夢のなかの論理

奈越 三郎

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夢のなかの論理

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 霧立ち込める山の奥深く、川の水は、何かに追い立てられるかのように急ぎ足で流れていく。私は川岸に立ち、足下に転がっている石っころを無造作に取り、水面に向かってそれを投げた。何度も何度も繰り返し、石を投げ、石を投げ、石を投げた。

 本来なら、川岸に座り、石を積み上げていくべきなのだろう。しかし、そうだと分かっていながら、私は座ることすら拒んでいた。どうしてそういう気持ちになったのか、考えてみるが検討もつかない。澄んだ水の中で、悠々と泳いでいく魚を、憎いと思ったからなのかもしれない。

 「そこの坊や」

 声が背後から聞こえてくる。坊やと呼ばれて、自分が坊やであることに気づく。握っていた石ころを地面に落とし、掌を広げて見ると、確かに子どもの手をしている。

 「魚が水音で目をさましてしまうから、石を投げるのをやめないか」

 嫌だ、と私は言う。石を投げるのも投げないのも私の自由じゃないか、という言葉が頭に浮かんで離れない。なにより、石をただ積み上げるなんて退屈な作業に明け暮れることが嫌だった。

 「ならば一つ面白い話を教えよう。私の指す方へ歩いていくと、花が一輪咲いている。その花のある辺りを掘れば、人骨が出てくるだろう。その骨の全てを花の近くにある小屋にもっていき、その骨の一つ一つと接吻をするがよい。すると骨は少女になる。少女になるが、部屋から出してはならない。部屋から出せば、たちまち元に戻るから。面白いと思ったなら魚を起こすのをやめてくれ」

 私は振り向いた。そして白髪と白ひげの老人を見た。彼は微笑んだ。私の目はその顔を捉え、笑みを浮かべるその老人の話を信用してもいいのだと考えた。このままここにいても退屈するだけなのだから。

 「分かった」

 「そうか、従うのか。なら私の指す方へ歩いてみるがよい」

 老人は川の反対向きに進んでいくよう、促した。私は指示されるがまま、その方向へと歩いていく。花は容易に見つかり、私は両手で地面を掘った。しばらくして私は人骨を見つけた。人骨を見つけた私は、近くにある小屋にその骨の一つ一つを持ち込んだ。

 私は床に転がった骨の一つを拾い上げ、接吻をしてみる。骸骨の右腕に接吻すると、私の右腕の肉が消え、骸骨の右腕に肉が付いた。骸骨の左足に接吻をすると、私の左足の肉が消え、骸骨の左足に肉が付いた。私の体は骨になっていき、骸骨が血色の良い少女になっていく。

 四肢を胴体にくっつけると、彼女は動き出した。

 「ここはどこ?」

 「ここは川のそばの小屋。服、欲しいかい?」

 「欲しいわ。少し寒いの」

 私は服を脱ぎ、何も服を着ていない彼女に服を渡した。服の着方が分からず手間取る彼女に、脆い骨の手で服を着せる。私はすっからかんの骸骨なのだから、服など着る必要などなかった。何か今までの記憶があるかいと尋ねると、彼女は故郷も過去も何一つ知らないと言った。

 何も覚えていない人間とする話などあるのだろうかと、悩んでみたが答えは出ない。そのまま思いあぐねていると、彼女が、ねぇと言って思考を遮った。

 「ねぇ。どうして骸骨になったの?」

 「それは君に肉をあげたから。だから骨になってしまったんだ」

 彼女は黙ってしまった。何か思い悩んでいる様子の彼女に、大丈夫?と聞くと、大丈夫と答えが返ってくる。私は自分が坊やであることを思い出した。これは坊やの骸骨である自分が話す内容ではない。もっと無邪気な話をしなければと、そう思った。

 待てよ。自分が坊やの骸骨であるならば、なぜ私は動いている?自分が骸骨であるならば動いていいはずがないではないか。そう考えたのが、私の終わりであった。私を構成していた骨は四散して、崩れ落ちてしまう。

 たちまち何も見えなくなる。かすかになっていく意識の奥で、立ち上がった彼女の布が擦れる音を聞いた。足音も聞こえる。小屋の引き戸が開いた。そこで私の感覚は途切れた。

 気がつけば、私の身体は元に戻っている。手を見れば、そこに子どもの手がある。外に出ると、先ほど掘り出した少女の骸骨がある。彼女は外に出てしまったのだ。かなりの後悔があったが、何も言わず、骨の一つ一つを拾い上げていく。今度は外に出るなと言っておこうと、私は考えていた。

 「また試すのかい?」

 それはあの老人の声だった。私は顔を上げ、表情の分からない老人に向けて頷く。

 「じゃあ桃を二つあげよう。きっと彼女も喜ぶだろうから」

 私は桃を二つ受けとる。仙人のような風態のその老人は、霧にまぎれて何処とも知らず去っていった。私はもう一度試そうと、少女の骨の一本一本を丁寧に持ち上げ、小屋に運んでいく。そして運び終えると、二つの桃を足元に置き、一度目と同じように全ての骨に接吻をし、私は骸骨になり、少女の骸は肉体を得た。

 「また肉をくれたの?」

 私は目を開けてそう尋ねる彼女に、そうだねと答える。彼女に私はどう映っているのだろうか。やはり骨のみの体で動くはずがないのではないかと、疑念が頭をよぎり、体がたちまち崩れ始める。このまま何もできずに動けなくなるのだろうか。やはり論理に体を縛られたままなのだろうか。

 いや、そうではない。私は残された気力を振り絞って、私も人間だと言ってくれっと叫んだ。しばらくの間があった後、彼女は私の頭蓋骨を撫で、あなたは人間、だから動けるのと返答する。私はその言葉にすがり、疑念の芽を摘み取った。地面に落ちていた骨の一つ一つがまた私の体を構成する。

 「ありがとう。おかげで助かった」

 「どういたしまして。でも、私の言葉であなたが蘇るなんて不思議ね」

 「そうだね。桃食べるかい?」

 私は足元に置いておいた桃を彼女に渡す。彼女はそれを受け取り、皮も剥かずに齧りついた。こぼれ落ちた果汁が顎をつたい、雫となって彼女の脚を滑り落ちていく。じっとその光景を見ていた私は彼女が愛おしくなり、無性にその頬を撫でたくなった。

 「頬を撫でてもいいかい?」

 「どうして?」

 「果汁が頬についているから」

 「そう、自分で拭えるよ」

 彼女は右手に頬に当て、こすった。それからにこりと笑って、おいしい、ありがとうと言い、くしゃみを一つした。私は彼女が何も服を着ていないことに気づいた。そのままではいけないと思い、家の前に置き忘れていた服を取りに、私は外へ出ようとした。

 「ねぇ、私も外に出ていい?」

 彼女は桃を食べるのを止め、私に聞く。それがいいはずがない。彼女はこの小屋を出たが最後、死んでしまうのだ。彼女を外に出してはならない。出ていいのは私だけなのだ。私は早口で、それはだめだと否定した。懇願、と言ったほうが適切かもしれない。

 「じゃああなたは骨よ」

 彼女は叫んだ。私は衝撃のあまり自信を喪失し、私を構成していた骨はたちまち崩れ去った。遠のいていく意識のなかで、私は彼女が私の頭蓋骨を持ち上げたのが分かった。そのまま彼女は外に出て、私の頭蓋骨を抱きしめて、きれいね、と言って、骨に戻った。

 私の生首は地面へと落ち、草むらに埋もれて、目は、いつの間にか晴れ渡っていた空で、確かな輝きをもって広がる星々と対峙する。その光景に私はこのために生きてきたのだと、錯覚しそうになった。しかしそうであるはずがない。自分の悲鳴で目が覚める。
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