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第1章 閉鎖病棟
第9話 外泊
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そうこうしている内に、昼飯の時間になる。僕は、六人がけのテーブルにひとりで座って飯を食う。誰も僕には話しかけてこない。僕も誰にも話しかけない。
今日のOTはビデオ鑑賞だ。日本人のすごい芸人々を紹介していく、というもの。あまり興味が持てなかったので、僕は端のほうで――当然、ビデオを鑑賞している真理さんの背中が見える位置で――読書をしていた。
はっと思い出した。洗濯しないと、明日風呂に入った後着るものがない! あわててベッドに戻り、汚れた衣類を両手に持ち、口に残金四百円のカードを咥え――洗剤はない――洗濯場へと駆け込んだ。ひとつ空いていたのでそこに衣類を放り込み、カードを挿入する。洗濯一回で二百円……。暴利だ。しかし、それに従うしかない。四十分との表示がされたので、それまでロビーで読書をする。途中、刈り上げ男がやってきて少し話したぐらいで、他はなにもない。あのですね、ひとつだけ言わせてもらいたいことがあるんですが、本当に毎日毎日なにもないんですよ。なにか突拍子もないイベントが起こるわけ――
がつんという鈍い音がした。
――ん? 視線を出入り口とナースセンターのある左へと移す――。
かなり太った中年男が、自分の体を、あの絶対に開かない二重扉に、何度も何度も体をぶつけている。その度に静寂したロビーに大きな音が鳴り響く。
「ぼ、僕は、ゆうしぇんがききちゃいんだ!」
看護師が十人ほど慌ててやってきて、かなり太った中年男を羽交い締めにする。
「CDのコンポあるから、これを有線放送替わりにすればいいじゃない!」と一人の男性看護師が言う。
「だ、ダメなんだ、僕は、ゆうしぇんがききちゃいんだ!」
しばらくして、女性看護師が、かなり太った男性の腕になにかを注射すると、ぐったりとなり、看護師総出で、奥にある個室へと運ばれていった。意外とあるよね、突拍子もないイベント。
しかし、まぁ……と考える。僕もそうなんだけど、別に好きで精神障害になったわけじゃない。あのかなり太った中年男だって、好きでああなったわけでもないし、好きで個室で拘束されているわけではない。好きで薬を一日数十錠飲んでるわけでもないし、好きでここにいるわけでもない。ちいさなちいさな歯車が少し狂っただけで、僕たちは精神障害イコール頭がおかしいやつ、という認識をされる。誰が悪いんだ! って言っても、誰も悪くない。
そんなことを考えていると、晩飯の時間となった。今日の晩飯は、サラダとブリの照り焼き。またもやブリの照り焼き。嬉々としていただく。食べ終わったら読書をして、八時半に薬を飲む。そして九時に消灯。当然寝られるわけがないので、三回睡眠薬の頓服を貰いに行く。携帯でラジオを聞きながら、部屋の中が、見回りの看護婦が持つ懐中電灯で照らされたら布団をかぶり、寝ているふりをする。
は。
意中の女性に連絡先も聞けず、ただ毎日無意味に時間を潰し、頓服を三度もらっても寝られないというこの体たらく。
は。
「は」と声に出してみた。なにも変わらない。「願いを三つ叶えよう」などという妖精は現れない。その代わりに看護師がやってきた。携帯とイヤホンを隠し、天井を見つめる。すると僕のベッドのカーテンが開けられた。
小声で「最近頓服三回飲んでるけど眠れないの?」
小声で「そうですね、三回飲んでも寝られません」
小声で「じゃあ明日T先生――主治医――来るから伝えておこうか?」
小声で「あ、はい、お願いします」
そうして看護師は去っていった。
僕がベッドの上で気絶していると、いつもと違う足音が聞こえた。ゆっくりと目を開けてゆっくりと体を起こす。足音は僕のベッドの前で止まった。
「寝られないんだって?」
あご髭を蓄えた、主治医のT先生だ。
僕はまだ眠りから覚めたばかりなので、朦朧としながら頷いた。
「じゃあ寝る前の薬に睡眠薬足しておくから。あと措置入院じゃなくて任意入院にするから。それから――退院前に一度家に帰ってもらうから」
睡眠薬足されたか。なにを足したのろう。ベゲダミンかな。任意になったらいつでも退院できるんだよな。家か。家汚いんだよな。
今日は風呂の日なので、昼飯を食ったら風呂へ入る。思いっきり湯船に浸かる。思わず声が漏れる。僕の住んでいるアパートは、風呂なしトイレ共同なので、銭湯に行くしかこんなお大きな湯船に浸かれることはない。銭湯は有料だが、ここは無料だ。時間いっぱい風呂を楽しんで、ゆっくりとあがった。
すると、担当の看護師が僕のもとへやってきた。なんだろうと思っていると、朝に主治医が言ったことだった。一度家に帰って家の生活に慣れるために一泊するという。僕は内心、二日近く真理さんと会えなくなるという気持ちと、久々に煙草が吸えるという嬉しさに引き裂かれそうになっていた。
真理さんに会えない――煙草が吸える。
真理さんに会える――煙草が吸えない。
「家に帰るのは強制ですか?」
「そうですよ」
電車を乗り継いで家に帰る。トイレ共同風呂なしの四畳半。軽い手荷物を部屋に置いた後、世話になっているH氏の部屋へと行く。ノックをし、中へ入ってコーヒーをもらい、久々に煙草を吸った。ヤニクラだ。それから僕はH氏にそろそろ退院だと言った。H氏は一言、よかったねぇと言った。それから僕たちは小説の話で盛り上がった。僕は入院中一日一冊読んでいたので、いろいろと話ができた。
一時間ほど話して、僕は自室に戻った。そしてパソコンを立ち上げ、インターネットに勤しんだ。
夜になり、久々にH氏の手料理を食べた。鶏皮鍋だ。これがうまい。とろとろになった鶏皮がご飯にあう! 野菜たちも柔らかくなっていてこれもうまい! ――ただし、三度目の鶏皮鍋で飽きてしまうのだが――
起きたら病院に戻らなければならない。僕は、読み終わった本をリュックから本棚に戻し、まだ読んでいない――なおかつそういう時でしか読まないでああろおう本――を選んでリュックに入れた。そしてH氏にしばしの別れを告げ、電車で揺られ病院へ。
今日のOTはビデオ鑑賞だ。日本人のすごい芸人々を紹介していく、というもの。あまり興味が持てなかったので、僕は端のほうで――当然、ビデオを鑑賞している真理さんの背中が見える位置で――読書をしていた。
はっと思い出した。洗濯しないと、明日風呂に入った後着るものがない! あわててベッドに戻り、汚れた衣類を両手に持ち、口に残金四百円のカードを咥え――洗剤はない――洗濯場へと駆け込んだ。ひとつ空いていたのでそこに衣類を放り込み、カードを挿入する。洗濯一回で二百円……。暴利だ。しかし、それに従うしかない。四十分との表示がされたので、それまでロビーで読書をする。途中、刈り上げ男がやってきて少し話したぐらいで、他はなにもない。あのですね、ひとつだけ言わせてもらいたいことがあるんですが、本当に毎日毎日なにもないんですよ。なにか突拍子もないイベントが起こるわけ――
がつんという鈍い音がした。
――ん? 視線を出入り口とナースセンターのある左へと移す――。
かなり太った中年男が、自分の体を、あの絶対に開かない二重扉に、何度も何度も体をぶつけている。その度に静寂したロビーに大きな音が鳴り響く。
「ぼ、僕は、ゆうしぇんがききちゃいんだ!」
看護師が十人ほど慌ててやってきて、かなり太った中年男を羽交い締めにする。
「CDのコンポあるから、これを有線放送替わりにすればいいじゃない!」と一人の男性看護師が言う。
「だ、ダメなんだ、僕は、ゆうしぇんがききちゃいんだ!」
しばらくして、女性看護師が、かなり太った男性の腕になにかを注射すると、ぐったりとなり、看護師総出で、奥にある個室へと運ばれていった。意外とあるよね、突拍子もないイベント。
しかし、まぁ……と考える。僕もそうなんだけど、別に好きで精神障害になったわけじゃない。あのかなり太った中年男だって、好きでああなったわけでもないし、好きで個室で拘束されているわけではない。好きで薬を一日数十錠飲んでるわけでもないし、好きでここにいるわけでもない。ちいさなちいさな歯車が少し狂っただけで、僕たちは精神障害イコール頭がおかしいやつ、という認識をされる。誰が悪いんだ! って言っても、誰も悪くない。
そんなことを考えていると、晩飯の時間となった。今日の晩飯は、サラダとブリの照り焼き。またもやブリの照り焼き。嬉々としていただく。食べ終わったら読書をして、八時半に薬を飲む。そして九時に消灯。当然寝られるわけがないので、三回睡眠薬の頓服を貰いに行く。携帯でラジオを聞きながら、部屋の中が、見回りの看護婦が持つ懐中電灯で照らされたら布団をかぶり、寝ているふりをする。
は。
意中の女性に連絡先も聞けず、ただ毎日無意味に時間を潰し、頓服を三度もらっても寝られないというこの体たらく。
は。
「は」と声に出してみた。なにも変わらない。「願いを三つ叶えよう」などという妖精は現れない。その代わりに看護師がやってきた。携帯とイヤホンを隠し、天井を見つめる。すると僕のベッドのカーテンが開けられた。
小声で「最近頓服三回飲んでるけど眠れないの?」
小声で「そうですね、三回飲んでも寝られません」
小声で「じゃあ明日T先生――主治医――来るから伝えておこうか?」
小声で「あ、はい、お願いします」
そうして看護師は去っていった。
僕がベッドの上で気絶していると、いつもと違う足音が聞こえた。ゆっくりと目を開けてゆっくりと体を起こす。足音は僕のベッドの前で止まった。
「寝られないんだって?」
あご髭を蓄えた、主治医のT先生だ。
僕はまだ眠りから覚めたばかりなので、朦朧としながら頷いた。
「じゃあ寝る前の薬に睡眠薬足しておくから。あと措置入院じゃなくて任意入院にするから。それから――退院前に一度家に帰ってもらうから」
睡眠薬足されたか。なにを足したのろう。ベゲダミンかな。任意になったらいつでも退院できるんだよな。家か。家汚いんだよな。
今日は風呂の日なので、昼飯を食ったら風呂へ入る。思いっきり湯船に浸かる。思わず声が漏れる。僕の住んでいるアパートは、風呂なしトイレ共同なので、銭湯に行くしかこんなお大きな湯船に浸かれることはない。銭湯は有料だが、ここは無料だ。時間いっぱい風呂を楽しんで、ゆっくりとあがった。
すると、担当の看護師が僕のもとへやってきた。なんだろうと思っていると、朝に主治医が言ったことだった。一度家に帰って家の生活に慣れるために一泊するという。僕は内心、二日近く真理さんと会えなくなるという気持ちと、久々に煙草が吸えるという嬉しさに引き裂かれそうになっていた。
真理さんに会えない――煙草が吸える。
真理さんに会える――煙草が吸えない。
「家に帰るのは強制ですか?」
「そうですよ」
電車を乗り継いで家に帰る。トイレ共同風呂なしの四畳半。軽い手荷物を部屋に置いた後、世話になっているH氏の部屋へと行く。ノックをし、中へ入ってコーヒーをもらい、久々に煙草を吸った。ヤニクラだ。それから僕はH氏にそろそろ退院だと言った。H氏は一言、よかったねぇと言った。それから僕たちは小説の話で盛り上がった。僕は入院中一日一冊読んでいたので、いろいろと話ができた。
一時間ほど話して、僕は自室に戻った。そしてパソコンを立ち上げ、インターネットに勤しんだ。
夜になり、久々にH氏の手料理を食べた。鶏皮鍋だ。これがうまい。とろとろになった鶏皮がご飯にあう! 野菜たちも柔らかくなっていてこれもうまい! ――ただし、三度目の鶏皮鍋で飽きてしまうのだが――
起きたら病院に戻らなければならない。僕は、読み終わった本をリュックから本棚に戻し、まだ読んでいない――なおかつそういう時でしか読まないでああろおう本――を選んでリュックに入れた。そしてH氏にしばしの別れを告げ、電車で揺られ病院へ。
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