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(sideルピン)
あれからもう少し時が流れた。
シオンは肩幅も、背丈も、人間姿の俺よりもずっと大きくなって。逞しいという言葉がしっくりくるようになった。
すっかり大人の男だ。
だけど俺の前で笑うときだけ、ほんの少し、昔の可愛らしかったあの子の顔になる。
「人間って本当に成長が早いよなぁ」
俺ときたらいつまでも姿かたちの変わらないスライムだ。
ぐんぐん大きくなって、顔や体付きの変わるシオンの姿についていけない。目がぐるぐるしてしまう。
初めて人間の姿になってやってからというもの、すっかり気に入ってしまったらしいシオンに時々「人間の姿になって」と求められることがある。
俺としてはどちらでも対応可能なので、シオンが喜ぶならと「ずっと人間の姿でいてやろうか?」と聞いてみたことがある。
だがそれはシオンによって断られた。
「んー。スライムの姿も好きだから、人間の姿になるのは時々でいい。このぷよぷよの手触りはやっぱり手放せないんだよな」
そう言って俺を引き寄せてぽよぽよ触る。
むにゅむにゅしたり、やわらかく引っ張ったり。
「ぎゃっ。くすぐったいぞシオン。ひゃー!」
「っふ、何? こうやって触ってると気持ちよかったりするの?」
「き、気持ちいい? よくわかんないけど。な、何かお前触り方が、何かぁ……!!」
何と言ったらいいのか。このところシオンの触り方が以前とはまるで違うのだ。
揉む、みたいな?
表面をぽよぽよしていた触り方から、もっと中の方までむにゅむにゅ、むちむちって感じの触り方に変わった。
何だかねちっこい……?
「ふぁ、ああ、あ!?」
そしてぷるぷる体を震わせて翻弄されている俺に対して、シオンは余裕の表情で、それどころかくっくっと笑ってちょっと意地が悪い。
「わーっ!」
俺はでろっと体を溶けさせるとシオンの手から素早く逃れた。ちょっと離れたところで目を三角に吊り上げてシオンを睨みつける。
「こ、この野郎。シオンめぇ。よくもやったな! 今度は俺の逆襲だ!」
体を変化させる。シオンが大好きな顔の人間へと。
何をするつもりなのかわからないらしいシオンが訝しげに眉をひそめる。
「それで何するって?」
「ふふふ。今日はずっとこの姿でいてやる。ずーっと。もちろん風呂も一緒に入ってやる」
「はっ!?」
シオンが動揺を見せる。
ふふふ、焦っているな。
俺達は風呂に一緒に入ることもあるが、それはスライムの姿の時でだ。
どうしてだかシオンは人間姿の俺を見ると視線をうろうろと彷徨わせて恥ずかしそうにする。
だからもしも人間の姿になって一緒に風呂に入ったら、シオンはきっとすごいびっくりするに違いない。
くくく。
肩を揺らして笑っているとシオンは顔を真っ赤にして叫んだ。
「馬鹿、バーカ。エロスライム」
「はぁ!? 何だよ、エロスライムって」
何だか聞き捨てならないことを言われた。
たかだか人間の姿になって一緒に風呂に入ることのどこがエロだというんだ。
「お前どこでそんな言葉覚えてくるんだ!? 俺はそんな言葉教えてないぞ!」
「い、いいだろ。どこだって。子供扱いすんな。もう、俺、先生のところに行ってくる!!」
「あっ、待てぇ!」
シオンは慌てた様子で壁に立てかけてある剣を掴むと、逃げ出すようにして家を飛び出して行ってしまった。
こんな感じで俺達は変わらず平和な日々を過ごしていたんだ。
でも、俺は時々気付いていた。
シオンの紫の瞳はもう、時折悪夢にうなされて泣いていた子供のそれじゃない。
まっすぐで、決意に満ちた瞳をしていることに。
シオンが心の中に何かを抱えていたことに。
気付いていたけど、俺は怖くて……、聞いてしまったらこの平和な日々が終わりを迎えてしまうような気がして、何も言えなかったんだ。
***
俺達の運命を変える日は、ある日突然訪れた。
「あのな、ルピン……俺、旅に出ようと思う」
シオンの声は静かだった。話があると告げられて、その改まった物言いに何か嫌な予感はしていたんだ。だけど、まさかそんなことを言われるなんて思ってもいなかった。
シオンの言葉は俺の心に雷が落ちたみたいに響いた。
「旅…? あ、あ~。ちょっと外の世界を見てみたくなったってやつか。シオンももう大きくなったもんな。せっかくだし旅行ってやつをしてみるか!」
この村に来てからシオンは外の世界に行っていない。
きっと人間が恋しくなってしまったのかもしれない。そういうことは、あるよな。うん。
人間の世界を旅するのは怖いけど、まあ、シオンの服の中にでも隠れていれば何とかなるかと俺は思った。
だが、シオンは「そうじゃない」と首を横に振る。
ドキンと胸が大きく脈打つ。
「なんで……!? お前は俺の子分だろ? どこに行くっていうんだ!」
「ずっとルピンに言えなかったことがある。俺はルピン達モンスターが敵だと定めている『勇者』なんだ。魔王を倒すためにこの世に生まれてきた」
勇者…シオンが。
魔王様が見つけたら捕まえて魔王城に連れてこいと命令に出している……あの勇者。
俺達の敵。
足元がガラガラと崩れていきそうな錯覚を覚える。
いつからシオンはそのことを知っていたのだろう。少なくともここに来た時のシオンは自分の名前以外何も覚えていなかった。
「記憶がなかったはずじゃあ」
「もう俺の記憶は戻ってる。けっこう前から。言えなくて、ごめん。俺、どうしてもルピンには言えなかった。ルピンが、魔王のことを尊敬しているのを知っていたから」
シオンの表情は苦悩に満ちていた。
ずっと悩んでいたのかもしれない。勇者である自分と、俺の子分である自分との間で。
言えずに自分の胸にだけ抱えて、さぞや辛かっただろうな。
シオンの話を聞いて、決意は固まった。
いや、もともと俺の答えは一つだった。これしかなかったのだ。
「俺もお前と一緒に行く!」
俺はシオンの親分だ。どこまでもついて行く。
顔も知らない魔王様よりも、シオンの方がずっとずっと大切なのだ。
ついて行って、そんで、魔王様に会ってシオンのことを捕まえないでくれって、俺達のことを放っておいてくれって頼んでみようと思うんだ。
魔王様だってきっと話せば分かってくれるよな。
俺とシオンが仲良くなれたように、モンスターと人間は仲良くなれるはずなんだ。
俺もお前と一緒に行く、という言葉を聞いたシオンは一瞬だけ顔を泣きそうに歪めた。
でも、すぐに顔を引き締めて怒っているようにもみえる真剣な表情へと切り替えた。
「連れていけない」
「へっ!?」
体が衝撃でぷるっと揺れる。
「な、何でだよ……」
「自分で分かっているだろう。ルピン、あんたは……弱いから、一緒には行けないんだ」
その言葉が、胸をグサリと刺した。
『弱い』って……そんなの嘘だろ?
これまでシオンが俺に向かってそんな言葉を向けてきたことなんか一度もない。
俺はお前を守りたいし、いつだってお前のそばにいるって決めたんだ。
それなのに、シオンは…俺のこと、弱いってずっとそんな風に思っていたっていうのか?
お前だけはそんなこと言わないって思っていたのに。
ルピンはすごいねって言ってくれた幼い頃のシオンの姿はもうどこにもないっていうの。
そんな……。
「そ、そんなこと言うなよ。足手まといにはならないから。じ、自分の身は自分で守るし。お前に迷惑なんかかけないし……」
体だけでなく声までもぷるぷるっと震える。俺は必死になってシオンの手にしがみついた。
「置いていかないでくれよ! なあ……」
とうとう涙が出てきて、声が嗚咽に変わった。
シオンは黙ったまま、俺を見つめていた。紫の瞳にはどんな感情がこもっていたのか分からない。
ほんの一瞬だけ、ゆらっと揺れた気がした。
「俺、旅の準備をしないといけないんだ。行かないと」
手を振り払われて、しがみついていた俺の体は力なく地面にぽてっと落ちた。地面に落ちてしまったというのに、顔を背けてしまったシオンはもうこちらを振り返らない。
もう一度飛びつく勇気は出なかった。
それでも言葉にできない思いが溢れて、声を振り絞って叫んだ。
「なあ、俺を置いていくな……。いやだ、嫌だ…ジオンンンン……!!! うえっ、うわあああああん」
歩みを止めないシオン。その背中が遠ざかって行く。
「ずっと一緒って言ったのに!」
やっぱり振り返らない背中。
家族だけじゃなくて、俺はシオンにも捨てられてしまったんだ。
「ウソつき、シオンのウソつきぃぃ……」
地面に涙が染み込んで、俺は体が溶けてしまいそうになるほどわんわんと泣き続けた。
「シオン、シオンン……うえええ……」
どこかに行ってしまったシオンはやっぱり戻って来てはくれなくて……。
地面にそのままうずくまって泣いていると、カシャ、と骨の鳴る音が聞こえた。
見上げてみるとそこにいたのはガイコツ剣士だった。
「もう泣くな、ルピン。このままでは溶けて消えてしまうぞ」
「うええん」
でろでろに溶けかけた体を持ち上げられる。
心配そうにこちらに眼差しを向けるガイコツ剣士の顔を見ていたら、何となく、分かってしまった。
この男はシオンの事情を知っていたんじゃないかって。
知った上でシオンを鍛える手助けをしていたのかもしれないって。
「お前は、知ってたのか? シオンが勇者だってこと」
案の定、ガイコツ剣士はこくりと頷いた。
俺が今まで知らなかった事実を知っていたガイコツ剣士。
シオンが剣を習わなければ、この男に弟子入りするのを認めなければ、シオンは旅に出ようなんて思わなかったのではないだろうか。
今も俺達は平和に暮らせていたのかもしれないのに。
「うう、シオンを返せー!」
俺はガイコツ剣士に飛びついて、ぺしぺしと鎧で覆われた体を叩いた。
「こんなことならシオンに剣を習わせなければ良かった! シオンを俺だけの子分にしておけば……旅になんか出なかったし、俺を置いてもいかなかったはずなんだ! シオンを返せ、返せようぅぅ。俺の子分なんだぞ……シオンは俺の子分なんだぁ」
こんなのただの八つ当たりだ。
自分でも分かっている。それなのに、この自分の悲しい気持ちを荒れ狂う心を誰かにぶつけなければ気が済まなかったのだ。
「すまない、ルピン……」
ガイコツ剣士は大人しく俺に叩かれている。
それどころか、何度も何度もすまないって謝り続ける。
こんな思いをするぐらいなら、そもそもあいつを拾わなければ良かったのか?
子分なんて持たなければ、こんな悲しい気持ちにはならなかった。
でも……。
シオンがいなければ、こんな幸せな気持ちも持てなかっただろう。
あいつがいてくれたから、俺の毎日は幸せで楽しかったんだ。
勇者の使命を忘れられなかったシオン。シオンに乞われて剣を教えていたガイコツ剣士。
誰も悪くない。
悪いのは、ダメだったのは、俺が弱かったからだ。
ぺしぺしと叩き続けていた手を止める。
「うぅぅ、叩いてごめん。八つ当たりして悪かったよぅ。ごめん……ごめんよぅ」
「いいんだ、ルピン。お前がどれほどシオンのことを大切に思っていたかは知っている」
「うえええっ」
ぐすぐす泣きながらしがみつく。
「よしよし、さあ涙を拭くんだ」
ガイコツ剣士は泣き止むまで抱っこをしてくれた。
それから、骨の顎をカシャリと動かして、シオンのことを話してくれる。
「あの子が自分が勇者だと話してくれたのは少し前のことだ。私は元人間だから、他のモンスターよりも幾分か話しやすかったのだろう。シオンはお前に勇者だと知られて、敵としてみなされることを何よりも怖がっていたよ」
シオン…そんなことを思っていたのか。
お前のことを敵だなんて思うはずないじゃないか。そんな日だけは絶対に来ない。
「そんなこと思うものか! あいつの正体が何だって、俺の子分に変わりはない」
「ああ。それを聞いてシオンはさぞや嬉しかったことだろう」
「うぅっ。でも、でも、俺とは一緒に旅に行かないって。俺が弱いからってぇ……!!」
あの時の言葉を思い出すと、また涙が溢れ出してくる。
嬉しかったというのなら、あんな冷たい言葉を吐いてくるだろうか?
まるで今までのシオンとは別人みたいだった。
「俺のこと振り払ったんだ。地面に落ちても、こっちを向いてくれなかった。ううぅ」
「辛かったなルピン。だが…シオンにも事情があるのだろう。あの子の気持ちは、あの子にしか分からないことだ。向けられた言葉の表面だけに囚われてはいけないと思う。私が思うに……シオンはきっと……」
ガイコツ剣士の言葉は最後まで続かなかった。
突然、空から雷鳴が響いたことによって。空は黒くて厚い雲に覆われて辺りが薄暗くなる。
「何だ? 何か妙な気配が…近づいてくる」
ガイコツ剣士は視線を辺りへと向ける。
「えっ、何だそれ。シオンは大丈夫かな!?」
「様子を見てこよう。ルピン、お前はどこかに隠れていろ」と言い残して駆けだした。
シオンのことは心配だが、ガイコツ剣士がいるなら大丈夫だろう。それに今、シオンと顔を合わせたところで何を言っていいのかも分からない。だからその言葉に大人しく従う。
家へと戻ると、扉の前には黒が立っていた。
見慣れぬ姿におや、と思う。
漆黒の外套。
まるで夜そのものを切り取って縫い上げたみたいな、深く艶のない黒。それを纏った異様に背の高い男が、ただそこに立っていた。
顔の造形はきっと美しいのだろう。けれど、冷たくて感情の温度がない。
誰だ、と問わずとも分かった。
この人は、俺達の王様――『魔王』だ。
彼の冷たい瞳がこちらに向いて、俺の体は氷水を浴びたみたいに冷えた。
「…ま、魔王様……っ」
すぐに地面に頭を伏せた。
こうすることが正しいのだと、本能で理解しているのだ。
「この村に『勇者』がいることは分かっている。その者をここへ連れてこい」
その声は表情と同じぐらい温度がなく冷たかった。
勇者――シオンをここへ連れて来いと魔王様は言った。
ひゅっと息を呑む。肺が上手く動かなくて、掠れた声を何とか絞り出す。
「シ、シオン……勇者は今ここにいません」
魔王様に意見をするのはとても怖い。
何ていうか、もうオーラが違う。そこに存在しているというだけで、近くにいるだけで気絶してしまいそう。
だけどこれはチャンスだ。
もともと魔王様に会ってシオンのことを捕まえないでくれって、俺達のことを放っておいてくれって頼んでみようと思っていた。
ここで魔王様が話を聞いてくれたら、シオンが旅に出る必要なんてなくなるだろう?
「魔王様、お願いがあります。俺と勇者シオンはここで静かに暮らしています。あいつはすごくいい奴で俺達がモンスターでも攻撃なんてしてきません。ずっとそうやって生きてきました。魔王様がシオンに何もしなければシオンだってきっと魔王様に何もしません。だから、だからあいつのことは放っておいてくれませんか」
それまで感情のなかった魔王様の頬がピク、と引きつった。
「勇者を匿っていたというのか。この私の命令を無視して」
「そ、それは本当に申し訳ありません。俺、俺、あいつが勇者だったなんてついさっきまで知らなかったんです。ウソじゃありません本当です」
本当に俺はシオンが勇者だなんて知らなかった。
意図して隠していたわけではないと必死になって魔王様に伝える。
「でも、あいつは勇者だけどモンスターに危害を加えてこないっていうのは本当なんです。俺、あいつの親分なんです。だから話して聞かせればシオンは言うこと聞きます」
何とか魔王様にシオンを見逃して欲しくて必死で言葉を並べる。
「駄目だ。勇者は殺さなければならない」
ところが俺の言葉は無情にも却下されてしまう。それどころか魔王様の口から驚くべき言葉が出て来たのだ。
「十年以上前、あいつの村を焼き払った時に仕留めそこなってしまったが……今度こそ始末をしなければな」
「あ…え……!?」
シオンの村を襲ったのは、魔王様だったのか……!?
シオン以外の村人はあの時の火事で全員死んでしまったに違いない。
あ、あんな酷い事を魔王様がしていたなんて。
恐怖のためではない。別の感情によって体がぷるぷると震える。
「魔王様は……悪い人だったんだ……」
シオンは自分の村を襲ったのが魔王様だということも思い出したのだろう。だから、自分の体を鍛えて旅に出る道を選んだ。
こんなの止められるわけないじゃないか。
俺達モンスターのことを考えてくれている人だとずっと魔王様のことを尊敬していた。
でも、今はもうそう思えない。
あの村の悲惨な状況を見てしまったから。シオンの気持ちが分かるから。俺はもう魔王様よりも、誰よりもシオンのことを大切に思っているから。
だから、シオンの村をめちゃくちゃにしたこいつ――魔王を許せないと思う。
「シオンは殺させない……」
魔王に対する怒りの感情でいっぱいになる。
「あいつは俺の子分だ。親分は子分を絶対に見捨てないんだ。誰がお前なんかにシオンを渡すもんか!!」
ぴょんっと飛び上がって魔王に飛びかかった。
俺は弱い。こんなクソ雑魚スライムが魔王に向かっていったところで、万に一つも勝ち目はない。そんなの分かってる。
でもさ……それでもこれだけは譲れないんだ。
シオンをあいつに渡すわけにはいかない。
「馬鹿なスライムめ」
俺の体は魔王に飛びつくことができなかった。
それどころかーーー。
バチュン、と何かが弾ける音が響いた。
「あ……」
それは自分の体がゼリーみたいに弾け飛んでバラバラになる音だった。いくつもに千切れて飛び散って地面に落ちた。
圧倒的な力だった。
一瞬も持たなかったなんて、情けない。
多少の怪我なら自分の治癒能力で何とかなるけど、流石にこれは無理かも…とぼんやりした頭で思う。
一瞬で死んで意識が消えてしまうかと思ったのに、不思議とまだ意識は残っている。
それにこれもまた不思議なことだが痛みもなかった。
体がバラバラすぎて、もう痛みを通り越しちゃったのかも?
視界が真っ暗だ。何にも見えないや。
体が少しずつ地面の土に吸い込まれていくのが分かった。スライムは死ぬとこうやって土に還るのかもしれない。
「スライムごときが生意気な。しかし、勇者の親分だと言ったか。フフ、スライムが死んで絶望に暮れる勇者の顔を見られるのなら良しとしよう」
これまでほとんど感情がなかったのに、シオンが絶望に暮れると思ったら嬉しくなったのか? 声に愉悦が乗っている。
性格の悪い男だ。
でも、残念だったな。
シオンは別に絶望とかしないと思うぞ。
むしろ……俺が「ついて行く!!」と泣いてわめいて縋りついてこなくなって清々するかもな。
はぁ…自分で想像して落ち込む。
ちょっとぐらい悲しんで欲しいと思ってしまう。涙の一粒ぐらいはさ……。
落ち込んでいる俺の耳にゴウゴウと聞いたことのある音が届いた。
もしかして、俺達の家を焼き払っている?
本当に酷すぎる。極悪人めぇ。
こんな奴を今まで尊敬していたなんて、馬鹿みたいだ。
魔王は家を焼いたら満足したらしく、去って行った。辺りを包み込んでいた威圧感が消えた。
あーあ…。俺とシオンの家が……。
小さいけど、居心地のいい素敵な家だったのに。
それにローンを組んで、まだお金を返している途中なのに。
俺が死んで払えなくなったらこの場合はどうなるんだろう。シオンに借金がいったりは……あ、大丈夫だ。たしか保険に入っていたはず。俺が万が一死んだら残っているローンが消滅する保険だ。
うん、それなら安心だ。
安心したら眠くなってきた。
うとうとしていると、頭上の方が騒がしくなってきた。
「ルピン!!」
シオンの声だった。
戻って来たのか……。
それにカチャカチャと骨の鳴る音も。ガイコツ剣士も共にいるのかもしれない。
良かった、魔王とは鉢合わせせずに済んだみたいだ。
最期にシオンの声が聞けて良かったなぁ。
もう満足だ。寂しいけれど、思い残すことはない。
旅に行ってしまうシオンを見送るなんて辛すぎるもんな。かえってこれで良かったのかもしれない。
バイバイ、シオン……。
「ルピン、ルピン……! どこにいるんだ。何で、こんなことに!!」
眠りにつこうと思っていたのに、シオンの悲鳴のような叫び声が聞こえてきて、それがあんまりにも悲しそうなものだから消えかかっていた意識が戻って来る。
シオン。どうしてそんなに悲しんでいるんだ。
どうして……。
シオンの反応は俺が思っていたものとまったく違っていて、困惑してしまう。
「シオン。ここに魔王様がやって来たんだ。私、怖くて隠れていたんだけど……。ルピンが、ルピンが……!」
ピクシーが近くにいるみたいだ。どうやら、隠れて様子を見ていたみたい。シオンにあの時起こったことを話して聞かせている。
魔王がシオンを探してここにやってきたこと。
シオンは絶対に渡さないと俺が魔王に飛びかかっていったこと。
そしてーー俺が殺されて体がバラバラになって散ってしまったことなど。
「そんな、ルピン。どうして魔王に向かって行ったりしたんだ。俺のことなんて放って逃げ出せば良かったのに!」
シオンがそんなことを言う。
俺の行動、迷惑だったのかな。余計なお世話だった? だけど、シオンの言葉はさらに続いた。
「俺が、どんな思いであんたを突き放したか分からなかったのか。弱いなんて思ってもないことまで言って、旅についてこさせないようにしたのは、すべてはあんたに死んでほしくなかったからなんだぞ。父さんと母さんも俺を庇って死んだ。あんたまで死んだら、俺はどう生きていったらいいんだよ……ああぁぁ!」
わあわあと泣き崩れるシオン。
そうだったのか……。
「ルピン、ごめん。ごめんな……。俺、本当はすごく嬉しかったんだ。俺が勇者だと知っても変わらず子分だと言ってくれて。あんただけは絶対に変わらず味方でいてくれて」
感情をむき出しにして泣くシオンは、子供の頃以来だった。大人になってしまったシオンがこんな風に泣くなんて、思ってもいなかった。
俺、全然こいつの気持ちを分かってなかったみたいだ。
自分のために誰かが死ぬなんて嫌だよな。
ごめん……。
ウソつきなんて言って、本当にごめんなぁ……。
そんなに泣かないでくれよ。
涙の一粒ぐらい流して欲しいなんて思ったのは撤回する。
俺、お前が泣くのは嫌だな。
悲しんでいるシオンを慰めたくて、何とか近づきたくて、土に同化しかけている体をぷるぷると動かす。
シオン、シオン……。
ぽこっと地面から何とか頭を出した、ような気がする。
でも、その辺りで意識は急速に薄れて途切れてしまった。
あれからもう少し時が流れた。
シオンは肩幅も、背丈も、人間姿の俺よりもずっと大きくなって。逞しいという言葉がしっくりくるようになった。
すっかり大人の男だ。
だけど俺の前で笑うときだけ、ほんの少し、昔の可愛らしかったあの子の顔になる。
「人間って本当に成長が早いよなぁ」
俺ときたらいつまでも姿かたちの変わらないスライムだ。
ぐんぐん大きくなって、顔や体付きの変わるシオンの姿についていけない。目がぐるぐるしてしまう。
初めて人間の姿になってやってからというもの、すっかり気に入ってしまったらしいシオンに時々「人間の姿になって」と求められることがある。
俺としてはどちらでも対応可能なので、シオンが喜ぶならと「ずっと人間の姿でいてやろうか?」と聞いてみたことがある。
だがそれはシオンによって断られた。
「んー。スライムの姿も好きだから、人間の姿になるのは時々でいい。このぷよぷよの手触りはやっぱり手放せないんだよな」
そう言って俺を引き寄せてぽよぽよ触る。
むにゅむにゅしたり、やわらかく引っ張ったり。
「ぎゃっ。くすぐったいぞシオン。ひゃー!」
「っふ、何? こうやって触ってると気持ちよかったりするの?」
「き、気持ちいい? よくわかんないけど。な、何かお前触り方が、何かぁ……!!」
何と言ったらいいのか。このところシオンの触り方が以前とはまるで違うのだ。
揉む、みたいな?
表面をぽよぽよしていた触り方から、もっと中の方までむにゅむにゅ、むちむちって感じの触り方に変わった。
何だかねちっこい……?
「ふぁ、ああ、あ!?」
そしてぷるぷる体を震わせて翻弄されている俺に対して、シオンは余裕の表情で、それどころかくっくっと笑ってちょっと意地が悪い。
「わーっ!」
俺はでろっと体を溶けさせるとシオンの手から素早く逃れた。ちょっと離れたところで目を三角に吊り上げてシオンを睨みつける。
「こ、この野郎。シオンめぇ。よくもやったな! 今度は俺の逆襲だ!」
体を変化させる。シオンが大好きな顔の人間へと。
何をするつもりなのかわからないらしいシオンが訝しげに眉をひそめる。
「それで何するって?」
「ふふふ。今日はずっとこの姿でいてやる。ずーっと。もちろん風呂も一緒に入ってやる」
「はっ!?」
シオンが動揺を見せる。
ふふふ、焦っているな。
俺達は風呂に一緒に入ることもあるが、それはスライムの姿の時でだ。
どうしてだかシオンは人間姿の俺を見ると視線をうろうろと彷徨わせて恥ずかしそうにする。
だからもしも人間の姿になって一緒に風呂に入ったら、シオンはきっとすごいびっくりするに違いない。
くくく。
肩を揺らして笑っているとシオンは顔を真っ赤にして叫んだ。
「馬鹿、バーカ。エロスライム」
「はぁ!? 何だよ、エロスライムって」
何だか聞き捨てならないことを言われた。
たかだか人間の姿になって一緒に風呂に入ることのどこがエロだというんだ。
「お前どこでそんな言葉覚えてくるんだ!? 俺はそんな言葉教えてないぞ!」
「い、いいだろ。どこだって。子供扱いすんな。もう、俺、先生のところに行ってくる!!」
「あっ、待てぇ!」
シオンは慌てた様子で壁に立てかけてある剣を掴むと、逃げ出すようにして家を飛び出して行ってしまった。
こんな感じで俺達は変わらず平和な日々を過ごしていたんだ。
でも、俺は時々気付いていた。
シオンの紫の瞳はもう、時折悪夢にうなされて泣いていた子供のそれじゃない。
まっすぐで、決意に満ちた瞳をしていることに。
シオンが心の中に何かを抱えていたことに。
気付いていたけど、俺は怖くて……、聞いてしまったらこの平和な日々が終わりを迎えてしまうような気がして、何も言えなかったんだ。
***
俺達の運命を変える日は、ある日突然訪れた。
「あのな、ルピン……俺、旅に出ようと思う」
シオンの声は静かだった。話があると告げられて、その改まった物言いに何か嫌な予感はしていたんだ。だけど、まさかそんなことを言われるなんて思ってもいなかった。
シオンの言葉は俺の心に雷が落ちたみたいに響いた。
「旅…? あ、あ~。ちょっと外の世界を見てみたくなったってやつか。シオンももう大きくなったもんな。せっかくだし旅行ってやつをしてみるか!」
この村に来てからシオンは外の世界に行っていない。
きっと人間が恋しくなってしまったのかもしれない。そういうことは、あるよな。うん。
人間の世界を旅するのは怖いけど、まあ、シオンの服の中にでも隠れていれば何とかなるかと俺は思った。
だが、シオンは「そうじゃない」と首を横に振る。
ドキンと胸が大きく脈打つ。
「なんで……!? お前は俺の子分だろ? どこに行くっていうんだ!」
「ずっとルピンに言えなかったことがある。俺はルピン達モンスターが敵だと定めている『勇者』なんだ。魔王を倒すためにこの世に生まれてきた」
勇者…シオンが。
魔王様が見つけたら捕まえて魔王城に連れてこいと命令に出している……あの勇者。
俺達の敵。
足元がガラガラと崩れていきそうな錯覚を覚える。
いつからシオンはそのことを知っていたのだろう。少なくともここに来た時のシオンは自分の名前以外何も覚えていなかった。
「記憶がなかったはずじゃあ」
「もう俺の記憶は戻ってる。けっこう前から。言えなくて、ごめん。俺、どうしてもルピンには言えなかった。ルピンが、魔王のことを尊敬しているのを知っていたから」
シオンの表情は苦悩に満ちていた。
ずっと悩んでいたのかもしれない。勇者である自分と、俺の子分である自分との間で。
言えずに自分の胸にだけ抱えて、さぞや辛かっただろうな。
シオンの話を聞いて、決意は固まった。
いや、もともと俺の答えは一つだった。これしかなかったのだ。
「俺もお前と一緒に行く!」
俺はシオンの親分だ。どこまでもついて行く。
顔も知らない魔王様よりも、シオンの方がずっとずっと大切なのだ。
ついて行って、そんで、魔王様に会ってシオンのことを捕まえないでくれって、俺達のことを放っておいてくれって頼んでみようと思うんだ。
魔王様だってきっと話せば分かってくれるよな。
俺とシオンが仲良くなれたように、モンスターと人間は仲良くなれるはずなんだ。
俺もお前と一緒に行く、という言葉を聞いたシオンは一瞬だけ顔を泣きそうに歪めた。
でも、すぐに顔を引き締めて怒っているようにもみえる真剣な表情へと切り替えた。
「連れていけない」
「へっ!?」
体が衝撃でぷるっと揺れる。
「な、何でだよ……」
「自分で分かっているだろう。ルピン、あんたは……弱いから、一緒には行けないんだ」
その言葉が、胸をグサリと刺した。
『弱い』って……そんなの嘘だろ?
これまでシオンが俺に向かってそんな言葉を向けてきたことなんか一度もない。
俺はお前を守りたいし、いつだってお前のそばにいるって決めたんだ。
それなのに、シオンは…俺のこと、弱いってずっとそんな風に思っていたっていうのか?
お前だけはそんなこと言わないって思っていたのに。
ルピンはすごいねって言ってくれた幼い頃のシオンの姿はもうどこにもないっていうの。
そんな……。
「そ、そんなこと言うなよ。足手まといにはならないから。じ、自分の身は自分で守るし。お前に迷惑なんかかけないし……」
体だけでなく声までもぷるぷるっと震える。俺は必死になってシオンの手にしがみついた。
「置いていかないでくれよ! なあ……」
とうとう涙が出てきて、声が嗚咽に変わった。
シオンは黙ったまま、俺を見つめていた。紫の瞳にはどんな感情がこもっていたのか分からない。
ほんの一瞬だけ、ゆらっと揺れた気がした。
「俺、旅の準備をしないといけないんだ。行かないと」
手を振り払われて、しがみついていた俺の体は力なく地面にぽてっと落ちた。地面に落ちてしまったというのに、顔を背けてしまったシオンはもうこちらを振り返らない。
もう一度飛びつく勇気は出なかった。
それでも言葉にできない思いが溢れて、声を振り絞って叫んだ。
「なあ、俺を置いていくな……。いやだ、嫌だ…ジオンンンン……!!! うえっ、うわあああああん」
歩みを止めないシオン。その背中が遠ざかって行く。
「ずっと一緒って言ったのに!」
やっぱり振り返らない背中。
家族だけじゃなくて、俺はシオンにも捨てられてしまったんだ。
「ウソつき、シオンのウソつきぃぃ……」
地面に涙が染み込んで、俺は体が溶けてしまいそうになるほどわんわんと泣き続けた。
「シオン、シオンン……うえええ……」
どこかに行ってしまったシオンはやっぱり戻って来てはくれなくて……。
地面にそのままうずくまって泣いていると、カシャ、と骨の鳴る音が聞こえた。
見上げてみるとそこにいたのはガイコツ剣士だった。
「もう泣くな、ルピン。このままでは溶けて消えてしまうぞ」
「うええん」
でろでろに溶けかけた体を持ち上げられる。
心配そうにこちらに眼差しを向けるガイコツ剣士の顔を見ていたら、何となく、分かってしまった。
この男はシオンの事情を知っていたんじゃないかって。
知った上でシオンを鍛える手助けをしていたのかもしれないって。
「お前は、知ってたのか? シオンが勇者だってこと」
案の定、ガイコツ剣士はこくりと頷いた。
俺が今まで知らなかった事実を知っていたガイコツ剣士。
シオンが剣を習わなければ、この男に弟子入りするのを認めなければ、シオンは旅に出ようなんて思わなかったのではないだろうか。
今も俺達は平和に暮らせていたのかもしれないのに。
「うう、シオンを返せー!」
俺はガイコツ剣士に飛びついて、ぺしぺしと鎧で覆われた体を叩いた。
「こんなことならシオンに剣を習わせなければ良かった! シオンを俺だけの子分にしておけば……旅になんか出なかったし、俺を置いてもいかなかったはずなんだ! シオンを返せ、返せようぅぅ。俺の子分なんだぞ……シオンは俺の子分なんだぁ」
こんなのただの八つ当たりだ。
自分でも分かっている。それなのに、この自分の悲しい気持ちを荒れ狂う心を誰かにぶつけなければ気が済まなかったのだ。
「すまない、ルピン……」
ガイコツ剣士は大人しく俺に叩かれている。
それどころか、何度も何度もすまないって謝り続ける。
こんな思いをするぐらいなら、そもそもあいつを拾わなければ良かったのか?
子分なんて持たなければ、こんな悲しい気持ちにはならなかった。
でも……。
シオンがいなければ、こんな幸せな気持ちも持てなかっただろう。
あいつがいてくれたから、俺の毎日は幸せで楽しかったんだ。
勇者の使命を忘れられなかったシオン。シオンに乞われて剣を教えていたガイコツ剣士。
誰も悪くない。
悪いのは、ダメだったのは、俺が弱かったからだ。
ぺしぺしと叩き続けていた手を止める。
「うぅぅ、叩いてごめん。八つ当たりして悪かったよぅ。ごめん……ごめんよぅ」
「いいんだ、ルピン。お前がどれほどシオンのことを大切に思っていたかは知っている」
「うえええっ」
ぐすぐす泣きながらしがみつく。
「よしよし、さあ涙を拭くんだ」
ガイコツ剣士は泣き止むまで抱っこをしてくれた。
それから、骨の顎をカシャリと動かして、シオンのことを話してくれる。
「あの子が自分が勇者だと話してくれたのは少し前のことだ。私は元人間だから、他のモンスターよりも幾分か話しやすかったのだろう。シオンはお前に勇者だと知られて、敵としてみなされることを何よりも怖がっていたよ」
シオン…そんなことを思っていたのか。
お前のことを敵だなんて思うはずないじゃないか。そんな日だけは絶対に来ない。
「そんなこと思うものか! あいつの正体が何だって、俺の子分に変わりはない」
「ああ。それを聞いてシオンはさぞや嬉しかったことだろう」
「うぅっ。でも、でも、俺とは一緒に旅に行かないって。俺が弱いからってぇ……!!」
あの時の言葉を思い出すと、また涙が溢れ出してくる。
嬉しかったというのなら、あんな冷たい言葉を吐いてくるだろうか?
まるで今までのシオンとは別人みたいだった。
「俺のこと振り払ったんだ。地面に落ちても、こっちを向いてくれなかった。ううぅ」
「辛かったなルピン。だが…シオンにも事情があるのだろう。あの子の気持ちは、あの子にしか分からないことだ。向けられた言葉の表面だけに囚われてはいけないと思う。私が思うに……シオンはきっと……」
ガイコツ剣士の言葉は最後まで続かなかった。
突然、空から雷鳴が響いたことによって。空は黒くて厚い雲に覆われて辺りが薄暗くなる。
「何だ? 何か妙な気配が…近づいてくる」
ガイコツ剣士は視線を辺りへと向ける。
「えっ、何だそれ。シオンは大丈夫かな!?」
「様子を見てこよう。ルピン、お前はどこかに隠れていろ」と言い残して駆けだした。
シオンのことは心配だが、ガイコツ剣士がいるなら大丈夫だろう。それに今、シオンと顔を合わせたところで何を言っていいのかも分からない。だからその言葉に大人しく従う。
家へと戻ると、扉の前には黒が立っていた。
見慣れぬ姿におや、と思う。
漆黒の外套。
まるで夜そのものを切り取って縫い上げたみたいな、深く艶のない黒。それを纏った異様に背の高い男が、ただそこに立っていた。
顔の造形はきっと美しいのだろう。けれど、冷たくて感情の温度がない。
誰だ、と問わずとも分かった。
この人は、俺達の王様――『魔王』だ。
彼の冷たい瞳がこちらに向いて、俺の体は氷水を浴びたみたいに冷えた。
「…ま、魔王様……っ」
すぐに地面に頭を伏せた。
こうすることが正しいのだと、本能で理解しているのだ。
「この村に『勇者』がいることは分かっている。その者をここへ連れてこい」
その声は表情と同じぐらい温度がなく冷たかった。
勇者――シオンをここへ連れて来いと魔王様は言った。
ひゅっと息を呑む。肺が上手く動かなくて、掠れた声を何とか絞り出す。
「シ、シオン……勇者は今ここにいません」
魔王様に意見をするのはとても怖い。
何ていうか、もうオーラが違う。そこに存在しているというだけで、近くにいるだけで気絶してしまいそう。
だけどこれはチャンスだ。
もともと魔王様に会ってシオンのことを捕まえないでくれって、俺達のことを放っておいてくれって頼んでみようと思っていた。
ここで魔王様が話を聞いてくれたら、シオンが旅に出る必要なんてなくなるだろう?
「魔王様、お願いがあります。俺と勇者シオンはここで静かに暮らしています。あいつはすごくいい奴で俺達がモンスターでも攻撃なんてしてきません。ずっとそうやって生きてきました。魔王様がシオンに何もしなければシオンだってきっと魔王様に何もしません。だから、だからあいつのことは放っておいてくれませんか」
それまで感情のなかった魔王様の頬がピク、と引きつった。
「勇者を匿っていたというのか。この私の命令を無視して」
「そ、それは本当に申し訳ありません。俺、俺、あいつが勇者だったなんてついさっきまで知らなかったんです。ウソじゃありません本当です」
本当に俺はシオンが勇者だなんて知らなかった。
意図して隠していたわけではないと必死になって魔王様に伝える。
「でも、あいつは勇者だけどモンスターに危害を加えてこないっていうのは本当なんです。俺、あいつの親分なんです。だから話して聞かせればシオンは言うこと聞きます」
何とか魔王様にシオンを見逃して欲しくて必死で言葉を並べる。
「駄目だ。勇者は殺さなければならない」
ところが俺の言葉は無情にも却下されてしまう。それどころか魔王様の口から驚くべき言葉が出て来たのだ。
「十年以上前、あいつの村を焼き払った時に仕留めそこなってしまったが……今度こそ始末をしなければな」
「あ…え……!?」
シオンの村を襲ったのは、魔王様だったのか……!?
シオン以外の村人はあの時の火事で全員死んでしまったに違いない。
あ、あんな酷い事を魔王様がしていたなんて。
恐怖のためではない。別の感情によって体がぷるぷると震える。
「魔王様は……悪い人だったんだ……」
シオンは自分の村を襲ったのが魔王様だということも思い出したのだろう。だから、自分の体を鍛えて旅に出る道を選んだ。
こんなの止められるわけないじゃないか。
俺達モンスターのことを考えてくれている人だとずっと魔王様のことを尊敬していた。
でも、今はもうそう思えない。
あの村の悲惨な状況を見てしまったから。シオンの気持ちが分かるから。俺はもう魔王様よりも、誰よりもシオンのことを大切に思っているから。
だから、シオンの村をめちゃくちゃにしたこいつ――魔王を許せないと思う。
「シオンは殺させない……」
魔王に対する怒りの感情でいっぱいになる。
「あいつは俺の子分だ。親分は子分を絶対に見捨てないんだ。誰がお前なんかにシオンを渡すもんか!!」
ぴょんっと飛び上がって魔王に飛びかかった。
俺は弱い。こんなクソ雑魚スライムが魔王に向かっていったところで、万に一つも勝ち目はない。そんなの分かってる。
でもさ……それでもこれだけは譲れないんだ。
シオンをあいつに渡すわけにはいかない。
「馬鹿なスライムめ」
俺の体は魔王に飛びつくことができなかった。
それどころかーーー。
バチュン、と何かが弾ける音が響いた。
「あ……」
それは自分の体がゼリーみたいに弾け飛んでバラバラになる音だった。いくつもに千切れて飛び散って地面に落ちた。
圧倒的な力だった。
一瞬も持たなかったなんて、情けない。
多少の怪我なら自分の治癒能力で何とかなるけど、流石にこれは無理かも…とぼんやりした頭で思う。
一瞬で死んで意識が消えてしまうかと思ったのに、不思議とまだ意識は残っている。
それにこれもまた不思議なことだが痛みもなかった。
体がバラバラすぎて、もう痛みを通り越しちゃったのかも?
視界が真っ暗だ。何にも見えないや。
体が少しずつ地面の土に吸い込まれていくのが分かった。スライムは死ぬとこうやって土に還るのかもしれない。
「スライムごときが生意気な。しかし、勇者の親分だと言ったか。フフ、スライムが死んで絶望に暮れる勇者の顔を見られるのなら良しとしよう」
これまでほとんど感情がなかったのに、シオンが絶望に暮れると思ったら嬉しくなったのか? 声に愉悦が乗っている。
性格の悪い男だ。
でも、残念だったな。
シオンは別に絶望とかしないと思うぞ。
むしろ……俺が「ついて行く!!」と泣いてわめいて縋りついてこなくなって清々するかもな。
はぁ…自分で想像して落ち込む。
ちょっとぐらい悲しんで欲しいと思ってしまう。涙の一粒ぐらいはさ……。
落ち込んでいる俺の耳にゴウゴウと聞いたことのある音が届いた。
もしかして、俺達の家を焼き払っている?
本当に酷すぎる。極悪人めぇ。
こんな奴を今まで尊敬していたなんて、馬鹿みたいだ。
魔王は家を焼いたら満足したらしく、去って行った。辺りを包み込んでいた威圧感が消えた。
あーあ…。俺とシオンの家が……。
小さいけど、居心地のいい素敵な家だったのに。
それにローンを組んで、まだお金を返している途中なのに。
俺が死んで払えなくなったらこの場合はどうなるんだろう。シオンに借金がいったりは……あ、大丈夫だ。たしか保険に入っていたはず。俺が万が一死んだら残っているローンが消滅する保険だ。
うん、それなら安心だ。
安心したら眠くなってきた。
うとうとしていると、頭上の方が騒がしくなってきた。
「ルピン!!」
シオンの声だった。
戻って来たのか……。
それにカチャカチャと骨の鳴る音も。ガイコツ剣士も共にいるのかもしれない。
良かった、魔王とは鉢合わせせずに済んだみたいだ。
最期にシオンの声が聞けて良かったなぁ。
もう満足だ。寂しいけれど、思い残すことはない。
旅に行ってしまうシオンを見送るなんて辛すぎるもんな。かえってこれで良かったのかもしれない。
バイバイ、シオン……。
「ルピン、ルピン……! どこにいるんだ。何で、こんなことに!!」
眠りにつこうと思っていたのに、シオンの悲鳴のような叫び声が聞こえてきて、それがあんまりにも悲しそうなものだから消えかかっていた意識が戻って来る。
シオン。どうしてそんなに悲しんでいるんだ。
どうして……。
シオンの反応は俺が思っていたものとまったく違っていて、困惑してしまう。
「シオン。ここに魔王様がやって来たんだ。私、怖くて隠れていたんだけど……。ルピンが、ルピンが……!」
ピクシーが近くにいるみたいだ。どうやら、隠れて様子を見ていたみたい。シオンにあの時起こったことを話して聞かせている。
魔王がシオンを探してここにやってきたこと。
シオンは絶対に渡さないと俺が魔王に飛びかかっていったこと。
そしてーー俺が殺されて体がバラバラになって散ってしまったことなど。
「そんな、ルピン。どうして魔王に向かって行ったりしたんだ。俺のことなんて放って逃げ出せば良かったのに!」
シオンがそんなことを言う。
俺の行動、迷惑だったのかな。余計なお世話だった? だけど、シオンの言葉はさらに続いた。
「俺が、どんな思いであんたを突き放したか分からなかったのか。弱いなんて思ってもないことまで言って、旅についてこさせないようにしたのは、すべてはあんたに死んでほしくなかったからなんだぞ。父さんと母さんも俺を庇って死んだ。あんたまで死んだら、俺はどう生きていったらいいんだよ……ああぁぁ!」
わあわあと泣き崩れるシオン。
そうだったのか……。
「ルピン、ごめん。ごめんな……。俺、本当はすごく嬉しかったんだ。俺が勇者だと知っても変わらず子分だと言ってくれて。あんただけは絶対に変わらず味方でいてくれて」
感情をむき出しにして泣くシオンは、子供の頃以来だった。大人になってしまったシオンがこんな風に泣くなんて、思ってもいなかった。
俺、全然こいつの気持ちを分かってなかったみたいだ。
自分のために誰かが死ぬなんて嫌だよな。
ごめん……。
ウソつきなんて言って、本当にごめんなぁ……。
そんなに泣かないでくれよ。
涙の一粒ぐらい流して欲しいなんて思ったのは撤回する。
俺、お前が泣くのは嫌だな。
悲しんでいるシオンを慰めたくて、何とか近づきたくて、土に同化しかけている体をぷるぷると動かす。
シオン、シオン……。
ぽこっと地面から何とか頭を出した、ような気がする。
でも、その辺りで意識は急速に薄れて途切れてしまった。
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