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第1章 閉鎖病棟
第1話 入院
しおりを挟む川を渡っていた。歩けば歩くほど川は深くなっていった。気づけば首までの深さになっていた。いくら歩いても向こう岸にはたどりつけないことに疑問を抱くこともなくただひたすら歩き続けていた。そんな僕に主治医ははっきりと「入院したほうがいいね」と言った。
入院は決まったもののかかりつけの個人病院には入院施設がないため、家から数駅離れた精神病床600近くある大病院に、2月7日から入院することになった。そこは有名な作家も入院したことがある、昭和初期に開設された由緒正しい精神病院のようだ。
登山用のリュックサックに3日分の着替えを入れ、ビジネスバッグに洗面道具や煙草を詰めアパートをあとにした。電車に揺られること20分、そこから10分歩いてようやく病院にたどり着いた。冬なのに汗をかいてしまった。学校よりも大きい。入り口から受付までの距離も長い。中に入ると右手に入口があり左手に椅子が並んでいる。人で埋め尽くされており受付にも10人ほどが並んでいる。やっと自分の番がきたのでかかりつけの病院で貰った紹介状を提出する。そこからまた10分ほど待たされる。白衣を着たひょろながい男が近づいてきて営業スマイルで僕に挨拶をした。ケースワーカーと名乗ったが、ケースワーカーがなにをする人なのかわからないのでとりあえず軽く頭を下げておいた。
案内されるがまま病室に入る。ケース・ワーカーに、これまでの経緯について簡単に話をした。そこから家族構成など話が飛び、面談は三十分近く経っていた。この時点では、まだ僕が入院するかどうかはわからない。ケース・ワーカーがこれまでのことをカルテにし、また待たされること十分、あご髭を蓄えた、小太りの若い医者が僕に挨拶をした。どうやらこの病院での僕の主治医に当たる人のようだ。
ほとんど話をすることなく、主治医は「入院しましょう」と言った。そして、流れるように担当の看護師が二人やってきた。それからのことは簡単に述べる。検尿し、採血し、心電図をとり、三階へエレベーターであがり、二重の扉の間に位置する面会室にて荷物検査をし――当然持ってきていた数箱の煙草は没収され――六人部屋の入って左側、真ん中のベッドが僕にあてがわれた。荷物を置き、ベンチ・コートを脱ぐと、汗ばんでいた長袖のシャツがひやりとした。よし――と心の中で呟いた。今日から入院だ。時刻は昼の十一時。
閉鎖病棟に入院するのは今回が初めてだ。開放病棟と一番違うところは、出入り口だろう。二重構造になっており、当然鍵が閉まっていて、自由に出入りはできない。入口から入ってすぐにテレビと机と椅子が置かれた大きなロビーがあり、それを眺めるようにしてスタッフ・ステーションがある。右手につたっていくと僕が寝泊りしている病室があり、左手につたっていくと完全に閉鎖された個室があり、真ん中に進むと風呂と洗面所、そしてトイレがある。なんだか落ち着かないので部屋に戻り、ベッドごとに備え付けられているカーテンを閉めきって携帯でツイッターをしていると、担当だと言う四十代そこそこの女性看護師がやってきて、「申し訳ないんだけど、最初の三日間だけ携帯は預からせて貰います」と言った。携帯を奪われた。仕方がないので持ってきていた小説を開くも、集中できない。仰向けになり、ぼんやりと真っ白な天井を眺めていると、なんだか不思議な気持ちになってくる。まさか僕が閉鎖病棟に入院するとは……。いざこうしてみても実感がわかない。夢じゃないのか、と頬をつねってみるが、当然のごとく痛いだけで、これは夢ではないということを再確認させられる。
そのまますることもなくぼうっとしていると、また担当の看護師がやってきて、昼食なので食堂に来いという。連れられるがままにロビーへ行くと、二十人ほどの患者がロビーに集まって食事を待っている。出入り口のすぐ横にあるカウンターで名前を呼ばれるとトレイに載った昼食を看護師に貰い、それぞれ自由に食事を取っている。しばらく待つと僕の名前が呼ばれ、空いている椅子に座り食事をとる。今日はビーフ・カレーとサラダだ。数分で平らげ、トレイを返し、また部屋へと戻る。しかし、やることがないので、とりあえずロビーに行ってみることにした。ロビーには五、六人の老若男女がおり、それぞれめいめいに、読書をしたり携帯をいじったり、ロビーに備え付けられているテレビを見たりしている。そうだ、と思い、自室から小説を一冊持ってきてロビーで読んだ。ベッドで読むよりも、テーブルと椅子で読んだほうが没入できた。しかし、元々集中力がほとんどないため、それもしばらくで終わり、テレビを見ることにした。昼ドラが流れている。と、最前列でテレビを見ていたお爺さんがチャンネルを変えた。ニュースだ。閉鎖されている僕には関係のないニュース。誰が死のうが、なにが起ころうが、僕は蚊帳の外。
ふと周りを見渡すと、仲の良いグループがいくつかできあがっているようだ。老若の女性陣が固まってなんやかやと喋っている。男性陣は他人とつるむことなく、それぞれ新聞を読んだりテレビを見たりしている。
人間観察をあらかた済ませ、本当にやることがなくなったので、読書に向かった。さっきよりかは没入できる。そうしている内に夕方の五時半になり、夕食の時間となった。昼と同じようにトレイを貰い、席について食べる。夕食は焼き魚とサラダといんげんの胡麻和え。それを素早く平らげると、また読書に入る。しばらく読書をしていると、肩をとんとんと叩かれた。なんだろう、と思いながら振り向くと、老若の女性集団のひとりが僕の斜め後ろに立っていた。年齢は僕よりも少し上、二十八歳ぐらいだろうか。肌はあまり綺麗とは呼べず――といってもここじゃ化粧をしていないので、化粧をすれば肌も綺麗になるのだろうが――、たれ目の女の人だった。
「よく読書するんですか?」とたれ目の彼女。
「それ以外にすることないですからねぇ」と僕。
「それでもすごいと思いますよぉ」
女性と話すのは、僕の中で、五本の指に入るほど緊張する。言葉を震わせながら、一語一句確実に声に出す。しかしそればかり集中すると、会話の流れがよく見えなくなってしまう。
なにか喋ろうと決意した瞬間、たれ目の彼女は、「がんばって下さいね」と言い残し、女性陣の中へ帰っていった。
結論から述べると、顔でいえば完全に僕のタイプではない。僕はもっと攻撃的できつい性格の女性が好きだ。たれ目の彼女はおっとりしているように見えた。年齢的にはストライクゾーンなんだけど……と、まるで品定めをしているようなのでやめた。
思考を変えて読書に移ろうとするんだけど、頭の中にはさっき会話した、たれ目の彼女の顔が浮かんでくる。僕は昔から、女の人に仲良くされると、すぐに好きになってしまう。それがたとえ、落ちた鉛筆を拾ってくれたというレベルであっても。
ああ、そういうことか――
――閉鎖病棟初日から、恋をしてしまった――
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