2 / 39
導かれて
1
しおりを挟む
「君、名前は?」
「ひっ人に名前を訊ねる前に、自分から名乗ったらどうですか?」
漂う怒気に思いっきり気圧され、上擦った声で口を開くと、見知らぬ男は眉間に刻んだシワをなくし、仕方なさそうな口調で語る。
「俺は山田太郎、31歳の独身で職業は会社員。さて君の名前を聞こうか?」
「待ってください。山田太郎だっていう証拠を見せてください!」
「チッ、騙されなかったか」
顔を横に背け、ボソリと呟くふてぶてしさに、大きな声で指摘してやる。
「そんな偽名、誰も信じませんよ。吸血鬼なのを隠すために、わざわざ使ったんでしょうけど、捻りがなさすぎます」
「俺のことを知って、どうするつもりなのだろうか?」
「それはこっちのセリフです。俺の名前を知って、なにかしようとしてます?」
逸らしていた顔を戻した見知らぬ男にやり返すべく、質問を質問で返した。するとゲンナリした面持ちでスーツの胸ポケットに手を差し込み、小さなパスケースを取り出して、俺に見えるように目の前に掲げる。
「俺は桜小路雅光、31歳の独身。職業は会社員。本人確認してくれ」
まるで、芸能人の名前みたいなそれを確かめるべく、掲げられたパスケースの中身の免許証と、本人の顔をしげしげと眺めた。
「桜小路雅光さんで、お間違いないようですね」
「わかってくれて、なにより。さて君の名は?」
訊ねながらパスケースをもとに戻す桜小路さんに、渋々自分の名を告げる。
「片桐瑞稀22歳、大学生です」
身分証を出せと言われる前に、肩掛けのバッグからそれを取り出そうと手をかけたら、手首を掴まれて動きを止められた。
「君は嘘をつかない、信じるよ」
「なん、で?」
「俺の勘。それなりに、いろんな人を見ているからね。嘘をつく人間はそういう雰囲気を醸しているから、すぐにわかる」
桜小路さんは掴んだ俺の手首をまじまじと見つめ、気難しい顔をする。
「なんですか?」
「痩せてるなと思ってね、ちゃんと食べてるのか?」
「桜小路さんには関係ないでしょ、放してください」
「すごくマズかったんだよ、君の血」
なぜか桜小路さんは、俺の手の甲に唇を押しつけた。また吸血されると咄嗟に思い、体がぎゅっと強ばる。
「安心してくれ。この姿のときは血を吸えない。それに――」
「それに?」
「マズい血だってわかってるのに、わざわざ吸わないさ」
カラカラ大笑いして、掴んだ手首を放してくれた。コッソリそれを背中に隠し、着ているTシャツの裾で拭う。なんとなく桜小路さんの唇の感触が、皮膚に残っている気がした。
「もうなにもしない。表に出ようか」
本物の吸血鬼を前にして、怯える心情を知っているのか、桜小路さんは俺の肩に腕を回して狭い隙間から、もと来た道に導く。仄暗い場所から脱出できたことにより、安堵のため息を吐いた。
「瑞稀、もう一度聞く。ちゃんと食べてるのか?」
「へっ?」
友達のような感じで自然に名前で呼ばれたせいで、目を瞬かせて桜小路さんを見上げた。さっきまで笑っていたのに、真顔を決め込まれてしまい、返事がしにくくて、口を引き結ぶ。
「抱きしめたときも思ったんだ。随分痩せてるなと。血のマズさを考えたら、栄養が偏っている可能性がある。それと物事に対する反応速度も、あまり良くないしね」
「えっと、三食きちんと食べてないです。バイト先の賄いで、なんとか飢えをしのいでる状態で」
「なるほど。大学に通いながら、バイトに精を出しているわけか。この時間帯まで働いているのも、バイトの帰りだったんだな」
「まさか吸血鬼に出逢うなんて、思いもしませんでした。そんなに俺の血は、マズかったんですか?」
顎に手を当てて考え込む桜小路さんに、思わず訊ねてしまった。
「今まで吸血した人間の中で、一番マズかった。それに君が催眠にかからなかったことが、未だに謎だったりする」
「そうですか」
「大学とバイト、どちらか楽しいことはないのかい?」
「えっ?」
意外な問いかけに、頭の中が混乱した。楽しいことを思い出したいのに、時間に追われる忙しい生活ばかりが、脳裏に流れていく。
「血のマズさは栄養の偏りと共に、健康的なメンタルにも影響を受けているんじゃないかと思ってね。疲れきった君の表情が、それを如実に表してる」
そう言って、ふたたび俺の腕を掴んだ桜小路さんは、どこかに向かって歩き出した。
「ちょっ、俺もう家に帰るところなんですけど!」
「俺が大学生のときは、オールで夜遊びしていた。それくらいの体力、まだ残っているだろう?」
「体力はありますけど、夜遊びできるような財力が俺にはありませんし、桜小路さんとは違うんです」
ほかにもぎゃんぎゃん喚きたてたのに、桜小路さんはそれすらもおかしいと言わんばかりに口角をあげて笑いかけ、強引にどこかに向かう。
引きずられるように20分ほど歩いた先は、真っ暗な会員制のテーマパークだった。
「ひっ人に名前を訊ねる前に、自分から名乗ったらどうですか?」
漂う怒気に思いっきり気圧され、上擦った声で口を開くと、見知らぬ男は眉間に刻んだシワをなくし、仕方なさそうな口調で語る。
「俺は山田太郎、31歳の独身で職業は会社員。さて君の名前を聞こうか?」
「待ってください。山田太郎だっていう証拠を見せてください!」
「チッ、騙されなかったか」
顔を横に背け、ボソリと呟くふてぶてしさに、大きな声で指摘してやる。
「そんな偽名、誰も信じませんよ。吸血鬼なのを隠すために、わざわざ使ったんでしょうけど、捻りがなさすぎます」
「俺のことを知って、どうするつもりなのだろうか?」
「それはこっちのセリフです。俺の名前を知って、なにかしようとしてます?」
逸らしていた顔を戻した見知らぬ男にやり返すべく、質問を質問で返した。するとゲンナリした面持ちでスーツの胸ポケットに手を差し込み、小さなパスケースを取り出して、俺に見えるように目の前に掲げる。
「俺は桜小路雅光、31歳の独身。職業は会社員。本人確認してくれ」
まるで、芸能人の名前みたいなそれを確かめるべく、掲げられたパスケースの中身の免許証と、本人の顔をしげしげと眺めた。
「桜小路雅光さんで、お間違いないようですね」
「わかってくれて、なにより。さて君の名は?」
訊ねながらパスケースをもとに戻す桜小路さんに、渋々自分の名を告げる。
「片桐瑞稀22歳、大学生です」
身分証を出せと言われる前に、肩掛けのバッグからそれを取り出そうと手をかけたら、手首を掴まれて動きを止められた。
「君は嘘をつかない、信じるよ」
「なん、で?」
「俺の勘。それなりに、いろんな人を見ているからね。嘘をつく人間はそういう雰囲気を醸しているから、すぐにわかる」
桜小路さんは掴んだ俺の手首をまじまじと見つめ、気難しい顔をする。
「なんですか?」
「痩せてるなと思ってね、ちゃんと食べてるのか?」
「桜小路さんには関係ないでしょ、放してください」
「すごくマズかったんだよ、君の血」
なぜか桜小路さんは、俺の手の甲に唇を押しつけた。また吸血されると咄嗟に思い、体がぎゅっと強ばる。
「安心してくれ。この姿のときは血を吸えない。それに――」
「それに?」
「マズい血だってわかってるのに、わざわざ吸わないさ」
カラカラ大笑いして、掴んだ手首を放してくれた。コッソリそれを背中に隠し、着ているTシャツの裾で拭う。なんとなく桜小路さんの唇の感触が、皮膚に残っている気がした。
「もうなにもしない。表に出ようか」
本物の吸血鬼を前にして、怯える心情を知っているのか、桜小路さんは俺の肩に腕を回して狭い隙間から、もと来た道に導く。仄暗い場所から脱出できたことにより、安堵のため息を吐いた。
「瑞稀、もう一度聞く。ちゃんと食べてるのか?」
「へっ?」
友達のような感じで自然に名前で呼ばれたせいで、目を瞬かせて桜小路さんを見上げた。さっきまで笑っていたのに、真顔を決め込まれてしまい、返事がしにくくて、口を引き結ぶ。
「抱きしめたときも思ったんだ。随分痩せてるなと。血のマズさを考えたら、栄養が偏っている可能性がある。それと物事に対する反応速度も、あまり良くないしね」
「えっと、三食きちんと食べてないです。バイト先の賄いで、なんとか飢えをしのいでる状態で」
「なるほど。大学に通いながら、バイトに精を出しているわけか。この時間帯まで働いているのも、バイトの帰りだったんだな」
「まさか吸血鬼に出逢うなんて、思いもしませんでした。そんなに俺の血は、マズかったんですか?」
顎に手を当てて考え込む桜小路さんに、思わず訊ねてしまった。
「今まで吸血した人間の中で、一番マズかった。それに君が催眠にかからなかったことが、未だに謎だったりする」
「そうですか」
「大学とバイト、どちらか楽しいことはないのかい?」
「えっ?」
意外な問いかけに、頭の中が混乱した。楽しいことを思い出したいのに、時間に追われる忙しい生活ばかりが、脳裏に流れていく。
「血のマズさは栄養の偏りと共に、健康的なメンタルにも影響を受けているんじゃないかと思ってね。疲れきった君の表情が、それを如実に表してる」
そう言って、ふたたび俺の腕を掴んだ桜小路さんは、どこかに向かって歩き出した。
「ちょっ、俺もう家に帰るところなんですけど!」
「俺が大学生のときは、オールで夜遊びしていた。それくらいの体力、まだ残っているだろう?」
「体力はありますけど、夜遊びできるような財力が俺にはありませんし、桜小路さんとは違うんです」
ほかにもぎゃんぎゃん喚きたてたのに、桜小路さんはそれすらもおかしいと言わんばかりに口角をあげて笑いかけ、強引にどこかに向かう。
引きずられるように20分ほど歩いた先は、真っ暗な会員制のテーマパークだった。
0
あなたにおすすめの小説
雪解けを待つ森で ―スヴェル森の鎮魂歌(レクイエム)―
なの
BL
百年に一度、森の魔物へ生贄を捧げる村。
その年の供物に選ばれたのは、誰にも必要とされなかった孤児のアシェルだった。
死を覚悟して踏み入れた森の奥で、彼は古の守護者である獣人・ヴァルと出会う。
かつて人に裏切られ、心を閉ざしたヴァル。
そして、孤独だったアシェル。
凍てつく森での暮らしは、二人の運命を少しずつ溶かしていく。
だが、古い呪いは再び動き出し、燃え盛る炎が森と二人を飲み込もうとしていた。
生贄の少年と孤独な獣が紡ぐ、絶望の果てにある再生と愛のファンタジー
今日もBL営業カフェで働いています!?
卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ
※ 不定期更新です。
隠れSubは大好きなDomに跪きたい
みー
BL
ある日ハイランクDomの榊千鶴に告白してきたのは、Subを怖がらせているという噂のあの子でー。
更新がずいぶん遅れてしまいました。全話加筆修正いたしましたので、また読んでいただけると嬉しいです。
僕の恋人は、超イケメン!!
刃
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
サラリーマン二人、酔いどれ同伴
風
BL
久しぶりの飲み会!
楽しむ佐万里(さまり)は後輩の迅蛇(じんだ)と翌朝ベッドの上で出会う。
「……え、やった?」
「やりましたね」
「あれ、俺は受け?攻め?」
「受けでしたね」
絶望する佐万里!
しかし今週末も仕事終わりには飲み会だ!
こうして佐万里は同じ過ちを繰り返すのだった……。
冷血宰相の秘密は、ただひとりの少年だけが知っている
春夜夢
BL
「――誰にも言うな。これは、お前だけが知っていればいい」
王国最年少で宰相に就任した男、ゼフィルス=ル=レイグラン。
冷血無慈悲、感情を持たない政の化け物として恐れられる彼は、
なぜか、貧民街の少年リクを城へと引き取る。
誰に対しても一切の温情を見せないその男が、
唯一リクにだけは、優しく微笑む――
その裏に隠された、王政を揺るがす“とある秘密”とは。
孤児の少年が踏み入れたのは、
権謀術数渦巻く宰相の世界と、
その胸に秘められた「決して触れてはならない過去」。
これは、孤独なふたりが出会い、
やがて世界を変えていく、
静かで、甘くて、痛いほど愛しい恋の物語。
何故よりにもよって恋愛ゲームの親友ルートに突入するのか
風
BL
平凡な学生だったはずの俺が転生したのは、恋愛ゲーム世界の“王子”という役割。
……けれど、攻略対象の女の子たちは次々に幸せを見つけて旅立ち、
気づけば残されたのは――幼馴染みであり、忠誠を誓った騎士アレスだけだった。
「僕は、あなたを守ると決めたのです」
いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。
けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――?
身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。
“王子”である俺は、彼に恋をした。
だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。
これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、
彼だけを見つめ続けた騎士の、
世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる