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Life is beautiful (プロトタイプ版)

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 透が小学二年生の時に父親が他に女を作り家を出てから、母親は寝る間も惜しんで働き詰め、少ない給料をやりくりしながら、四畳半一間の安いアパートで二人で暮らしていた。小学生の時こそ、透にはなぜ父親がいないのかわからなかったが、中学に上がれば、成長したのだろうか、なんとはなしにわかってくる。生活が苦しいというのもわかっていたので、透は母のパート先の知り合いから新聞配達のアルバイトを紹介して貰い、学校に通いながらバイトをし、家計を助けていた。
 幸いにも透は社交的な性格で、クラスメイトからいじめられる事も無かった。それどころか、助けて貰っていた。着なくなった服を貰ったり、筆記用具を貰ったり。それは母親も同じで、同じアパートの主婦たちから作り過ぎたから、と夕食を貰ったりしていた。二人の生活は辛いものだったが、慎ましく暮らしていた。

 中学一年の夏休みに入ると、透はこれまで朝刊しか配らなかったのを、夕刊も配る事にした。この頃の透は本当に頑張っていた。というのも、母親が過労により仕事をあまり入れられなくなったからだ。その母親の分までアルバイトに精を出し、勉強も怠らずに頑張っていた。透の口癖は、「勉強頑張って、大学卒業して、お母さんみたいな困っている人を助ける」だった。

 その日の深夜二時に日課である新聞配達を終え、母親の待つアパートへ帰る道すがら、喉が渇いたので公園に入り水を飲んでいた。真っ暗な公園には透以外誰もいない……はずだった。四人の影。皆が皆派手な髪色を伸ばし、煙草を吸いながら静かに透の背後へ近づいた。透はその足音に気づき、水を飲むのを止め、振り向いた。
「え……あの……」と透はつぶやいた。恐怖でしかなかった。深夜の公園で、自分より年上の人間が目の前にいる。それも、一人ではなく四人だ。金髪で背の低い一人が吸い終えた煙草を地面に落とし、スニーカーで揉み消して言った。
「こんな夜中に何やってるの?」
「いや、バイトが終わって、今から、帰るところです」
 そう答えると、金髪は笑顔で「一人なの?」と言った。その笑顔により、透を支配していた恐怖心は少し和らいだ。透は「そうです」と答えると、他の三人も「この辺危ないよ」と言った。何だ、自分を心配してくれているだけなんだ。
「な、お前らどうする? この子家まで送って行かね?」と金髪が言うと、他の三人はそれに同意した。しかしそれでも恐怖心は少なからずあったので、「いや、大丈夫ですよ、家、すぐ近くなんで」と断ると、他の三人の内の一人、太った緑色頭が「え? 何? 俺らの親切心を断るって言うわけ?」と透の胸倉を掴んだ。金髪は笑いながら「おいおい、やめろよ」と言うと、残りの二人、茶髪の太った男と厚化粧をした女が笑った。「キー君怖いって」「ガキ相手に何やってんの」するとキー君と呼ばれた緑色頭は胸倉を掴んだまま勢いをつけて前へ突き出した。透は地面にしりもちをついた。透の頭の中は混乱していた。どうしよう、どうしよう、どうすれば、どうすれば……。
「いやだからさぁ、俺らがさ、親切にしてやってるのに、何でそれ断るわけ?」と緑色頭が透を睨み付けた。すると笑っていた太った男と厚化粧も突然顔色を変え、「てめぇ舐めてんのか!」「俺ら怒らせんの?」「うわやっば、この三人怒らせるとヤバイよ」と次々に言葉を出した。透の体は完全に凍り付いていた。すると突然緑色頭が透の顔面を靴裏で踏みつけた。鈍い音が鳴り、透は小さな悲鳴を上げた。「ほらほら、キー君に謝んなって」と厚化粧がにやにやと笑いながら言う。透は踏みつけられた顔に右手をやった。透は鼻血を出していた。
「い……あ……」透の声にならない声を上げると、金髪がポケットからティッシュを取り出し、差し出してきた。「ごめんね、コイツすぐカッとなるから。もう行っていいよ」
 透はティッシュを受け取るも、鼻血を拭く余裕すら無く、ただ茫然と地面にへたり込んでいた。見かねた金髪が透の右手を掴んで立たせた。助かった……と透が安堵したのもつかの間、突然顔色を変えた金髪が透の右頬を思い切り殴りつけた。体は吹き飛び、水飲みのコンクリート壁に背中がぶつかった。右頬と背中が同時にじんじんと痛む。
「あのさぁ」と金髪は透に近づきながら言った。「俺ら暇してんだよね」
 透の目頭に涙が浮かんだ。「泣いてんじゃねえぞこらぁ!」と緑色頭が叫ぶと、透の体がびくりと震えた。すると太った男がどこからか木製のバットを握りしめてやって来た。「ちょっと俺、一度でいいからバットで人殴ってみたかったんだよね」と言いながら、太った男がバットを振り上げた。厚化粧はげらげらと笑っている。透は身動き一つ取れず、ただ恐怖心から目をぎゅっと瞑った。ごつん、という鈍い音がし、透の頭にこれまで経験した事の無い痛みが走った。つい叫び声を上げた。すると四人はそれを見てげらげらと笑った。透がゆっくりと目を開こうとした瞬間、右腕に鋭い痛みが走った。また透は叫び声を上げた。
「根性焼き~!」「ぎゃははははは!」
 無理やり立たされ、ライターの火で髪の毛を焼かれ、頭蓋骨を割られ、肋骨を折られ、バットで散々殴りつけられ、酷くなるにつれて透は無意識の内に痛みを感じないようになっていた。苦しさの余り泣きながら地面に嘔吐すると、四人はまたげらげらと笑った。すると厚化粧が「ちんこ潰そうよ」と言った。三人は同意し、厚化粧は透のデニムのパンツとボクサーショーツを強引に脱がせ、仰向けになって倒れている透の下半身に、手のひら大の石を何度も透の股間に叩きつけた。その時にはもう透は気を失っていた。
 どれほどの時間が経っただろうか、四人は透をいたぶるのに飽き、笑いながら公園を後にした。そこにたまたま通りかかった男性が透に近づき、救急車を呼んでくれ、何とか一命は取り止めた。しかし、透の受けた暴行は、肉体的に、そして精神的に透を蝕んだ。
 点滴を受けながらベッドに横たわる透の顔には、表情というものが無くなっていた。包帯とギブスで体は殆ど見えない。左目は潰されており、眼帯を付けている。母親はただひたすら透のベッドに寄りかかりながら泣き続けていた。警察も病室にやってきたが、透が一切何も喋れないので、何も聞きだす事が出来ず、去って行った。その後に初老の医者がやってきて、母親だけを廊下に連れ出した。母親は泣き叫んでいた。「透は! 透は! 透は大丈夫なんですよね!?」
 すると医師は重い口を開けた。「落ち着いて聞いてください。息子さんの状態はかなり悪いです。折られた肋骨と右腕は治癒するのを待つしかありません。潰された左目は一生治ることはありません」それだけでも母親にとってきついものだった。しかし最後に医者は付けたし言った。「生殖器を潰されています。治しようがありません。それと、頭蓋骨を割られたため、知的障害と記憶障害が残っています。普通の生活は……難しいかもしれません」
 それを受けて、母親は一日中泣き腫らした。パートも全て辞め、病室に寝泊まりを続けた。
 何日経っても、透は一言も話さず、無表情で、母親が声を掛けても反応すらしなかった。

 その日は透が通っている特別学校の国語の時間だった。作文を書いてそれを発表する。車いすに座ったまま、透はたどたどしく作文を読み上げた。テーマは、家族について。
「ぼ、く、の、お、か、あ、さ、ん、――」
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