いえいえ。私は元の世界に帰るから結婚は却下しますっ!

月宮明理

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1章 お世話係・シグルド

私にドレスは着られない

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 廊下に出ようとして初めて、私は今の自分の服装に気付いた。
 元の世界では着たことのない、ワンピース型のフリフリでヒラヒラの寝巻。言うまでもなく、ネグリジェだ。
 ものすごく柔らかい生地で作られていて、着心地抜群だった。けれど、これで部屋から出るわけにはいかない。

「シグルド、ちょっと待ってて」

 シグルドには一度外に出てもらい、着替えをしようとクローゼットを開いた。
 中には、予想していた通り、見たこともない高そうなドレスがたくさん吊るされていた。
 私はその中からレモン色のフリルがたくさん付いているものを選んだ。
 けれど――

「あれ……?」

 ドレスの着方が分からない。
 そりゃあそうだ。こんなドレス、現実の世界で着る機会などそうはない。

 普通にファスナーが付いているわけじゃないし、袖も……何だかきつくて通らない。
 もしかして、本物のヒメカと私とだと体のサイズが違うのかもしれない。だとしたら、いくら頑張っても着られるはずもない。 

 しかし、ドアの外で待っているシグルドのことを考えると着替えないで外に出るわけにもいかない。

「ヒメカ様、準備は出来ましたか?」

 タイミング良く、扉の外のシグルドから声がかかる。

「あぁー……えっと」

 何と説明したらよいやら……。

「入りますね。失礼します」
「きゃわぁぁぁあああ」

 言葉を選んでいるうちに、部屋に入ってきたシグルド。いくら美形だからって許されることと許されないことがある。
 ドレスのスカート部分には胴を突っ込んだままだった私は、上手く着られなかった上半身部分を胸に当てて後ずさった。

「シ、シグルド……」
「まったく、どうして袖を通すところまで着ておかないんですか! あぁ、もう! 紐も結びっ放しじゃないですか!」

 そう言って彼はドレスの肩口にあった紐をほどき、袖をゆるめていく。

「……ごめん」
「まったくですよ。ほら、ここに腕を通して下さい」

 シグルドに促されるまま、私は右、左と腕を通した。なんだか子どもの頃を思い出す。
 彼はそのまま背中に回り込み――なぜか数秒間動きが止まった。

 ふにっ。

「な……っ!」

 顔のすぐ下を見ると、自分のものより一回り大きな手が胸を覆っている。

「おや、意外に柔らかいんですね。小さいともっと硬いのかと思ってました」

 ふにっ。ふにっ。

「ひぃっ……いやあああぁぁぁぁぁ!」

 反射的に体を返し、振り上げた手がシグルドの顔を直撃した。

「何するの、何するの、何するのっ? い、今……も、揉んだでしょ! 信じらんないッ!」

 彼は一瞬何が起きたのか分からないという表情を見せ、状況を理解した後ひどく狼狽した。

「す、すみません! わざとじゃないんです」
「わざとじゃない? そんなわけないでしょ、三回も揉んでおいて、しらばっくれないでよ!」
「本当ですよっ! どんな感触なのか気にな……いえ、紐を結ぼうとした時に偶然手が触れてしまって、なんか気持ちいいと思ったら手が勝手に動いていたんです。本当に本当なんです、信じて下さいヒメカ様」

 私はシグルドをキッと睨みつけた。
 無意識に女の子の胸を軽々しく触るはずがない。

「あ、そーだ、ヒメカ様」

 シグルドは私から目を逸らしつつ、わざとらしい声をあげた。彼はそのままクローゼットから何かを取り出した。

「今の感じだとヒメカ様、下着付けていませんよね? ドレスの下にコレをつけて下さい。そうです、僕がヒメカ様の胸に触れたのはそれを確かめるためで……」
「それは完全にダウトッ! さっきと言ってること変わってるし。……それより、その手に持ってるのって……」
「ビスチェです。ドレスを着る前にコレを」

 目の前に出されたのは、チューブトップのようなデザインで……それでいてとても色っぽい洋服。

 ドレスを着る時、下着を付けるべきか悩み、そしてつけようと思った。けれど困ったことに、私がこの世界で目を覚ました時にはすでにさっきのネグリジェを着ていて……とどのつまり、私は付けるべき下着を持っていなかったのだ。

 何か誤魔化されているような気はするけれど、下着を出してくれたのはありがたい。
 私は無言でそれを受け取った。

「僕はもう一度外に出ますから、その間にこれをドレスの下に着てください」
「……覗かないでね」
「はい、もちろんです」

 彼は深く礼をして、しかし私と目を合わせることなく、出ていった。
 再び部屋に一人きりになった私は、自分の手の中の物体を眺めた。

 こんなもの、どうやって着ればいいの……?

 よくよく考えてみれば、ビスチェだって着たことがない。
 分からないながらも、とりあえずビスチェに身体を通し、そのまま何本かの紐を固く結ぶ。たぶんこれで良いはず。
 まったく、着づらくてしょうがない。

「シグルド、着たよ! これで良い?」

 シグルドに呼び掛けると、ゆっくりと扉が開き、ばつが悪そうに目だけをのぞかせた。
きっと、「覗かないで」と言った私の言葉を守っての行動なんだろうけど……逆効果にしかなっていない。その体勢はまさしく覗きだ。

「大丈夫ですか?」

 すでに目が合っていて、その問いかけは意味をなしていない。大丈夫でなかったら一目でわかる。動揺しているせいだろうけど、一つ一つの行動が裏目に出ていた。
 その行動がなんだかマヌケで……なんだか可愛い。自分でも分かるくらい頬が緩む。
 私が返事をするまでもなく、シグルドは部屋に入ってきて先程と同じように、私の後ろへまわった。

「……先程はすみませんでした」

 言いながら、ギュウッとビスチェの紐を絞る。ちょっと苦しくて、「うっぷ」ととてもお下品な声が出そうになるのを息を止めてこらえた。

「本当に悪気はなかったんです」

 彼の深い海色の瞳の中に不安が見え隠れしている。
 そこまで私が怖いのだろうか……。いや、もしかしたら元の『ヒメカ』が怖い人だったのかもしれない。

「もう気にしてないから。……でも、二度としないでね」

 みるみるうちに変化していくシグルドの表情。面白いくらい単純で、思わず笑ってしまった。

「もちろんです。よかった、貴女に嫌われてしまったかと思いました」

 にこりと微笑んだ彼は心底ホッとしているようだ。
 そんなに嫌われたくなかったのなら、最初からしなければ良いのに……。
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