上 下
23 / 44
第2章 僕が摂政をやらなければならないの!?

第22話 神聖術の歴史

しおりを挟む
 休憩を挟み、プレミュデス先生による「共通科目」の講義は、神聖術の歴史に関する話に入った。


「続いて、神聖術の歴史について講義致しますが、歴史の話は最低限の要点に絞ってお話しするとかえってつまらなくなりますから、多少雑談を交えながら進めて参りましょう」
「よろしくお願いします」
「ローマ帝国にはじめて神聖術がもたらされたのは、世界暦で申し上げますと6182年頃、聖者カリニコスが聖なる都に現れ、聖なる都を包囲しようとしたサラセン人の艦隊を、不思議な術で焼き払ったときとされております。
 その後、カリニコスとその弟子たちは聖なる都に留まっておりましたが、彼らの術は神のもたらした聖なる術であるのか、それとも悪魔のもたらした術であるのか、様々な議論がございました。
 しかし、世界暦6228年になると、時の皇帝レオーン・イサウロスが、再度聖なる都へ侵攻してきた不信仰の徒であるサラセン人の撃退にあたり、カリニコスの弟子たちが多大な功績を残したことを理由に、一部聖職者たちの反対を斥け、カリニコスの弟子たちが使う術を『神聖術』として公認するとともに、神聖術はローマ帝国の最高機密に属する、聖なる技術とされました。
 なお、ここでは『神聖術』と略しておりますが、正確には神に嘉された術であることを強調するため、『コンスタンティノス大帝と神の母マリアと聖霊の力によってもたらされた父なる神の御業』という、大仰な名前が付けられたのでございます」

「どうして、一部の聖職者たちは、神聖術の公認に反対したのですか?」
「一言で申し上げれば、得体の知れない術であり、神ではなく悪魔がもたらしたものである可能性も、否定できなかったからでございまする。
 この時代に活躍したという、伝説上の術士として名が知られておりますのは、カリニコスの高弟である赤のマリリス、白のクラーケトス、青のティアマトス、緑のリットスであり、彼らによって赤、白、青、緑の4学派が形成されたという伝承がございますが、こうした人物の実在性には疑義が示されていることもあり、特に覚えて頂く必要はございませぬ。
 レオーン・イサウロス帝の時代に、はじめて神聖術が帝国の最高機密として公認され、この頃に4学派が形成され、秘密裡に各種神聖術の研究が始められるようになったということを覚えて頂ければ、十分でございまする」
「分かりました」

「しかしながら、レオーン・イサウロス帝以後のローマ帝国は、サラセン人の侵入を跳ね返して再び興隆期に入り、公認はされたものの未だ悪魔の術という疑いが晴れない神聖術の力に頼らずとも、勢力を拡大できる状況にありました。
 また、この時代には聖像破壊運動という、帝国の教会を二分する大きな宗教問題があり、神聖術は主に聖像破壊派の聖職者によって支持されたことから、後にこの問題が聖像崇敬派の勝利で決着すると、神聖術は半ば異端視されてしまい、研究自体がほとんど行われなくなってしまった時期もございました」
「先生、聖像破壊運動って、僕は詳しく知らないんですけど、それって結構長い話になりますか?」
「残念ながら、正確にお伝えしようとすると、結構長い話になってしまいまする」
「……じゃあいいです。次の時代のお話をお願いします」

■◇■◇■◇

「本日は、帝国の宗教史をお話しする時間ではございませんので、それが賢明でありましょうな。
 その後、ローマ帝国は小バシレイオス帝の時代に最盛期を迎えますが、その後は国内の権力争いなどもあって帝国は急速に衰退し、それに伴い従来はほとんど無視されてきた神聖術も、帝国再建の鍵を握る秘術として再び注目されるようになりました。
 そして、帝国が滅亡寸前という危機的状況の許で帝位に就かれた大アレクシオス・コムネノス帝は、帝国再建のため様々な改革に着手されましたが、そうした諸改革の一環として、これまで一部術士たちの任意に任せていた神聖術士の教育制度、神聖術の研究制度についても、整備が行われました。
 同皇帝時代の世界暦6603年には、学士・修士・博士という3段階の学位が制定され、また4学派のいずれへ進む者に対しても、共通科目についての講義と実践を行う、現在行われている教育課程の基礎が定められたのでございまする」

「そういえば、以前テオドラも言ってましたけど、どうして術の実践力より、研究を重視する体制が築かれたのですか?」
「現在は神聖術の在り方も多様化しておりますが、大アレクシオス帝時代のローマ帝国では、神聖術といっても石油の力を借りて敵船を燃やしたり、暗い所にちょっとした灯りをつけたり、ちょっとした怪我を治療したり、水を凍らせてシャーベットを作ったりといった程度の術しか無かったのでございます。
 神聖術は、大いに活用すれば帝国再建の鍵を握る秘術になり得ると言われておりましたが、それを実現するにはまず、停滞していた研究を本格的に進めることが必要な時代でございました」
「なるほど、わかりました」
 その程度の術では、確かに帝国の運命を変えるほどの存在にはなり得まい。

■◇■◇■◇

「さて、大アレクシオス帝による改革以後、神聖術の研究には国家予算による褒賞金が付くようになったこともあり、多くの知識人が神聖術士となって新たな術の研究を行うようになりました。
 大アレクシオス帝の孫にあたるマヌエル帝の時代には、そうした改革の成果がある程度実を結び、神聖術もより多くの場面で使われるようになったのでございます。
 例えば、マヌエル帝が、トルコのスルタン、クルチ・アルスラーンを聖なる都へ招待したときには、10人以上もの術士を動員して、玉座の間を夜の星空のような空間にし、その中から皇帝陛下が光輪付きで現れるという華やかな演出を行い、スルタンを仰天させたという逸話が残っておりまする」
 ……どこかで見せられたような演出だな。

「あの先生、そういう単なる演出ではなく、もっと実際の戦争なんかで役立つ術というのは、開発されなかったんでしょうか?」
「この国では、実際の役に立つ技術といえば、何よりも皇帝の威厳を示すために使われるのでございます。
 神聖術だけではなく、帝国の自然科学を大きく発展させた数学者レオーンも、皇帝の宮殿を飾るための、黄金の吠えるライオンやさえずる鳥を発明して皇帝の信任を得ておりますし、神聖術がほとんど無視されていた時代も、術士による不思議な見世物芸は帝国に有用な存在とされ、それによって神聖術は生き永らえたのでございます」
「……この国が劇場国家というのは、本当の話だったんですね」


「まあ、この時代に発明された術の全てをお話しするわけには参りませんので、目立った逸話だけを選んでお話しているという事情もございますが、もう1つこの時代を語る上で欠かせないのが、『好色家』ヨハネス・コムネノスという術士でございまする」
「どんな人だったんですか?」
「ヨハネス・コムネノスは、緑学派の術士なのですが、『好色家』というあだ名を付けられるだけあって、要するに子作りを楽しむための術をいろいろと発明したのでございます。その中でも、最も物議を醸したのが、女性を発情させて口説き落としやすくする術でございましてな」
「そんな、明らかに邪な目的で作った術であれば、当然教会によって禁呪とされたでしょうね」

「ところが、そうはならなかったのでございまする」
「え?」
「ヨハネス・コムネノスが発明した『発情』の術は、いわゆる女性の不妊治療に効果がある、特に男の子が生まれやすくなると本人が熱心に主張いたしまして、本当にそのような効果があるか、調査が行われることになりました。
 そして、マヌエル帝は長い間嫡出の男児に恵まれず、一時は娘婿である隣国マジャルのベーラ王子を世継ぎに据え、ローマ帝国とマジャル王国の統合を目論んだこともあったのですが、マヌエル帝が自らお妃に『発情』の術を試されたところ、見事アレクシオス皇子がお生まれになりました。
 蛮族のマジャル人をローマ帝国の次期皇帝とすることに不満を持っていた民衆は、アレクシオス皇子の誕生をことのほか喜び、『発情』の術も不妊治療を目的とする術として教会にも公認され、ヨハネス・コムネノスは救国の英雄とまで称えられるようになったのでございまする」
「……なんか、この国のモラルというものが、よく分からなくなってきたんですが」


「まあ、マヌエル帝ご自身をはじめ、その後の歴代皇帝は性的モラルなどあって無きが如しというお方ばかりでしたので、致し方ござりませぬ。なお、『好色家』ヨハネス・コムネノスについては、その名前が知られているだけで、その正体は明らかではござりませぬ」
「でも、ヨハネス・コムネノスって、名前からして皇帝一族ですよね? それなのに正体不明って、どういうことなのですか?」
「帝国史上、ヨハネス・コムネノスと名乗った貴族が多すぎて、どのヨハネス・コムネノスだか特定できないのでございまする。
 現在、この時代の歴史を編纂しているニケタス・コニアテスの申すところによりますと、ヨハネス・コムネノスという貴族は20人以上おり、どんなに調査を尽しても、『好色家』のあだ名で知られるヨハネス・コムネノスが、そのうち何者なのかは特定できなかったそうでございまする」
「なんで、同姓同名の別人がそこまで多いんですか?」


「これには、わが国特有の事情がございまする。コムネノス家から初めて皇帝となったのは、イサキオス・コムネノスという軍人だったのですが、彼は統治に失敗し、短期間で退位を余儀なくされました。
 後に皇帝となった大アレクシオス・コムネノス帝は、イサキオス・コムネノス帝の弟にあたる、ヨハネス・コムネノスの次男でございますが、ヨハネス・コムネノスとその妻アンナ・ダラセナは子沢山で知られ、長男イサキオス、次男アレクシオス、三男アドリアノス、四男ニケフォロスという4人の息子と、年長順にマリア、エウドキア、テオドラといった娘が生まれ、娘たちはそれぞれ名門貴族に嫁いで行かれました。

 そのうち、イサキオス・コムネノス退位後の歴代皇帝を輩出し、当時の帝国で最も有力な家門であったドゥーカス家のイレーネ・ドゥーカイナ様を妻に迎えた次男のアレクシオス様が、ドゥーカス家の支持を得てクーデターを起こし帝位に就いたわけですが、わが国では長男の名前を祖父から、長女の名前を祖母から受け継ぐという風習がございまして、コムネノス4兄弟に長男が生まれたときは、皆ヨハネスと名付けられました。
 このうち、皇帝になったのはアレクシオス帝の長男ヨハネスでござりますが、この時代にはヨハネス帝以外にも、3人のヨハネス・コムネノスがいた計算になります。そして、慣例に従えば、4人いるヨハネス・コムネノスの孫も同様にヨハネス・コムネノスと名乗ることになりますので、ヨハネス・コムネノスという名の貴族はねずみ算式に増えるわけでございまする」
「ややこしいですね」

「さらに話をややこしくしているのが、有力貴族に嫁いで行ったアレクシオス帝の姉妹や娘たちの子孫でござりまする。アレクシオス帝とイレーネ・ドゥーカイナ様も子沢山であったため、アレクシオス帝は姉妹や多くの娘たちを帝国内の有力貴族に嫁がせることができ、こうした有力貴族との婚姻同盟により長期間在位し、かつ自分の長男ヨハネスに帝位を継がせることに成功なされました。
 これにより、コムネノス家とドゥーカス家こそが帝国で最も高貴な家門であるとの評価が確立すると、母系でコムネノス家の血を引く帝国貴族たちは、父方の姓を名乗らず、コムネノスまたはドゥーカスの姓を名乗る者が多くなりました。
 例えば、アレクシオス帝の長女で、父帝の功績を称える『アレクシアス』という歴史書を著しているアンナ・コムネナ皇女様は、夫のニケフォロス・ブリュエンニオスとの間に2人の息子をもうけているのですが、2人ともブリュエンニオスの家門名を名乗らず、長男はアレクシオス・コムネノス、次男はヨハネス・ドゥーカスと名乗っておりまする。
 こうなりますと、ヨハネス・コムネノスという名の貴族は、もはや帝国ではありふれた名前になってしまい、名前だけではコムネノス家のうちどの家系に属する者か分からないという事態に陥ってしまったのでございます。
 こうした事態に乗じ、本当はコムネノス家の出身でない者が偽名を使ったという可能性もあり、本人が自らの出自については何も書き残しておらず、生没年も不詳であるため、もはや真相は解明不能というわけでございまする」
「なんか、よく考えると頭痛がしてきそうです。次の話に進んで頂いて良いですか?」

■◇■◇■◇

「まあ、『好色家』ヨハネス・コムネノスの話は、ちょっとした余談ですからな。マヌエル帝の時代には、もっと重要な変化が起きており、女性初の神聖術士はこの時代に現れておりまする」
「それまで、女性の神聖術士はいなかったんですか?」
「はい。そもそも、神聖術を学ぶことができるのは男性の貴族や知識人に限られており、女性が神聖術を学ぶと忌まわしき魔女になってしまうおそれがあるとされ、女性は神聖術を学ぶこと自体、長らく禁止されておりました。
 ところが、マヌエル帝の娘であるマリア・コムネナ様は、父帝の体調が悪くなると、自ら神聖術を学んで父帝の看護にあたりたいと懇願し、これをマヌエル帝が博士にはならないという条件付きで認めたことから、マリア・コムネナ様は、女性初の神聖術士となられました。

 それまで、術士の適性値は70台が最高と言われていたのですが、マリア・コムネナ様は適性85と、これまでになく高い適性値をお持ちであり、これまで机上の空論として開発されていた、実際に発動させるには適性80以上が必要とされていた術の多くを実際に発動させ、多くの者を驚かせることになりました。
 そして、老齢のため余命いくばくもないと言われていたマヌエル帝が、大方の予想に反し享年82歳という稀なる長命を保たれたのは、マヌエル帝の看護にあたったマリア・コムネナ様の功績が大きいとされておりまする。

 もっとも、マリア・コムネナ様は、マヌエル帝の側近たる地位を利用して、夫のレネリウス共々国政を壟断し、その後マヌエル帝が亡くなり、その孫にあたる小アレクシオス帝が幼少の身で即位されると、元々仲の悪かったマヌエル帝の後妻で、摂政会議の議長となったマリア・ダンティオケナ様と、「両マリアの抗争」と呼ばれる血みどろの政治抗争を繰り広げられました。
 その抗争は、トレビゾンドを拠点とするポントス地方に領土を持っていた、アンドロニコス・コムネノスが挙兵し聖なる都への入城を果たしたことで決着が付き、やがてアンドロニコスが皇帝として即位し、抗争を起こした2人のマリアは、いずれもアンドロニコス帝によって処刑され、小アレクシオス帝も暗殺されました。
 マリア・コムネナ様は、政治の主導権をめぐって争っていた、マヌエル帝の嫡子であるアレクシオス皇子を毒殺したという噂もあり、術士としての功績はともかく、帝国の歴史上はむしろ悪女として知られておりまする。また、術士としての地位も、修士止まりでございました」


「すみません、質問が2つあるのですが」
「どうぞ」
「マリア・コムネナという女性が、最初の女性神聖術士だということは分かりましたが、どうして博士にはなれないという、中途半端な制約が課されたのですか?」
「それは、女性が神聖術士になると、忌まわしき魔女になりかねないという反対意見に、ある程度配慮したものでございまする。特に博士号取得を認めると、教会によって禁呪とされた過去の研究成果を調べることも許され、これを悪用して魔女となる危険が大きいと判断されたのでございまする」
「そんなに魔女って、あってはならない存在なのですか?」
「それはもう、魔女は生かしておくべからずというのは、古くから伝わる重要な神の教えでございますからな」
 まあ、イレーネはともかく、テオドラを生かしておくべからずというのは、ある意味妥当な気もするが。

「あと1つ。アレクシオスという名前の皇子が2人も出てきて、傍系のアンドロニコスという人物が帝位に就いた経緯も含め、その辺の経緯が分かりにくいのですが」
「これは失礼致しました。
 マヌエル帝には、先程申し上げた嫡男のアレクシオス皇子がおられたのですが、このアレクシオス皇子は父帝より早く、30歳の若さでお亡くなりになり、その直後にマヌエル帝も急逝されたため、アレクシオス皇子の次男にあたる同名のアレクシオス皇子が、11歳の若さで即位されたのでございまする。この少年皇帝は、同名の大アレクシオス帝と区別するため、小アレクシオス帝と呼ばれておりまする。
 そして、アンドロニコス帝は、大アレクシオス帝の三男、イサキオス皇子を祖とする家系でございますが、代々本家と仲が悪く、イサキオス皇子の曽孫にあたるアンドロニコスの代になって、小アレクシオス帝の即位と両マリアの抗争により本家が弱体化したのに乗じて兵を挙げ、ついに帝位簒奪に成功したのでございまする」
「まあ、大体分かりました」

■◇■◇■◇

「次の時代に移りまする。
 こうして即位したアンドロニコス帝は、帝位簒奪者の身でありながら約22年にわたり帝位に就いていたのですが、アンドロニコス帝が皇帝として一定の成功を収めた要因は、マヌエル帝時代の晩年から台頭するようになった、強力な力を持つ女性の神聖術士を、有効に活用したことにあると言われておりまする。
 アンドロニコス帝の時代には、何人もの強力な女性術士が活躍致しましたが、その中で最も有名なのが、エリス・ダラセナと呼ばれる女性でございまする」
「どんな女性だったのですか?」

「エリス・ダラセナは、マヌエル帝の兄イサキオスの孫娘にあたりますが、庶子であるためコムネノスの家門名を名乗ることは許されず、ダラセノスという古い軍事貴族の家門名を名乗っておりました。
 かの者は、女性であるという不利な立場を逆に利用して、裸同然の衣装で剣を持って戦い男性を困惑させ、神聖術も使いこなすという、かなり風変わりな術士でございまして、アンドロニコス帝の愛人となりその皇帝即位にも協力致しました。
 そして、かの者は赤学派の修士であり、適性が90もございましたので、これまでにない強力な神聖術を使いこなし、アンドロニコス帝は彼女の存在により、戦いを有利に進めることが出来ました。
 エリス・ダラセナが発明した術として特に有名なのが、現在ではテオドラ様がよく使う爆発系の術であり、彼女の術は堅固な城門や城壁を一撃で吹き飛ばすことができ、その威力にはアンドロニコス帝の政敵たちも、ひれ伏す他はございませんでした」
「なんか、テオドラの先駆けみたいな人だったんですね」

「そうとも申せまする。もっとも、エリス・ダラセナは聖職者たちから反キリストなどと散々に罵倒されておりますが、性格的には比較的まともな方で、少なくともテオドラ様よりはましでございました。
 一方、アンドロニコス帝はなかなかに頭の切れる人物で、自らも適性75を誇る緑学派の博士であられたため、様々な場面で神聖術の有効活用を試みられましたが、稀代の女好きとしても知られており、エリス・ダラセナを含め有能な女性術士のほとんどを自らの愛人とし、しかも『好色家』ヨハネス・コムネノスが開発した術を愛好し、自ら弟子入りしたとの伝承も残っておりまする。
 要するにアンドロニコス帝は、『好色家』ヨハネスの開発した『性魔術』と称される一連の禁呪を多用し、これによって自分の愛人となった女性術士たちを快感で溺れさせ、彼女たちを自分の手足として活用したわけでございまするが、あまりにも淫乱なやり方に対する聖職者たちの反発は、当時から相当なものでございました。
 さらにアンドロニコス帝は、自分の愛人たちに博士号を与えるため、女性の博士号取得を解禁する勅令を出そうとしたこともございますが、そのときは教会の猛反対に遭い、実現には至りませんでした」


「そのアンドロニコス帝は、最後にはどうなったのですか?」
「晩年のアンドロニコス帝は、最も信頼していた愛人であるエリス・ダラセナに先立たれると、一時は落ち着いていた反対勢力の陰謀に悩まされるようになられました。
 そして、自身がコムネノス家の傍系から帝位に就いたことから、コムネノスの家名を持つ貴族は自分の息子以外全て敵だ、殺してしまおうと考えるようになり、これによりアンドロニコス帝の晩年は恐怖政治に陥ったのでございまする。
 その折、ちょうどシチリアのノルマン人による侵攻がありましたので、最も信頼する将軍アレクシオス・ブラナスに大軍を預けて迎撃に向かわせる一方、首都に残ったアンドロニコス帝は、女系でコムネノス家と繋がるイサキオス・アンゲロスという若い貴族を抹殺しようとなされました。
 窮地に陥ったイサキオス・アンゲロスは、アンドロニコス帝に対し反旗を翻しましたが、この反乱がアンドロニコス帝に不満を持っている貴族たちから予想外の支持を受け、軍の主力を欠くアンドロニコス帝の方が逆に追い詰められて逮捕され、惨殺されてしまったのでございます。
 そのイサキオス・アンゲロスこそが、殿下もご存じのイサキオス帝でございまする」
「ああ、暴君のアンドロニコス帝が嫌だから、敢えて無能で操りやすい人物を帝位に就けたって話ですね」

■◇■◇■◇

「イサキオス帝の即位後、帝国は神聖術に関してはほとんど無為無策といった状況でございましたが、アンドロニコス帝による政策の影響により、多くの女性皇族や女性貴族たちが神聖術を学ぶようになり、現在では『三傑』と評されるテオドラ様、イレーネ様、プルケリア様といった女性術士たちが、神聖術業界の中で幅を利かせるようになっておりまする。
 そして、世界暦6754年になり、殿下ご自身が女性の博士号取得を正式に解禁され、現在に至るというわけでございまする」
「僕って、既に神聖術の歴史に残る、重要な決断をしてしまったわけですね」
「左様でございまする」
「ところで、この課程には修了考査があると聞きましたが、これまでに出てきた世界暦の年号とかも覚える必要はあるのですか?」
「いえ、世界暦の年号はさほど重要な問題ではないため、申し合わせにより出題対象からは除外されておりまする。神聖術の歴史については、主要な人名と流れを把握して頂ければ十分でございまする」
「そうですか。年号をどうやって覚えようかと悩んでいたところでしたので、助かりました」

■◇■◇■◇

「講義の最後に、学派についての説明を致します。
 すでにお話致しましたとおり、神聖術には赤・白・青・緑という4つの学派がございまする。
 理論上、赤の学派は夏を司り、白の学派は冬を司り、緑の学派は春を司り、青の学派は秋を司るものとされているほか、赤の学派は火を司り、白の学派は氷を司り、緑の学派は生命を司り、青の学派は風を司るものとされておりまする。
 そして、赤の学派は、伝統的に火炎による攻撃系の術を得意としており、これに対し白の学派は、氷や吹雪による攻撃系の術を得意としておりまする。両者の目的は似通っておりますが、この両学派は伝統的に仲が悪く、いつも対抗心を燃やし、いがみ合っておりまする。
 一方、緑の学派は治療系の術を得意としており、聖職者や医師などが多く所属しておりまする。青の学派は、風の力を利用した防御系の術などを得意としており、軍人などが多く所属しておりまする」
「ゲルマノス総主教は、たしか青学派と聞いていますが?」
「かの者は、以前から何かとテオドラ様と縁があり、テオドラ様の暴虐ぶりに悩まされたため、自分の身を護るために青学派を専攻したと聞き及んでおりまする」
「そうなんですか」
 ゲルマノス総主教も、色々と苦労してきたんだな。

「あと、神聖術には4つの学派があると申し上げましたが、その担当分野については明確な決まりが存在しておりません。そのため、新しい神聖術が発明される度、その担当範囲をめぐって権限争いが生じることも珍しくございませんでしたが、現在では新しく発明された神聖術については、その内容に関係なく、その術士が属する学派の術になるという取り決めがございます。
 そのため、殿下が神聖術を学んでいかれるうちに、例えばこの術が緑学派に属するのはおかしいのではないかといった疑問を感じられることもあるかと思われますが、学派は単なる派閥のようなものだとご理解頂ければ宜しいかと存じます」
「なんか、妙なところで生々しい世界ですね」
「なお、4つの学派のうちいずれを選択するかは、各学派の担当術士による説明を実技講習を受けて頂き、その後修了試験に合格し学士号を取得された後に、選んで頂く形になりまする。その後に、所属する学派を変更することは認められておりませんので、よく考えてお選びくださいませ」
「所属する学派を決めてしまうと、もう他の学派に属する術を学ぶことはできないのですか?」
「いえ。ご自分の学派に属さない術でも、任意に習得することは差し支えございません。
 ただし、ご自分の所属する学派の術は学びやすい一方、ご自分の学派と対立する学派の術を学ぶことは非常に困難となりますので、どの学派を選ぶかによって、ご自分の術士としての方向性がある程度決まってしまうという一面はございます」
「分かりました」

「各学派の特徴については、各学派担当の講師から詳しい説明がございますので、その者たちからお聞き下さいますようお願い致しまする」
「そうですか。ところで、プレミュデス先生はたしか緑学派だったと思いますが、緑学派の担当も先生が務められるのですか?」
「いえ、私めは共通科目のみの担当でございます。緑学派の担当は、まだ誰になるかは聞いておりませぬが、おそらく別の者が務めることになりましょう」
「何か、理由でもあるのですか?」
「この教育課程は、大アレクシオス帝の時代に整備されたものでございますが、4つの学派が新人術士の獲得に関し対等に勝負できるよう、共通科目の担当講師は各学派に関し中立的な立場を貫くものとし、かつ極度の人手不足であるなどの例外時を除き、共通科目の担当講師は各学派の担当講師を兼任してはならないという、当時からの取り決めがございまする」
「なんか、その教育課程が決まった時にも、さぞ生々しい政治対立劇があったような気がしますね」
「私めには、当時の状況はわかりかねますので、コメントは差し控えさせて頂きまする」


「まあ、私からの講義は大体こんなところですかな。休憩の後、いよいよ実技の練習に入りますぞ」
 いよいよ僕も実際に魔法、じゃなかった神聖術を実際に使うときが来るのか。なんかワクワクするな。

(第23話へ続く)
しおりを挟む

処理中です...