紅蓮の石 八王子城秘話

オボロ・ツキーヨ

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九、 薄化粧

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 竜ノ介が交代で通用門の番をする時に、よく見かける気になる人物がいた。少し足を引きずって歩く小柄な男で、朝と夕暮れに御主殿からやって来る。番所の後ろを横切り、北側を少し上った曲輪へ行くようだ。
 
 こっそり後をつけて様子を伺うと、そこには人一人がやっと入れるほどの小さなお堂があった。男は布でお堂の扉を拭いている。下男なのだろうか。それにしては良い着物を着ている。いつも身ぎれいにしている。花を持ってやって来る時もある。微笑みをたたえた穏やかな顔。あの男は一体誰だろう。武士ではなさそうだ。

 ある朝、竜ノ介は思いきって声をかけた。

「おはようございます」
「ああ、おはよう。新入りの門番か。名はなんという。若くていい男が門番になったと、下女たちがしきりに噂しているぞ」

「まさか、そんな。新参者ですがよろしくお願いします。土方竜ノ介と申します。おたずねしますが、そこの曲輪で何をされているのですか」

「ああ、あそこには御館様の持仏堂があるのだ。いつもきれいにしておきたいと思ってな。掃除をしておる。ま、他にやることもないからね。何だい、不思議そうな顔をして。わしが怪しい人物だとでもいうのか」

「いえ、失礼いたしました。化粧されているように見えたので、つい」

「ふん、珍しいかい。男だって化粧ぐらいする。身だしなみだろう。わしは御館様おかかえの猿楽師、宗阿弥だ」

「そうでしたか。失礼いたしました。御主殿には舞台があるそうですね」

「うむ、あの舞台は御館様がわしのために造って下さった。わしへの贈り物というわけだ」
誇らしげにそう言い残し、男は去って行った。

 背筋の伸びた後ろ姿と艶やかな髪。どことなく優雅な風情ふぜい。なるほど猿楽師か。だけど、よく見ると顔には皺があるから若くはなさそうだ。

 
 それ以来、竜ノ介と宗阿弥は顔を合わせると親しく立ち話をすようになった。

「ほお、竜ノ介は波利姫をお守りする役目とな。やれやれ、気の毒なことだ。そもそもあの姫を守る必要などないというのに。中山の若殿から妙な役目を仰せつかったものだ」

「それは、どういう意味ですか」
竜ノ介は宗阿弥ににじり寄る。

「御主殿内には、すでに姫の里の者が何人か守り役として紛れ込んでいる。あれは大事に守るような、か弱き者ではない。武蔵の山奥から来た小鬼じゃ。殺しても死なぬだろう。わしはあの小鬼に毒を盛られたことがある。確かではないが、わしだけ三日三晩ひどい腹痛と高熱に苦しんだ」
眉間の皺が深くなり、白粉がひび割れる。

「まさか、何かの間違いでしょう、そんなことをするなんて。でも、確かに気が強そうな姫様ですね。養女と聞きました。どこから来られたのですか」

「よくは知らんが、武蔵国の久良岐くらきから来た。幻庵殿の娘だそうじゃ」
「なんと、北条幻庵様は百歳近いとお聞きしましたが」

「うむ、身分の低い側室に生ませた子らしいが、真実はわからない。かなりのご老体だから、さすがに子種はあるまい。たぶん血は繋がっていないのだろうな。どこぞやの土豪の娘を養女にしたのかもしれない」

「なるほど、そうでしたか」
竜ノ介は溜息をついた。

「でも、姫を連れて城から出ることができたら、中山家の高麗八丈流馬術に入門させてもらえるのです。出世の道が開けます。姫の守り役が多いのは、おれとしてはとても助かります」

「それはそうだな。もし万が一この御殿谷に敵が攻め込んできた時、この山城のどこから逃げるかということだが、姫の守り役たちは、その辺りのことも抜かりなく考えているのだろう。秘密の抜け穴がどこかにあるのかもしれんな」

「え、抜け穴とは本当ですか」
「ははは、冗談だよ」

「何だ、からかわないでください。ところで、どうして姫に毒殺されそうになるほど憎まれているんですか」

「ほお、そんなこと聞かれたのは初めてじゃ。ずいぶんと聞きにくいことを聞くな」
そう言いつつも嬉しそうな宗阿弥だった。

「ふふふ、それはな、わしは波利姫の恋敵こいがたきだからな」

「へえ、恋ですか」
竜ノ介は意味がわからずに、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で宗阿弥を見る。

「そうじゃ、恋だ。姫もわしも御館様に恋をしている。あやつは渋好みでな。若い男よりも四十代の男を好ましく思うらしい。わしはもう四十年近くも前からずっと御館様一筋、北条氏照を追いかけておる。話せば長いが聞いてくれるか」
上目づかいで竜ノ介の顔をじっと見つめる。

「いえ、長話は困ります。門番ですから」
「わかった、手短に話す」
宗阿弥は、少し残念そうに溜息をついた。

「戦乱の京の都を離れて、猿楽の大和四座は海と山に囲まれた豊かな北条家の城下町、小田原へこぞってやって来た。そして我が宝生流は北条家お抱えとなった。いつも父が小田原城の舞台で稽古をしている姿を見ていた。六歳になった頃、気づいたら父を真似て舞台の下で舞っていた。
 そこに、たまたま北条氏康公のお子たちがやって来て、わしを面白がって、やんややんやとはやし立てる。わしを真似て足を踏みならして拍子をとる。幼名、松千代丸は氏政様、藤菊丸は氏照様、乙千代丸は氏邦様。わしが調子に乗って得意のとんぼ返りをお見せすると、ご兄弟皆は大喜び。すっかり、わしのことを気に入ってくれたのだ。
 それからというもの、父について城へ上がった時には、必ずわしに饅頭や果物をくれた。どれも美味かったな。年長の松千代丸様は、まるで子犬のようにわしを可愛がって、遊び仲間に加えてくださった。ちなみに、その頃のわしの名は虎夜叉《とらやしゃ》。城内でよく蹴鞠けまりをしたな。わしは舞や謡いをご兄弟に伝授して差し上げた。今思えば、小田原で夢のように楽しい子ども時代を過ごした。虎夜叉と藤菊丸は同じ歳でとても気が合い仲が良かったのだ」

「へえ、身分の違う幼なじみというわけですね」

「そうじゃ、わしが武士だったらよかったのだ。身分が違い過ぎたが、互いに強く惹かれ合い、身も心も離れがたい仲になってしまった。ついに十四の春に氏照様と衆道の契りを結んだ。互いにももを二寸ほど短刀で切った。心中立《しんじゅうただ》てというわけじゃ。決して人に知られてはいけない二人だけの秘密だった。
 やがて御館様はいにしえからの武蔵の豪族、大石家の養子となるために、小田原を去ってしまった。十六の頃だ。わしも猿楽修行中で忙しい身だったから、数年間は耐えられたのだが、いよいよ御館様が初陣と聞いて、どうしても一目お姿を見たくなった。ついに家を抜け出し武蔵国へ来てしまった。御館様は大石の姫君を娶り名実ともに大石の名跡を継いでいた。
 わしは少しでもお役に立ちたいと思い、雑兵ぞうひょうとなり、御館様の初陣に加わった。わしも一緒に初陣というわけじゃ。青梅《おうめ》の辛垣城《からかいじょう》の三田氏との戦はもちろん勝利だった。
 御館様はわしが小田原で猿楽師をしているとばかり思っていたから、戦で傷つき地べたでひっくり返っているわしを、偶然見つけて驚くやら怒るやらで。その時、わしは手当を受けていた。すねを矢で射られてな。今も時々古傷が痛む。あの時、御館様の涙を見た。泣きじゃくる幼き日の藤菊丸がそこにいた。
 わしは御館様のために命を捧げたいと思い雑兵となった。小田原へは決して帰らないと申し上げた。すると御館様は、雑兵になることは許さないが、猿楽師として仕えるのなら召し抱えると言って、城下に小さな家を与えてくださった。傷が癒えてから、浄福寺城や滝山城で猿楽を披露させていただいた」

「そうでしたか。御館様が小田原へ行ってしまわれて、離ればなれでお寂しいですね。その気持ち、おれにもわかります」
榧丸との楽しかった日々を思い出していた。

「ああ、寂しいが仕方が無い。もう充分別れを惜しんだ。離れていても互いを想い合う心は伝わるものだ。これまで長い時を共に生きることができた。籠城戦には一人でも多くの屈強な若武者を連れて行くほうが良い。わしは武士ではないし、御館様をお守りする力が無い。せめて、この八王子城を守る手伝いをしたいと思う」

「また、きっと御館様にお会いになれますよ」
「おまえは優しいな。そうだ、明日の夕刻、ささやかな宴があるから御主殿に来なさい。そうすれば、小鬼に会えるだろう。わしも舞うから見においで。舞台の前で会おう」

「いえ、そんな。勝手に御主殿に近づくなと、言われておりますので」

「かまわぬ。わしが、いいと言っておるのだ。中山家の若様から小鬼を守るように言われたのだろう。いくらなんでも、そろそろ顔を見知ってもらえ。黙っていては、あの意地の悪い小鬼がおまえを呼ぶことなど一生ないぞ。こちらから挨拶にいくのだ」

「はあ、そういうものですか」

「何事も待っているだけでは駄目だ。おのれから行くのだ」

「はい、承知しました」
竜ノ介は身が引き締まる思いだった。

「御館様の御持仏をおがむかい。すらりと細身でとても美しいお姿だ。恐れ多いが、わしによく似ていると言われるよ。はははは」
嬉しそうに笑う。

「はい、持仏堂までお供させていただきます」
二人は急な細い道を上る。


 宗阿弥が錠を開けてお堂の扉を開くと、三尺ほどの地蔵菩薩像が鎮座していた。

「想像していたお姿とは、ずいぶん違います。とても色っぽい菩薩様ですね。ところで、どなたが宗阿弥様に似ているとおっしゃったのですか」

無邪気な竜ノ介の問いに、宗阿弥は不満そうに鼻を鳴らした。

唇に紅をさし薄化粧をほどこしたような、美麗な地蔵菩薩像が静かに微笑む。
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