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第5話「村の朝と、風の便り」後半
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アレクは、村の広場に立っていた。旅立ちの時刻が近い。
木々の間を吹き抜ける風が、まだ眠そうな鶏たちの羽毛を揺らす。鍬を肩にした農夫たちが、彼に軽く手を挙げた。ほんの数日前まで、どこかよそよそしかったその態度が、今はまるで古くからの知己のようだ。
「アレク、お前……本当に行っちまうのか?」
そう声をかけてきたのは、少年カイルだった。
彼はアレクの袖をぎゅっとつかみ、顔を伏せている。アレクはしゃがんで、その目線に合わせた。
「旅人だからね。ここにずっといるわけにはいかないよ」
「でも……でも、アレクの話、もっと聞きたかった。おれ、地図のこととか、戦のこととか、ぜんぜん知らなかったし……」
「それなら、これをあげる」
アレクは、小さな革の手帳を取り出した。中には簡単な地図の描き方、植物の分類、そしてかつての騎士団の戦術がイラスト付きで記されている。
「これを読めば、君はもっと遠くを想像できる。そして、いつか自分の足で、世界を見に行けるさ」
カイルは、目を見開いた。宝物を受け取るように、手帳を大事そうに抱えた。
「うん、絶対行くよ。おれ、旅人になる!」
「楽しみにしてる」
アレクが立ち上がると、彼の横にトールが来ていた。
「終わったか? 馬車が来たぞ。南の宿場町までは俺も同行する」
「ありがとう、トール」
二人は無言のまま歩き出した。道端には、村の人々がちらほら集まり始めている。誰も大仰な言葉はかけない。ただ、軽く手を振ったり、パンを渡してきたり、無言で頷く老人がいたり。
アレクは、彼らの一人ひとりを目に焼きつけるように見渡した。
「――旅立ちは、寂しくないのか?」
突然、トールが口を開いた。彼にしては珍しく、遠回しな物言いだった。
「少し……いや、かなり寂しいですね」
アレクは素直に答えた。
「でも、それと同じくらい、楽しみでもあるんです。まだ僕は、何者でもないから」
トールは鼻を鳴らした。
「なんか偉そうな口調だが、まァ悪くはないな。……せいぜい、くたばるなよ。次に会ったとき、馬鹿みてぇな死に方してたらぶっ飛ばす」
「約束します。生きて、ちゃんとまた来ます」
そう言って馬車に乗り込むと、背後で馬が軽くいななき、車輪が軋んで回り始めた。ゆっくりと、村が遠ざかっていく。
アレクは最後まで、振り返らなかった。
ラト村は、彼の“始まり”だった。そして今、物語は一歩ずつ、彼の足で刻まれていく。
胸の奥には、まだ答えのない問いがある。
だが、心に浮かぶのはひとつ。
「……旅は、悪くない」
そう呟いたその声は、風に紛れてどこまでも響いていった。
木々の間を吹き抜ける風が、まだ眠そうな鶏たちの羽毛を揺らす。鍬を肩にした農夫たちが、彼に軽く手を挙げた。ほんの数日前まで、どこかよそよそしかったその態度が、今はまるで古くからの知己のようだ。
「アレク、お前……本当に行っちまうのか?」
そう声をかけてきたのは、少年カイルだった。
彼はアレクの袖をぎゅっとつかみ、顔を伏せている。アレクはしゃがんで、その目線に合わせた。
「旅人だからね。ここにずっといるわけにはいかないよ」
「でも……でも、アレクの話、もっと聞きたかった。おれ、地図のこととか、戦のこととか、ぜんぜん知らなかったし……」
「それなら、これをあげる」
アレクは、小さな革の手帳を取り出した。中には簡単な地図の描き方、植物の分類、そしてかつての騎士団の戦術がイラスト付きで記されている。
「これを読めば、君はもっと遠くを想像できる。そして、いつか自分の足で、世界を見に行けるさ」
カイルは、目を見開いた。宝物を受け取るように、手帳を大事そうに抱えた。
「うん、絶対行くよ。おれ、旅人になる!」
「楽しみにしてる」
アレクが立ち上がると、彼の横にトールが来ていた。
「終わったか? 馬車が来たぞ。南の宿場町までは俺も同行する」
「ありがとう、トール」
二人は無言のまま歩き出した。道端には、村の人々がちらほら集まり始めている。誰も大仰な言葉はかけない。ただ、軽く手を振ったり、パンを渡してきたり、無言で頷く老人がいたり。
アレクは、彼らの一人ひとりを目に焼きつけるように見渡した。
「――旅立ちは、寂しくないのか?」
突然、トールが口を開いた。彼にしては珍しく、遠回しな物言いだった。
「少し……いや、かなり寂しいですね」
アレクは素直に答えた。
「でも、それと同じくらい、楽しみでもあるんです。まだ僕は、何者でもないから」
トールは鼻を鳴らした。
「なんか偉そうな口調だが、まァ悪くはないな。……せいぜい、くたばるなよ。次に会ったとき、馬鹿みてぇな死に方してたらぶっ飛ばす」
「約束します。生きて、ちゃんとまた来ます」
そう言って馬車に乗り込むと、背後で馬が軽くいななき、車輪が軋んで回り始めた。ゆっくりと、村が遠ざかっていく。
アレクは最後まで、振り返らなかった。
ラト村は、彼の“始まり”だった。そして今、物語は一歩ずつ、彼の足で刻まれていく。
胸の奥には、まだ答えのない問いがある。
だが、心に浮かぶのはひとつ。
「……旅は、悪くない」
そう呟いたその声は、風に紛れてどこまでも響いていった。
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