ピロトークを聴きながら

相沢蒼依

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ピロトーク:運命の出逢い②

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「悪いが今、すっげーいいトコ読んでる途中だ。止めてくれるな」

「作者である僕が、読んでほしくないって言ってるんですから、さっさと諦めてください!」

 綱引きをするように、原稿が言ったり来たりを、二人の間で繰り返す。

「このっ、病人は大人しく寝ておけよ!」

「桃瀬さんこそっ、僕が寝られるように、原稿を速やかに渡してください!!」

(見た目の割に、意外とガンコなんだな、この人)

 ムッとしながら引っ張ろうとした矢先、突然原稿が押し返されたせいで体勢を崩すと、それを見極めて、しっかり引っ張りあげる桃瀬さん。

「うわっ!?」

 いきなり強引な形で引っ張られ、前のめりになって倒れる僕を、手にしていた原稿を放り投げ、慌てて抱きとめてくれる。

 放り投げられた原稿が、バサバサッと舞い落ちる中、がっしりした胸の中に包まれている自分――鼓動が跳ねているのは僕だけじゃなく、桃瀬さんから伝わってくる鼓動も早かった。

「お前さ、病人なんだから、大人しくしておけよ」

「……はぃ」

 ――身体を起こして、離れなきゃ。

 そう思うのに、何故だか動けない。ずっとこの胸の中に包まれていたいと思っていたら、背中に回されてる両腕に力が入り、ぎゅっと抱きしめてくれた。

「あの、さ。変なこと、聞いていい?」

 明らかに躊躇した声色で、訊ねてくる。

「何ですか?」

「お前、男にキスされたの、初めてじゃないだろ?」

 その言葉に思わず、息を飲んだ。なん、で、分かったんだろう?

 答えなきゃと思うのに、喉が一気に渇いて、上手く言葉にならない……

 フリーズして動けなくなった僕を労わるように、優しく背中を撫でてくれた、桃瀬さんの手。

 ――大丈夫、大丈夫だから……そんな感じが、じわりと伝わってくる。

 見ず知らずで、何も知らない人なのに、どうしてこんなに、安心できるんだろう?

「……悪い。立ち入ったこと聞きすぎたな、忘れてくれ」

 力なくふるふると、首を横に振った。

 誰かに聞いてほしかったのかもしれない。ずっと隠し続けていた、僕の秘密――

「桃瀬さんは僕のこと、どう思いますか?」

 ひとつため息をついて胸の中からそっと顔を上げると、メガネの奥からじっと顔を見つめてくる。

「ま、一言で表現するなら女みたい、だよな」

 率直な意見を言ってくれた彼に、僕は満面の笑みで微笑みかけた。変な誤魔化しをせず、憐れんだ言葉でもない。見たままの感想を素直に言ってくれた彼に、内心感謝しながら口を開く。

「中学校のとき、この身なりがすっごく嫌で髪を短くしたり、制服を着崩したりいろいろ頑張って、男らしくいようとしていたんです。だけど、どんなに上辺だけ繕っても、顔立ちや華奢な体つきは、変えられないんですよね」

「そうだな……」

「中学二年のとき、知り合いの先輩に用事があるからって呼ばれて、何の気なしについて行ったら……」

 そこで一旦言葉を飲む。閉じた唇がちょっとだけ、ガクガク震えていた。

 思い出したくない、過去の出来事を仕舞い込んでいる頭の片隅から、ゆっくりそれを取り出していく。湿っぽい空気や荒い息遣いとか、下卑た視線が僕を――

 膝の上に置いていた拳をぎゅっと握りしめると、包み込むように両手で握りしめた桃瀬さん。

 何だか、勇気を貰ったみたいだ。

「――知らない先輩方に囲まれてしまって、抵抗むなしく僕はそのまま、襲われてしまったんです」

「えっ――!?」

「有名私立の男子中学校で、そんなことが行われるなんて、夢にも思いませんでした。しかもチクったら、もっとハズカシイことしてやるからなって言われて、誰にも相談できなくて、それで――」

「もう、いいっ! 分かったから……済まなかったな、辛いこと思い出させて」

 改めて僕の身体を抱き寄せて、くしゃくしゃっと頭を撫でてくれた。

「……普通、男に口移しされて気持ち悪がられるトコ、お前はもう一度してくれって言ったからきっと、そういう免疫があるんだろうって、思っただけなんだ。ホントごめんな」

「いえ、大丈夫です。もう終わったことなので」

「有名私立の男子中学って、もしかして高校がエスカレーター式のトコか? ブレザーがエンジ色してたっけ」

 その言葉にこくんと頷くと、僕の顔を覗き込んできた。

「お前さ、錦町一丁目のバス停から通学してた?」

「はい。自宅が緑町にあったので、最寄のバス停は、そこになりますね」

 悲惨な過去の披露から、どうしてこんなに分かってしまうんだろう?

「赤と青のNEKIのカバン、肩からぶら下げてたりしてた?」

 中学時代に使っていたカバンをズバリ言い当てられ、呆然とした顔で桃瀬さんを見上げる。

「何で、知って――」

「ここに連れ込んだとき、知り合いの医者がさ、お前の顔に見覚えがあるって言い出したんだ。俺らよくつるんで、バス通していたから」

 ――バス通? もしかして……

「黒の詰襟の……制服着ていて、黒縁のメガネをかけて、いつも……本を読んでいた――」

 思わず指を差して、たどたどしく言葉にすると、今度は桃瀬さんが唖然とした表情をする。

「俺ら……顔見知りだったのか?」

「そう、みたいです、ね」

 中学時代は道路を挟んで、遠くから彼を見ていた。今はこんなに近くで、お互いを見合っているなんて、夢にも思わない出来事だ。

 驚きのあまりじっと見つめていると、頬を少しだけ赤くしながら、困った顔をした桃瀬さん。意味なくメガネを何度も上げたりと、さっきから落ち着きがない。

 不思議に思って小首を傾げると、両肩に手を置かれた。

「あ、あのさ……お前はどんな認識で、俺のこと見てたのかなと思って」

「そうですね。いつも本を読んでいたので、何を読んでいるのか、とても興味がありました」

 僕が第一印象を告げると、途端に顔が曇った。もうひとつの事実を言ったら、どんな顔をするのだろうか? 何か無駄に、ドキドキしてしまう――

「学校で辛いことがあっても休まなかったのは、いつも見かける高校生に、憧れていたからなんです」

「は!?」

「僕と違って背は高くて男らしくて、知的な感じがいいなって思って……」

 言葉がどんどん小さくなっていき、最後まで聞こえたかどうか分からない。だけど肩に置かれている桃瀬さんの手に、ぎゅっと力が入って熱が伝わってきた。

「それって、どういう意味?」

「どういうって、その――」

「赤い顔して俯いて、目を逸らしながらブツブツ呟いていても、こっちにまで聴こえてこないんだよ」

 突然ベッドの上に、押し倒される身体。

「うっ……!」

「これでもう、俯けないだろ。目を逸らすな、俺の顔を見とけ」

 僕に跨って手で顎を掴み、正面を向かせて、目の前を見るよう固定される。

「俺はお前のこと、ずっと見ていたよ。まんま好みだったからな。本を読むフリをして、向かい側にいるお前を見つめていた」

 真っ赤な顔して告白した桃瀬さんを、息を飲んで見つめるしか出来ない。

 あの頃の僕を、ずっと見ていてくれたんだ――

「僕は……僕は桃瀬さんのこと好き、でした」

 駆け寄って伝えたかった言葉、やっと言えることが出来た。

「なぁ、高校生の俺と今の俺、どっちが好きなんだ?」

 眉根を寄せて、眉間に深いシワを作り、真剣に聞いてくる。

 えっと、これは何と答えたらいいものやら――

「……両方じゃ、ダメですか」

 肩をすくめながら言うと、くっくっくっと笑い出した。

「結局俺には、変わりないんだからな」

 その台詞に、安堵のため息をついた。この人の傍いいると、心臓がいくつあっても足りないや。

「体調、良くなったみたいだな。熱が下がったのか?」

 言いながら僕のオデコに、自分のオデコを載せる。その瞬間――

「ちょっとっ! さっきからドタバタ煩いよー、ももちんたらっ! 何をやって……」

 病室の扉がすっと開いたと思ったら、白衣を着た人が怒鳴り込んできて、その場に固まった。

「ああアンタ、病人に跨って、堂々と襲うなんて――」

「ちっ違うって! 熱を測ってただけだ、誤解すんな!!」

 桃瀬さんは慌てふためきながら、ベッドから飛び降り、身振り手振りで必死に説明する。

「この状況を見なさいよ。床に散らばった原稿用紙は、どうしてなのっ? このコが抵抗したあとでしょ?」

「周防、落ち着け。これには、深いワケがあるんだっ」

 メガネをズリ下げながら、入ってきた人と取っ組み合いになる手前になっている。その様子に僕は起き上がり、思い切って声をかけた。

「あのぅ、すみません。桃瀬さんと付き合うことになりました」

「ドキ((*゚д゚))by桃瀬」

「ももちんっ、一体何がどうなって、こうなっちゃったの!? 説明しなさいよ!」

 かくて桃瀬さんはこれまでの経緯を過去の話を交えつつ、(僕の悲惨な話はオフってくれた)詳細に話してくれたのだった。

***

「いやぁ、ねぇ。ももちんったら、運命の出逢いをしちゃっていたなんて。アナタも良かったね。こんな変な男だけど、仲良くしてやって」

 周防の奴は強引に俺を押し退けて、ベッドで寝ている患者に優しく話しかけてから、お邪魔しましたと言って、颯爽と出て行った。

「……あの、すみません。付き合うなんて、勝手に言ってしまって」

 布団をモジモジしながら、こっちを伺うように見る。その視線に耐えられず、そっぽを向いた。

 頬がバカみたいに熱い――

「別にいいんじゃないか。好きあってるんだし、さ」

「あ、はぃ」

 テレた感じが言葉に乗って、じわりと伝わるから、余計恥ずかしくなってくる。何か、調子狂うな――

 自分らしさを取り戻すべく、ちょっと咳払いをした。落ち着いたトコで、顔を合わせる。

「それでどうするんだ? この原稿の行き先」

 拾い集めた原稿は本人の希望通り、途中で読むのをストップし、きちんと封筒に戻していた。

「最初から書き直そうと思うので、桃瀬さんのトコのコンテストに、応募しようと思ってます」

「そうか、分かった」

「桃瀬さんが読んだそれよりも、もっといい物が書けるよう、一生懸命に頑張ります!」

 病人のクセに、生き生きした顔して宣言した患者に、苦笑いを浮かべる。

「その前にまずは、インフルエンザを治さなきゃな。書き直しはそのあとだぞ」

「はいっ」

 素直な返事のお返しに、そっとまぶたに口付けてやった。本当は唇にしたかったが、そこはちゃんと抑えたんだ、病人なんだから。

 しかし素直で可愛い涼一が見られたのは、ここまでだということを、このときの俺は知らなかったのだった。
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