夜桜仇討奇譚(旧題:桜の樹の下で)

姫山茶

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ある春の日の出逢い

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*設定の関係上、表記を変えました。
   中山道の安中 → 甲州街道の野田尻
 大変申し訳ございません。m(_ _)m

「母は渡り巫女をしていた時縁あって父と出会い、まぁ色々あったようなのだが、夫婦めおととなった。そして、私が生まれ、その後に妹の沙絵が生まれた。」
 左馬之介は、沙絵の顔をジッと見つける。
 沙絵は不安そうな顔で、左馬之介を見つめ返す。
「…沙絵様、ですか」
「そう、沙絵と申す。私の妹は」
 強い口調で、左馬之介は繰り返す。
 沙絵は両手を胸の前に持っていき、ギュッと握りしめた。
「沙絵は勘解由小路かでのこうじの血が強かったため、幼い頃から不思議な力があった。勘解由小路の血は狐に好かれやすく、沙絵の周りでも度々狐火が見られた。」
「狐火…」
「そう。いわゆる狐憑きが、勘解由小路の女児に現れやすいのだ」
「………………」
 沙絵は、視線を揺らめかせながら俯く。
 琥太郎も沙絵と同じように、不安を感じた。予想もつかない話の展開に、彼もどうして良いか分からなくなっていた。
「母は沙絵の不思議な力の制御の術を幼い頃から教えていたが、沙絵の力が強すぎてかなり苦労をしていた。母は、格別沙絵は狐に好かれていると言っていた。」
「…青木様は?」
 小さな声の沙絵の問いに、左馬之介は微かに笑みを浮かべる。
「言ったであろう、異能は女児に現れやすいと。私はその力を引き継いてはいない。ま、常人よりは感覚が鋭いといったところか」
 ふふ…微かに笑う。
「ところで異能の力とは人によって色々と違うらしい。母の力は先見さきみの力だと言っていた。」
「先見?」
「未来をむ事らしい。母は若い頃全国行脚して、世のためにその力を役立てていた。結婚した後もちょくちょく使っていたようだ。」
「本物の巫女様だったのですね、そのお方は…」
 たいていの巫女はインチキでそのほとんどが己の芸で身を立てているか、遊女の真似事している者が多かったが、中には本当に力を持った巫女も稀にいた。そうした巫女は人気が高く、人々の支持を得ていた。
 ちなみに、沙絵は未だかつて本物の巫女には会った事がない。
 沙絵は不思議な気分で、左馬之介の話を聞いていた。
 とても奇妙な話だったが、沙絵は目の前にいる左馬之介が嘘を述べているとは思わなかった。
 元来、沙絵は疑い深く人の嘘を見抜く事に長けていた。親代わりとなって育ててくれた父や、亭主となった男はとても危険な仕事をしていることもあり、そのせいもあって沙絵はとても注意深い性格だった。
 普段の沙絵であったなら、話半分として聞いていた事だろう。しかし、今はまるで少女のように左馬之介の話に胸を弾ませていた。
 異能を持った本物の巫女が、全国を回りながら困った人たちを助けていたとは、なんて素敵なことだろう。まるで、物語の女主人公のようだ。そして、そんな素敵な女主人公のような巫女が自分の母だったのだとしたら、とても誇らしくまた嬉しかった。
 思いがけず自分の兄だと名乗りをあげる者が現れた事で、沙絵は浮かれていた。
 自分には血の繋がった肉親がいて、とうとうその肉親と再会出来たのだ。自分は天涯孤独の身ではなかったのだと、そう期待する気持ちが抑えようとしても逆にどんどん大きく膨らんでいく。
「沙絵は、母とは違って狐たちの力が使えた。」
「力?」
「主に、幻を見せる事だ。」
「幻?」
「そう。幼い頃は、よく私に虹の橋を見せてくれた」
「虹の橋?」
「そう。雨上がりでないと見られない虹の橋を、沙絵は小さな手の中に作って私に見せてくれた。」
 そういって左馬之介は、水をすくように両手を合わせた。
「この両手の中で、虹の橋を見せてくれた。」
 左馬之介は、その頃を思い出すように表情を緩ませる。
 彼にとって、数少ない妹の記憶の一つであった。
「…随分と、小さな虹の橋でございましたのでしょうね」
 沙絵は、その話を聞いてほろ苦い笑みを浮かべた。
 左馬之介は不思議な力を持った妹の「沙絵」が自分だと言うが、自分にはそんな不思議な力はない。
 一瞬、左馬之介が本当に兄なのではないかと思い、いないと思っていた肉親に巡り会えたかもしれないという期待が、左馬之介の話を聞くうちにどんどん萎んでいく。 
「沙絵殿、いや沙絵。悲しむことはない。そなたは本当に私の妹だ。そなたは生きていた頃の母に、本当に生き写しだ。肉親以外には、考えられない。」
「でも、青木様。…私にはそのような、不思議な力はありません。」
 知らずに、両目から涙が流れた。 
 この目の前に座っている侍が、自分の兄であったらどんなに良かったか。期待してしまった分、とても悲しくて寂しい気持ちになった。
 今の世の中、親のいない子供なんてゴロゴロいる。自分はその中でも良い養い親に恵まれて幸せに過ごし、そして将来を誓い合って夫婦となった亭主がいる。
 世の中には養い親に虐待されたり、女郎屋に売られる子供が当たり前のようにいるのだ。
 だから、自分は恵まれている方なのだ。肉親がいなくても、良い人生なのだ。そう自分に言い聞かせて暮らしていたが、それでも埋めきれない喪失感と孤独を感じていた。
 だから、兄だと名乗る左馬之介の存在を知って、沙絵は自分が救われた気持ちになった。
  希薄で薄っぺらかった己という存在が、兄という血の繋がった肉親を見つけた事により、人としての存在感が増したように感じた。
  常に感じていた喪失感と孤独が、癒されたような気がしたのだ。
  静かに涙を流す沙絵を見て、困ったような顔になる左馬之介。例え妹だとしても、女性を泣かせる事は男として立つ瀬がない。
「沙絵、沙絵。泣くな。悲しまずとも、そなたは私の妹だ。言ったであろう?私は常人に比べて感覚が鋭いと。私の勘は外れない。その私の勘が、言っている。そなたは私の妹だと。だから、泣くな。もう、そなたは一人ではない。私や国許には父もいる。」
「…父様が?」
 子供のようないとけない顔で沙絵は、困りきった顔をした左馬之介の顔を見た。
 左馬之介は何度も頷いて、沙絵を安心させるように言い聞かせる。
「ああ。父上は健在だ。国許で元気に暮らしている」
 沙絵は唇と細かく震わせると、嗚咽を漏らしながら泣き始めた。
 
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