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第二章 紆余曲折

第4話 上京

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 渡辺は19歳の時に実家を出た。22歳で実家に連れ戻されたものの実家は狭く渡辺分の余裕はなく、実家の近くに一人暮らしをすることになったものの自殺未遂をしでかし(ロンリー・グレープフルーツ参照)、市から生活費を借り(日本万歳!参照)年下女性と同棲するも半年で解消し、前章の老婆対決が起きた。

 母から絶縁宣言に近いものを言い渡された渡辺が頼ったのは、某巨大匿名掲示板で知り合い何年もネット上でやり取りを行っていたHというハンドルネームの男性だった。
 渡辺は一般的な田舎者と同じで、都会にとてつもないほどの憧れを抱いていた。東京に行けば出会いが増えて小説が世に出るチャンスがあるかもしれない、という淡い夢を見ていた。
 渡辺が上京をHに相談したところ、Hが住んでいる**区の家賃23000円のアパートに空きがあるとのことで、その勢いで深夜高速バスに13時間揺られ、上京した。生活を切り詰めて貯めた金で前家賃と礼金合わせて5万円を振込み、本やパソコンなど最小限の荷物を事前に送り、財布には数千円という状態での上京だった。
 アパートは4畳半、風呂なしトイレ共同。しかし追い詰められていた渡辺にとって、雨風凌げられればなんでもよかった。

 新宿駅に降り立った渡辺は、おそらく二度と実家には戻れないだろうという背水の陣な気分に浸っていた。

 田舎と違って東京はいくらでも仕事があった。個室ビデオの深夜アルバイトや駅前の牛丼屋に勤めたこともあった。しかし長続きはしなかった。
 東京に来ても結局、眠れなくなり酒浸りとなり仕事に行けなくなり金もなくなり病院に行けなくなり、という負のスパイラルに陥ってしまった。
 そんな折、Hから生活保護の受給提案を受けた。半信半疑のまま区役所の福祉課に行き担当者と面談の後書類を書くと、生活保護の受給が決定した。
 渡辺は上京してから生活保護の受給日までの数カ月間、いや生活保護を受給した後も、男Hから食料その他の支給を受けていた。渡辺にとって命の恩人であるのは誰の目から見ても明らかである。

 国に保護された生活はとても安定したもので、とても快適だった。毎月決まった額が決まった日に入り、家賃を支払い残りを生活費に当てる。病院での診察も薬も無料で、十分すぎる治療を受けられていた。
 渡辺は現在37歳になっても、月に一度は金も仕事もなかった頃の夢を見る。仕事を馘首になったが数日後に家賃の支払いがある、というような内容で、日払いのアルバイトを血眼になって探している時に目が覚める。汗だくで心臓は激しく鳴っている。目が覚めた瞬間、安堵する。

 十分すぎる治療を受けたから統合失調症がよくなる、というわけでもないことを渡辺は知ることになる。
 オーバードーズをやって救急車を呼ばれたり、アパートの住人と揉めて警察官を呼ばれたり、友人が目の前で飛び降りて死んだり、死にたくなる気持ちを誤魔化すために酒浸りの生活になったり、酒で睡眠薬を流し込んだり、様々な手段で自分を肉体的精神的に追い詰めてゆく。その結果が、一ヶ月間の閉鎖病棟生活(恋する閉鎖病棟第一部参照https://www.alphapolis.co.jp/novel/956347457/589767052/episode/7234668)であった。

 そこで紆余曲折あり、区を変更することとなった。つまり、引っ越しをしたわけだ。
 5畳ワンルームユニットバス木造築40年の物件に引っ越しをし、デイケアに通うこととなる。

 上京して生活保護を受け引っ越しをし、3年間デイケアに通い卒業し、気がつけば渡辺は20代後半になっていた。デイケアは若者向けで、15歳から30歳という年齢制限があったおかげで、友人に恵まれ毎日楽しく過ごしていた。が、統合失調症は寛解あれど完治なしとはよく言ったもので、渡辺はまたも閉鎖病棟へと入れられること(恋する閉鎖病棟第二部参照https://www.alphapolis.co.jp/novel/956347457/589767052/episode/7238475)となった。

 気がつけば体を拘束され、便器とベッドとテレビしかない保護室で一ヶ月生きた。保護室を出てから退院まで三ヶ月。入院中に電気けいれん療法を数回行ったせいで過去の記憶が混濁し、デイケアで知り合った何人もの友人の名前と顔だけしか覚えていないという状況に嫌気が差し、家族以外の人間の連絡先を削除した。

 退院する条件として酒を一切飲まないことを誓わされる。
 話すのは週に一度酒を飲んでいないかを監視する訪問看護師と、三ヶ月に一度やってくる相談員のみ。あとは5ちゃんねる。

 深夜に寝て昼に起きてなにか食って5ちゃんねる。ただそれだけの生活。正直家にいてもすることがなかった。読書や映画などすぐ終わってしまう。毎日無為に時間だけが過ぎてゆく。
 それどころか隣人が壊れた統合失調症患者で、なにかあるとすぐに文句を言いに来る。気を遣う生活にも疲れてしまっていた。

 そんな渡辺は、30歳になったのを期にB型福祉作業所に通うこととなる。週に4日、1日3時間。メインの作業は施設の清掃。体を動かすことを極端に嫌っていた渡辺にとってB型の作業は、かなりきついものがあった。
 デイケアと同じで人に恵まれ、現在に至るまで通い続けている。
 この紆余曲折の期間、特に後半は毎日時間を持て余していたため、様々な映画や本を読んだ。そこから少しずつ宗教というものに興味を抱いていく。

 最初はオウム真理教だった。
 たまたまなんとなく森達也監督のAとA2を観て興味を持ち、村上春樹のアンダーグラウンドとアンダーグラウンド2、江川紹子の裁判傍聴、高橋英利のオウムからの帰還、松本麗華の止まった時計などを貪り読んでいく。

 特に気になったのが、Aでの一コマ。施設内のゴキブリを餌で集めて山に捨てに行くというシーン。信者は笑顔で「殺生は禁止ですからね」と言っていた。
 殺生が禁止され肉を食べることもないオウム真理教が、大量殺人を起こしたという事実に、渡辺は今更ながら衝撃を受けた。

 では他の宗教はどうなのか。
 話によると聖書は世界で一番売れている本らしい。
 ただそれだけの理由で電子書籍で新約聖書を購入し、読んだ。
 ここから渡辺は宗教というものにのめり込んでいく。
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