(完結)冷徹アルファを揺さぶるオメガの衝動

相沢蒼依

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第一章:火花と氷

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 教室に戻ると、すでに半分以上のクラスメイトが弁当を広げていた。購買組はパンを片手に談笑しながら席に着き、あちこちで紙袋の音や笑い声が飛び交っている。

「ほら、ここ座れよ」

 榎本は当然のように俺の机の前の席を引っ張ってきて、カレーパンを片手に腰を下ろした。自分のクラスじゃないのに人目をまったく気にする素ぶりもなく、堂々とした態度を貫く。

「……勝手に席を動かすな」
「別にいいだろ。どうせ昼休みは、みんな自由なんだからよ」

 榎本は袋を破って、豪快にカレーパンにかぶりつく。衣がぱりっと音を立て、香ばしい匂いが辺りに広がった。

「うんめぇ! やっぱ購買のカレーパン最高だな」

 その無邪気な顔に、俺はため息をつきつつ視線を落とす。机の端に置かれた、もうひとつのカレーパン――榎本に押しつけられたものが、手つかずのまま残っていた。

「ちょっと、あれ見ろよ。佐伯委員長の机にパンがあるぞ!?」

 突然、周囲からそんな声があがった。クラスメイトたちがこちらを振り返り、興味津々の視線を向けてくる。

「ほんとだ、佐伯が購買とかレアすぎ!」
「榎本と一緒に並んでたの、俺も見たー!」
「えー、なんか意外。仲良いじゃん」

 クラス全体の視線が一斉に刺さる。からかい混じりの囁きが方々から飛び交うせいで、俺の眉間が自然と寄った。

「ち、違ぇよ! 俺が強引に連れてっただけだし!」

 榎本が慌てて弁解するが、にやにやと笑うクラスメイトには逆効果にしか見えない。

「……くだらない」

 俺は短く吐き捨てたあとに、意を決してカレーパンにかぶりついた。衣が思いのほか軽く、口いっぱいに広がるカレーの香りが、弁当にはない熱気を感じさせた。

「……」
「どうだ、うまいだろ?」

 榎本が期待に満ちた眼差しを俺に向けてくる。一瞬だけ迷ったが買ってもらった手前、正直に答えることにした。

「……悪くない」

 その言葉を聞いた瞬間、榎本の顔がぱっと明るくなる。

「そうだろ!? な、たまにはこういうのもいいだろ?」

 くだらないやりとりのはずなのに、不思議と胸の奥が軽くなる。昼休みのざわめきの中、榎本に買ってもらったパンをふたたびかじりながら、机に広げたプリントに目を落とした。榎本は向かいの席で、大口を開けてカレーパンを頬張っている。

「なぁ委員長、そんなに眉間にシワを寄せてると、シワが一生残っちまうぞ?」
「くだらない心配はいらない。食べるときくらい静かにしろ」

 表情を一切変えずに榎本を睨んだら、なぜだか顔を寄せられてしまった。目立ちまくりの金髪が窓から入ってくる日差しを浴びて、キラキラと輝きを放つ。オメガらしくないガタイの良さを表すように、半袖から覗く逞しい二の腕が視界に入る。その瞬間、ひ弱な自分との差を突きつけられた気がした。

「おー冷てぇ。俺のことが嫌いなんだろ?」
「嫌い、というより……理解できない」
「ははっ、そりゃいい。俺もお前のことが全然わかんねーし」

 軽口を叩きながらも、榎本の視線がじっと俺を射抜いてくるのを感じる。挑発でも好奇心でもなく、妙にまっすぐな眼差しだった。

(なぜだ……。助けられた借りを返すつもりもないし、むしろ彼の存在は秩序を乱す要因のはずなのに)

 胸の奥に、小さな棘のような違和感が刺さる。クラスの喧噪に紛れるように、榎本は不意に声を潜めた。

「なぁ……昨日のことさ、誰にも言わねぇから安心しろよ」
「昨日?」
「他校のヤツらに絡まれた件。アルファの委員長がボコられてたなんて噂になったら、かなり面倒だろ」

 その無造作な言葉に、呼吸が詰まる。榎本は俺の弱さを、確かに見ていた。

「余計な気遣いは必要ない」
「気遣いじゃねーよ。ただあのときは、俺が圧勝したってだけの話だ。アルファのクセに、アイツらすげぇ弱かったよな」

 榎本は勝ち誇るように笑ってみせるが、その奥には妙な優しさが透けている。俺は無表情を保ちながらも、心の奥のざわめきは止められなかった。
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