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第四章 かめが舞う舞踏会

シャル・ウィ・ダンス?

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 ようやく舞踏室ぶとうしつが開場されて、廊下にいた大勢の人波ひとなみがドッと入り口に押し寄せた。

 むぎゅう。
 慌てなくても全員が入れる広さなのに、こういう時って群衆心理ぐんしゅうしんりというのが働いて、押し合いし合いの大混雑カオス状態になるのよね。

 ええい、あたしは負けないわよ!
 大安売りバーゲンで鍛えたこの腕力わんりょくで、活路みちを切り開いてみせるわ‼
 思い切り腕を広げて人波ひとなみを押し返そうとしたあたしの腰を新一しんいちが優しくさらって、壁際に誘導した。

 え、何よ?

 壁に両手をついてかべドンをして、あたしをその中に入れて人波ひとなみの盾になりながら新一しんいちが目の前で低くささやいた。
「負けず嫌いを発動するな。お前は今、公爵令嬢きくこさまだぞ。」

 た、確かに危なかった・・・。

 あぶなくけの皮を自分でぐところだったわ。
 今はか弱く可憐なあたしのしになりきらなければ!

「困った時に自分一人で解決しようとはするな。横にいる俺を頼れ。」

 厳しい命令口調なのにその目にはあたしを気遣きづかう気持ちがあふれている。
 見たことのない新一しんいちの姿に、あたしは頭がしびれた。

 今までは彫刻とか絵画のように新一しんいちの美しさをでていたのだけど、今夜は大礼服たいれいふくあいまってドキドキの種類が違うように感じるのよ。

 ねえ、この気持ちの名前は何?
 
 ※

 あるていど人波ひとなみの勢いをやり過ごしてから新一しんいちに再び手を引かれて会場に入ると、華やかなよそおいの紳士淑女しんししゅくじょの数に圧倒されたわ。
 その輪の中で、女中が弾く二台の木製ピアノが奏でる音楽に合わせて、体格の良い外国人の男女ペアがダンスを踊っていた。

 1・2・3 1・2・3

 これはワルツよね。
 日本は四拍子の曲が多いから馴染なじみがないけど、三拍子のワルツは白鳥が水面みなもを駆けるような優雅な映像が目に浮かぶわ。

 手を重ね、フロアを自由に舞い踊る2人。

 こんなに上手にステップがめたら、楽しそうよね。
 あたしはダンスの練習中、一度もそんなことは思ったことがないのだけど。

 次第しだいに輪の外側からもダンスに加わる人が増えてきて、会場はより一層いっそう華やかな雰囲気を帯びた。
 アイマスクをしているせいか、今夜は消極的な邦人たちも積極的に踊りに参加しているようだ。

 外国人の踊り手に比べるとその技量レベル雲泥うんでいの差で、ぎこちないシルエットになるのはご愛敬あいきょうだけど、みんながたのしんでこの舞踏会ダンスパーティに参加しているのが伝わるわ。

「菊子。」

 あ、あたしのことよね。
 数秒遅れて振り向くと、細身の女性をはべらせた燕尾服の男が現れた。

 アイマスクで顔は見えないけど、葛丸かつらまる様ね。
 華族はガウンの袖口そでぐちにそれぞれの家の色の刺繍ししゅうが施されていて(公爵家は紫・侯爵家は青・子爵家は赤・男爵家は黄)、ひと目でどこの家の者かが分かるようになっているのよ。

「今夜は特別に綺麗だな。まるで女優のようで思わず目を奪われたよ。」
 嬉しい言葉をかけてくれた後、葛丸かつらまる様はあたしの頭をポンポンと撫でた。

「頑張ったね。ありがとう。」

 てへっ♡
 なに?この役得ラッキー感と達成感は。

葛丸かつらまる様、あまり図に乗せないでください。
 目標にはほど遠いので。」

 横からうるさいわね、新一しんいち
 現実に戻さないでよ!

「さすが新一しんいちだ。お前に任せて良かった。
 引き続き菊子を頼むよ。」

葛丸かつらまるさん、2人にわたくしを紹介してくださらない?」
 場を離れようとした葛丸かつらまる様のガウンを少し引っ張りながら、横にいた細身の女性が微笑んだ。

「失礼しました櫻子さくらこさん。
 菊子、こちらは侯爵家のご令嬢、横峯櫻子よこみねさくらこさんだ。」

 葛丸かつらまる様に紹介されると、櫻子さくらこは優雅にドレスの裾を広げてお辞儀じぎをした。
「ごきげんよう。
 もしかしたら、噂の妹さんかかしら?」

 噂って?

「【立てば芍薬しゃくやく歩けば牡丹ぼたん、歩く姿は百合ゆりの花】をでいくご令嬢と聞いておりますわ。
 今夜はその美しいお顔が見られず残念ですが、お見知りおきを。
 来月行われる侯爵家の茶話会さわかいには、ぜひお招きさせてください。」

 ヒエッ、それは確か美人の形容詞よね。
 確かに菊子様ほんにんならその通りだけど、あたしは一生、その茶話会さわかいとやらには顔を出せないわね。

「ぜひ、その時は隣に居る殿方もご一緒にいらしてね。
 ね、後でダンスを申し込んでもよろしくて?」

 鼻息荒く新一しんいちに迫る姿は醜悪しゅうあくで、あたしが習った深窓しんそうの令嬢にはほど遠かった。
 うん、決めた。肉食きょうりゅう令嬢じょしと呼ぼう。
 
 苦笑いをしながら櫻子さくらこ葛丸かつらまる様を見送ると、あたしに新一しんいちが耳打ちした。

櫻子さくらこ皇妃プリンセス候補の1人だ。」
「嘘はつけなさそうなお人柄ひとがらだったわね。」
「まあな。
 思ったことをベラベラと素直に話す分、味方につけやすそうではある。」

 そんなこと思って話していたの?
 あたしは背筋が寒くなった。

「そういえば、さきほどの【立てば芍薬・・・】のくだりはお前にピッタリの言い回しだったな。」

 やだ。珍しくあたしをめてくれるなんて、照れちゃう。
 思わず赤面したあたしを見て、新一しんいちが口の端をニヤリと上げた。

「この言葉の本当の意味は、漢方薬に配合される生薬しょうやくせんじ方を表したものなんだ。
【健康な女性は芍薬・牡丹・百合の花のように美しい】ということ。
 まさにピッタリなことこの上ない。
 菊子かめ様以上に健康的ではちきれんばかりの体を持つ邦人女性にほんじんは、この舞踏室には居なそうだもんな。」

 ああ、やっぱりこれが新一しんいちよね。
 ちょっと壁ドンされたくらいで舞い上がったタコみたいになっていた自分を、今すぐひきずりおろしたいわ・・・。

「それではお嬢様、シャル・ウィ・ダンス?」

 新一しんいち二角帽にかくぼうを取り一礼をすると、華麗にあたしに右手を差しだした。

 不貞腐ふてくされたあたしは、口をとがらせてそっぽを向いた。
肉食令嬢さくらこを誘いなさいよ。喜んでしっぽを振ってついてきてくれるわよ。」

「たまには、俺の意見も聞いてくれ。」

 新一しんいちはあたしの手をとり左手で肩を抱くと、強引にフロアに連れ出した。

「お互いが一礼をしてからダンスを始めるのが基本じゃなかったの⁉」

 あたしは慌ててステップを合わせながら移動した。
 高いヒール靴がもつれて足に引っ掛かりそうになると、新一しんいちがうまく肩を支えてくれて、ホッとしたわ。

「基本は基本。応用は実戦で教えるよ。では、レッスン開始!」

 ニコニコと楽しそうに踊る新一しんいちは、長い脚を最大限に生かしてフロアを飛び回った。
 流れるようなステップは1・2・3とリズムを数えるひまがないくらい、なめらかに途切れることなく床を踏んでいく。

 困ったのは、練習通りに新一しんいちが踊らないことだった。
 急にターンを2回してみたり、ワルツの合間にコミカルなワンステップを取り入れたりするのよ。

 あたしが戸惑って足が止まると、その度に新一しんいちが無邪気な笑い声を上げてあたしの腰を取って誘導する。
 はじめはついていくのに必死でカチカチだったあたしも、途中から真面目にするのが可笑おかしくなって、自由に踊ることにしたわ。

 そうすると、音楽が体の中を自在に飛び跳ねて、自然にお腹の底から笑いがこみ上げてきたの。
 習っている時は必死ひっしすぎて思ったことが無かったけど、ダンスってこんなに楽しいものなのね。

 ひとしきり踊って疲れると休んでまた踊ってを繰り返し、あたしたちは汗をかいて倒れ込んだ。

「もう、ダメ。少し休みましょう。」

 長時間ダンスを踊るってものすごい運動量エネルギーなのね。
 あたしは締め上げたコルセットに隙間すきまができているのを見つけて驚いたわ。

 待って。
 ということは、ごちそうを食べても吐かなくていいんじゃない?

 飲み物を取りに行った新一しんいちを背にして、あたしは一目散いちもくさんにご馳走ちそうが並ぶテーブルに走っていった。

 影武者きくこさまは、一時休止おやすみよ!

「チキン、ポテト、ステーキ、ケーキ、クッキー、カステラ!」

 自分が食べたいものを呪文のように呟きながら、よだれを抑えて立食のテーブルに駆け寄ると、目の前に立っていた人をけきれずにあたしは派手に体当たりしてしまった。

 ドカッ‼

「・・・ッ、ご、ごめ・・・なさい。」

 尻もちをつきながら謝ったのだけど、相手の紳士もあたしにぶつかったせいで体制を崩していた。
 しかも、持っていたグラスの赤ワインが彼の白い上着にかかって濡れていたのよ・・・。

 わーん、本当にごめんなさい!
 青ざめたあたしは持っていたハンカチーフを当てて水分を吸わせたけど、こんなんじゃシミになるのは時間の問題。

 洗濯で、一番の基本はすぐに洗うこと。
 赤ワインは水溶性だけど、赤い色素は時間が経つと落ちにくくなるから、短期決戦が定石セオリーなのよ。

 礼服ではないから一般の参加者ね。
 きっと、舞踏会に出席するために大枚をはたいた一張羅よそいきで来ているはずよ。
 あたしは紳士の気持ちを思うと、申し訳なさで胸がいっぱいになった。
 
「すぐに水場に行きましょう!」
 相手の反応も見ずに、あたしは紳士の手を取るとドレスのすそつかみ、大急ぎで階段を駆け下りた。


 
 



 
 

 
 
 

 

 

 

 
 
 
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