虚無・神様のメール・その他の短編

れつだん先生

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ラヴ&デヴ2016

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 心地よい風と暖かい太陽の光を浴びながら、子守唄のような教師の声を聞いていると、徐々に瞼が重くなっていく。読みかけの漫画を読もうか、音楽を聞こうか……。何をしてもばれることはない。窓際の一番後ろの席ってのはそういうもの。教室でこれ以上にいい場所なんて無いだろう。一番前に偉そうに立って騒いでいる教師が俺を見ることも無い。自分の運の良さをほめてあげたいね。
 それだけなら、胸を張って「今年で高校生活も終わりだ」なんてしんみりとした感情でいられるのだけど、三年の中盤に悲劇は起こった。というよりも、席替えをしたその瞬間から、悲劇は現在進行形で起きていた。
 時計の針が昼に近づいていくと同時に、熱気が俺の体にまとわりつくのを感じた。貧乏揺すりによる床を叩き付ける小さな足の音が、荒い息遣いが、うるさい。暑い。面倒くさい。
 どれだけ食ったらそんな体になるんだ? 体質的なものなのか? 当の本人に聞いてみたい。首は存在せず、丸い顔が胴体に置かれている。腹の贅肉が揺れる度に、学生服が悲鳴をあげるかのように軋む。
 ああもう。こいつが気になって、授業どころじゃない。いや、いつも授業どころじゃないけど。

 名前を二山裕太という。しかしクラスメイトからは、その体を揶揄するように豚山ブウ太と呼ばれていた。
 豚山は、三年も半分を過ぎようとしていた二学期の終盤に、この学校へとやってきた。そのまま前の学校で卒業すればいいのに、とクラスメイトも教師も思っただろうが、どうも親の仕事の関係のようで、誰も何も言えなかった。勉強には熱心に取り組んでいた。風の噂によると、どうやらそこそこ賢い大学へと進むらしい。俺には興味も無いし関係も無いのだが。しっかりと握られたシャープペンシルから湯気が立ち、ノートが湿っている。
「おい細見! ちゃんと授業聞いてるのか?」
 豚山観察を中年教師の手によって邪魔された俺は、豚山を気にしないように眠りについた。授業? そんなもの聞く必要無い。
 少し眠ってすぐに、暑苦しさに目が覚めた。全身に汗が流れている。喉がかわいた。もう一度豚山を観察してみる。俺以上に滝のように流れた汗で、制服の色が変わっている。同時に腹も減ってきた。
「豚山、これ答えてみろ」
 俺の聞き間違いか? 教師にまでそんなあだ名で呼ばれるとは。思わず笑いを上げそうになったが、とばっちりがこっちに飛んでくるのもご免だ。俺は静かに豚山観察を続ける。椅子から立ち上がると同時に大きな音が鳴った。声を荒らしながら黒板の方へ歩いていく。豚山が通る度、汗がまわりの机に飛び散った。女生徒はわざとらしく声を荒げ、男生徒は豚山の腹や背中を叩いたり転ばせようと足を出したりしている。教師はそれを見て気持ちの悪い笑みを浮かべている。
「すみま……わか……」
 豚山がおろおろしていると、教師が声を荒げた。
「お前ははっきりしゃべれないのか!」
「ひっ。すみま……」
「本当にお前はクズだな」
 教師のしつこい責めとクラスメイトのやじをぼんやりと聞いていた俺は、気が付くと教師の目の前に立っていた。右拳が俺を無視し、教師の頬に向かっていく。止めることはできなかった。二発、教師の頬にヒットした。勢いよく黒板に背中を叩きつけられる教師。それを見下ろす俺。そこで意識は俺に戻った。さっきまでうるさかった教室はしんと静まり返り、倒れこんだ教師は俺を睨み、豚山は心配そうな顔で俺の様子を伺っていた。苛々する。

 教師に暴行したということで、俺には三日間の停学という処分が下された。自分で言うのもなんだが、成績は上のほう、授業もまじめ――ただ寝ていただけだが――そういう生徒が、なぜ暴行を働いたのか。少し学校で問題になった。理由は言わなかった。というより、自分でもわからなかった。優秀生徒ということで、処分は他の生徒より緩やかに収まったのが、俺の運のいいところと言えよう。
 親は俺に何も言わず、そして俺も何も言わず、停学中は家に引きこもっていた。何もかもがつまらない。ただ毎日暇をつぶしながら、停学期間を全うしていた。
 そこへ、豚山が訪ねてきた。気負いがあったのだろう。あいつが教師に絞られているときに、俺が教師を殴ったのだから。俺は、自分の家に知り合いを入れたことは無かった。ましてや、自分の部屋など。しかし、なぜか豚山を追い返すことができなかった。今、俺の部屋に豚山がいる。手土産を持ってきているようだが、差し出すことも無く、そしてすることもないので床に座っている。
「今日は何か用があって来たんじゃないのか?」
 俺が話しかけるが、豚山はうつむいたまま小さい声でぶつぶつとつぶやいている。
「聞こえねぇんだよ!」
 苛々をぶつけるが如く、豚山を怒鳴り散らした。手は出ていない。近くにたまたま置いてあったテレビのリモコンを、豚山にめがけて投げつけた。「ひぃ」という小さな声を上げて、大きな体をした豚山が体をくねらせた。気持ちが悪い。
「ぼっ、僕……」
 しばらく待っていると、ようやく豚山の口が開いた。俺はそれを静かに見つめている。
「ぼ、僕のために……先生を、な、殴ってくれた……の?」
 俺はため息をつきながら、煙草を手に取る。火をつけ、一度煙を出したところで、豚山を見た。俺の顔を伺うようにして、気持ちの悪い目を向ける。天然パーマの短い髪の毛が、汗のせいで顔にへばりついていた。
 違うんだよ、デブ。馬鹿。何で俺がお前なんかのためにわざわざ危険を犯さなけりゃならない? ただ単にあの教師には前から腹が立ってたんだよ。自分の苛々を生徒にぶつけるあいつがな。決してお前のためなんかじゃない。調子乗ってんじゃねぇぞデブ。殺すぞ。
「……あの教師は前からムカついてた。それだけだ」
「でも、ありがとう。僕は駄目な奴だから……体はでかいくせに、気は小さくて……クラスメイトから何を言われても、言い返すことができなかったんだ」
 気がつくと俺は、豚山の襟をつかんでいた。
「だからお前のためじゃないって言ってンだろが! 駄目って言うなら、自分から変われよ!」
 俺が襟から手を離すと同時に、豚山が泣きそうな顔でこっちを見た。
「そう……わかってる。変わらなきゃいけない。でも、一人じゃ怖い……一人じゃ怖いんだよ!」
 しばらくの沈黙が続き、耐えかねた俺はポケットから煙草を取り出して火を付けた。
「学校って楽しいか?」
「……楽しくは無いよ。でも、好きな場所はある。海の向こうが見える場所なんだ。そこにいる時だけ、僕はいろんなものから救われる……」
「じゃあ、停学が終わったらそこに連れて行ってくれよ」
 俺は何を言っているんだろう。暑さに脳みそがやられてしまったのか? こんなはずじゃない。おかしい。
 その後少し雑談をして、豚山は帰っていった。
 俺が停学になったのは、あいつの為だってのか? ふざけんな。
 豚山の置き土産であるハム、ソーセージの詰め合わせを台所へ持っていくと、まだ早かったが部屋の明かりを消し、無理やり眠りについた。

 次の日俺は、電気屋に行った。そこでいろいろなものを買い、また一日が終わった。
 停学期間は、あっという間に終わってしまった。俺は、電気屋で買ったものをポケットに入れ、何事も無かったかのように登校した。何も変わらない、そう思っていたのは杞憂だったのだろうか。
 教室へ入るなり、真っ先にクラスメイトたちの視線が俺に突き刺さった。特別仲がいい奴なんていなかったが、別に忌み嫌われていたこともなかった。何かがおかしい。心の中に不安という文字が浮かんだ。それを無理やりかき消しながら机に向かった俺は、見てはいけない物を見てしまい、目の前が真っ白になった。立ちくらみに襲われながら机をもう一度見る。机には、ありきたりな悪口が彫刻刀で彫られていた。それも一つじゃない。一面びっしりと。書くぐらいならいいよ。消せば終わりだから。さすがに彫られるのは精神的にきつい。俺は落ち着きを取り戻しながら、鞄を机の横にひっかけた。ひそひそと、しかし俺の耳にははっきりと、俺に対する陰口が聞こえてくる。今すぐにでもクラスメイトに対して怒鳴り散らしてやろうか? 持って行きようの無い苛々が頭の中に積もっていく。
 そして次の瞬間、なぜか豚山の顔が頭に浮かんだ。豚山の姿は教室には無い。気が付くと俺はその場を飛び出していた。
 豚山が教室を出ることなどありえない。他に行く場所なんて無いだろうからな。強いて言えばトイレぐらいだろう。しかし、トイレにもいない。念のため三年の教室すべてを見回る。しかしいない。図書室、保健室、職員室と順に見ていくが、豚山の姿は無かった。
「おぉ、細見。停学は終わったのか?」
 俺が殴った教師が、口元に気持ち悪い笑みを浮かべながら近づいてきた。今はお前なんかの相手なんかしてられない。しかし、また厄介を起こして退学になんてなったら、学校へ入った意味が無い。俺は、浮かんでくる怒りの気持ちを抑えながら、教師に謝罪した。
「まだ腫れてるんだよ、頬」
 と言いながら、教師が自分の頬をさする。たぶん何ともなっていないのだろうが、重症に見せかけるためにガーゼを張っている。そのさすっていた手が、俺の肩をつかんだ。そして突然声を荒げた。
「覚えとけよ。この痛み、忘れないからな……三日の停学処分なんか軽すぎる。お前にはもっときつ――」
 俺は教師の股間を蹴り上げ、その場を後にした。俺の背中に、うめき声が突き刺さった。
 生徒から嫌われている教師を殴ったんだぞ? 俺は。ヒーローとして祭り上げられるならまだしも、何故こんなことに? わかっている。あいつのせいだ。

 学校は探し終えた。後は外だけだ。靴を履き、体育館の方へ向かう俺の耳に、乾いた音が聞こえた。二発、三発と続けざまに聞こえる。
 音は体育館裏から聞こえていた。少し顔を出し、様子を伺う。厄介になりそうなら立ち去ればいい。今はそれどころじゃないから。
 名も知らない男子生徒が、数人の男に囲まれていた。数人の男は、かわるがわるに男子生徒を殴っていた。立ち去るはずの俺が、気づけばその男子生徒の前に立っていた。殴っていた一人が、俺に気づいたらしく、近づいてくる。いかにも不良というような格好をしている。体型も俺より数段にでかい。突然、耳元で音が鳴り響いた。そのまま後ろへ吹っ飛ぶ。
「何だお前? 正義のヒーロー気取りか?」
 俺は、倒れたまま一人を睨み付ける。
「何だその目は!」
「こいつ、あれですよ。俺たちの肉だるまに近づいてきてる男ですよ。最近停学になった」
「テメェか……二度も俺たちの邪魔をしやがって。ちょっとお勉強が必要みたいだな」
 時代劇みたいだな、俺は暴れん坊将軍か? なんてのんきに構えている俺の顔を、不良の一人が思いっきり蹴り上げた。一瞬目の前が光り、そのまま土の上に吹っ飛ぶ。口の中に血の味が広がる。顔一面に砂をかぶった。痛みのせいで起き上がれない俺の腹に、また蹴りが入った。それも一発ではない。気を失おうにも、次々と体に痛みが走る。
 悲鳴を出す暇さえ無い。胃液が口から溢れ出てくる。不良の一人の足が、俺の顔の上で止まった。そのまま振り下ろして顔を踏みつける気だろう。俺は痛みに耐えながら、砂をその男の顔にまいた。
 砂が目に入ってもだえる男の股間を蹴り上げ、うずくまったところであごに膝を入れた。肉の感触が足に広がり、男が後ろへ吹っ飛んだ。まずは一人片付けた。あとは……四人。
「テメェ何してんだ!」
 怒りに我を忘れた不良デブが、重たい体を引きずりながら俺に拳を浴びせてくる。そのゆっくりな拳を難なくよけた俺は、後頭部に思いっきり肘を入れた。デブは泡を吹きながら崩れ落ちた。
 デブは倒した。しかしまだ終わらない。三人揃って襲い掛かってきた。ヒョロ眼鏡、筋肉質、巨人。俺が眼鏡を相手している隙に、背中に筋肉質の拳が入った。息ができない。動けない俺のおでこに、眼鏡の頭突きが入った。眼鏡が横に消えたと同時に、巨人の蹴りが頬に入る。俺はそこで気を失った。

 目を覚ますと俺は保健室のベッドで寝ていた。全身に痛みが走る。俺は、唯一痛み無く動く首を傾け、時計を見た。まだあれから一時間しか経っていないようだ。
「細見君、一体何があったの?」
 保険の教師である山崎真奈が、傷の手当てをしながら聞いてくる。確か年齢は二十四歳だったか。背が低く童顔なため、他の生徒から人気があるとか何とか。保健室を見回してみても、それ目当てとしか思えない男子生徒が数人見てとれた。「真奈ちゃぁん」という声が聞こえた。
「あんたに言ったって何の意味も無いだろ。その辺にいるエロガキの相手でもしてやれよ」
 真奈は一瞬だけ俺を睨みつけ、また手当てを始めた。その手を払いのけるようにして、保健室を後にした。痛い体を引きずりながら、教室へと戻る。豚山がいれば、帰ろう。元はといえば豚山のせいでこうなったんだ。もう今になってはどうでもいいけどな。
 教室にはいなかった。二人が突然姿を消したにもかかわらず、いつも通りの光景が目に映った。数学の老教師と目があう。お互い何も言わない。俺はそのまま教室を出た。
 豚山が行きそうな所……もうほとんど探し終えたはずだ。俺は下駄箱へ急ぎ、豚山の靴があるか確認した。靴はあった。ということは、まだ校内にいる。豚山の行きそうな所……豚山は何か言ってなかったか?
 思い出した。
 俺は、重たい体を無理やり動かし、階段を上った。
 
 屋上の扉を開ける。やはり、豚山がそこにいた。立ったまま外を眺めている。
「豚山、何、してんだ?」
 痛みのせいで声が上手く出ない。
「細見君……」
 豚山は、こっちを見ようとはしない。
「ほ、細見君、ご、ごめんね……」
 豚山の声は、すぐに嗚咽に変わった。俺は、体の痛みも忘れ豚山へ近づいていく。屋上の手すりに体を押し付けるようにして片手を置き、豚山の顔を伺う。豚山の顔は、俺ほどまではないとしても赤く腫れ、口元には血がにじんでいた。片手で豚山の長袖のカッターシャツをまくり上げると、数え切れないほどの青あざや傷が腕一面に広がっていた。
「俺のこと、見てたのか?」
 豚山は小さく頷いた。教室での俺への仕打ち、体育館裏でのリンチ。全て見られていたということか。それを豚山は自分のせいだと、己を責めている。
「全部、見てた。僕のせいだ……」
「単に、あいつらが……気に入らな、かっただけだ。ああいういじめ、俺は嫌いなんだ。それより豚山、保健室に行か、なくても大丈夫か?」
 と言いながら、俺は豚山の肩を触る。豚山は俺の手を思いっきり払いのけ、涙と汗でぐしゃぐしゃになった顔を俺に向けた。
「僕に……僕にもう優しくしないでくれ!」
 豚山は、屋上から飛び出していった。豚山を追いかけようにも、体が言うことを聞かない。もう、動けない。あの集団に捕まらなければいいが。俺はもう当分ここから出られそうに無い。しばらくしてチャイムが鳴った。今何時なのかすらわからない。
 手すりにもたれかかり、冷たい床に座ってすぐに、屋上の階段から足音が聞こえてきた。誰かが来たんだろう。豚山が戻ってきたのだろうか? 豚山ならいいのだが。他の奴なら、ちょっとまずい。さすがに、死ぬ。
「細見ィ」
 スーツ姿の中年が姿を現した。全ての元凶。俺と豚山を滅茶苦茶にした――
「クソ、教師……」
 気持ちの悪い笑みを浮かべながら近づいてくるクソったれを睨み続けていた。逃げなければかなりやばい。が、体は動いてはくれなかった。
「クソ教師? ちゃんと名前で呼んでもらいたいなぁ。細見君ッ!」
 クソ教師は俺に近づき様、つま先で俺の頬を蹴り上げた。俺は呻き声を上げ、歯が何本か抜けた。同時に、口元から血が大量に流れてきた。痛みの感覚がない。俺は、死ぬのか? おかしい。何かがおかしい。なぜ俺は、学校の教師にリンチされなきゃいけないんだ?
「クククク……その目、その目だ! 怯える目。いつもなら強気に出られる人間を、痛めつける。これぞ至高の快感……!」
 言いながら屋上の扉へ戻り、鍵を閉めると、いびつな笑みを浮かべながら俺を見下す。助けは呼べない、か。
「おい、クソ教――」
 座り込んでいる俺の腹に、クソ教師の足がめり込んだ。胃に直接痛みが走り、もう胃液しか出る物が無かったはずなのに、地面に嘔吐した。。
「名前で呼んでもらいたいなぁ、細見ィ!」
 こいつの名前? そんなの覚えていないぞ。豚山しか覚えていない。
「……覚えて無いな」
「痛みで記憶が飛んだのか? 細見君。佐渡雅彦だよ、佐渡」
 思い出した。生徒からその名前のイニシャルを取って、サド教師と呼ばれている変態野郎だ。自分の性癖を隠そうともせず、生徒から忌み嫌われていた。しかしここまでやるとは聞いていない。
「佐渡さんよ、俺が豚山と仲良く、しているのがっ、そ、そんな、に目障、りか?」
 恐怖か、痛みか。少し前よりいっそう声が出づらくなっている。歯が抜けたけど、差し歯っていくらぐらいかかるんだろうか。わからない。
「ああ。かなりな。なんたってあいつは、入学してから今まで俺のペットだったからな」
「お前だけじゃないだろ?」
「体育館裏でお前をリンチした奴は、俺が単に頼んだだけだ。内申をちらつかせたら、どんなガキも思いのままさ。まあどのみち豚とは関係なく、いつかはお前と遊びたいとは思ってたがな」
 俺は、佐渡が自分語りをしてこっちを見ていないうちに、ポケットを探った。冷たい感触がした。それはあった。俺を守ってくれる唯一の存在。
「何でだよ?」
「お前、俺のタイプなんだよぉ。豚にも飽きた所だったし、そろそろペットを変えてもいいかなぁと思ってたんだ」
 佐渡が、俺に抱きついてきた。抱きついたまま、俺の顔を殴る。腹も殴る。途中で気を失った。

 屋上では俺とは豚山が生徒や佐渡にリンチをされ続けていた。
 そして、それが終われば二人で家路に着く。その繰り返しだった。俺たちは学校を休むことは無かった。休めば何かが崩壊しそうな気がしたからだ。そしてただ毎日殴られ続けた。殴られているときは、意識など無かった。
 リンチされた後は、保健室で真奈に軽い手当てをしてもらい、二人して屋上に立って、遠くに見える海を眺めていた。当然無言だった。その真奈も、いつの間にか辞めてしまい、自分自身で手当てをするしかなくなっていた。
「あなたたちが言うまで私からは何も問いたださない。でも、相談だったらいつでも乗るから。私はあなたたちの味方だから」
 すごくありがたい言葉だったが、今思えば単なる若さが言わせていたのかもしれないな。辞めた理由は知っているから、何も文句は言えない。

 気がつけば、卒業間近になっていた。慣れれば、嫌なことでも時間が経つのが早く感じる。外見の怪我が目立つようになってきてから、リンチの路線を変えたからだろうか。俺にはわからない。ただ、俺たちはその頃になれば、そのリンチが快感に変わっていた。いや、違う。快感だと思わないと、自分が崩壊してしまいそうだったんだ。感情を押し殺し、ただ毎日を凌いでいた。気づいているクラスメイトも、他の教師も、親でさえも俺たちを見て見ぬフリをしていた。そう、親でさえも! 俺の味方は豚山だけだったし、豚山の味方は俺だけだった。
 放課後、プレイが終わった俺たちは、屋上へは寄らず家に続く道をゆっくりと歩いていた。車はめったに走らないはずだったが、赤い軽四が俺たちを遮るかのようにして止まった。
「細見君と二山君、じゃない?」
 女が走り寄ってきた。真奈だった。知らない間に学校を辞めていた、唯一の俺たちの味方だった女性。
「やあ真奈ちゃん」
「やあ真奈ちゃん、じゃないわよ! ……まだ続いてるの?」
 豚山は知らないだろうが、俺は実際にこの目で見たので知っている。俺が佐渡の汚いモノをしゃぶらされている後ろで、生徒達に輪姦されていた。それが何度か続いて、こいつは学校を辞めた。俺たちは辞めていない。輪姦する生徒は毎回違っていた。
「あの真奈ちゃんとヤれるとはなぁ」という男子生徒の気持ちの悪い声が脳裏に浮かんだ。
「佐渡、俺たちをえらく気に入ってさ、こっちの身が持たないよ」
 自虐のような薄笑いをしながら、傷と青あざだらけの体を見せた。真奈は悲しそうな顔をしながら傷の一つを指で触った。痛みで顔を歪ませた俺を見て、慌てて謝罪する。
「私、今から佐渡先生の所へ行くつもりなの。全てをばらすってね。だからもう大丈夫、安心して」
 胸を叩くそぶりをして、俺たちを車に乗せて家へ送ってくれた。
 その日の夜、真奈が自殺したという連絡が家に入ってきた。その瞬間、絶望が俺を襲った。期待した俺が馬鹿だったが、真奈の自殺は俺のせいでもあった。俺が保健室へ行かなかったら、こんなことにはなっていなかったんだろうか?

 俺と豚山は屋上で海を眺めていた。
「さ、佐渡を、クビにしてやりたい……」
 豚山が泣きながらそう言った。
「まかせとけ。案はある」
「ほんと?」
 豚山が立ち止まって、最近見せなかった満面の笑みを浮かべた。俺もつられるようにして笑う。小さな笑いが、次第に大きくなっていって、それが泣き声になって、俺たちは泣き笑っていた。
「卒業式本番が決戦日だ」
「わかった。その日まで我慢しておくよ」
「おう。じゃあな、俺はこっちだから」
「あっ、細見君、あの、保険の……」
「何も、言うな」
 豚山と分かれた俺は、住宅街に佇む家の扉を開け、自分の部屋に入り鍵をかけた。椅子に座りパソコンを起動させる。それ以外には何も無い。何かをする時間も体力も無いからなぁ、と自虐的に笑いながら煙草に火をつけた。煙が傷にしみる。
 俺はその日から卒業式本番まで、休みを取った。豚山にも連絡をした。豚山も休んだ。

 もうやることは決まっている。俺は、数週間前から佐渡のパソコンから歴代のペットの画像をコピーし、俺のパソコンに保存していった。少しずつ少しずつ。その中には、動画まであった。学校に置いたままにしていたのが仇になったようだな。当然、俺や豚山のも大量にあった。それを見ている内に、涙が溢れてきた。何度も俺の人生を呪った。何で俺たちだけがこんなことに? あまりにも不条理すぎる……。しかしそれは俺だけじゃない。ここに保存されているのは言わば俺たちの仲間。俺たち以外にも沢山いる。その中には、これを苦に自殺した人もいる。真奈の画像や動画もあった。全員の恨みを晴らすまで、泣き言なんて言ってられない。

「今日のことは誰にも言わないでね」
 涙を浮かべながらシャツのボタンを止めていた真奈が、そんなことを言っていたのを思い出した。二回目以降は無言だった。

 全ての画像をプリントアウトし、制服のポケットへ入れた。
 次の日の早朝、俺は学校へと急いだ。早朝とはいっても、朝錬している部員などがちらほらいる。俺はその横を通り過ぎ、体育館の中へ入った。そのまま放送室へと急ぐ。俺はポケットからレコーダーを取り出すと、卒業式に流れる曲とレコーダーの中身を交換し、素早く体育館から抜け出して自分の家へと帰り、豚山に「完璧」とだけメールした。

 本番。体育館の明かりが落とされ、俺たち卒業生が入場する。端にある教師の席には、佐渡もいる。目が合い、俺に対して気持ち悪い笑みを浮かべる。見てろ。今日がお前の命日だ。
 もうすぐ音楽が鳴り出すだろう。しかし、曲はならない。お前のやってきたこと全てが、全校生徒、そしてPTAや教師、父兄に晒されるんだ。俺は席に座り、にやけそうになるのを我慢しながら、その時間をじっと待っていた。
 音楽ではない、何かの音が聞こえてきた。ざわつく周りを横目で見ながら、俺は、至福の時を過ごす。流れ出すぞ。この日のために、俺はレコーダーに今までの出来事をを全て記録しておいたんだ。
『みなさん』
 静かな体育館に、突然声が響いた。あれ? 生徒がざわつく。教師たちは、お互いの顔を見合いながら、何が起こったのか話し合っている。俺でさえも何が何だかわからない。
『僕、二山裕太は、今まで人の言いなりになる人生を送っていました。クラスメイトにはいじめられ、先生からも暴行を受け続けていました。誰も僕には話しかけなかったし、僕は話しかける相手がいなかった』
 豚山がいない。あれは……テープじゃない。豚山自身が、放送室から流しているんだ。
『それが誰かは言いません。いまさら復讐しても、仕方が無いから……。それに、その代わり僕は大切なものを得ました。細見君です』
 俺の周りが明るく照らされる。体育館の上から、誰かが俺に丸いライトを向けた。まわりの生徒が俺を凝視する。わけがわからない。
『僕は、細見君にお礼を言いたいです。本当にありがとう。僕を助けてくれて。そして、僕と一緒に教師から暴行を受けてくれて。苦しい思いを共有できる親友がいて、僕はそれだけで満足です。君がいたから、今まで生きて来られた。君と過ごした時間は、忘れません。僕の人生は、君と出会うためにあったようなものです。本当にありがとう。そして、さようなら』
 放送が終わると同時に、俺を照らしていた明かりに、影が映った。数人の生徒が、悲鳴を上げる。教師が、父兄が、ざわついている。俺は明かりの方を見上げた。豚山がいた。今までの暴行の数々を露出するかのように、裸になって。無数の青あざや傷が、光に照らされている。そして、首には、ロープが。豚山は肉を揺らし、宙を舞っている。俺はそれ以上見ることはできなかった。豚山の放送が終わると、俺たちが受け続けていた遊びの一部始終の音声が流れた。いいBGMだ。俺はポケットからナイフを取り出し、佐渡の元へと走った。教師たちの制止を必死に振りほどきながら、俺は佐渡の前に立ち、ポケットから大量の写真を出して佐渡の頭にばらまき、自分の喉をかききっ
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