役を降りる夜

相沢蒼依

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番外編

思い出し笑い

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 正直に言えば、今日は地獄みたいに忙しい。

 朝から会議が詰まっていて、電話は鳴りっぱなし。資料の数字は合わないし、部下の相談は重なるし、昼休憩は完全に消えた。

(……まあ、これもいつも通りだ)

 そう思いながらパソコンを打っていた、そのとき。ふと、何の脈絡もなく――昨夜の光景が脳裏に浮かんだ。

「……構ってください」

 小さくて遠慮がちで。それでもちゃんと“欲しい”って言った声。

(――っ)

 思考が一瞬止まる。次の瞬間、口元が勝手に緩んだ。

「……」

 やばい――そう自覚したときには、もう遅かった。無意識に、完全にニヤけている。

(何だよあれ……)

 忙しいとか余裕がないとか、全部吹き飛ばす破壊力だった。

 あの三好が。あの、遠慮の塊みたいな男が。ちゃんと俺の目を見て、逃げずに「構ってください」なんて。

(まったく、可愛すぎだろ……)

 思い出すたびに、胸の奥がむず痒くなる。腕に引き寄せた感触まで、はっきり思い出せるのが余計にまずい。

「高瀬さん?」

 部下の声で、はっと我に返る。

「……あ、悪い。続けて」

 平静を装ったつもりだが、たぶん口角はまだ下がりきっていない。

(――仕事中だぞ、俺!)

 そんなことわかってる、わかってるのにだ。

 資料をめくりながら、心の中では完全に別のことを考えていた。

(今日も帰ったら言うかな。いや、さすがに我慢するか……でも、言ってくれてもいいよな)

 昨夜、目の当たりにした三好の言い切れなくて、でも勇気を振り絞った顔。それを思い出すたび、胸がじんわり温かくなる。

(ああ……)

 これはもう、完全に恋人の弊害だ。忙しさの合間にふと甘えられた記憶を思い出して、それだけで頑張れてしまう。

「……参ったな」

 小さく呟いて、気合いを入れ直す。

(――今日は絶対に早く帰ろ!)

 仕事は山ほどある。でも、帰る場所には――。

(――俺に甘えてくる男がいる)

 それだけで、今日一日くらいどうにでもなる気がした。

 再びキーボードに指を落としながら、俺は苦笑する。

(昨日のあれ、たぶん一生忘れないな……)

 忙しい仕事中に思い出してニヤけるくらいには――完全にやられている。
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