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第五章 かめ、運命の邂逅

仮面を外して

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 1階の奥の女中部屋の横には手洗い場があるの。
 ここなら舞踏会パーティに来る来賓おきゃくさまは通らないから、誰にも見つからずに上着を洗うことができるはずよ。

 戸惑うとまど紳士に急いで上着を脱いでもらうと、あたしは水道の流水を汚れに当て、何度もつまみ洗いをしてワインの赤色を抜いた。

 大きく開いた胸元に飛び散る水しぶきが冷たいけど、構ってなんかいられないわ。
 しばらくすると、生地きじが完全に白い色になってどこに赤ワインをこぼしたのか分からない位になったの。

 「すぐに洗ったから、綺麗に色が抜けたわ。」

 ホッとして濡れた生地きじにタオル2枚を挟み込んで水分を抜く。
 それから厨房からもらってきた炭火すみびをアイロンに入れて、残った湿しめり気を蒸発させて乾かした。

「良かったですね、シミにならなくて!」

 ついでに全体にアイロンをかけて新品のようにシワがのびた白い背広を手渡すと、紳士は喜んでそでを通してくれた。

「ありがとうございます。手際の良さに驚きました。」

 おほほ、伊達だてに女中を15年もやっていなくてよ。
 アイマスクのせいで紳士の表情かおはよく分からないけど、褒められると嬉しいなッ♪

「しかし見たところ、貴女あなたは華族の令嬢なのではありませんか?
 女中のような仕事をさせて本当に申し訳ありません。」

 あたしはちょっとムッとした。

「別に、華族の令嬢が洗濯をしても何の問題もございません。」

 人類平等なんていうけど、この世は差別で成り立っているのはあたしが一番よく分かっているわ。
 でも、あたしは奉公しごとに誇りを持ってやっていた。

「女中を馬鹿にするような発言はしないでください。」

 女中は奴隷ではないし、そう見られたくはない。

「職業に貴賤きせんは無い、というのがわたくしの座右ざゆうめいです。
 例え男性あなたが洗濯をしていも、他人に『女中みたいだ』と指をさされるような不義ふぎではなくってよ。」

 紳士はハッとして狼狽うろたえた。

「自分の言い方が悪かったようですね。
 気を悪くさせてしまったなら、ごめんなさい。」
「いいえ。わたくしは単に自分の意見を申し上げただけですわ。
それでは、これで失礼いたします。」

「待って。」
  軽く会釈をしてその場から離れようとしたあたしを、紳士は呼び止めた。

「貴女の心は美しく澄んでいて、しかもしたたかな女性のようだ。
 もし貴女が綺麗にしてくれたこの背広で、今夜、一緒にダンスを踊りたいと申し込んだら・・・了承していただけますか?」

 まわりくどい言い方だけど、新一風しんいちふうに言えば『シャル・ウィ・ダンス』ということ?

 さあ、どうしよう。
 隣に新一しんいちが居ないから、この申し出を受けていいのか分からないわ。

 グ ウ ゥ~ キュル キュル キュル ゴゴゴゴ

 その瞬間、恐ろしく大きないびきのような音があたしのお腹から響いた。

「あの、」
 あたしは空気を読まないお腹が鳴るのを止められず、赤面せきめんした。

「食事をしてからでもいいですか?」

 ※

 2階の舞踏室に戻るとさらに人が増えていて、新一しんいちの姿は見えなかった。
 もしかして、あたしを探して彷徨さまよっているのかしら。

 後ろ髪を引かれる思いをしながらも、あたしはご馳走を目の前にすると心の中で歓喜の雄叫おたけびを上げた。

 やったー!バンザーイ‼ 

『腹が減っては戦が出来ぬ』昔のおさむらいさんの名言よね。

 それでは早速さっそく、いただきまーす♡

 菊子様は一口ひとくちがとても小さく、良く咀嚼をしてかんで食べていたわね。
 でも、飢餓きが状態のあたしはできるだけ大きく一口に頬張りほおばながら、あまり噛まないで飲み込んだ。

 だって、こうしないと食卓テーブルの端から端までぜーんぶ味見できないじゃない。

 ん~、それにしても約2か月ぶりのちゃんとした白飯ごはんは涙が出るほど美味びみなのよ!
 チキンやステーキも良いけど、味噌汁や漬物も最高‼

 例えるなら、倦怠期けんたいきを過ぎた恋人同士が改めてお互いを意識しあうような感じかしら?

(あたしに恋人が居たことはないのだけど。)

「かわいらしい人だね。」
 紳士があたしの食べっぷりを見ながら、クスクスと笑った。

「喜怒哀楽が見て取れて飽きないし、とても美味しそうに食事をするのも好感が持てるよ。」

 まずい。

 あたしは指に残る米粒をなめ取りながら、青ざめた。
 新一しんいちに『品が無い』と言われたことを全部やってしまったわ。

 ※

 あたしは紳士を引っ張って、冬は寒くて人気ひとけがない露台バルコニーの端に来た。
 それから彼に頭を下げたのよ。

「ごめんなさい。
 今夜のこと、まるっと全部忘れてください!」

 紳士は黙って露台バルコニーからの風景を眺めている。

 二月の夜空に白い息が立ち昇って、満天の星空に消えていく。
 あと一ヶ月もすれば芽吹めぶくはずの桜の木も、ジッと寒さに耐えていた。

「あたしが令嬢らしくない振舞いをしたこととか、はしたない食べ方をしたことをです。」

 紳士はあたしに何かを言いかけたけど、諦めたようにうつむいた。

 煮え切らない男。
 きっと、優柔不断なのね。

「もう、ちゃんと聞いて下さい!」
 あたしはなかなか返事が貰えないので、ごうを煮やして紳士の目の前にめよった。

「約束してください! 私と会ったことを忘れると。」

「忘れられそうにないよ。」

 紳士は突然、あたしのあごをクイッと持ち上げると、仮面の奥のまっすぐなであたしをじっと見つめた。
「どうも、貴女は私の知り合いに似ているようだ。」

 その声と紳士の指先からにおってきた甘い香りに、あたしはハッとした。

 聞き覚えのあるハスキーな声に白檀びゃくだんの香り。
 もしかしたら、この人は・・・。

大蒼たいせい?」
 
 紳士はホッとしたように柔和やわらかな笑みを浮かべた。
「やはり、かめだったんだね。」

 大蒼たいせいはアイマスクを外して、黒い前髪をクシャッと振り払った。

「あまりにも昨日と格好が違うから、本当に君なのか自信が無かったんだ。
 でも、話している内に確信に変わっていって・・・ねえ、その仮面を取ってもらってもいい?」

 あたしはうなずいてアイマスクを取った。
 大蒼たいせいは黒い大きな瞳をうるませた。

 ああ、本当に大蒼たいせいだわ。
 なぜ、すぐに気がつかなかったのかしら。

 そう思ってよく見たら、昨日はポマードで固めたオールバックだったけど、今日は無造作むぞうさで自然な髪だということに気がついた。
 髪型で印象って、ずいぶん変わるものなのね!

「無事で良かったわ!
 あれから、どうしていたか心配きがかりだったの。」
 あたしは、嬉しくて大蒼たいせいの手を取って飛び跳ねた。

「私もかめが心配で・・・もしかして会えないかと思って、ここに来てみたんだ。」

 わざわざあたしを探しに来たということ?
 色男イケメンにそんなこと言われるなんて、感無量かんげきだわ!

「かめのおかげで、覆面の男たちと取引をしていた男の身柄みがらは拘束できたよ。
 ただ、それを操っている黒幕にまでは手が届かなかったし、男たちの行方も分からない。
 トカゲの尻尾を捕まえたに過ぎなかったみたいだね。」
「じゃあ、まだ危険なことをする気なの?」
「そうなるかな。」

 その時、曲が転調した。サックス奏者そうしゃが現れたのよ。
 会場にはしっとりとしたバラードが流れ始めた。

 室内が暗転あんてんして、使用人たちが持ってきたランタンに小さな灯火あかりをともした。
 それまで騒々しかった会場内がひそやかな小波さざなみのようにかすかになり、男と女が頬を寄せて寄り添い、抱き合って踊る。

 これはチークダンスね。
 イチャイチャする男女を見ていると、胸がモヤモヤするのはあたしだけ?

 会場フロアから目をらしたあたしに、大蒼たいせいが甘えた声を出した。
「かめ、踊ろうよ。」

「へっ⁉ あたし、このダンスは踊ったことがないわ。」

 大蒼たいせいは構わずあたしの腰に両手を回して引き寄せた。

「大丈夫。
 わたくしの首に両手を回していればいいから。」

 言われた通りに大蒼たいせいの首に両手を回すと、目を閉じて音楽に身をゆだねてみた。
 外気温が低いせいか、大蒼たいせいの体温が熱くて心地ここちよく感じる。

 露台バルコニーで踊っているのはあたしたちだけだった。
ちょうど窓のきわ衝立てついたてがあって、覗きこまないとあたしたちが居ることすら分からない場所なの。

 動くたびにギシギシと足元できしむ木の音が、会場に聞こえやしないかとあたしは気が気でなかった。

「もっとくっついて。」

 甘やかなハスキーボイスがおでこのすぐ近くで聴こえて目を開くと、大蒼たいせいの綺麗な顔が間近にあって、あたしは腰がくだけそうになったわよッ!

 あたし、みんなに言ったわよね。

 色男イケメンを見て殺されても、自業自得じぶんのせいだよって!
 声を聴くのも危険だって、どこかにメモしておいてね!

「もっと腕を絡めてよ。その方が踊りやすいから。」

 新一しんいちと踊った時とは180度違うダンス。
 あたしはまだ寒い2月の露台バルコニーだというのに、身も心も熱さでとろけてしまいそうになったわ。
 
「昨日、別れてからずっと君のことだけが頭から離れなかった。」

 不意につぶやいた大蒼たいせいの言葉が、あたしを捕らえて離さない。

 心臓はバクバク・ドキドキしっぱなし。
 えっと、もしかしてこのまま死ぬ伏線フラグ
 
「エプロン姿も可愛かったけど、今夜は本当に、本当に綺麗で・・・。
 ねえ、どっちが本当のかめなの?」

 あたしの肩に頭を沈めた大蒼たいせいが囁くと、耳に彼の唇が触れた。

 はい、即死しにます
 主人公だけど。

 絶対に死に伏線ムリゲーよ。

 それではみなさん、お元気で!

 



 

 

 

 


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