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第七章 限界突破のソウルサクリファイス
12・開かれた扉
しおりを挟む「僕は、彼がいなければとっくに死んでたんだよ。妹と一緒にね」
少なくとも、今は生きている。心臓も動いているし、意識だってある。
もし、彼との出会いが無ければ死んでいた。もし《体験版》で見限っていれば、僕は生きる屍のまま、後悔と孤独に怯える毎日だった。
彼と契約した事で、僕は本当の意味で命を得た。人として、誇りを持って生きる道標を見つけることが出来たのだ。
「それに契約してなければ、僕はお前らに殺されてたよ。間違いなくね」
とても単純な論理展開。愛沢の次の標的は僕の家。
十月の事件が存在しない世界で、僕は間違いなく家にいるはずだ。ならばどうなるか。
愛沢珠希の生贄にされる。それだけだ。
「何を言って……まさか、《蝋燭喰らい》と契約したとでも……?」
うろたえるウィスパーが何事かを呟くが、聞くつもりは無かった。
もう、僕は惑わされない。
「僕の大切な人が言ってたんだ。《人が生きるって、自分をどれだけ信じられるか》って」
悪魔との契約があったからこそ、僕は本当の意味で生きていられる。
九行さんと出会い、グリードとの関係があったからこそ、僕はここに立っているのだ。
「そこに、僕はさらに一つ付け加える。《人が生きるのは、友を、愛する人達をどれだけ信じられるか》ってね」
「僕は悪魔グリードを信じる。減らず口ばかり叩いて、いつもマイペースなあいつを。下らない世迷言を囁く悪魔より、最高の友達を信じるっ!」
「下らないっ。騙されてるって言ってるでしょう!」
「だったら契約条件に一つ追加しろっ。過去から未来に渡って、永遠に嘘を吐かないと! 契約に違反した場合、消滅すると! お前が本当に洗いざらい嘘無く全てを話したならできるはずだ」
「……っ!」
僕の叫びにウィスパーが口をつぐむ。
予想通りだった。ウィスパーは、最初から僕に嘘ばかりを吹きこんでいた。だからこそ、僕の出した条件を呑む事が出来ない。
「囁く者って言われるだけはあるよ。僕とグリードの間に交わされた契約から、あんな揺さぶりをかけてくるなんてね」
僕には《嘘を吐かない契約が本当かどうかを証明する方法が無い》。
正確に言えば一つだけ方法はある。僕がグリードに対して嘘を吐くことだ。
だが、もし契約が本当だった場合、僕の存在は過去から未来全てに渡り消滅する。確かめることなどできるはずがない。まさに悪魔の証明だった。
「だけど、ツメが甘かった。お前は言ったんだ。自分の口から《契約は絶対》って。
どんな形であれ、結ばれた契約は必ず果たされる。だったら僕とグリードの契約も絶対だ」
馬鹿げた話だ。他人の契約を嘘呼ばわりしておいて、自分の事だけは正しいとうそぶく。
ならばどちらを信じるかなど最初から決まっているではないか。
「そして、もう一つ気付いたことがあるんだ。お前が、どうしてそこまでして僕に契約を求めるか」
頭を垂れ、片目だけで睨みつけてくる視線を正面から受け止め、告げる。
「もう、死にそうなんだろ? 死体を長時間動かせないんだろ? だから、僕に契約を求めた。生き延びようとした」
僕の手を掴んだ時、握る力がほとんど無かった。
僕が契約者だと言う事を知っておきながら、契約を望んだ。
魂を捧げなくていいと言うのに契約を結ぼうとした。
ウィスパーも必死だったのだ。
契約者を殺され、寄生している自らも滅びようとしていた。だからこそ、目の前の敵を取りこもうとするしかなかった。
「もう全部分かってる」
だとしても、同情などは抱かない。絶望した愛沢珠希を取りこみ、人々の命を奪ってきた悪魔を生かしておく訳にはいかなかった。
「生きる為の、最後の悪足掻き。けど、それも終わりだ」
口にして、気付く。愛沢も、ウィスパーも僕と同じだったのだ。
生きる為に、守るために、願いの為に人の命を奪った。
グリードの言葉を借りれば、この戦いは《生存競争》。人と人、人と悪魔の生きる為の戦いだったのだ。
「お前を殺して、僕は……僕たちは生きる」
だが、どんなに取り繕おうとも、人を殺した僕の罪も、胸の痛みも消える事は無い。
試練、そして心の痛みが僕の契約の代償ならば敢えて受け入れよう。
「さよならだ。悪魔ウィスパー」
僕は背負う。罪も、罰も、迷いも、痛みも。これから何が起きようと、全て受け止めて歩いていく。
「ま、待ちなさいよっ!」
「お断りだね」
このまま放っておけばウィスパーは死ぬ。契約者を見つけられないまま、愛沢と一緒にただの骸となり果てる。
隣近所から契約者を探そうとしても無駄だ。眼球に錐を刺し、血の涙を溢れさせる化物と対話できる人間がいるとは思えない。
もう、全ては終わったのだ。
残った課題は、複雑怪奇な《リセット条件》を満たすだけ。
惨めに震える悪魔を一瞥し、背を向ける。
直後、右の脹脛に刺すような痛みが走った。
「……っ!」
――確かにアタシはもう限界よ。死体を動かせるのもほんのあと一分も無いわ。
頭の中から、不気味な声が聞こえた。愛沢のものではない、地の底から響くような禍々しい声だった。
――だけど……生きた人間なら、しばらく動かせるの。
逃げなければならない。だが、足が動かない。石にでもなってしまったかのように脳の命令を無視している。
――さよなら、名前も知らない少年。アタシはあんたを喰らって契約者を探すとするわ。
痛みは無い。ただ、疼くような痒みだけが下半身から上半身へと昇って行くのが感じられる。
――目立つのだけは避けたかった。だけど、あんたが悪いの。アタシと契約しなかったあんたがね。
脹脛から太腿へ、太腿から腹部へ。腹部から左半身、そして心臓へと痒みが浸食して行く。耐えがたい不快感。それでも、体は動かない。
かろうじて動く首だけを回し、振り返る。
「な、んだ、これ」
愛沢の死体から錐が抜けていた。
青白い肌、虚ろな瞳。小さな孔から流れ出るどす黒い血液。
そして、眼球から伸び出る細長い糸。
錐の刺さっていた部分から、ミミズを細くしたような糸が僕へと突き刺さっていた。
――大丈夫。痛くしないから。すぐに気持ち良くなる。まあ、最後は喰われて死ぬことになるけど、気にしたら負けよ。
このミミズのような糸がウィスパーの本体だとでも言うのか。
喰われている。痛みは無いが、間違いなく僕は喰われている。
糸だったものが網のように僕の全身に広がり、血の一滴、神経の一本、細胞の一欠片を喰い尽くして行くのが本能で理解できた。
――死ぬ? 僕が、喰われて、死ぬ? こんな寄生虫に?
間違いなく僕は悪魔ウィスパーに勝利した。
奴のどんな囁きも甘言も僕を惑わす事は出来なかった。
嘘で塗り固められた言葉に、僕は簡単になびいたりはしない。
だが。
心からの、存在の全てを賭けた《真実の行動》ならどうか。
僕は、気付いてしまったのだ。否、気付かされてしまったのだ。
計らずとも、人を騙してばかりいた悪魔の、最後の正直な行為に。
生きる為の、何よりも真っ直ぐな行いに。
《リセット条件→生きたまま他の生物に喰われて死ぬ》
不可解な死。
以前あった、ビルの崩落による狙っていない事故死。今回起きた、悪魔による不条理な他殺。
なんと言う皮肉だろうか。
どんな言葉も、僕とグリードの間にひびを入れる事は出来なかった。
だが、ウィスパーが取ったたった一つの行為によって、あっさりと僕の信頼は薄れていったのだ。
嘘の中の一つの真実。真実の中の一つの嘘。
ようやく、理解した。僕の身に何が起きているのか。
何を疑うべきなのかを。
《グリードは、僕を騙しているかもしれない》。
薄れ行く意識の中に残っていたものは《疑惑》の二文字だった。
************************************************
次回から本当に八章。
何が本当で、何が嘘なのか。分からなくなってきたと思います。
果たしてグリードはミライを本当に裏切っているのか。
彼の物語はどう言う終わりを告げるのか。
最終章《運命叛逆のファイナルリープ》をお待ちください。
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