上 下
42 / 73

ぼんさんが屁をこいた

しおりを挟む
 元々はこの辺りを牛耳る地主だったのだろうか、それとも田舎はこれぐらいが当たり前なのだろうか、私 には判別が付きかねるのだが、想像の範疇を超えたほどの大きな木造の一軒家を目の前にして、これからここで私がやる行為を考えると全身が震えてしまい、そ の勢いで思い切り大きな屁をこいてしまった。私の顔はみるみるうちに赤く染まり、何もしらない鼻水を垂らしたクソガキが指を指し「蛸だぁ~蛸だぁ~」と 笑っている。確かに剃り上げた頭に真っ赤な顔とくれば、蛸だと思ってしまうのも致し方ないことではある。判別のつく大人なら、思ってしまっても口には出さ ないだろうが、間抜けそうな面構えをした我慢を知らぬクソガキならつい言ってしまうのも致し方ない。
 そうしている内にぞろぞろと喪服を着た人々 が家にやってき、私の中に渦巻いていた焦りがより一層酷くなり、だらだらと滝のように汗を流してしまった。何もしらない鼻水を垂らしたクソガキが指を指し 「シャワー浴びてるぅ~シャワー浴びてるぅ~」と笑っている。このクソガキが! という怒号がのど元までこみ上げてきたが我慢して飲み込み、矛先を失った 怒りはすぐ横で寝ていた猫を蹴り飛ばすことで解消された。
 一度ここでリハーサルをしてみようと「なんみょう」まで口に出したのだが、果てさてそ れ以上の言葉が出てこぬではないか。なりたての若い衆ならまだしも、この道四十年のベテランである私が、忘れるはずはない。もう一度。「なんみょう」おか しいもう一度。「なんみょう」なんということだ。「万葉」違う違う。「産業」今度こそ。「なんみょうほ「ほうれんそう!」」何もしらない鼻水を垂らしたク ソガキが庭の隅にある畑を指差して言った。出掛かっていたのに! このクソガキが! という怒号がのど元までこみ上げてきたが我慢して飲み込み、矛先を 失った怒りはすぐ横で何もしらずに鼻水を垂らしたクソガキの脳天に拳を叩き込むことによって解消された。
「ちょっといくら坊主だからって子供を殴っていいわけないでしょう!」
 きつい化粧を施したクソガキの母親が怒りの形相で私に突っかかってきた。痛がって泣いていた鼻水を垂らしたクソガキが母親を指差し「蛸だぁ~蛸だぁ~」と笑っている。「顔が赤けりゃなんでも蛸なのか!」
「ちょっといくら坊主だからって子供を怒鳴っていいわけないでしょう!」
 きつい化粧を施したクソガキの母親が宙に浮きながら私に突っかかってきた。舌をぺろんちょと出した悪ガキ風のクソガキが母親を指差し「麻原しょうこ~だぁ~麻原しょうこ~だぁ~」と笑っている。
「死刑はいつ執行されるのかしらね」と母親がより一層高く浮きながら呟いた。
「さすがの私にもそれはわかりかねますよ」と坊主である私が言った。
  そんな母子も私の元から離れてくれて、ようやく私は解放された。一度ここでリハーサルをしてみようと「なん」まで口に出したのだが、果てさてそれに続くこ とばが「かいキャンディーズ」しか思い浮かばぬではないか。テレビを良く見る若い衆ならまだしも、テレビは低俗なものと常に言い続けている私が、そんなも のを思い浮かべるわけがない。もう一度。「なんかい」おかしいもう一度。「南海」なんということだ。「乾杯」
「「「「「かんぱ~い!」」」」」
  もうすでに出来上がってしまっている男どもが私の周りを取り囲み、それぞれに持っていたグラスに酒を注ぎ、飲み続けている。かなりの酒豪として次々の飲み 屋を泣かしてきた私も黙っちゃおれんと一人の男から一升瓶を引ったくり、「ええいグラスに注ぐのも面倒だ!」と一升瓶をラッパ飲みした。しかしそれは酒で はなく、タバスコだった。
「うおおおおおおおおおおお」という私の叫び声が口から出るのと同時に、燃え盛る炎が当たり一面を焼き払った。
「空襲警報! 空襲警報!」という放送が鳴り響く。村人たちは一斉に防空壕へと逃げ込む。私の頭上にB-29が飛来する。B-29から落とされた爆弾が私の周りに降り注ぎ、そして私は死んだ。
しおりを挟む

処理中です...