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第六章 恋理無常のテンダーライアー
7・伴、惨、望
しおりを挟む「だって、グリードはもう、《死んだ》んだから」
「まだ分からない。僕は、それを確かめに来たんだ。この目で、直接」
「だったら私も行く! 私だって、グリードのこと友達だと思ってたし」
友達。奇妙な話だが、九行さんとグリードの間にも交流が出来ていた。
彼女を救ってから一カ月の間、しばしば二人は対戦ゲームで遊んでいたようだ。
ネットワークを行き来できるグリードにとって距離など関係無く、二人はいつの間にか気の合うゲーム仲間になっていた。
ならば、彼女にも確認する権利があるはずだ。彼が今、どうなっているかを。
「何が起きても、後悔しない?」
「ミライさんと一緒なら、後悔なんて無い」
揺るぎない表情だった。絶対に離れないと目が言っている。説得は通じそうにない。
それに、僕も一人では不安だった。本心では今にも逃げ出してしまいたかったのだ。
だってそうだろう、生まれ育った家でずっと過ごしていた家族が皆殺しにされた場所に足を踏み込むのだ。
正気を保っているのも、もう限界だ。
彼女に、一緒にいて欲しかった。
「……ありがとう」
深く頭を下げ、礼を述べる。そのまま家の鍵を開け、ドアを開いた。
そして、瞬時に後悔した。
九行さんを連れて来たのは間違いだったと。
彼女を呼び出した伯父もまさか一緒に中に入るとは思っていなかったのだろう。
それほどまでに僕が過ごしていた家は異常に塗れていた。
まるで家の中に嵐が発生したかのようだった。
怪物の腕によって殴り飛ばされたような下駄箱。穴の空いた壁。
これほどまでの破壊が起きたのに、誰も気づいていなかった?
目撃者ゼロ?
無視できないほどに大きな疑問。
しかし、床と壁に張られたブルーシートを目にした事で一瞬にして吹き飛ばされてしまった。
――この下に、母さんの……
「出た方がいい」
嘔吐感を呑みこみ、九行さんに伝える。
現場の惨状には報道管制がされていたらしい。ある程度覚悟はしていたが想像以上だった。
彼女が一緒でよかった。心から思う。
一人だったら耐えられなかったに違いない。
だが同時に、彼女に見なくても良い物を見せてしまった事を悔いる。
「いい、大丈夫。ミライさんを、一人には出来ないもん」
僕の想いを知ってか知らずか、九行さんが僕の手を強く握って来た。
「分かった。でも、少し待ってて。僕の部屋に行く前に、見なきゃいけない物がある」
「私が一緒じゃ駄目?」
「駄目って言うか……」
縋るような視線を受け、口ごもる。それでも彼女を連れていく訳にはいかなかった。
「今ここにいるのは、逃げようとした母さんが殺された場所なんだ」
配達員が発見したのは母の死体らしい。
どのような状態だったのか僕は知らないが、想像は出来る。無残と言うのも憚れるほどのものだったのだろう。直接耳にはしていないが、恐らく今までの事件と同様に体の一部が持ち去られている可能性も高い。
本当はこんな所に九行さんを置いていきたくない。
だけど。
「僕がこれから行くのはリビング、父さんと……真帆が殺された場所だ」
僕の入院中、真帆と九行さんに交流はが出来ていた。
どう言う訳が意気投合し、よくメールや電話をしていたらしい。
「だから、九行さんだけには、見せたくないんだよ」
「……分かった。待ってる」
彼女がそっと手を離し、玄関口へと戻る。
ここからは一人だ。
シートの違和感を靴底に感じながらゆっくりと歩を進める。
音は無い。
何も、無い。
あるのは破壊された壁や飛び散った家具だけ。
殺人犯が現れたと言うより、怪物や魔物の類が現れたと言われた方が信憑性があった。
――何が起きたって言うんだよ。
あまりの異常さに身震いしながらも、ようやくリビングの前まで辿りつく。
ドアは、開きっぱなしだった。
覚悟を決め、足を踏み出す。
「っ!」
声にならない悲鳴が漏れた。
きっと九行さんを待たせていなかったら絶叫していたことだろう。
大切な彼女に心配をかけたくないと言う意思だけが今の僕の全てだった。
それほどまでに、《現場》は凄惨な物だったのだ。
もはや、部屋としての原型は留めていない。
倒れたテーブル、足の折れた椅子、引き裂かれたソファー、画面の破壊された液晶テレビ。
そして、ほぼ全面に引かれたブルーシート。
想像でしかないが、このビニール製の幕の下にはとてつもない惨状が広がっているに違いない。
リビングと一繋がりになっているキッチンに目をやると、多少はマシだった。
破壊された家具の破片が飛び散ってはいるが、直接の被害は無い。
キッチンに近い場所にあるデスクトップパソコンも無傷で、傍ではインターネットに接続する為のモデムが間抜けな光を発していた。
――きっと、絶望ってこう言うものなんだろうな。
だと言うのに、どうしたのだろう。僕の頭はどこか冷めていた。
九行さんを失った一月前の方が余程感情的になっていたはずだ。
どうやら僕は壊れてしまったらしい。涙も出なければ、叫び声一つ上がらない。
まるで灰にでもなってしまったかのようだった。
このまま本当に消えてしまえればいいのに。
そうだ。そうしよう。名案だ。
死ねば、楽になれる。
「ミライさんっ。大丈夫?」
意識がどこかへ飛んで行こうとした瞬間、玄関から飛んできた九行さんの声が僕を現実に引き戻した。
――いま、僕は何を?
頭がはっきりしない。やはり少し疲れているようだ。
「大丈夫。すぐ戻るよ」
殺人現場に背を向けて立ち去ろうとした時だった。
タイミングを見計らったかのように、壁のシートが乾いた音と共に一枚剥げた。
かつては白かった壁に広がっていたのは、目を覆いたくなるような光景。
どす黒く乾いた血液で描かれた不気味な文様。
怨念や呪詛さえもが聞こえてきそうな、血で描かれた禍々しい図形。
頭が真っ白になり、駆け出す。
足がもつれ、転びそうになる。
九行さんの元に戻るまでのほんの数歩がどうしようもなく遠かった。
「ど、どうしたの?」
膝を着き、荒い息で喘ぐ。声が出ない、言葉にならない。
――何なんだよ。何なんだよっ。何なんだよ!
訳が分からなかった。普通じゃない、狂っている。
何で僕ばかりこんな目に遭うんだ。おかしいじゃないか。
僕が何をしたって言うんだ。こんな地獄を味わわなければならないほどの事を僕が――
――したじゃないか。
そうだ。僕は人を殺した。罪を犯した。だから罰が下ったんだ。
「ミライさん、しっかりして!」
暗闇に沈みこみそうになった意思を九行さんが呼び戻す。
強い声で、僕の背をきつく抱きしめ。
「大丈夫、大丈夫だから。傍にいるから。私がいるから」
優しく囁く声が、温かい。
僅かずつではあるが、まともな思考を取り戻していくのが自分でも感じられた。
僕が落ち着きを取り戻すまでに、二分近い時間を必要とした。
「ごめん。もう、平気だから」
「本当に?」
「うん。ちょっと血を見ただけ。離れても大丈夫だよ」
「あっ……」
僕を抱きしめていたことにようやく気付き、顔を赤らめた九行さんが身を離す。
「もう帰る? 顔、真っ青だよ」
「駄目だ。僕の部屋に行かなきゃ」
本来の目的はグリードの安否だ。
実の所、僕の部屋がどうなっているのか既に話では聞いていた。
それでもこの目で確かめたかったのだ。
床に手をつき、立ち上がる。雲の上に立っているような奇妙な感覚だった。
「行こう」
「……うん」
九行さんが僕の手を握りしめる。
彼女の体温は、現実感のないこの家の中においてたった一つの確かに感じられるものだった。
ふらつく足で階段を上り、自室のドアの前に立つ。
リビングとは違い、ドアは無傷で閉じられていた。
「開けるよ」
ノブを回す軽い金属音。開く扉。
部屋に広がる光景は想像していたよりずっと穏やかなものだった。
いつもと同じ隙間の多い本棚。
埃を被ったブラウン管のテレビ。
使い古したベッド。頑丈さだけが取り柄の勉強机。
小さなテーブル。座イス。
何も変わっていない。いつもと同じだった。
たった一つだけを除いて。
「パソコン、が」
九行さんの震える声が六畳間に重くのしかかった。
いつもと違うのは机の上にあるはずのパソコンの存在だった。
パソコンは机の上に存在しなかった。あるのは、部屋中にばら撒かれた機械の残骸だけだった。
「やっぱり、か」
伯父から聞いてはいたが、驚きが無かったと言えば嘘になる。
手に汗が滲み、胸に嫌な物がこみ上げる。それでも、先程の光景よりはマシだった。
「電源を抜いても消えなかったけど、壊す事は出来たんだ」
乾いた笑いが、漏れた。
座り慣れたベッドに腰掛け、首を垂れる。九行さんも続いて、僕に寄り添う。
「グリード、死んじゃったの?」
「分からない」
「冷静だね。私の方がどうかしちゃいそう」
冷静なものか。本当は今にも狂ってしまいたいくらいだ。
ギリギリで正気を保っていられるのは恐らく九行さんが隣にいるからだろう。
今の彼女は、僕にとって数少ない心の拠り所だった。
「一つだけ、希望があるんだ」
彼女とは別の、もう一つの拠り所。
「グリードは、生きているかもしれない」
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