37 / 62
第六章 恋理無常のテンダーライアー
5・殻、壊、進
しおりを挟む――今、何て。
全ての葛藤さえも停止してしまった。
彼女が放ったのは何よりも渇望していた言葉だったから。
同時に、絶対に耳にしたくない言葉でもあったから。
「気付いてた? 初めて助けてくれた時から、ずっとなんだよ」
停止した心に、彼女の言葉だけが染み込んでくる。震える声と共に彼女の体温そのものが流れてくる感覚。心地良いぬくもり。
九行さんはいま、どのような表情をしているのだろうか。
背後に立つ彼女を覗う事は出来ない。ただ、今にも泣き出してしまいそうな声音に感じられた。
「僕は、人に好かれる価値なんて無い」
声を、振り絞る。
本当は、嬉しかった。今までの人生で起きたどんな事よりも。
それでも僕の口を吐いたのは、気持ちとは逆の言葉。
「そんな事無いっ!」
胸を震わすような叫びが夜の闇を駆け抜けた。
何故だろう、彼女の声は怒っているようだった。
「ねぇ。お願いだから卑下しないで。私の中でミライさんはヒーローなの!」
「馬鹿だし、その癖すぐに悩むし、間違いだらけの僕が?」
「馬鹿なんかじゃ、ないっ。間違っても、ないよ!」
彼女の声と同時に右手を掴まれる。
両の手で、力強く。
喰い込んだトゲが溶け落ちていく。凍りついた血液が、再び流れ出す。
「私の《死の引き金》を解除したのはミライさんなんだよ。それに、悩むんだったら私も一緒に悩む。もし間違った事をしそうになったら私が止める!」
一緒、に? 僕と? 二人で?
鎖が、錆ついていく。
彼女が触れている部分を中心に、少しずつ、少しずつ。
「ミライさんは私の為に悩んでくれた。運命に立ち向かってくれた。いつも苦しんでるのはミライさんばかりだもん。私も、一緒に悩ませてよ」
彼女の言葉の一つ一つが、僕を呪縛から解き放ってくれる。
一人じゃない。受け入れる。罪を、罰を。
そして、彼女の想いを?
「僕で、本当にいいの?」
「ミライさんじゃなきゃイヤなの!」
決定的な言葉。肯定の感情。嘘つきの人殺しの僕を、受け入れてくれる人。
「僕も――」
既に鎖には僕を拘束する力は無い。
全身の力を込め、心を震わせ振り向く。
目の前には、涙を零す九行さんの姿。
全てのしがらみを抑え込み、ねじ伏せ、口を開く。
「僕も――だよ」
錆ついた金属が千切れ、夕日の様に鮮やかな光となり消え去った。
受け入れた。受け入れてしまった。
ならば、彼女にはいつか真実を伝えないといけない。
僕がトリガーを用いて二人を殺した事を。
例えその先に待つのが、彼女の拒絶だとしても。
僕に足りなかったのは覚悟だ。
全ての罪も、罰も、義務も、これから起きる事も、そして大切な人からの想いも全て背負う覚悟だったのだ。
「ごめん。怖かったんだ」
彼女の潤んだ瞳を見つめ、はっきりと口にする。
「居場所を求めることが、幸せになることが。何もかも怖かった」
今は、真実を告げる時ではない。相変わらずの嘘つきでいなければならない。
それでも、もう抑えられなかった。求める事を、受け入れる事を、受け入れて貰う事を。
彼女の隣こそが、僕の居場所なのだ。
「こんな弱い僕でも、本当にいいの?」
最後の、確認。
答えなんか聞かなくても分かっている。だけど、聞かずにはいられなかった。
最後の決意を固める為に。全てを背負う覚悟を決める為に。
「弱くなんか、ないもん。凄く、カッコいいんだから」
僕の心を溶かす、太陽の様な笑顔。ひと雫こぼれ落ちる涙。
もう、鎖は存在しない。僕を縛るものは何も無い。
身体を押しこめていた天井がぶち破られ、窮屈だった世界に光が満ちた。
彼女の頬にそっと腕を伸ばし、拭いとる。
「あり、がとう」
たまらなく愛しくなり、衝動的に抱きしめる。
抵抗は無い。それどころか、九行さんは僕の腰に手を回し、優しく抱き返してきた。
時が止まってしまったかのようだった。
このまま、優しい時間が永遠に続けばいいのに。
そう、望んだ時だった。
「ちょっといいかな?」
突如、背後からかけられた男の声により止まった時計の針が動き出した。
バネ仕掛けの玩具の様に飛び跳ね、離れる僕たち。
恥ずかしいとかそう言うレベルでは無かった。いくら夜道とはいえ、往来で何をやっているのだ。
だが、声の正体を認識した瞬間に羞恥などは吹き飛んでしまう。
「聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
振り向いた瞬間、視界に入ったのは二人組の男。紺色の制服に身をまとった姿。
警察官だった。
「いや、その。彼女を家に送る途中で。すぐそこなんですよ、家」
引っくり返った声で弁明する僕。
「そうじゃなくて。とにかく、名前は?」
「え、えっと」
「名前は?」
もはや弁解は通じそうになかった。パニックになった頭ではまともな考えも浮かばない。
「夜澤ミライ、です」
素直に名乗る。次の瞬間、警官の顔色が変わった気がした。警官は小声でなにやら相談した後、再び僕たちを見やる。
「彼女はこっち。ちょっと話を聞くだけだよ。すぐ終わるからね」
猫なで声なのに、抗う事を許さない圧力。そのまま僕たちは引き離され、別々に尋問を受ける。
「年と住所は? 今日は今まで何してたの?」「十七で、住所は――」
矢継ぎ早に放たれる質問。警官の顔に見えるのは、何故か焦り。
一つ答えるたびに、少しずつ彼の心が乱れていくのが手に取るように分かった。
嫌な予感がする。
「ちょっと来てもらえるかな?」
九行さんを尋問していた警官が無線で連絡を入れている。何を話しているかは分からない。
ただ一つ分かるのは《普通じゃない》事だった。
どう考えてもおかしい。夜に出歩いているだけで警察署に連行されるなど。
しかも、九行さんの家は目の前なのに。
「いや、その、すぐ帰るんで。あの子の家もここですし」
「そうじゃない。とにかく、署まで来てくれないか。君に大事な話をしなければならない」
「大事な、話?」
抵抗も、拒否も出来そうになかった。気付けば僕の周囲を多くの警察官や何台ものパトカーが囲っている。
逃げ場は、無い。
嫌な汗が噴き出してくるのが自分でも分かった。何が起きていると言うのだ。
ただ、一つだけ理解出来た事がある。
《彼らは僕を探していた》と言うことだ。そうでなければ大事な話と言う言葉は出てこないだろう。
三下達の事件が頭をよぎる。そんな馬鹿な。リセットした以上、証拠は存在しないはず。彼らの死因は事故のはずだ。
それとも、まさか――僕やグリードの知らない痕跡が残っているとでも言うのか。
時間を隔てても存在するものがあると言うことなのか。
しかし、僕の予想は、全て外れていた。
そして、予想出来るはずの無い事だった。
警官が僕を探していたのは三下達とは無関係。全く別の《事件》。
携帯の電池が切れ、行方不明の僕は《事件》の参考人として追われていたのだ。自分でも気付かない内に。
警察署に連行された僕は知らされることになる。
《連続猟奇殺人事件》の三件目が起きた事を。
そして――
《被害者は僕の家族》だと言う事を。
父も、母も、真帆も、無残に殺されてしまったと言う事を。
************************************************
――――――
次回に続く。
よかった!九行さんは無事でしたね!
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる