白い乗用車に連れ込む。
まるで、最初から何事もなかったように街の時間は流れていく。
ただ、駅の大通りに不自然に転がるスーパーの買い物袋だけが、家族との食事を楽しみにする少女の存在を示していた。
そして、その袋もやがて人々の波に埋もれ、蹴散らされ、踏み潰された。

  ◆◆◆

「噛みついたの」
彼女が、ぽつりとつぶやいた。
「もう、手遅れだったけど。それでも、私噛みついたの。負けたくなかったから、あんな奴らに」
「もういい、わかった。言わなくて、大丈夫だから」
彼女の説明を聞き、僕はふたたび震えだした。
「そしたら、あいつ、怒り狂って、ナイフを取り出して……」
「もういい。いいんだっ!」
思わず語気が荒くなる。だが、彼女の言葉が止まることはない。
「揉み合ううちにいきなり、力が緩んで。多分、私の手が、こんなに、なったから」
「……!」
彼女が僕に向かい左手を突き出す。彼女の薬指は第二関節のあたりからすっぱりと落ちていた。
さらには小指も根元から切り裂かれ、皮一枚で繋がっているのみでだらりと垂れ下がっている。
止まらない血、ゆがんだ顔。僕は、もはや言葉を放つことができない。
「力が緩んだから押しのけたの。そしたらね――」
僕のせいだ。彼女が傷付けられたのも、殺人犯になってしまったのも。
「刺さっちゃったの。アイツのクビに、グサって」
僕が、過去を変えてしまったから。
「人って、柔らかいんだね。でも、骨って固いんだね。どうしよう。どうしよう」
僕が昼間三人組と遭遇しなかったことによって、標的が彼女に移された。結果、彼女は蹂躙じゅうりんされ、そして林田を殺してしまうことになった。
僕の行為が、一人の罪なき殺人者と、死体を生んだのだ。
「どうしよう。こんな手じゃ、お兄ちゃんにハンバーグ作れないよ。それに私、もう、人殺、し、だし」
「違うっ!」
思わず身を乗り出し、叫んでいた。
悪いのは僕だ。僕が君に罪を押しつけたんだ。
「君は悪くない。被害者だ、被害者なんだ!」
「アンタは何もわかってないっ。ただ私を見つけただけのアンタに!」
機械のスイッチが入ったかのように、突如彼女の体が跳ね上がった。勢いのまま、右手が伸ばされ、死体ののどに突き刺さっているナイフを引き抜く。
死体ののどからおびただしい量の血が流れ出し、僕のズボンに染み込んだ。
「私のっ、気持ちなんてっ、わかる訳が――」
「止めろっ!」
直後、血で濡れたナイフを彼女は自らののど元に押し当てる。
声を張り上げ、止めようと手を伸ばす。
届け。届いてくれ。
彼女を死なせる訳には、いかない。身代わりになんて、させない。
だが――
僕の願いもむなしく、分厚い刃は彼女ののど元に突き刺さった。
スローモーションのように、ゆっくりと、ナイフは埋もれていく。
皮膚を破り、血管を引き裂き、気管をえぐり、頸椎けいついを砕き、そして――彼女は、動かなくなった。
僕の目の前で。真帆と同じように。
自らの意思でのどに刃を突き立て、死んだ。
「何で……どうして。どうして、僕の身代わりみたいに……?」
僕のせいだ。僕が、殺したんだ。僕が余計なことをしなければ、何の関係もない彼女が死ぬことはなかった。
いつもそうだ。僕は後悔するばかりで何もできない。
神がいれば呪ってやりたい。目の前の絶望をひっくり返せるのなら、悪魔に魂を売っても構いやしない。
だが、僕が立つ現実の世界には神も悪魔も存在しなかった。ただ、二つの死体が転がっているだけだ。
「あ……あぁ、あぁぁぁ」
もう、嫌だ。何も考えたくない。
震える声が漏れ、悲鳴に変わろうとした瞬間――
事態が「さくどう」した。
『メールを受信しました。メールを受信しました』
携帯電話が放った無機質なメール着信音によって。
――メール? そういえば――
二つの死体に囲まれた中で、おぼろげな記憶が徐々に形を成していく。
――確か、前にも……
ビルの屋上で受信した一通のメール。『体験版、リセット条件、飛び降り自殺、残機数』
意味のわからない文字のれつが頭の中を駆け巡り、体を突き動かす。
気付けば、携帯電話を取り出しメール画面を開いていた。

《差出人:夜澤ミライ》
《送信日時:2012年 10月6日 17時32分》
《件名:リセットスイッチ体験版》
《本文:体験版は終了。これより先のリセット条件は契約後に表示される》

素っ気ない文面を読み進めるうちに、何かが頭の中で繋がっていく。
飛び降り自殺をした僕が、次の瞬間に自分の部屋にいたこと。メールに書かれた《リセット条件》は、飛び降り自殺だったこと。
パズルのピースが急速に組み立てられ、意味のある推測を生み出そうとした瞬間――
携帯電話が、通話の呼び出し音を高らかに放った。
ナンバーの表示は、ない。
ただ暗闇の中、僕を呼び出し続けている。
底知れぬ恐怖が電話を握る手を震わせる。
早く電話に出ろ。出なければ取り返しのつかないことになるぞと、語りかけてくるようだった。
同時に、電話に出れば後戻りはできなくなると、頭の中の誰かがささやいてくる。
出るべきか、無視するべきか。答えは、一つしかない。
もう、とっくに後戻りのできない所まで来ているのだから。
気付けば、液晶画面が割れんばかりの力で通話アイコンをタッチしていた。
奇跡を求める神の信徒のように。の糸にすがもうじゃのように。
『よう、随分と待たせてくれたものだな』
耳に飛び込んできたのは、知らない男の声だった。芝居がかったよくようの強い言い回し。どこか楽しそうな声音。
だが一つだけわかることがあった。
電話の相手は、僕を見ている。十メートル先も見えない闇の中だというのに。
『探したって無駄だぜ。別に隠れているワケじゃあない。電話を通して感じているだけさ』
スピーカーホンに切り替え、周囲を見回す僕に語りかけてくる。
「誰だ。お前は、誰なんだ?」
『オレ? オレかい?』
僕の問いかけに対し、緊張感のない声で男が笑った。
彼の態度とは対照的に、僕の心の中には焦りと不安が増大するばかりだ。
「お前以外に誰がいるって言うんだ! お前だろ、僕にメールを送った人間はっ」
とうとう通話口に向かって叫んでしまう。だが、男の答えはのどから漏れる忍び笑いだけ。
「何がおかしい。何で笑ってる」
『少々勘違いをしているからだ。確かに、オレはお前の携帯にメールを送った。だがね――』
勘違いって、何を、と口にしようとした瞬間、男の声が割り込んだ。
『オレは人間なんかじゃあない』
余りに現実離れした答えを告げる。
『悪魔だ』
――あく、ま?
言葉を失った。いま、この男は何と言った?
『前の契約者はオレのことをグリードと呼んでいた。名前なんてどうでもいいんだが、まあよろしくな』
ククク、とふたたび男ののどから低い笑いが漏れ、血なまぐさい風に溶けていく。
夜闇のおお黄昏時たそがれどき、崩れかけた建築物の森の中、二つの死体と強烈な死臭が僕を囲う赤黒あかぐろい悪夢の世界。
それが、僕とグリードが出会った場所だった。

僕がギリギリ正気を保てているのは、周囲が暗いからだろう。もし死体がはっきりと見えていればどうなっていたかわからない。
電話の向こうの彼は、自分のことを悪魔グリードと名乗った。
笑い飛ばしてやろうかと思った。二十一世紀のいまになって、悪魔など。
だが、馬鹿にしようと口を開こうにも、唇はぴくりとも動かない。
自分でもわかっているのだ。彼の言葉が真実であると。僕の身に起こっている異様な状況は、この世のどんな科学理論でも説明できない。ただ受け入れるしかないのだと。
「何が目的なんだ。魂でも取ろうって言うの……?」
冷ややかな汗が全身をおおい、頭の中を混乱ばかりが巡っていく。ようやく口にできた言葉に力はない。自称悪魔はただ笑うだけだった。
『そうおびえるな。いいから落ち着けよ。ゆっくりと深呼吸するんだ。人間は酸素の足りない脳ではロクに思考できないんだからな』
言われるまま、大きく深呼吸する。吸って吐いて、吸って吐いてと繰り返す僕に、悪魔が言葉を続けていく。
『いま、お前は大きく混乱しているだろう? 何故? どうして? お前の頭は疑問符でいっぱいだ。オレはな、その疑問すべてに答え、解決することができる』
なまぬるい風が駆け抜けた直後、目前の薄闇が陽炎かげろうのように揺らめく。
「解決なんて――」
『できるさ。オレ……いや、お前ならばな』
揺らめきは、携帯電話が声を発するたびに形を成していき、次第に人間に近い形へ変化していく。周囲に生きている人間はどこにもいない。僕の恐怖が生み出した妄想だろう。
『夢の世界で見た絶望――』
人型の揺らぎは赤黒あかぐろく変色し、またたく-------間に細かい起伏を作り、鱗状うろこじょうの皮膚となる。
『死んだはずなのに、生きている自分――』
指先から黒く長い爪が伸び、異形いぎょうのモノへ変化していく。
『絶望から逃げ切った先、まるで身代わりになるように死んだ見知らぬ少女』
鋭い耳が、尖った鼻が、頭部から何本もの不気味な突起が飛び出す。
『全部だ……! 全部解決することができる』
最後に顔面がひび割れ、現れたのは黄金色の瞳と巨大な口。それが僕をしっかりと見つめ、きばだらけの口を開いて言った。
僕の人生を根こそぎ変える、運命の言葉を。
『オレと、契約を交わしさえすれば』
「けい、やく?」
目の前に出現した悪魔の像に手を伸ばし、問う。指は半透明の体をすり抜け、くうを切っただけだった。やはり、僕の心が生んだ幻覚なのだろう。
『あぁ、契約だ。オレと契約すればお前は得ることができる。悪魔が与える神にもなれる力を。この世で最も素晴らしい超越の力を……』
僕の心境を知ってか知らずか、悪魔の裂けた口が大きくゆがんだ。
一瞬の間。緊張の瞬間を置き、彼が口を開く。
『力の名は――』
もったいぶるように、悪戯いたずらをたくらむ子どものように。
『――《リセットスイッチ》』
だが、名を聞いたところで僕にはまったくピンと来なかった。
「……意味が、意味がわからないよ。神にもなれる力だとか、《リセットスイッチ》だとか!!」
『いいや、お前はすでに知っているはずだ。何故なら、すでにお前は《リセットスイッチ》の力を使っている。自らの命を捨てることでな』
「命を……捨てる?」
『《取り消した世界》でも受け取っただろう? 《リセット条件》が記されたメールを。あれは体験版さ。それ故に残機数、つまりリセットできる回数は一回限りであるし、セーブもできなかったがな』
残機数、セーブ。まったく意味のわからない単語に戸惑いながら、ただ彼の言葉の続きを待つ。
『もう気付いているんだろう。自分の身に何が起きたのか』
「……僕は一度死んだ。メールに書かれた《リセット条件》と同じ、飛び降り自殺で」
大正解ジャストライト』と悪魔が満足げにうなずく。
『メールで指定された方法で死ぬことで、時間をさかのぼることができる。そいつが《リセットスイッチ》の力だ。お前は見事この力を使い、時の流れに逆らった。いまの世界では上手いこと立ち回り、死にもしなかった。だが今度は別の二人の命が失われた。心優しいお前は後悔し、絶望さえしている。そうだろう?』
裂けた口元が吊りあがり、鉤爪かぎづめを死体へ伸ばして悪魔が告げる。
『全部知っているさ。ずっと見ていたんだからな。悪魔は強い欲望に、深い絶望に引き寄せられる。お前は幸運にも選ばれた。この悪魔グリードの本能に。だからこそ、オレはお前に話しかけている』
悪魔の指がゆっくりと持ち上げられ、僕のあごに軽く触れる。感覚はない。だが、触れられているという実感はあった。
『オレは、お前の運命を変えるためにやってきた』
金色の双眸そうぼうがじっと僕の顔を覗き込む。吸い込まれそうな、魂さえも奪われそうな美しさ。
恐ろしいのに、目をらすことができない。
じっと見つめたまま、たっぷりの間を置き、悪魔がさらに言葉を続ける。
『オレと契約しろ。目の前の現実を変える力がほしくば。残酷な世界にあらがう力がほしいのならば。お前自身の胸に渦巻く後悔を書き換えたいのならば』
「現実、を……? どう、やって?」
『もう一度やり直すんだよ。今日という日を。契約をおこなえばメールはふたたび《リセット条件》を表示する。お前はメールの指示通りに死に、ふたたび過去へ戻り、誰も死なない未来を作りだせばいい。まあ、約一名は死んだままの方がお前にとっては嬉しいだろうがな』
くつくつと笑うグリードをにらみつける。
死んだ方がいい人間なんているわけが――
のど元まで出かかった言葉を呑み込み、首を振る。綺麗ごとを口にする気にはなれなかった。林田章吾は《取り消した世界》で僕が妹を殺すことになった原因なのだから。
「契約すれば……また、昨日の夜中に戻れるってこと?」
『そうだ。オレが嘘を言っていないのは、すでに証明されているだろう?』
歌うように、そして心底楽しそうに悪魔が朗々ろうろうとした声で問いかけてくる。
僕にはわかる。グリードの言葉に嘘はない。嘘が、こんなに心を強く打つことはない。
彼の言葉には力があった。聞く者を納得させる力が。声だけで幻影を見せるほどの意志の力が。
冷え切った血液が熱く沸騰ふっとうし、全身を駆け巡る。
「契約したら、彼女を助けられるの?」
『さあ、な。助けられるかどうかは、お前次第だ』
少女の死体を見下ろす。闇に慣れた視界は、彼女の凄惨せいさんな死に顔をはっきりと捉えていた。
――この子は、被害者だ。妹と同じ年で、何の罪もない、巻き込まれただけの女の子だ。真帆と同じ、何の罪もない女の子なんだ。
妹の叫び声が繰り返し耳の奥で再生され、二人の少女の絶望に満ちた瞳が重なる。
悪魔は先程「後悔」と口にした。
思えば、過去を振り返ると後悔しかなかった。動かなかったことを惜しみ、あらがわなかったことにいる。目の前の少女は、僕の後悔が生んだ被害者だった。
ならば――
「こんな現実、あっちゃいけない。やり直さなくちゃいけない」
言葉はもう、誰に向けた物でもなかった。
光に群がる羽虫のように、僕の視線はグリードの幻影に吸い寄せられていく。すがるように、頼るように、追い詰められたネズミが猫をにらむかのように。
「……代償は?」
拳を握りしめ、問いかける。
僕はほんの少し前に願ったはずだ。悪魔に魂を売ってもいいと。どこかのバカで気弱な男のせいで死んだ罪なき少女を救うためなら、僕の身などどうなっても構わないと。
覚悟を決めた僕の質問。だが、悪魔は心外だといわんばかりの様子で答えた。
『代償? 何だそれは?』
「えっと、君は悪魔なんだろ。魂とか、生贄いけにえとか、何かそういうの」
魂のフルスイングを軽くかわされ腰砕けになりながらも、もう一度問う。
『そうだった。何よりも大事なことを忘れていたぜ。契約によってオレはお前に《リセットスイッチ》の力を与える。その代わり、一つだけ……たった一つだけお前にも要求があるんだ』
想像通りだった。世の中、何かを得るためには相応の対価が必要だ。
それでも、いまの僕には覚悟がある。魂だろうと、心臓だろうと彼にくれてやるつもりだった。
一度終わったこの命。真帆が無事で、そして少女を救えるのならば、どうなろうと構いやしない。
『条件は、たった一つ。これ以上ないほどにシンプルなものだ』
だが、グリードの要求は僕の想像のすべてから逸脱いつだつしていた。
どうしようもなく意外で、予想外で、意味不明としか思えないもの。
それは――
『オレと、一生をともにすること。そいつがオレの望みだ』
心の底から、理解不能なものだった。いままでの人生で身につけたありとあらゆる疑問の言葉が溢れてくる。
何も言えない僕に向かい、グリードは心底楽しそうに言葉を続ける。
『オレは、お前のそばで見ているだけだ。質問には答える。相談にだって乗る。ヒマなとき、話し相手にだってなる。何ならゲームの相手になったっていい。オレは、観察したいだけだ。《リセットスイッチ》を手にした契約者が如何いかなる人生を歩むかを。悪魔に選ばれた人間が、どのような選択をするかを。魂も、生贄いけにえも必要ない。オレは、自分の本能が選んだ人間のことを知りたいだけだ』
観察? 興味?
冗談だろう。まさか、彼は好奇心のみで僕に接触したとでも言うのだろうか。
『人の間で生きるから人間と言うのだろう? だがね、悪魔は生まれたときからひとりだ。他の悪魔がいることは知識で知っている。知ってはいるが、出会ったことはない』
流れるようななが台詞ぜりふに、ただ僕は耳を澄まし続ける。
『だから、オレは知りたいんだ。人間というモノを。オレは、お前のことを知りたいんだ。相手を知る過程を人間は何と言うのだったかな。確か、一言で表現できたはずだが』
しばらく、無言で考え込むグリード。
彼の口調に冗談や人をだます悪意は感じられない。真剣そのものだった。
『そうだ、思い出した』
たっぷり十秒以上の間が空いただろうか。
長い思考を経て、ようやく口が開かれる。
『……友人だ』
彼が放ったのは、僕にとって最も縁遠い単語。
『オレはお前と友人関係を築きたい。お前が真に命を落とすまで。死が、二人をわかつまで』
彼が放った言葉に対し、最初に感じたのは妙なおかしさだった。場違いな言葉に口元が緩んでしまう。そして、次に感じたのは……
怒り。
胸の奥底が煮えたぎるような、憎悪にも似たふんの感情だった。
――何が友人だ。何が死が二人をわかつまでだ。
何故かはわからない。ただ、激情の波が僕の爪先から頭の頂きまでを呑み込み荒れ狂う。
――友人? 目の前の死体が僕の友人だよ。すべてを奪い、命すら捨てるハメになった原因が友人なんだよ。妹を犯し、殺したのが友人なんだよっ!
学校では僕の友人といわれている林田たちが何をした。僕からすべてを奪ったではないか。
「だったら……一つだけ約束してよ」
気付けば、口にしていた。条件を出せる立場ではないのに。彼は、本心から興味だけで僕に力を貸そうとしているのに。
『約束? 気弱なお前が、悪魔に向かって条件を出すのか? 面白い、面白いぞ。オレは知りたい。もっとお前のことをッ! さあ、言ってみろ。この悪魔にどのような条件を出すッ!』
どうしてだろうか。僕の様子に悪魔は狂喜しているようだった。両手を広げる悪魔の幻影をしっかりと見据え、告げる。
「……僕に、僕に嘘をつかないでくれ」
友人は、僕を助けてくれない。奪い、傷付け、嘘をつき、だます。何よりも信じられない存在だ。嘘をつかれなければ、騙されることもない。
それは条件というより、願いだった。
『ふむ。嘘をつくな、か』
どこか迷うような声音でグリードがつぶやく。腕組みをして首をかしげた姿が妙にコミカルに映る。
しばらく考え込むそぶりを見せ、悪魔が口を開いた。
『当然、お前もオレに嘘をつかない、よな? 条件とした以上、たがえれば破滅が訪れる。オレも、そしてもちろんお前も嘘を――』
「……わかってるさ。君が嘘をつかない限り、僕も約束は破らない」
『パーフェクト! と言いたいところだがな。一つ教えておかなければならないことがある』
ほんの先程まで上機嫌だった悪魔の声がくもる。どういうことだろうか。彼の声は一瞬にして不満の色を帯びていた。
『オレはな、自分が気持ちよくしゃべっているのを邪魔されるのが何よりも嫌いなんだ。お前はいま、俺の言葉に割り込んだ。そいつは許されることじゃあない。もし次に同じことをしてみろ。どうなっても知らんぞ』
鋭い爪が僕の首筋を舐め、金色の瞳が怒気をたずさえて僕をにらむ。山の頂上から崖下に飛び降りるかのような落差、沸騰ふっとうした湯が一瞬にして凍りつくかのような温度差、理解できない感情の起伏だった。
「……わ、わかったよ」
有無を言わせない迫力に、僕はうなずくことしかできない。答えに満足したのか、ふたたび悪魔の声が朗々ろうろうと響いた。
『それでいい! ならば契約をしようじゃあないか。さあ、携帯電話を見ろ。すでに契約書はそこにあるッ!』
彼の言葉に従い、液晶画面を確認する。小さな画面にはびっしりと文字が刻まれていた。見慣れた明朝体の文字だ。
『そいつが契約条件だ。ルールは二つ、オレがお前に《リセットスイッチ》の力を与えること。そして、どちらかが死ぬまで互いのそばに居続けること。俺たちは狂った時間の流れをともに生きる運命共同体になるんだ』
グリードが一拍の間を置くと、ディスプレイにはさらに文字が追加されていく。
『そしてもう一つ、契約書には新たな条件が書き込まれる! お前が口にした言葉がッ! 互いに嘘をつかないというルールがッ!』
悪魔の声とともに文字がゆがみ、形を変えていく。
一文字一文字が蛇のようにのたうち、見知らぬ図形に変化していった。異形いぎょうの文字が画面から浮かび上がり、暗闇の中、空をホタルのように飛びまわり、僕を囲んでいく。
『これがオレたちの契約書だッ! 血も、インクも、そしてサインさえも必要ない! 自分の名を名乗るだけだッ! 魂でお前の名を契約書に刻むんだッ!』
瞳が、文字へ吸い込まれていく。
見たこともない図形。知らない文字。
契約をおこなえば、運命を変えることができる。《リセットスイッチ》を手にし、僕の身代わりになって死んだ少女を救うことができる。
『さあ、名乗れ! お前の名を! 心から、思いを、願いを、祈りを込めて!』
グリードが急かすが、僕の耳には届かない。
ゆっくりと手を伸ばし、文字に触れる。不思議な光は指に当たった瞬間、踊るように地面へ逃げ出した。
ぼんやりとした輝きが映すのは、苦痛と恐怖の中で自ら命を断った少女の深紅に染まった顔。
拳を、握り締める。選ぶ道は、一つしかなかった。
「僕は……」
からびたのどうるおすため、唾を呑み込む。
「僕の名は……」
垂れていた首をしっかりと持ち上げる。
《リセットスイッチ》の力は、僕の死によって発現される。つまり契約をおこなっても、彼女を助けるためにはもう一度死ななければならない。見知らぬ誰かのために、命を投げ出さなくてはならない。
――「できるのか? おまえなんかに」
ほんのわずかな逡巡しゅんじゅん。弱気の声がささやきかける。だが、もう後戻りはできない。
しっかりと前を見据え、目を見開き、全身全霊の力を込め――
僕は、口を開いた。
「僕の名前は、夜澤ミライ! さあ、悪魔グリード。僕に、この絶望を打ち砕く力を与えてくれ!」
名乗りに呼応し、悪魔がにやりと笑う。直後、文字のれつが僕の体に吸い込まれていった。
光の中で、ふと考える。
僕の覚悟は虚構でしかなく、勢い任せの物だっただけなのではないかと。
耐えがたい現実を直視できずに、現実から目をらしてしまったのではないかと。
悲劇の主人公のような境遇に酔っていたのではないかと。
――それでも構うもんか。
逃げでも、何でもいい。いまより最悪な状況なんてきっとないのだから。
自分の意志で動かなかったことを悔いる人生を変えられるのなら、そして僕の臆病おくびょうさのせいで命を失った少女を助けられるのなら、僕のすべてをくれてやってもよかった。
『ひっくり返してやれ、ミライ。耐えがたい絶望を。残酷な現実を。お前の掴んだその力で』
グリードの言葉に、強くうなずく。言われるまでもなかった。
こうして、地獄にも似た現実リアルをスタート地点に《リセットスイッチ》を巡る物語は幕を開けた。
思慮の足りない馬鹿な高校生を主演に、どこか掴みどころのない悪魔を演出に置いて。
先に待つのはどんな未来か、いまの僕には、まだわからない。
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