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第一章 人間革命

第2話 不信

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 学会員の執拗な誘いは渡辺が中小の工場に就職した後も続いた。渡辺の会社が繁忙期の時は夜の8時9時まで残業を強いられていたが、学会員は渡辺が帰宅するまで辛抱強く家の前に止めた車内で待っていた。
 玄関を開けた渡辺に母親が最初に放つ言葉は「男子部の人が待ってるよ」である。疲れているからと断ると、母親は私の顔を立てると思って一回だけでいいから、とお願いをしてくる。

 集会――創価学会では座談会と呼んでいる――は信者の家で行われる。20代から40代ぐらいの男性が10人近く集まるため、大きな家で開く必要がある。
 そこで渡辺は、入信していかに変わったかを力説される。お題目をあげるようにして、更生しただの借金返済できただの病気が治っただの夫婦仲がよくなっただの就職が決まっただのなんだのかんだの。
「毎日3時間4時間お題目あげてたら、3桁あった借金が返済できたんだよ!」とバキバキの目で言われても、渡辺からすればその時間働けばよいのでは? である。もちろん口には出さない。
「透君も悩みごととか困ったことがあるだろ?」と同じくバキバキの目で言われても、悩みや困ったことがあったところでお前らには言わないよ、である。
 次いで、聖教新聞を開いて記事についてああだのこうだの言い合う時間となる。それが終わると池田大作の素晴らしさについてああだのこうだの言い合う時間となる。

 会の終わり間際に周りを囲まれて書類に名前を書かされ、渡辺は無事に創価学会員となった。書かねば家に帰して貰えぬ状況だった故仕方ないだろう。

 さて、池田大作の立ち位置について、渡辺は未だに理解出来ずにいた。
 母親はよく「天皇制はおかしい。平等に反している。法律違反だ」などと文句を言っていたが、母親の部屋には池田大作夫妻の大きな写真が額で飾られている。
 
 渡辺を囲む学会員も、祖父母も母も親戚も、皆が皆「池田先生に従っていれば間違いない」を繰り返す。池田大作は神なのかと聞くと苦笑でもってそうではないと答える。

 20歳になった年から、投票を強制されるようになった。
 選挙の日は学会員が車で家にやってきて、何人も載せて一緒に選挙会場へ向かう。その社内で、マイクロバスを借りてやっているところもあると聞いた。
 会場に着くとどの党の誰の名前を書くかを指示される。当たり前だが、公明党である。素直が売りの渡辺は、学会員の指示したとおりの名前を書いていた。

 結果渡辺が得たのは、政治不信である。公明党に投票することが宗教的行為であるということは、公明党以外には投票できない。それは池田大作を否定することに繋がる。
 現に祖母などは「公明党に入れておけば間違いないから」と言っていた。そして、公明党が起こしてきた数々の実績を力説する。

 宗教は弱者の救済であると渡辺は思っている。だから公明党の政策は弱者貧困層や病人に優しい。基本的にやっていることは間違っていない。それは実績を見れば明らかである。
 それは、学会員にそっぽを向かれることが政治家としての終わりを意味する。実際にそれを述べている公明党議員もいる。

 母親による渡辺への信仰の押し付けは、23歳の時に母親が連れてきた老婆学会員との口論からの母親の号泣、その後実家を離れ上京した時に終りを迎えた。

 いや、正確にすると数年後に東京で一人暮らしをしている間に何度か学会員がやってきたことがあった。インターホンのカメラで見ていると、ぱっとしない顔をした男がドアの上部にある電気のメーターを指差し「動いてるからいると思うんだよね」と隣の同じくぱっとしない顔をした男に言った。
 いい歳して怒りの感情を抑えられない駄々っ子気質のある渡辺がカッとした勢いでドアを開け「いい加減にしろよ! 警察呼ぶぞ!」と怒鳴り散らすと、それ以降は来なくなった。

 その前の、口論からの母親の号泣である。狭い実家に渡辺が住むことが不可能なため、実家の近所のレオパレスに住むことととなった。その頃の渡辺は35歳の現在まで患い続けている統合失調症の症状が現れ始めた頃(ロンリー・グレープフルーツ参照https://www.alphapolis.co.jp/novel/956347457/442767961)であった。引き金は夜勤や交代制の仕事を転々とした結果、まともな睡眠が取れなくなったことと、数年同棲していた恋人に振られた(同参照)という二重のダメージがあったからである。

 眠れなくなり酒浸りとなり仕事に行けなくなり金もなくなり病院に行けなくなり光熱費や家賃が支払えなくなり、という地獄の状態であった。この頃の夢を月に一度は見るほどだから、相当なトラウマとなっているのだろう。
 生きている心地も皆無であった。まともに飯を食えるのは、日雇い派遣にありつけた時だけである。そしてその日雇い派遣から帰宅すると、学会員がアパートの前に立って待っている。ダブルで地獄、ダブヘルである。玄関は毎日投函される聖教新聞で敷き詰められている。
 それに加え、両親からの精神科に通うな薬を飲むなという圧があった。どうも渡辺の両親は息子が精神病であるということを認められぬようであった。狭い田舎である。家族の者が精神科に通うなど一族郎党の恥であるという考えもあった。

 お前は病気ではない。働きたくなくて病気を装ってるだけ。ただの甘え。病院には行くな。薬も飲むな。飲めば頭がおかしくなる。だから薬は見つけ次第全部捨てる。真面目に働け。親に苦労させるな。長男という自覚を持て。お前のせいで家族が迷惑している。

 渡辺の精神は病気、失職、金欠そして宗教と親の不理解で追い詰められていた。病気と失職と金欠は渡辺の自己責任であるが、宗教と親の不理解は違う。一度がつんと言わねばならぬと思っていた。
 連日連夜学会員を家に送り込むこと、聖教新聞を購読し勝手に配達していること、部屋に小さな仏壇を勝手に設置したこと。渡辺の預かり知らぬところで物事は進んでいた。進み続けていた。
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