役を降りる夜

相沢蒼依

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番外編

「教育的指導」という名の溺愛過剰供給

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 三好直人は、現在とても困っている。原因は明確だ――高瀬恒一が離れない。

 しかも朝から。平日の出勤前。キッチンでコーヒーを淹れている俺の背中に、ぴったりと高瀬の胸が当たっている。

「……恒一」
「ん?」
「近いです」

 言った瞬間、腰に回された腕がむしろ強くなった。

「同棲してるんだから、これくらい普通だろ」
「普通の基準がおかしいです」

 そう言いながらも、俺は一歩も動けない。なぜなら、高瀬の顎が俺の肩に乗っているからだ。

 重い。温かい。そして、やけに落ち着いた呼吸が首元にかかる。

「直人さ」
「はい」
「まだ遠慮してるだろ」

 ぎくりとする。

「してません」
「嘘」

 即答で切り捨てられた。

「洗濯物も、寝る位置も、ソファの座り方も意識してる」
「……」
「全部、俺を避ける方向に最適化されてる」

(――最適化って何だ? 忙しくて疲れている恒一の負担にならないように、配慮していただけなのに)

「直人には、教育が必要だな」
「なぜ、そこで教育になるんですか」

 そう言った瞬間、頬に柔らかい感触。

 ――キスされた。しかも軽くじゃない。頬、こめかみ、首筋と、間髪入れずに。

「っ、ま、待って」
「待たない」

 宣言と同時に、脚まで絡めてくる。さらに密着度がアップした。

「恒一、出勤前なのに……困る」
「だからだろ」
「意味が……」
「直人が甘えないから、俺が甘やかす」

 理不尽すぎる理屈に言葉を失っていると、今度はソファに引きずられた。

 座らされる、ではない。高瀬の膝に乗せられる。

「……あの」
「逃げない」

 肩を抱き、背中を撫で、指先で耳を触る。

「ほら」
「何がですか」
「何も言わずに、身を預ける練習」

 そんな練習、聞いたことがない。でも高瀬の手は迷いがなくて、触れ方がやけに優しい。

 逃げ場を塞ぐくせに、乱暴にはしない。それが余計に困る。

「直人」
「……はい」
「俺に触られるの、嫌か?」

 即座に首を振った。

「……嫌じゃ、ないです」

 正直すぎたかもしれない。でも噓はつきたくなかった。

 高瀬は満足そうに笑って、俺の額に額を当てた。

「なら合格」
「何が」
「教育、進捗良好」

 そのまま、ぎゅっと抱きしめられる。俺はしばらく、腕の置き場がわからず硬直していたが、諦めて背中に手を回した。

 ……ほんの一瞬だけ。それだけで、高瀬の機嫌が目に見えて良くなるのだから、卑怯だ。

「直人、自分から来るの初めてだな」
「違います、これは……」
「甘え」

 断定されたせいで、心臓がうるさくなる。

「教育的指導、続行決定」
「まだやるんですか」
「毎日」

 そんなの――困る。困るはずなのに。高瀬の胸に顔が埋まって鼓動を聞いていると、どうでもよくなってしまった。

 俺は小さく息を吐いて、観念した。

「お願いですから……手加減、してください」
「それは無理」

 相変わらず即答だった。

 ――同棲しても、相変わらず甘え下手な三好直人は、本日も高瀬恒一の“教育”に翻弄されている。

 しかも、少しずつそれを――嫌じゃないと思い始めているのだから、どうにも救いがない。
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