18 / 19
十八、 紅蓮の石
しおりを挟む(一)
御主殿が燃えている。山の麓から黒い煙が濛々と立ち上がってくる。小梅は強い女子だった。落城した日、おれたちは山頂近くで数十人もの敵兵にとり囲まれた。今にも刀と槍で膾のように切り刻まれそうになった時、おれたちの前に立ち「城主北条氏照の娘、波利姫じゃ。わらわを捕らえて人質にせよ」と「その代わり連れの者は村の百姓の家族だから見逃がせ」と毅然と言い放った。敵兵にその身を委ねて包囲の輪を解かせ、おれたちを逃がした。
敵兵たちは、小梅の折編み笠を取り上げて顔を見る。そのに気高さ美しさに骨抜きにされたようだった。そして、良い獲物を得たと満足そうな笑みを浮かべる。だが、捕らえた若い北条の姫君を見て、何人かの兵が下卑た顔をする。小梅によからぬ事をしようとしている。押し倒された小梅はまるで人形のようにされるがまま。声も上げずに敵兵を睨んだ。
「何をしている。竜ノ介、早く来い」
小梅が気になり、離れたところから見ていたおれを、矢助が低い声で呼ぶ。
波利姫を中山助六郎の元に無事連れていくことが仕事だと、頭ではわかっていたが、おれにはできなかった。敵兵たちから今にも裸に剥かれて、辱めをうけようとしている小梅を助けなければ、おれは一生後悔すると思った。全身の力をふりしぼり、雄叫びを上げて敵兵たちに襲いかかる。槍を振り回して暴れた。不意をつかれた兵たちが退く。
「先に行け。おれも後から行く」
小梅に駆け寄り抱き起こす。
「余計なことを。あたしの命は波利姫様に捧げた。守らなくてもいい。早く逃げて」
「そうはいかない、早く行け。あとで追いかける」
小梅は風魔の女子。山道を歩くのが速い。おれよりもずっと。裏高尾へ逃げるまで、おれがここで敵を食い止める。
「わかった。必ず追い着いて」
小梅の頬は涙で濡れていた。
無我夢中で暴れ回った。何人、屠ったのか。おれのまわりにたくさんの敵兵が倒れていた。生臭い血の匂いにも慣れて、人では無く血に飢えた獣になっていた。しかし、己の体からも血が流れている。槍が短くなっていた。いつ折れたのか。穂先も取れている。刀傷が広がり、だんだん痛みだした。気が遠くなっていく。体に力が入らない。小梅たちに追いつくのはもう無理だ。そうだ、最後に中山勘解由の勇姿を見たい。おれは中の丸へと向かう。
中の丸では、味方の兵の姿はほとんど見えなかった。おれの目も見えなくなってきた。目の中に血がたれてくるせいか、すべてが赤く見えた。馬のいななきが聞こえる。逞しい腕の騎馬武者が山頂近くの曲輪を馬で駆けていく。特徴のある白髪交じりの縮れた長い髪と髭が兜からのぞく。勘解由様だ。馬上から見事な槍さばきで敵兵を次々となぎ倒していく。まさに鬼神のごとき、その姿。ああ、でも戦っているのは、お一人だけ。よく見ると、馬の脇腹には幾本もの矢が刺さっている。馬はそれをもろともせずに曲輪を駆け回り、敵兵を後ろ足で蹴り上げる。さすがに勘解由様の愛馬の荒波。だが、味方は皆討ち死に。奥方さまほ何処に。勘解由様、もしや荒波の上で自刃されるおつもりか。おれは、そこで目を閉じた。
やはり、ここが一番落ち着く。陽当たりと風の通りがいい。あそこに赤い花が咲いている。丸くて髭がある不思議な形だ。直刃のような真っ直ぐな茎には葉が無いのだな。まるで火花のようだ。赤い花は下原刀鍛錬場の裏庭にも咲いていた。榧丸とよく猫のようにじゃれ合っていた庭。いつも、おれたちの近くに咲いていた花。この花のような赤い小袖を榧丸に着せたら、どんなに似合うだろうと思っていた。
おや、人影が。御主殿正門の石段を下りてくる。ここは幽鬼の山城。忌み山となってしまった。人が来る所ではない。
なんと、榧丸か。おれのかわいい弟が来た。緑の黒髪を切ったのか。凜々しく男らしくなった。懐に守り刀が入っているな。どうした、急に足を止めて。そんなおびえた顔をしてこっちを見ないでくれ。
「竜兄、ここにいたのか。この廃城の門番をしているんだな。こんな姿になって。苦しくはないのか」
榧丸の涼しげな目が涙でふくれ上がる。おれに涙を初めて見せた。常人には見えないはずだぞ。おまえには、おれの姿が見えるというのか。見られたくはなかった。
天正十七年六月二十三日。無数の梅鉢紋の旗指物が風にはためく。中の丸は前田軍によって、今にも攻め落とされる。折れた槍を振り回しながら曲輪へ飛び込んだ。おれは馬上のお姿を見つけて、その名を叫ぶ。勘解由様は一瞬驚いた顔をされたが、あの厳しくも温かい目で見つめて頷いて下さった。
おれは大勢の前田の兵に取り押さえられて、首を切り落とされたのだ。敵の手に落ちてたまるかと、おれの生首は中の丸から火の玉となって空を飛んだ。御主殿正門の石段を下りる途中、右側の石垣の角、下から三段目の隙間に生首は挟まった。そして、石垣の石の一つに変化した。だが、榧丸には石垣の石ではなく、おれの生首に見えるらしい。敵兵は御主殿正門とその下にある二階門櫓に火を放った。
榧丸は石段にうつ伏せに倒れこんだ。額を石に打ち付けるようにして、しばらく嗚咽をくりかえしていたが、やがて顔を上げる。石垣の石となっちまったおれに近づき、何度も口づけた。顔を指で何度もなぞって、優しく撫でてくれた。そして、竹筒の水をおれの顔にばしゃりと何度もかける。心地良い。榧丸の赤い唇も細い手指も何もかも、おれを慰めるためにある。
「熱かったろうね。竜兄、守り刀をありがとう。大切にするよ」
そう言って、おれの前にぺたりと座り込み、また泣きじゃくる。涙に濡れた顔もかわいらしい。
榧丸が涙をふき、石垣を見ると竜ノ介の生首は消えていた。そこには炎に焼かれた野面積の石垣があるだけだった。
(二)
城を出てからも、つらくて道ばたの草や石に突っ伏して何度も泣いた。心を落ち着けようと、傍らに咲いていた赤い曼珠沙華を一輪摘んだ。竜兄はこの花が好きだと言っていた。
「何故、葉が無い」
花が咲く頃に葉は消える。葉があるときに花は咲かない。花と葉は一生会えない。おれと竜兄みたいだ。
向こうから、編み笠に黒い小袖の若衆と、折編み笠の女が歩いて来る。慌てて涙を手の甲で拭う。女は背に赤子を背負っている。赤子が急に激しく泣きだした。若衆が赤子を背から下ろすと、母親に抱かせる。女の腰に下がっている、色あせた赤の巾着袋が目についた。どこかで見たことのある巾着袋だ。
「くりから丸や、お腹がすいたのね。お乳をあげようね」
母親は道の傍らに座り込み、粗末な着物の襟を緩めた。つきたての餅のような形の定まらぬ重そうな乳房を片手に乗せて、赤子に差し出す。さぞ、乳の出が良いのだろう。黒く熟れた果実のような乳首に吸い付く。赤子の頬が丸餅に見える。榧丸は立ち止まり、その光景をぼんやりと見つめていた。
立ち尽くしてこちらを見ている榧丸に気づいた二人は、編み笠越しから睨み返しててきた。何だ。なんて感じが悪い奴らだ。子どもや赤ん坊は好きだけど、あの二人は殺気立っていて怖い。関わらないほうがいいな。夫婦ではないようだが、旅の途中の姉と弟だろうか。曼珠沙華を手にした榧丸は、二度と目を合わせぬようにうつむき、足早に通り過ぎる。
もう涙も枯れた。相模川を舟で下って座間へ帰ろう。おれは竜兄のための刀を打つことだけが夢だった。それは今も変わらない。そうだ、また八王子で刀を作ればいい。竜兄のそばで暮らしたい。下原刀工は八王子へ戻るべきだ。
それにしても、ふっくらとした愛らしい赤子だった。くりから丸、倶利伽羅龍か。勇ましい名だな。あの赤子は男の子か。
「赤い蜘蛛よ、炎となって天に昇れ」
手にしていた曼珠沙華を、空に向かって放り投げた。
青い空に赤い花が浮かんで消えた。
0
あなたにおすすめの小説
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
【アラウコの叫び 】第2巻/16世紀の南米史
ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
insta:herohero_agency
tiktok:herohero_agency
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
影武者の天下盗り
井上シオ
歴史・時代
「影武者が、本物を超えてしまった——」
百姓の男が“信長”を演じ続けた。
やがて彼は、歴史さえ書き換える“もう一人の信長”になる。
貧しい百姓・十兵衛は、織田信長の影武者として拾われた。
戦場で命を賭け、演じ続けた先に待っていたのは――本能寺の変。
炎の中、信長は死に、十兵衛だけが生き残った。
家臣たちは彼を“信長”と信じ、十兵衛もまた“信長として生きる”ことを選ぶ。
偽物だった男が、やがて本物を凌ぐ采配で天下を動かしていく。
「俺が、信長だ」
虚構と真実が交差するとき、“天下を盗る”のは誰か。
時は戦国。
貧しい百姓の青年・十兵衛は、戦火に焼かれた村で家も家族も失い、彷徨っていた。
そんな彼を拾ったのは、天下人・織田信長の家臣団だった。
その驚くべき理由は——「あまりにも、信長様に似ている」から。
歴史そのものを塗り替える——“影武者が本物を超える”成り上がり戦国譚。
(このドラマは史実を基にしたフィクションです)
信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~
佐倉伸哉
歴史・時代
その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。
父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。
稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。
明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。
◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』でも同時掲載しています◇
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる