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第1章 閉鎖病棟
第4話 会話
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二日間閉鎖病棟にいると、なんとなく雰囲気を掴みかけているのを実感する。風呂は、小さな銭湯風のものに週に三回、月水金と入ることができる。僕は一応、四日分のロンTとトランクスを持ってきているので、ぎりぎり足りることができる。洗濯は一回二百円、乾燥機は一回百円なので、週に使うお金は三百円程度だ。現金をそのまま使うのではなく、千円分のカードを購入し、それで、洗濯なり乾燥なりしなければならないのが面倒くさい。
真理さんとも、出会えば挨拶する関係になった。なにも急ぐことはない。ここにいる限りは、真理さんと嫌でも顔を合わせる。徐々に仲良くなっていけばそれでいい。それが重要だ。焦ったってなにもいいことはない。徐々に外堀を埋めるかのようにして、仲良くなればいいのだ。それには、真理さんと仲良くしている中年の男が邪魔になる。僕はいつの間にか、その男の行動を睨みつけるようにして逐一チェックするようになった。行動にひっかかるところはない。というよりも、病人に見えない。それは僕もよく言われることなのだが、この中年の男は、特に病人には見えない。しかし、それは他の患者にも言えることで、なにを言っているのかわからない、ふらふらとした同い年の男以外は誰もがまともに見える。真理さんだってそうだし、僕だってそう見られているのかもしれない。ということはこの閉鎖病棟は、軽度の病人が治療するところなのかもしれない――階数によって病気のレベルが変わるというのは、もっともっと後になってから知った。精神障害だって普通の怪我や病気と同じく、症状のレベルがあるのだ――。
ここに移る前のO病院の医師から、入院は一週間か二週間程度だろうと言われていたのを思い出した瞬間、僕には時間がほとんど残されていないということを気づかされた。早くアクションをして、真理さんとそれなりの関係にならなければならない! しかし、どうアクションを取っていいかわからない。そうこうしている内に三日目が来て、携帯を所持することを認められた。僕は早速ロビーの端にある、電話ルームと名づけられた個室に入り、地元の友人のKに電話をかけた。これまで彼女は何人も作り、ナンパも何度も経験している、女関係の相談ならKしかいない。ちょうどKの仕事が終わるのが夕方の六時程度なので、その時間を見計らって電話をかけた。
「おう、どうした」
「女の子にスムーズに連絡先を聞く方法を教えてくれ!」
少し声が大きかったかも知れない、と外をのぞいたが、分厚い壁なのか、誰もなんの反応もしない。真理さんは当然のように例の中年男性と喋っている。
「唐突だな」とKは笑いながら言った。
「いや、もう、時間がなくてさ!」
「シンプルに、連絡先を交換しない? でいいんじゃね。大体断られないよ」
「そうか、オッケー、それでいこう」
残りは少しだけ雑談をして、電話を切った。僕はその携帯を握りしめたまま真理さんのところへ行って、そのまま素通りして自分の病室へ入った。
なにをやっている!
自分を叱責する。いったい僕はなにをやっているんだ! いい歳こいて、女性に連絡先一つも聞けやしない。これほどまでに自分が嫌になったことなど、果たしてあっただろうか。あったな。色々。その色々が積み重なって今があるわけだが、その中には、ああしておけばよかった、こうしておけばよかったという後悔だって大量にある。真理さんに連絡先を聞くかどうかで悩んで、結局聞けずに退院して、「ああ、あの時ちゃんと聞いておけばよかった!」と後悔するのは目に見えている。目に見えているのにも関わらず、連絡先を聞くことができない。情けなさの極みだ。草食系男子の代表者だ!
意味もなく、病室とロビーを何度も行き来する。だいたい断られない、と。たしかにそうだな。自分に置き換えてみる。僕が女性から連絡先を聞かれても、断ることはないだろう。
そうこうしている内に、朝のOTがやってきた。今回はカラオケだ。女性のスタッフが、カラオケ機材を持ってきて、ロビーに備え付けられているテレビに繋げる。参加者は五人ほど。僕も半ば強制的に参加させられた。といってもカラオケは僕は大好きなので、全然構わないのだが、人前に立つことが苦手な僕は、なかなか知らない人の前で歌うことができない。それでも僕はカラオケに行けばいつも歌うヒップ・ホップ・ミュージシャンの曲を入れた。そしてそれを歌った。マイクを持つ右手が震えながら。すると若い女の子が僕に近づいてきて、「すごい上手ですね! 私、兄の影響でこの曲大好きなんです!」と言った。「ありがとう」と返す。正直どうだっていい。というのは、この褒めてくれた女の子が年下に見えるから。僕は年上が好きだ。それに、これから愛しの真理さんがカラオケを歌うんだから、そんな無駄話している場合じゃない! 真理さんは低い声で流行りのポップ・ミュージックを歌った。僕は、なにかを話しかけねば! とずっと思っていたので、「落ち着いた感じで上手ですね」と話しかけた。そう、話しかけたのだ! これまで話しかけられはしても、話しかけはしなかったのに、今日はスムーズに聞くことができた。真理さんは、「そうですか? ありがとうございます」と微笑みながら言った。会話はそこで終わったが、僕にとってしてみればそれで十分だった。
二人で会話をしたということが重要であって、内容などはどうだっていいから!
それから僕は、有頂天の気持ちでベッドに寝転がっていた。読書をしようにも、文章が頭に入らない。しかし、最大のミッションが残っている。それを考えた瞬間、さっきの喜びがすべて消え失せた。連絡先を交換しなければならない。それが一番であって、会話をするなどというのは些細なことだから。
晩御飯を食べている時も、部屋に戻って読書している時も、僕の頭の中は、真理さんにどのようにして連絡先を聞くか、というものに支配されていた。Kの言ったように気軽に聞くのがベストだと思う。連絡先の交換だの、難しく考えることじゃない。後で教えたのを後悔したら、アドレスを変更するなり番号を変更するなりすればいいだけで、その程度のことなんだよ。しかしその程度のことができない。
真理さんとも、出会えば挨拶する関係になった。なにも急ぐことはない。ここにいる限りは、真理さんと嫌でも顔を合わせる。徐々に仲良くなっていけばそれでいい。それが重要だ。焦ったってなにもいいことはない。徐々に外堀を埋めるかのようにして、仲良くなればいいのだ。それには、真理さんと仲良くしている中年の男が邪魔になる。僕はいつの間にか、その男の行動を睨みつけるようにして逐一チェックするようになった。行動にひっかかるところはない。というよりも、病人に見えない。それは僕もよく言われることなのだが、この中年の男は、特に病人には見えない。しかし、それは他の患者にも言えることで、なにを言っているのかわからない、ふらふらとした同い年の男以外は誰もがまともに見える。真理さんだってそうだし、僕だってそう見られているのかもしれない。ということはこの閉鎖病棟は、軽度の病人が治療するところなのかもしれない――階数によって病気のレベルが変わるというのは、もっともっと後になってから知った。精神障害だって普通の怪我や病気と同じく、症状のレベルがあるのだ――。
ここに移る前のO病院の医師から、入院は一週間か二週間程度だろうと言われていたのを思い出した瞬間、僕には時間がほとんど残されていないということを気づかされた。早くアクションをして、真理さんとそれなりの関係にならなければならない! しかし、どうアクションを取っていいかわからない。そうこうしている内に三日目が来て、携帯を所持することを認められた。僕は早速ロビーの端にある、電話ルームと名づけられた個室に入り、地元の友人のKに電話をかけた。これまで彼女は何人も作り、ナンパも何度も経験している、女関係の相談ならKしかいない。ちょうどKの仕事が終わるのが夕方の六時程度なので、その時間を見計らって電話をかけた。
「おう、どうした」
「女の子にスムーズに連絡先を聞く方法を教えてくれ!」
少し声が大きかったかも知れない、と外をのぞいたが、分厚い壁なのか、誰もなんの反応もしない。真理さんは当然のように例の中年男性と喋っている。
「唐突だな」とKは笑いながら言った。
「いや、もう、時間がなくてさ!」
「シンプルに、連絡先を交換しない? でいいんじゃね。大体断られないよ」
「そうか、オッケー、それでいこう」
残りは少しだけ雑談をして、電話を切った。僕はその携帯を握りしめたまま真理さんのところへ行って、そのまま素通りして自分の病室へ入った。
なにをやっている!
自分を叱責する。いったい僕はなにをやっているんだ! いい歳こいて、女性に連絡先一つも聞けやしない。これほどまでに自分が嫌になったことなど、果たしてあっただろうか。あったな。色々。その色々が積み重なって今があるわけだが、その中には、ああしておけばよかった、こうしておけばよかったという後悔だって大量にある。真理さんに連絡先を聞くかどうかで悩んで、結局聞けずに退院して、「ああ、あの時ちゃんと聞いておけばよかった!」と後悔するのは目に見えている。目に見えているのにも関わらず、連絡先を聞くことができない。情けなさの極みだ。草食系男子の代表者だ!
意味もなく、病室とロビーを何度も行き来する。だいたい断られない、と。たしかにそうだな。自分に置き換えてみる。僕が女性から連絡先を聞かれても、断ることはないだろう。
そうこうしている内に、朝のOTがやってきた。今回はカラオケだ。女性のスタッフが、カラオケ機材を持ってきて、ロビーに備え付けられているテレビに繋げる。参加者は五人ほど。僕も半ば強制的に参加させられた。といってもカラオケは僕は大好きなので、全然構わないのだが、人前に立つことが苦手な僕は、なかなか知らない人の前で歌うことができない。それでも僕はカラオケに行けばいつも歌うヒップ・ホップ・ミュージシャンの曲を入れた。そしてそれを歌った。マイクを持つ右手が震えながら。すると若い女の子が僕に近づいてきて、「すごい上手ですね! 私、兄の影響でこの曲大好きなんです!」と言った。「ありがとう」と返す。正直どうだっていい。というのは、この褒めてくれた女の子が年下に見えるから。僕は年上が好きだ。それに、これから愛しの真理さんがカラオケを歌うんだから、そんな無駄話している場合じゃない! 真理さんは低い声で流行りのポップ・ミュージックを歌った。僕は、なにかを話しかけねば! とずっと思っていたので、「落ち着いた感じで上手ですね」と話しかけた。そう、話しかけたのだ! これまで話しかけられはしても、話しかけはしなかったのに、今日はスムーズに聞くことができた。真理さんは、「そうですか? ありがとうございます」と微笑みながら言った。会話はそこで終わったが、僕にとってしてみればそれで十分だった。
二人で会話をしたということが重要であって、内容などはどうだっていいから!
それから僕は、有頂天の気持ちでベッドに寝転がっていた。読書をしようにも、文章が頭に入らない。しかし、最大のミッションが残っている。それを考えた瞬間、さっきの喜びがすべて消え失せた。連絡先を交換しなければならない。それが一番であって、会話をするなどというのは些細なことだから。
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