プリンス・エリオットは奇跡の魔女に求婚したい

月宮明理

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第一話 奇跡の魔女候補・ティアナ=マードック

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 五歳だったティアナは心にもない微笑みを浮かべた。
 そうする以外、幼いティアナには身を守るすべがなかった。

「本当に忌々しい子! どうしてあんたなんかを生かさなきゃいけないのよ!」

 義母の憎悪の視線はティアナの左手に注がれている。しかしティアナにはその視線の意味が分からなかった。

「ごめんなさい。お義母さま」
「謝る暇があるなら、とっととランチの用意でもしてらっしゃい!」
「はい」

 義母に背を向けたティアナはスッと表情をなくした。
 私はどうして生きているの?どうして生きなければいけないの?
 誰も答えを教えてくれない。




 地獄のような日々を生き抜き、ティアナは十一歳になった。その頃になって、どうして自分が生きているか理解できた。
 ティアナの左手の甲には円形の痣がある。それはここカプデビラ王国で「奇跡の魔女候補」の証とされている。
 だから義母はどんなにティアナを憎く思おうとも、ティアナの命までは奪うことができなかったのだ。そんなことをすれば国賊になってしまう。
 たとえ両親から必要とされなくても、国から必要とされているのであればティアナは生きたいと思えた。

「終わりました。お義母さま」

 この頃にはティアナの家事の腕前は王宮のメイド並みに達していた。ティアナを責めるために事細かに注文をつける義母の意地悪に応え続けた結果だ。

「それなら……そうね、買い物にでも行ってきなさい!」
「はい。喜んで」

 義母と離れていられる時間はティアナにとって大きな幸せだった。
 急いで支度を整えて玄関を出ると、そこには見慣れない男の人が立っていた。

「あら? どちら様ですか?」

 身なりが良く、どこかの貴族かと思わせる紳士だ。

「こちらはマードック男爵のご自宅で間違いはありませんか?」
「え、ええ。そうですわ。……父に何かご用でしょうか?」

 ティアナの父は男爵位を持ち、本当ならティアナが家事労働をさせられる理由はない。父の再婚相手がティアナ憎しで勝手にやっていることだった。父は忙しく、家庭の一切を義母に任せきりのため、ティアナがどんな目にあっているかを知らない。
 ティアナが聞くと紳士は目を瞠り、ティアナの頭のてっぺんから足の先までまじまじと眺めた。
  自分が不躾な視線を送ってしまったことに気づいた紳士は「失礼」と咳払いをした。

「貴女はマードック男爵のご息女ですか? ……それにしてはなんというか……」
「あ……」

 自分の格好を思い出してティアナは顔を赤らめる。
 ところどころ継ぎのあるエプロンドレスに髪は邪魔にならないよう一つにまとめただけ。
 どう見ても男爵令嬢の格好じゃない。

「あの、私……」

 取り繕うつもりで口を開くと、紳士はティアナの手を取った。

「やはり噂は本当だったんですね。様子を見に来て正解でした」
「え。なんのことでしょうか?」
「いえね、マードック男爵が奇跡の魔女候補である娘に虐待を働いていると報告があったのです」
「まぁ!」
「報告は真実だった。私たちはこれから貴女を保護します」

 それはマードック家にとって本当に突然の話だった。
 父は跡取りである弟にしか感心がなく、ティアナが家を出ることに興味を示さない。ただ表面上では仕事でティアナに気が回らなかったことを嘆いてみせた。
 義母はティアナがいなくなると聞いて喜んだが、紳士が続けて「お嬢様にどのような教育をしてきたのかお話を伺いたい」と言ったことで、青くなって固まった。
 義母が努めて関わらせなかったため、幼い弟はティアナが姉であることさえ理解できていない。ただきょとんとしてティアナを見送るのだった。




 ティアナは王立魔女団に所属することになった。
 候補の証を持つティアナは十二歳になったら所属することが決まっていたので、一年早く魔女としての生活が始まったことになる。
 そこで待っていたのは女の園の洗礼だった。


「あらやだ、髪がパサパサね。いくら奇跡の魔女候補だからといって女を捨ててまで魔法に没頭しなくてもいいのではなくて」
「栄養がすべて魔力の方にいったのかしら? 身体に無駄な肉がつかなくて羨ましいわ。……もっともティアナは必要なところにも肉がついていないけれど」

 奇跡の魔女候補であることが妬ましい。男爵令嬢という高くない立場のティアナに、その悪意はストレートにぶつけられた。
 周囲は敵ばかり。孤立していたティアナに敵ではない存在ができたのは、一年が過ぎた頃だ。
 ティアナと同じく候補の証を持つ、同い年の公爵令嬢・ニコラ=ソーントン。

「一緒に食事をしてあげてもよくってよ」
「買い物に行くなら、そのボロボロの服より似合うものを見たててあげるわ」

 最初こそ他の令嬢と大差ないと思って相手にしていなかったティアナだが、一緒に食事をしても食事をひっくり返されることもなく、買い物に出ても本当に似合うものを選んでくれるニコラを憎からず思うようになった。

「馴れ馴れしくしないでよ。あくまでも私たちは奇跡の魔女を目指すライバル。……この私のライバルなんだから、ちゃんとしててもらいたいだけよ」

 素直じゃないニコラの言葉の意味を理解できる頃には、四年間の月日が流れていた。
 そして、年が明け――。

「候補者のニコラ=ソーントン、ティアナ=マードック。あなた方には魔女の試練に挑んでもらいます」

 魔女団の長が二人にそう言った。

「はい」

 ティアナとニコラの声が重なる。
 奇跡の魔女候補の自覚に芽生えた時からずっと待っていたこの時。
 私は、絶対に、奇跡の魔女になる。

「南の森については知っていますね」
「魔獣が生息していて一般人は立ち入り禁止になっている区域ですね」
「そうです。よく覚えていましたね、ニコラ」
「当然ですわ」

 くるくるの茶髪を後ろに流して胸を張るニコラを横目に、ティアナは話の先を促す。

「ではその南の森が試練を行う場所ということなんですね」
「そういうことです。あそこは魔裂からも離れていて、そこまで危険な魔獣は生息していませんから、試練を行うには最適の場所です。……あなた方二人には魔獣を倒した数を競ってもらいます。より多く倒した方が奇跡の魔女になれると心得なさい」
「わかりました」
「はい」




 長の説明を聞き終えたティアナとニコラはそれぞれの個室へと足を向けていた。他の魔女たちは二人から三人で寝起きしているが、奇跡の魔女候補である二人には特別に個室が与えられている。

「私、試練では全力を尽くすわ。そして絶対にティアナより多く魔獣を倒してみせる」

 闘争心がギラつく瞳をティアナに向けて、ニコラは力強くそう言った。

「変わらないわね、ニコラは」
「はぁ? どういう意味よ?」
「だって初対面の時から張り合ってきたじゃない」

 ニコラと過ごした時間が頭の中をめぐる。生きてきた中で唯一、幸せといえる時間だった。

「私はニコラのことが好きよ」
「は、はぁ!? なに言ってるのよ! 気持ちが悪いわね!」

 顔を赤らめてそっぽを向くニコラがたまらなく愛おしい。
 でもティアナは知っている。
 私にはあなたしか心を許せる人がいないけど、ニコラはそうじゃないのよね。ニコラには大切に扱ってくれる家族がいる。それに友達だって。

「そんなこと言っても私は手を抜かなくてよ。試練は真剣勝負なんだから!」

 それだけ言い残すと、少し先に見えていた自室まで駆けていきそのまま部屋に姿を消してしまった。

「私も手は抜かないわ」

 ティアナには奇跡の魔女候補であることしか存在価値がない。だからこれだけは絶対にニコラに譲ることができなかった。

「奇跡の魔女になるのは、私よ」

 先ほどニコラが見せたのと同じ煌めきがティアナの瞳にも宿っていた。
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