Piano~ピアノ~

相沢蒼依

文字の大きさ
26 / 58
水戸史哉side

しおりを挟む
***

 その年の春、いつものように新入社員が入ってきた。バイトから正社員に昇格した珍しい女性を見ると、何となく出会った頃の綾に似ているような気がした。

 社交的な綾とは違い、他の新入社員と関わることなく、自分の仕事を黙々とこなしていく姿は、新鮮に俺の目に映った。

 自分を慕っているのが分かっていたのに、距離を縮めようとするとなぜだか距離をおかれる。警戒心の強い猫のような彼女が、気になって仕方なかった。

 ――そんなある日。

 帰ろうとしたらまだ明かりのついている部署があり、誰が残業しているか顔を出してみた。扉から覗くと中林くんがデスクに向かって、何やら書き物をしている。

 確か昨日も、残業していたような……?

 彼女の背後に近付き、そっと声をかけてみる。

「遅くまで頑張りすぎじゃないか? 他の人は帰っているのに」

 振り向いた彼女の顔色は、明らかに悪くて心配になる。まぶたをめくると貧血の兆し、しっとりとした柔かい頬も冷たい。

「ほら、貧血気味になってるじゃないか。普段は何を食べてるんだ?」

「適当に、つまめる物を食べてます」

 きょとんとして答える。

 しっかりしてそうなのに、どこか抜けている彼女に苦笑いした。

 この時は下心など全くなく彼女を自宅に招き入れ、食事をご馳走すべく腕によりをかけた。

「何か、お手伝いすることはありませんか?」

 なんて気を利かせ聞いてくる彼女に、自然と笑顔を返した。するとちょっと照れた感じで視線を外したのが可愛らしくて、妙に心が騒いだ。

 いかん……意識してしまった。

 俺が料理をしている最中、彼女はカバンから何かを取り出して、じっと目を通していた。フライパンを操りながら、遠くからそんな様子をつい見てしまう。

 漆黒の長い髪に、影を落とす長いまつ毛が妙に色っぽい。ソファの隅っこで小さくなって座っている姿も、控えめな彼女の印象をとても良くしていた。

「さぁ出来たよ、たくさん食べてくれ」

 自信作の料理をテーブルに並べる。一生懸命に作った料理を口にして、破顔しながら食べてくれた。

「水戸部長って、料理ができるんですね。しかもどれも美味しいです」

 料理に箸を進めながら褒めてくれることに一安心した。本当に良かった、口に合ったみたいで。

 そんな彼女を見ていると、何だか愛おしくて堪らなくなってくる。久しぶりに家に、明かりが灯った感じ――

 俺がじっと見つめていると、不意に彼女が視線を外して俯いた。少し赤くなっているその様子に、思わずぎゅっと抱きしめる。

「水戸部長っ」

 体をぎゅっと硬くして縮こまる彼女。だけど拒むわけじゃなく、大人しくしていた。そんな彼女の背中を、子供のようにあやしてやる。

 落ち着いてきたのか体の緊張を解いた彼女が、恐るおそる俺を見上げた。真っすぐなその視線が愛しくなり、更に抱きしめてしまう。

 嬉しそうな顔をした彼女が、ゆっくり目を閉じた。それが合図のように、俺は口づけをする。

 お互いの寂しさを埋めるように、この日は抱き合った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end**

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...