夜桜仇討奇譚(旧題:桜の樹の下で)

姫山茶

文字の大きさ
3 / 18
ある春の日の出逢い

しおりを挟む
 江戸の頃の上野辺りは、将軍家である徳川家の菩提寺である寛永寺の門前町として栄えていた。
 寛永寺以外にも小さな寺などが立ち並び、たくさんの僧が住み暮していた。
 当時、出家をした僧は女性との性行為は禁止されていた。もし女性と性行為をしてしまった場合は、女犯にょぼんと言う罪に問われた。
 女犯を犯したことが発覚した場合、寺持ちの僧は遠島(いわゆる島流し)、その他の僧は晒された上に寺に預けられ、それぞれの寺法に基づき多くは破門、もしくは追放の憂き目にあった。
 そのため僧たちは、性の対象を女性ではなく同性の少年たちにする者たちがいたのだ。
 僧たちに体を許すもしくは売る少年たちは「蔭間かげま」と呼ばれ、上野にはそうした者たちが逢引をするための「陰間茶屋かげまぢゃや」が軒を連ねていた。
 多くの陰間茶屋がある中、不忍池近くにひっそりと佇むようにある村松屋は普通の茶店で、そこに沙絵は若侍を誘った。
 
 顔見知りの主人に二階を借りること伝えて、沙絵、琥太郎、若侍の順に急な階段を上がっていく。
 茶店の主人は訝しげな顔をして、三人を見送った。
 慣れた様子で沙絵は奥の襖を開けると、六畳間が現れ心地よい井草の匂いが辺りを舞う。
 真新しい畳が入った部屋に沙絵と琥太郎が先に入ると、隅に置いてあった座布団を琥太郎が上座に敷き若侍を誘導する。
 沙絵が窓を開けると、春風が部屋に吹き込みますます井草の匂いが強くなった。
 眼下には薄紅色に染まる桜の木が並び、老若男女が思い思いに小道を歩いた。どこからか物売りの声も聞こえてくる。
 下座にも琥太郎は座布団を敷くと、そこに沙絵が座った。彼女は琥太郎に向かって頷くと、彼も無言で頷き部屋を出ていく。店の主人に茶と菓子を注文しにいったのだ。
 若侍は、あれから一言も口を聞いていなかった。
 彼もこの状況に、かなり戸惑っているようだった。
 しばらくして琥太郎が戻ってくると、彼は沙絵の後ろに付き従うように座った。
 若侍はいざ一緒についてきたはいいが、どう話を切り出して良いのか分からない様子である。
 沙絵は、一つため息をつき口を開いた。
「お侍さんはどこかの藩のお抱えという感じだけれど?」
 話の糸口を探すように沙絵が口を開くと、若侍は少し目を見開きながら沙絵に視線を移す。
「これは失礼致した。私は二本松藩の者で青木左馬之介と申す。先ほどは本当にすまぬこといたした。申し訳ない」
 青木左馬之介は、恐縮したように謝る。
 武家者だというのに、偉そうな態度一つない。
 沙絵は、若侍に好感を持った。
 中には武家だというだけで、居丈高な態度をとるものもいるのだ。
 そうした態度をとる侍には「触らぬ神に祟りなし」と言って、町民たちは関わり合いにならないようにした。
「ま、びっくりはしたけどさ。そんな恐縮しないでおくんなさいな。わたしは神田で旅籠を営んでる桔梗屋のお沙絵と言います」
 沙絵が笑ってそう返すと、若侍は驚いた顔をして沙絵を見る。彼は何か言いたげに口を動かすが、言葉にはしなかった。
 琥太郎は沙絵の後ろで、若侍の顔をジッと見つめていた。
 彼は若侍の顔を見ていると、とても不思議な感じがしたのだ。見れば見るほどに、先ほどの敵意がなくなっていく。
「…普段はこのような事はしないのだが、どうした事か…。そなたを見かけた途端、いてもたってもいられなくなり、つい呼び止めてしまった」
「お母上とおっしゃっていましたが、わたしそんなに似ていますか?」
「似ている。生き写しといってもいいくらいだ」
 左馬之介は、マジマジと沙絵の顔を見つめながら頷く。
「そのお母上は、今はどうされているんです?」
 沙絵がそう尋ねると、左馬之介は悲しげな顔つきで視線を落とす。
 どうやら聞いてはいけない事を聞いてしまったようだと、沙絵は察した。
「…母はわたしが十四の頃、妹と旅に出てからそれきりだ」
「それきり?」
「以来、行方知れずなのだ」
「…そうですか」
 沙絵と左馬之介の間に、沈黙が広がった。
 その時、誰かが階段を上がってくる音がした。
 先程、注文した茶と菓子がやってきたのだろう。
 すぐに主人の声が、襖越しに聞こえる。
「失礼いたします。茶と菓子をお持ちしたしました」
 そう声をかけるとゆっくりと襖が開き、先程訝しげに見ていた店の主人が現れた。
 彼は穏やかな微笑みを浮かべながら、ゆっくりとした動きで部屋に入ってくると、沙絵と左馬之介の前にそれぞれ湯気の立った湯のみと、団子が二本乗った小皿を置いた。琥太郎の前には茶だけを置く。
 主人は茶と菓子を出し終えると、一礼して出ていった。
 階段を降りていく音を聞きながら、沙絵は左馬之介にお茶を勧める。
「どうぞ、召し上がってくださいまし。ここの団子は美味いんですよ」
 努めて明るい口調で沙絵が言うと、左馬之介は口の端を上にあげた。
「頂こう」
 しばし、二人の茶をすする音が辺りに響いた。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

処理中です...