3 / 16
3.誰よりも苛立つ奴
しおりを挟む
フェリクス・ルートベルクは俺を何よりも苛立たせる存在だ。
初めて奴に会ったのは、両親を失い孤児となって路上で暮らしていた俺がルートベルクの屋敷に引き取られた時のことだった。
部屋でフェリクスに引き合わされた時、息をするのも忘れるぐらいに見入ってしまったことを今でも覚えている。
窓際に佇むあいつは、恐ろしく綺麗だった。
日に透ける白に見間違えるほどの淡いプラチナブロンドの髪も、白く滑らかな頬も、引き結ばれた薄い唇も全てが夢を見ていると思うほどに。こんなに綺麗なものがこの世にあったのかと感嘆した。
しかし、俺の方に向いたアイスブルーの瞳はその色と同じく温度を感じさせないものだった。
ああ、こいつもまた他の貴族の奴らと同様なのだ。俺を見下し、踏みつける奴らと。
こちらばかりが強く意識しているという状態に耐えきれず、ふいと視線を逸らした。
汚い孤児。それが屋敷の者達の俺に対する評価だった。だったら何故引き取ったんだとルートベルク夫妻に理由を尋ねてみたら実に馬鹿馬鹿しい答えが返って来た。慈善事業の一環だと。つまり奴らは俺を外聞のために利用しているに過ぎなかったのだ。
身なりを完璧に整え、言葉遣いを改めてみたところで彼らの評価は一切変わらなかった。相変わらず汚い孤児だと罵られる毎日。ひと時孤児だったというだけで何故こんな扱いを受けなければならないのか。
汚い孤児、フェリクスにもまたそう思われているのだと考えたら、胸の中が黒く淀んでいく心地がした。
偉そうな口調の、偉そうな奴、フェリクス。
あいつの口が開くのは俺に命令を下す時だけ。
魔獣から窮地を救っても、どんなにその身を守るために苦心しても、命令を忠実にこなしても俺に心を開かない。俺達の間には常に見えない分厚い壁がそびえ立っていた。その口調も表情も柔らかく解けることは無い。
たった一度だけでも良かったんだ。
アイスブルーの瞳を柔らかく細めて、こちらに笑いかけてくれたら。プライベートな会話を交わすことができたら。
それだけで良かったのに。
奴が俺にしたことと言えば、将来を奪うことだった。
本当ならば俺は騎士などではなく料理人になりたかったのだ。料理は幸せだった頃の象徴だ。俺の作った料理を両親が食べ、幸せそうに笑う姿。その思い出を追いかけていつかは屋敷を出て料理の道へと進む、それが夢だった。
しかし士官学校へ半ば強制的に入れられたことによってその道は閉ざされることになる。俺をその道へ引き込んだのはフェリクスの意思だという。
「拾った孤児にまさかこれほどの剣の才能があるなんて」
拾った孤児を立派な騎士へ育て上げる夫妻というストーリーが彼らの頭の中に出来上がったわけだ。高潔な貴族を演じたいらしいルートベルク夫妻は俺が魔獣を倒したということやそれ以外の活躍に対して鼻が高かったようだ。
騎士になどならない、料理人として働くのだと訴えたら、お前を雇う店を片っ端から潰してやると脅しかけられる。ルートベルクのような力のある貴族に脅されて、俺のような平民を雇う勇気のある店などあるわけもない。料理人への夢はあっさりと踏みつぶされる。どこまでも腐った考えの持ち主だ。俺は否応なしに騎士団へ入るしか無くなった。
フェリクスの俺を見る瞳は年月を経ても相変わらず温度を感じさせないものだから、好かれているわけではないことは分かる。それどころか取り巻き連中を使って嫌がらせをしてくるから嫌われているのは間違いない。
直接自分で手を下して来ないところがまた何とも陰険な感じだ。
涼しい顔の下で、俺が嫌がらせを受ける様子を見てせせら笑っているのだと思うと腹立たしい。
俺も奴を嫌っているからお互い様だ。
時折あいつを見ると無性に苛立ちが込み上げてくるのだ。
奴の冷静な表情が崩れるのを見たくてたまらなくなる。
これまでの腹いせなのか、それとも別の感情から来るものなのか、もはや自分でも分からない。
あいつを体の下に組み敷いて、薄く開いた唇に自身のものを重ねてやったらどんな表情をするのだろう。流石に冷静ではいられなくなるのではないか。
そんな馬鹿馬鹿しく歪んだ考えが何度も頭を占める日があって、思いっきり頭を振って冷静さを取り戻す。
互いに嫌い合っているという状態はハッキリしているのに、嫌がらせのためなのかお気に入りのおもちゃを失うのが嫌なのか分からないが、フェリクスは俺を自分の元から手放そうとはしなかった。
「シド、ずっと僕の傍にいろ」
俺が欲しくてたまらない甘い言葉を淡々と放ち、嫌がらせの束縛のために使う。何という残酷な奴。
「はい」
俺は気持ちを押し殺し、温度を下げた視線を向けながら返事をする。
騎士団へ入った時、これでもう屋敷からもフェリクスからも解放されると思った。
あいつを見ていると日に日に募っていく苛立ちからこれでようやく……。そう思っていたはずなのに、何とフェリクスは黒狼騎士団へと入団してきたのだ。あいつは白鷲騎士団へ入団すると思っていたのに。王宮や式典の警護など華やかな仕事の多い白鷲騎士団に比べて、黒狼騎士団は魔獣退治や国境付近の見回りなど王宮の外の危険な仕事が中心だ。温室育ちのあいつに務まるはずもない。四つある騎士団の中で最も過酷な場所なのに。
俺への嫌がらせだとしてもいくらなんでもそこまでするわけがない…だろ。だったら何故なのか。理由が分からない。
騎士団へ入ったフェリクスは案の定この仕事に向いてないのは明らかだった。体力が無いせいで人一倍上官から扱かれている。
鎧だってまともに身に付けられない。俺は素早さを活かすために自ら鎧を纏うことを止めて胸当てだけに変更したが、フェリクスは体が付いて行かないから纏えなかった。
そんな状態なのは、もちろんあいつだけだ。
すぐに俺に何とかしてくれと命令してくるのかと思いきや、先日ハッキリと「もう俺に関わるな」という言葉を突き付けたためか、これまでのように俺を呼びつけてくることは一切無くなった。
立っているだけで華やかで人の目を惹きつける奴だというのに、あの日を境に見るからに自信を無くした様子でおどおどし出し、ひたすら気配を消そうとしている雰囲気が伝わってくる。
それはまるで雪豹が白兎に変わってしまったぐらいのものだ。
元々何を考えているのかよく分からない奴だったが、今の状態は更にその上をいく。突然の豹変に頭が混乱する。
俺の言葉を気にして? そんな、まさかな。
傍にいた時は姿を見ては苛々し、離れてもなおフェリクスの存在が気になって仕方がなくて苛々してくる。
そんな時だ。あいつとミハイルが会話している声が聞こえてきたのは。
咄嗟に廊下の壁に張り付くようにして立つ。俺は一体何をしているんだろう。自分の行動が不可解だ。何だかこの間と立場が逆だな……。
「フェリクス。君、大丈夫? 騎士団の連中に嫌がらせを受けているんじゃないの」
ミハイルとフェリクスに繋がりがあったことに驚くが、それ以上に嫌がらせを受けているという言葉が気になる。
見ていると苛々する奴だが、だからといって嫌がらせをされているあいつを見て胸のすく思いになるわけじゃない。むしろ……苛立ちは増すばかりだ。一体誰があいつに嫌がらせを?
「僕が注意しよう」
ミハイルは根のいい奴だ。それに正義感も強い。フェリクスの置かれている状況を見過ごせないのだろう。それは分かるのだが……ミハイルが間に入るべきことじゃないだろ。音が出ないようつま先で床をトントンと踏む。
この件はあいつが自分で何とかするべきじゃないのか。家の力でも何でも使って嫌がらせしてくる連中を黙らせてやればいいのだ。こういう時にこそ貴族の立場を使えばいい。俺の夢を踏みつぶしたルートベルク夫妻のように。
「いいんだ、ミハイル。これは僕が自分で何とかするべきことだから」
人に何でもやってもらうことに慣れているフェリクスだったが、意外にもミハイルの提案を断った。だがその口調はいつもとは違い自信というものが消えていて……その力のない声音を聞くだけで胸の辺りがもやもやとしてくる。
「そうかい? 僕で力になれることがあるならいつでも言ってくれよ」
「……ありがとう。君はとても親切なんだな。だから、きっとシドも……」
俺の名が出ていたような気もするが、最後の方の言葉はくぐもっていてよく聞こえなかった。
身を乗り出して細部まで聞こうとしたところで、ミハイルのものらしき足音がこちらに向かって近づいてくるので動きをピタリと止める。
訓練所から出てきたミハイルは俺の姿に気付くなり「わっ」と驚きの声をあげようとしたので、急いで口を塞ぐ。中のフェリクスに気付かれぬようミハイルに顎でついて来いと指示を出した。
「この騎士団では立ち聞きが流行しているのかなぁ」
中庭まで行ったところで立ち止まると、ミハイルが軽口を叩いてくる。それを無視して「いつからあいつと親しくなったんだ」と問いかける。
俺の言葉にミハイルはニヤニヤと目元を緩めた。
「ふうん、気になる?」
「あぁ?」
「君って実に分かりやすいよね。安心しなよ。いくらフェリクスが魅力的だとしても友人の想い人に手を出したりしない。それに僕にはちゃんと好きな子がいるんだから」
こいつのこういう全てを分かっていますっていうところが地味に腹立つ。黙り込んだ俺の心中を察したように言葉を続ける。
「何で分かるんだって思ってるだろ。何年友人やってると思ってるの。君のフェリクスに向ける感情は分かりやすいよ。……けっこう拗らせているみたいだけど。まぁ、そんな僕も彼のことは上手く読めなかったけれどねぇ。あの子感情を表に出さないから分かりづらいんだよ。シドぐらい分かりやすいと良かったんだけどねぇ」
「何だよ、あの子の感情って」
あの子とは……フェリクスのことか?
眉を顰める。あいつがどんな感情でいるっていうんだ。
「それは君自身で気付くべきだと思うよ。その曇り切った目を見開いて、ようくあの子自身を見てごらん。いけ好かない貴族や君がよく言っている『クソみたいなルートベルク家』っていう概念を取っ払って『フェリクス』という子をね。僕から助言できるのはそれぐらいだ」
くそ。妙に気になることを言いやがる。
「これ以上関わるなと言った相手にか? それに……あいつだってあの日以来俺を避けている」
これまでしつこいぐらいに俺を呼びつけてきた奴が、あの日を境に不自然なほど俺を避けまくっているのだ。俺の言葉など意に介すこともなくいつも通り呼びつけてくるだろうと思っていたのに、実際は違っていた。視線は逸らされるわ背を向けられるわでまともにあいつを見ることなど出来る訳もない。つま先でトントンと床を踏む。
「はぁ。いざ離れられたら寂しくなっちゃったんだ? 傍にいても苦しいのに、離れても苦しいんだ。結局苦しいなら傍にいたら良かったのに」
ミハイルが呆れたようにため息をつく。
「冗談じゃない。俺はマゾヒストじゃねえ」
これ以上あいつの傍にいたら自分でも何するか分からないぐらい頭がおかしくなりそうだったから離れたのだ。
「そんなこと言って、離れてても目で追ってるくせにねぇ。素直になりなよ。まあ、それはともかく僕がフェリクスを助けるのはいたいけで可哀想な子が見ていられないからだ。そこには何の下心もないから安心して」
いたいけ? 可哀想?
感情など持ち合わせていませんというフェリクスが?
どこをどう見たらそうなるのか。こいつの感性はさっぱり分からない。
初めて奴に会ったのは、両親を失い孤児となって路上で暮らしていた俺がルートベルクの屋敷に引き取られた時のことだった。
部屋でフェリクスに引き合わされた時、息をするのも忘れるぐらいに見入ってしまったことを今でも覚えている。
窓際に佇むあいつは、恐ろしく綺麗だった。
日に透ける白に見間違えるほどの淡いプラチナブロンドの髪も、白く滑らかな頬も、引き結ばれた薄い唇も全てが夢を見ていると思うほどに。こんなに綺麗なものがこの世にあったのかと感嘆した。
しかし、俺の方に向いたアイスブルーの瞳はその色と同じく温度を感じさせないものだった。
ああ、こいつもまた他の貴族の奴らと同様なのだ。俺を見下し、踏みつける奴らと。
こちらばかりが強く意識しているという状態に耐えきれず、ふいと視線を逸らした。
汚い孤児。それが屋敷の者達の俺に対する評価だった。だったら何故引き取ったんだとルートベルク夫妻に理由を尋ねてみたら実に馬鹿馬鹿しい答えが返って来た。慈善事業の一環だと。つまり奴らは俺を外聞のために利用しているに過ぎなかったのだ。
身なりを完璧に整え、言葉遣いを改めてみたところで彼らの評価は一切変わらなかった。相変わらず汚い孤児だと罵られる毎日。ひと時孤児だったというだけで何故こんな扱いを受けなければならないのか。
汚い孤児、フェリクスにもまたそう思われているのだと考えたら、胸の中が黒く淀んでいく心地がした。
偉そうな口調の、偉そうな奴、フェリクス。
あいつの口が開くのは俺に命令を下す時だけ。
魔獣から窮地を救っても、どんなにその身を守るために苦心しても、命令を忠実にこなしても俺に心を開かない。俺達の間には常に見えない分厚い壁がそびえ立っていた。その口調も表情も柔らかく解けることは無い。
たった一度だけでも良かったんだ。
アイスブルーの瞳を柔らかく細めて、こちらに笑いかけてくれたら。プライベートな会話を交わすことができたら。
それだけで良かったのに。
奴が俺にしたことと言えば、将来を奪うことだった。
本当ならば俺は騎士などではなく料理人になりたかったのだ。料理は幸せだった頃の象徴だ。俺の作った料理を両親が食べ、幸せそうに笑う姿。その思い出を追いかけていつかは屋敷を出て料理の道へと進む、それが夢だった。
しかし士官学校へ半ば強制的に入れられたことによってその道は閉ざされることになる。俺をその道へ引き込んだのはフェリクスの意思だという。
「拾った孤児にまさかこれほどの剣の才能があるなんて」
拾った孤児を立派な騎士へ育て上げる夫妻というストーリーが彼らの頭の中に出来上がったわけだ。高潔な貴族を演じたいらしいルートベルク夫妻は俺が魔獣を倒したということやそれ以外の活躍に対して鼻が高かったようだ。
騎士になどならない、料理人として働くのだと訴えたら、お前を雇う店を片っ端から潰してやると脅しかけられる。ルートベルクのような力のある貴族に脅されて、俺のような平民を雇う勇気のある店などあるわけもない。料理人への夢はあっさりと踏みつぶされる。どこまでも腐った考えの持ち主だ。俺は否応なしに騎士団へ入るしか無くなった。
フェリクスの俺を見る瞳は年月を経ても相変わらず温度を感じさせないものだから、好かれているわけではないことは分かる。それどころか取り巻き連中を使って嫌がらせをしてくるから嫌われているのは間違いない。
直接自分で手を下して来ないところがまた何とも陰険な感じだ。
涼しい顔の下で、俺が嫌がらせを受ける様子を見てせせら笑っているのだと思うと腹立たしい。
俺も奴を嫌っているからお互い様だ。
時折あいつを見ると無性に苛立ちが込み上げてくるのだ。
奴の冷静な表情が崩れるのを見たくてたまらなくなる。
これまでの腹いせなのか、それとも別の感情から来るものなのか、もはや自分でも分からない。
あいつを体の下に組み敷いて、薄く開いた唇に自身のものを重ねてやったらどんな表情をするのだろう。流石に冷静ではいられなくなるのではないか。
そんな馬鹿馬鹿しく歪んだ考えが何度も頭を占める日があって、思いっきり頭を振って冷静さを取り戻す。
互いに嫌い合っているという状態はハッキリしているのに、嫌がらせのためなのかお気に入りのおもちゃを失うのが嫌なのか分からないが、フェリクスは俺を自分の元から手放そうとはしなかった。
「シド、ずっと僕の傍にいろ」
俺が欲しくてたまらない甘い言葉を淡々と放ち、嫌がらせの束縛のために使う。何という残酷な奴。
「はい」
俺は気持ちを押し殺し、温度を下げた視線を向けながら返事をする。
騎士団へ入った時、これでもう屋敷からもフェリクスからも解放されると思った。
あいつを見ていると日に日に募っていく苛立ちからこれでようやく……。そう思っていたはずなのに、何とフェリクスは黒狼騎士団へと入団してきたのだ。あいつは白鷲騎士団へ入団すると思っていたのに。王宮や式典の警護など華やかな仕事の多い白鷲騎士団に比べて、黒狼騎士団は魔獣退治や国境付近の見回りなど王宮の外の危険な仕事が中心だ。温室育ちのあいつに務まるはずもない。四つある騎士団の中で最も過酷な場所なのに。
俺への嫌がらせだとしてもいくらなんでもそこまでするわけがない…だろ。だったら何故なのか。理由が分からない。
騎士団へ入ったフェリクスは案の定この仕事に向いてないのは明らかだった。体力が無いせいで人一倍上官から扱かれている。
鎧だってまともに身に付けられない。俺は素早さを活かすために自ら鎧を纏うことを止めて胸当てだけに変更したが、フェリクスは体が付いて行かないから纏えなかった。
そんな状態なのは、もちろんあいつだけだ。
すぐに俺に何とかしてくれと命令してくるのかと思いきや、先日ハッキリと「もう俺に関わるな」という言葉を突き付けたためか、これまでのように俺を呼びつけてくることは一切無くなった。
立っているだけで華やかで人の目を惹きつける奴だというのに、あの日を境に見るからに自信を無くした様子でおどおどし出し、ひたすら気配を消そうとしている雰囲気が伝わってくる。
それはまるで雪豹が白兎に変わってしまったぐらいのものだ。
元々何を考えているのかよく分からない奴だったが、今の状態は更にその上をいく。突然の豹変に頭が混乱する。
俺の言葉を気にして? そんな、まさかな。
傍にいた時は姿を見ては苛々し、離れてもなおフェリクスの存在が気になって仕方がなくて苛々してくる。
そんな時だ。あいつとミハイルが会話している声が聞こえてきたのは。
咄嗟に廊下の壁に張り付くようにして立つ。俺は一体何をしているんだろう。自分の行動が不可解だ。何だかこの間と立場が逆だな……。
「フェリクス。君、大丈夫? 騎士団の連中に嫌がらせを受けているんじゃないの」
ミハイルとフェリクスに繋がりがあったことに驚くが、それ以上に嫌がらせを受けているという言葉が気になる。
見ていると苛々する奴だが、だからといって嫌がらせをされているあいつを見て胸のすく思いになるわけじゃない。むしろ……苛立ちは増すばかりだ。一体誰があいつに嫌がらせを?
「僕が注意しよう」
ミハイルは根のいい奴だ。それに正義感も強い。フェリクスの置かれている状況を見過ごせないのだろう。それは分かるのだが……ミハイルが間に入るべきことじゃないだろ。音が出ないようつま先で床をトントンと踏む。
この件はあいつが自分で何とかするべきじゃないのか。家の力でも何でも使って嫌がらせしてくる連中を黙らせてやればいいのだ。こういう時にこそ貴族の立場を使えばいい。俺の夢を踏みつぶしたルートベルク夫妻のように。
「いいんだ、ミハイル。これは僕が自分で何とかするべきことだから」
人に何でもやってもらうことに慣れているフェリクスだったが、意外にもミハイルの提案を断った。だがその口調はいつもとは違い自信というものが消えていて……その力のない声音を聞くだけで胸の辺りがもやもやとしてくる。
「そうかい? 僕で力になれることがあるならいつでも言ってくれよ」
「……ありがとう。君はとても親切なんだな。だから、きっとシドも……」
俺の名が出ていたような気もするが、最後の方の言葉はくぐもっていてよく聞こえなかった。
身を乗り出して細部まで聞こうとしたところで、ミハイルのものらしき足音がこちらに向かって近づいてくるので動きをピタリと止める。
訓練所から出てきたミハイルは俺の姿に気付くなり「わっ」と驚きの声をあげようとしたので、急いで口を塞ぐ。中のフェリクスに気付かれぬようミハイルに顎でついて来いと指示を出した。
「この騎士団では立ち聞きが流行しているのかなぁ」
中庭まで行ったところで立ち止まると、ミハイルが軽口を叩いてくる。それを無視して「いつからあいつと親しくなったんだ」と問いかける。
俺の言葉にミハイルはニヤニヤと目元を緩めた。
「ふうん、気になる?」
「あぁ?」
「君って実に分かりやすいよね。安心しなよ。いくらフェリクスが魅力的だとしても友人の想い人に手を出したりしない。それに僕にはちゃんと好きな子がいるんだから」
こいつのこういう全てを分かっていますっていうところが地味に腹立つ。黙り込んだ俺の心中を察したように言葉を続ける。
「何で分かるんだって思ってるだろ。何年友人やってると思ってるの。君のフェリクスに向ける感情は分かりやすいよ。……けっこう拗らせているみたいだけど。まぁ、そんな僕も彼のことは上手く読めなかったけれどねぇ。あの子感情を表に出さないから分かりづらいんだよ。シドぐらい分かりやすいと良かったんだけどねぇ」
「何だよ、あの子の感情って」
あの子とは……フェリクスのことか?
眉を顰める。あいつがどんな感情でいるっていうんだ。
「それは君自身で気付くべきだと思うよ。その曇り切った目を見開いて、ようくあの子自身を見てごらん。いけ好かない貴族や君がよく言っている『クソみたいなルートベルク家』っていう概念を取っ払って『フェリクス』という子をね。僕から助言できるのはそれぐらいだ」
くそ。妙に気になることを言いやがる。
「これ以上関わるなと言った相手にか? それに……あいつだってあの日以来俺を避けている」
これまでしつこいぐらいに俺を呼びつけてきた奴が、あの日を境に不自然なほど俺を避けまくっているのだ。俺の言葉など意に介すこともなくいつも通り呼びつけてくるだろうと思っていたのに、実際は違っていた。視線は逸らされるわ背を向けられるわでまともにあいつを見ることなど出来る訳もない。つま先でトントンと床を踏む。
「はぁ。いざ離れられたら寂しくなっちゃったんだ? 傍にいても苦しいのに、離れても苦しいんだ。結局苦しいなら傍にいたら良かったのに」
ミハイルが呆れたようにため息をつく。
「冗談じゃない。俺はマゾヒストじゃねえ」
これ以上あいつの傍にいたら自分でも何するか分からないぐらい頭がおかしくなりそうだったから離れたのだ。
「そんなこと言って、離れてても目で追ってるくせにねぇ。素直になりなよ。まあ、それはともかく僕がフェリクスを助けるのはいたいけで可哀想な子が見ていられないからだ。そこには何の下心もないから安心して」
いたいけ? 可哀想?
感情など持ち合わせていませんというフェリクスが?
どこをどう見たらそうなるのか。こいつの感性はさっぱり分からない。
117
あなたにおすすめの小説
その首輪は、弟の牙でしか外せない。
ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。
第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。
初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。
「今すぐ部屋から出ろ!」
独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。
翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。
「俺以外に触らせるな」
そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。
弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。
本当にこのままでもいいのか。
ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。
その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。
どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。
リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24)
※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。
三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。
転生したら最強辺境伯に拾われました
マンスーン
BL
現代日本人・東堂裕太が目を覚ますと、そこは異世界。クズな婚約者に魔力を限界まで搾取され、ボロボロになって森に捨てられる悲惨な青年・ルカに転生していた。
死を覚悟した裕太だったが、そんな彼を拾い上げたのは、帝国最強の武力を誇り「氷の死神」と恐れられる辺境伯・ラーク。
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
塩対応の同室αが実は俺の番を狙っていた
雪兎
BL
あらすじ
全寮制の名門学園に入学したΩの俺は、入寮初日から最悪の同室相手に当たった。
相手は学年でも有名な優等生α。
成績優秀、運動もできる、顔もいい。なのに——
めちゃくちゃ塩対応。
挨拶しても「……ああ」。
話しかけても「別に」。
距離も近づけないし、なぜか妙に警戒されている気がする。
(俺、そんなに嫌われてる……?)
同室なのに会話は最低限。
むしろ避けられている気さえある。
けれどある日、発情期トラブルで倒れた俺を助けてくれたのは、
その塩対応αだった。
しかも普段とは違い、必死な顔で言われる。
「……他のαに近づくな」
「お前は俺の……」
そこで言葉を飲み込む彼。
それ以来、少しずつ態度が変わり始める。
距離は相変わらず近くない。
口数も少ない。
だけど――
他のαが近づくと、さりげなく間に入る。
発情期が近いと察すると、さりげなく世話を焼く。
そして時々、独占欲を隠しきれない視線。
実は彼はずっと前から知っていた。
俺が、
自分の運命の番かもしれないΩだということを。
だからこそ距離を取っていた。
触れたら、もう止まれなくなるから。
だけど同室生活の中で、
少しずつ、確実に距離は変わっていく。
塩対応の裏に隠されていたのは――
重すぎるほどの独占欲だった。
愛する公爵と番になりましたが、大切な人がいるようなので身を引きます
まんまる
BL
メルン伯爵家の次男ナーシュは、10歳の時Ωだと分かる。
するとすぐに18歳のタザキル公爵家の嫡男アランから求婚があり、あっという間に婚約が整う。
初めて会った時からお互い惹かれ合っていると思っていた。
しかしアランにはナーシュが知らない愛する人がいて、それを知ったナーシュはアランに離婚を申し出る。
でもナーシュがアランの愛人だと思っていたのは⋯。
執着系α×天然Ω
年の差夫夫のすれ違い(?)からのハッピーエンドのお話です。
Rシーンは※付けます
※画像は男の子メーカーpicrewさんよりお借りしました。
※画像は男の子メーカーpicrewさんよりお借りしました。
Xアカウント(@wawawa_o_o_)
完結|ひそかに片想いしていた公爵がテンセイとやらで突然甘くなった上、私が12回死んでいる隠しきゃらとは初耳ですが?
七角
BL
第12回BL大賞奨励賞をいただきました♡第二王子のユーリィは、美しい兄と違って国を統べる使命もなく、兄の婚約者・エドゥアルド公爵に十年間叶わぬ片想いをしている。
その公爵が今日、亡くなった。と思いきや、禁忌の蘇生魔法で悪魔的な美貌を復活させた上、ユーリィを抱き締め、「君は一年以内に死ぬが、私が守る」と囁いてー?
十二個もあるユーリィの「死亡ふらぐ」を壊していく中で、この世界が「びいえるげえむ」の舞台であり、公爵は「テンセイシャ」だと判明していく。
転生者と登場人物ゆえのすれ違い、ゲームで割り振られた役割と人格のギャップ、世界の強制力に知らず翻弄されるうち、ユーリィは知る。自分が最悪の「カクシきゃら」だと。そして公爵の中の"創真"が、ユーリィを救うため十二回死んでまでやり直していることを。
どんでん返しからの甘々ハピエンです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる