Piece of arcadia

上原久介

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chapter.3

怒りの炎は紅く燃える

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「で、この子どうしようか?」
 気を失っているリーナを抱え起こしながら、ヴィルはアシュリーに尋ねた。思い切り殴ったので心配だったのが、目立ったケガがなくてホッと胸を撫で下ろした。
「君、不用心がすぎるわ。気絶したふりしてる可能性だってあるんだから」
 離れろ、と仕草で言われ、そっと彼女を地面に横たえてアシュリーの方へと向かう。
「手当てくらいしてもいいじゃん。あんなに小さいのに……」
「呆れた。君はさっきまでこの少女に殺されそうだったのよ?」
「それは、そうだけどさ……」
 ばつが悪くなってヴィルはアシュリーから目を逸らした。ついでにとぐるりと周りを見渡してみる。動きを止めた魔物達は、ぱっと見ただの木で、まるで林の中にいるような感覚だ。
「こいつら、また動かないよな……?」
「さあ、どうかしらね。変な気配は今のところないけれど」
「そうだ、えっとセレーネだっけ? 大丈夫かなぁ」
「大丈夫よ、多分。ほら」
 そうアシュリーが指差した先には、アリスを脇に抱えているサキ・スタイナーと、それにひょこひょことついていくセレーネの姿があった。
「あれっ? サキ、スタイナー? 今度こそ本物?」
 ヴィルはごしごしと目をこすってみる。
「本物みたいね。セレーネが従ってるし」
 アシュリーはほんの少しだけ警戒を解くと、小さく敬礼した。
 それに応えることはせず、無言のままこちらに合流したサキはどさ、と少々雑にアリスを降ろす。(むしろ落としているように見えたが)
「怪我はないな」
「ええ。自分よりそっちの少年の方が」
 ちらり、とサキがヴィルを見る。何とも言えない威圧感を感じて、少し居心地が悪い。
「えっと……、そいつ、シェスカ……じゃないな、アシュリーさんを連れてこうとしてたみたいだけど」
「こいつらの狙いはシェスカ・イーリアスだ。何故、彼女を狙っているのかまでは知らないがな」
​──奴らだ。ヴィルはそう直感した。フードマント以外にもいたということか。あの時のことを思い出すと、今でも首筋が寒くなるようなぞわりとした悪寒が走る。
 ぶんぶんと頭を振ってそれを振り払って、サキに尋ねた。
「なあ、シェスカは無事なのか? あんたらのとこにいたんだろ?」
「……そういえば遅いな」
 ヴィルの問いに答えず、サキはぐるりと周りを見渡した。それにつられてヴィルも視線を動かす。
「あ、ん、た、が、速すぎるって言った方がいいんじゃねェかな」
 ざりっ、と地面を踏みしめた音に振り返ると、やれやれといった具合に肩をすくめるジェイクィズが立っていた。首元から胸にかけてべったりと血糊がついている。
「ジェイクィズ!? どうしたんだよ、その血!?」
「気にしない気にしない……っていやいや、オメーこそなんでここにいるんだよゴーグルくん」
「オレはブランとノアからシェスカが危ないって聞いて……」
 それで、と続けようとした瞬間、がさがさがさ! と木の葉がこすれる。反射的に身構えたが、木陰から現れたのは、またしても見知った人物だった。
「ちょっと、あんたたち、速すぎ……疲れたわ……」
 ぜぇぜぇと肩で息をする度、彼女の長い朱茶の髪がさらさらと揺れる。いかにも剣士然とした格好。つり目気味のアッシュグレイの瞳。
 シェスカ・イーリアスが、疲れているらしくやや俯きながら歩いてきた。
「シェスカちゃんが下ろせって言わなかったらそんなに疲れなかったのに」
「あんなセクハラし放題の状態、お断りよ!」
「シェスカ!」
 思わず名前を叫んで駆け寄る。彼女はぱちくりと目を瞬かせると、まさか、と小さく口を動かした。
「……ヴィル? どうしてここにいるのよ! あなたはパルウァエに帰るはずじゃ……」
「あ、シェスカ、肩に虫が」
「虫っ!?」
 虫にびくつくシェスカを見て確信。また誰かが彼女の姿になってるわけではなさそうだ。
「ちょっ、ねえ、虫どこ!?」
「ごめん嘘」
「…………殴ってもいいかしら?」
「へぇ、シェスカちゃん虫にが……」
「苦手じゃないから!!」
 ジェイクィズがニヤニヤしながらシェスカをからかい始め、シェスカはそれに顔を赤くしながら抗議する。
 見慣れたその様子に何故だか酷く安心して、へなへなと身体から力が抜けてしまった。
「ヴィル!? 大丈夫!?」
 助け起こそうとしてくれるシェスカの手を借りつつ、立ち上がる。
「よかったぁ……無事で……安心したら力抜けちゃったよ」
 情けなさとか気恥ずかしさをごまかすためにへへへ、と苦笑い。
「赤の他人を心配するより、自分のこと心配してよね」
「そんなこと言ったって、友達が危ないって聞かされたら心配するだろ?」
 土埃を払いながらそう言うと、シェスカはきょとんとした顔で首を傾げた。
「友達? 誰が」
「きみが。……え、違うの?」
 結構真顔だ。否定されたらそれなりにショックだったりする。
「私? えっと、そうね、と、ともだちよね?」
 シェスカは少ししどろもどろにそう答えてくれた。少し頬が赤くなっている気がするが、さっきまで走ってたわけだしまあ気のせいだろう。
「話は済んだか?」
 ひと段落ついたのを見計らっていたのか、アリスから目を離さずに、サキが口を開く。
「アシュリー、ジェイクィズ。彼らを安全な場所まで案内しろ」
「了解しました」
 ぴんと背筋を伸ばして、敬礼を返すアシュリー。それに反してジェイクィズは手のひらをひらひらとさせながら、うんざりな様子でわかったわかったと返した。
「ん? でも、アシュリーちゃんと一緒なんてひっさしぶりじゃね? わぁい、よろしく~」
「気安く呼ぶなバートガル! そしてくっつくなどこ触ってんのよ!」
 相手が誰であろうとジェイクィズのセクハラは健在のようだ。アシュリーはそれにいちいち噛み付くから、彼もからかい甲斐があるらしい。やりすぎて鳩尾みぞおちに棍の一撃を食らっているあたり、あまり学習していないとみえるが。
「さ、アレはほっといて行きましょう。案内するわ」
 そう言いながら、アシュリーはヴィルとシェスカの背中を軽く押す。その後に腹をさすりながらジェイクィズが続いた。
 好き勝手にうねっている魔物だった木をくぐろうとしたその時だった。
 
「​──いや、待て」
 
 サキが短く制止した。ピリッとした緊迫感が走った。アシュリーとジェイクィズの目つきが鋭くなる。が、ヴィルもシェスカも何がどうなっているのかわからない。顔を見合わせて首を傾げるしかない。 
「そこから離れろ!」
 鋭い怒号が飛んでくる。それと同時にフードを掴まれて後ろへと引っ張られた。
「なにすんだよ!」 
「怒んなよ。なんか、アヤシーのがそこにいるぜ?」
 ジェイクィズが指した先から、徐々に人影が現れてくる。
「くすくす、アヤシーのって誰かしらぁ?」
「もちろんそこのゴミクズよね?」
「アヤシー臭いゴミクズ? くすくす!」
「うるっせぇぞ、クソガキ共」
 それは長身の男と、小さな三人の少女だった。
 全員病的なまでに白い肌、鋭い、猫のような瞳。それに対して髪の色は全員違い、男が黒い長髪を後頭部でひとつにまとめている。少女たちは髪型すらもバラバラで、青い髪の少女はゆるく波打った髪を左の耳の上で束ねており、金髪の少女はおかっぱ頭の後ろから、長い三つ編みが二本、尻尾のように揺れている。残る少女は白い髪で、ボリュームのあるロングヘアをそのまま流していた。
 彼らは皆、軽装の鎧を纏い、男は大鎌を、少女たちはそれぞれ、槍と杖、鉤爪を装備している。横に長く、尖った耳は、今は姿を見ないエルフのそれによく似ていた。
 彼らには見覚えはないが、男が携えている大鎌にはどこか見覚えがある。
「騒がしいと思ったら、皆さんそろい踏みで。パーティでもやってんの?」
 軽快な調子で男は口を開く。その声は、前に聞いたことがあった。それで確信する。
​──あいつだ。シェスカを追っていた奴らの一人。オルエアの森で、後からやって来た大鎌の男。
「前にも会ったな。名は確か​──ヴァラキア」
 サキは静かに男​──ヴァラキアに銃を向ける。ヴァラキアたちは両手を上げて、戦意がないことを示した。
「正解。あーもうそんな怖ぇ顔すんなってーの。オレはあんたらと戦いに来たんでも、」 
 ヴァラキアがちらりとシェスカに視線をやる。びくり、と彼女が肩を震わせた。しかしそれは一瞬で、すぐにきっと睨み返す。ヴァラキアは肩をすくめてゆるく首を振った。 
「そっちの『器』を取りに来たんでもない。オレはそのゴミ、、共を回収しに来ただけ」
「ゴミ」を強調しながら顎で指したのは、今なお気を失っているアリスティドたちだ。どうやら彼らは知り合いらしい。あまり仲はよろしくなさそうだが。
 彼らはずかずかとヴィルたちの横をすりぬけ、アリスティドたちのところへ歩いていく。がしゃんがしゃんと、鎧が耳障りな音を立てていた。
「失敗した上にやられるなんて情けなぁい! ねぇ、エラノール?」
 歩きながら、金髪の少女があざ笑う。
「我らの恥だわ! どうして私たちが助けないといけないの! 解せないわ、ニフレディル!」
 青い髪の少女​──エラノールは憤りながら叫ぶ。
「主サマのお気に入りのおもちゃですもの。片付けないとワタシたちが主サマに怒られちゃうわ。そうでしょう、メルリルン」
 白髪の少女​──ニフレディルは、おどおどとしながら、ふたりの顔色を窺っている。
「ま、そういうわけだから持って帰るわ。ゴメイワクおかけしました」
 と、最後にヴァラキアが小馬鹿にするようなお辞儀とともにそう締めくくった。
 サキの眉間に深い皺が入る。銃は相変わらず構えたままだ。
「おっと、変な気は起こすなよ? ​──イタイのは嫌いなんだわ」 
 この意味、あんたならわかるだろ? とヴァラキアは気味の悪い笑みを浮かべる。一瞬だけ、彼の周りに黒い靄のようなものがチラついた気がした。
 それに反応してか、ずっとサキの後ろで黙っていたセレーネが、素早くナイフを取り出す。
「ベル、よせ」短く、サキが彼女の腕を掴んで制止する。
「でもサキ、こいつ​──」
「わかっている」
 サキはゆっくりと銃を下ろすと、アリスティドたちの方への道を開けた。セレーネも不機嫌そうな顔でそれに従う。
「話が早くて助かるぜ。流石、隊長殿」
「お前たちは何が目的だ」
「見ての通り、出来の悪い仲間を連れ帰りに」
「何のために、わざわざ『アルダ』へ来た」
 ぴたり、とヴァラキアの足が止まった。
「そっち? ははっ、それ言っちゃつまんねーだろ? ……よっと」
 軽い掛け声と共にアリスティドを担ぐ。喧しい三人娘も、それぞれ「重ぉい!」「臭ぁい!」「汚ぁい!」と文句を垂れながらリーナを持ち上げた。
「さてと、ノロマのメルリルン。サクッとやってくれや。詠唱終わってんだろ」
「ノロマじゃないわよぉ! 《スラク=クリムプ》!」
 金髪の少女​──メルリルンが杖を掲げると、彼らの足元に幾何学模様の魔方陣が浮かび上がる。読むことのできない、刺々しくも禍々しい文字がびっしりと描かれたそれは、怪しく光りながら彼らをすっぽりと覆っていく。
「ああ、そうだ」
 ヴィルたちが、彼らの姿がどんどん見えなくなっていくのを黙って見守っている中、ヴァラキアは何かを思い出したようでぱちん、と指を鳴らした。
 そしてその手を、そのままニフレディルの口の中へと突っ込んだ。
「う、ぐッ……!?」
「なっ……!?」
 ヴァラキアの鎧で口の端がどんどん裂けていき、彼女の口からはぼたぼたと血が流れている。もがもがとニフレディルは手足をじたばたさせているが、ヴァラキアは何かを探すように腕をさらに奥へと突っ込むばかりだった。仲の良さそうだった他の二人の少女は黙ってその様子を眺めている。
「お、おい、何してんだよ!? お前ら仲間なんじゃないのかよ!?」
 ヴィルの叫びも全くの無視だ。あまりの痛ましい光景に、シェスカは思わず口元を覆った。
 そうしている間に目的の何かを見つけたのか、ヴァラキアがニフレディルから腕を引き抜いた。崩れ落ちる彼女から出てきたのは、ヴァラキアの拳よりもふたまわりほど大きな、粒のようなものが蠢いている黒い塊だった。
「あとこれ、土産に置いて行くわ」
 完全に魔方陣が彼らを包み込む寸前。ヴァラキアはどしゃ。と、それを地面に叩きつける。それは勢いよくバラバラに、ヴィルたちの足の下をくぐり抜け、蜘蛛の巣状に散っていく。
「ひっ!?」
 よく見ると、それは文字通り、手のひら大の蜘蛛だった。足元を蠢くそれに、シェスカが小さく悲鳴を上げた。
「そんじゃ、今度は『器』取りに来るから」
 じゃな。と軽い挨拶と共に、彼らは魔方陣に呑まれて消えていった。
「​──なんだったんだ、一体?」
 ヴィルはそう呟いて、シェスカのほうを見てみた。さっきの蜘蛛がだめだったのか、それともヴァラキアの残した言葉のせいか、顔色があまりよくない。身体を抱くようにして、居心地が悪そうにしている。ヴィルの視線に気付くと、彼女はなんでもないと言い張るかのように姿勢を正した。
「気を抜くな。嫌な気配がする」
 辺りを見渡しながら、サキが注意を促した。後ろにいるセレーネが、彼の袖を軽く掴んでいる。
「あのクモ、まっすぐ木のほうへ向かっていったな。なんの真似だ?」
 ジェイクィズの問いかけに、棍を構え直したアシュリーが応える。
「彼らが大人しく、何もせずに帰るほうがおかしいわ。おそらくは……」
「​──見つけた」
 アシュリーが何か続けようとしたが、それはサキの言葉によって中断された。下ろしていた銃が、まっすぐこちらに向けられる。
「ちょっ、何を……!」
 動揺が走る中、サキは狙いを定めるように目を細めた。
追弾ツイダン​──《トラッカー》』
 彼が短い詠唱を終えると、カチリ、とリボルバーが回り、引き金が引かれる。音もなく撃ち出された弾丸は、ヴィルのすぐ横を掠め、背後の樹へと、不快な音を立ててめり込んだ。
 何事だ、と反射的に振り返る。
 それと同時に樹から感じる禍々しい何か。
 時間がやけにゆっくりに感じた。伸びてくる太い枝の先端は鋭く変形しており、まさに槍そのもののようだ。それが、どんどん近づいて。
「ヴィルっ!!」
 シェスカの悲鳴が響く。ゆっくりだった時間がはじけ飛ぶ。腹にとてつもない衝撃と、後からやってくる声もあげられないほどの激痛と、言いようのない異物感。そのあまりの痛さに目の前が真っ暗になる。
 真っ暗な視界の中、温かい何かが身体から流れ出す気持ち悪さを感じながら、ヴィルの意識はそこで途切れた。

******

「ヴィルっ!!」
 シェスカ・イーリアスの叫びも虚しく、いとも容易く少年の身体は魔物によって貫かれた。
 ずるり、と彼の身体が滑り落ちる。それと同時に、樹の幹に止まっていた蜘蛛の黒い胴体が、紫色の汚い体液と共に砕け散った。
 間に合わなかったか、とサキ・スタイナーは小さく舌打ちした。すぐにイヤーカフスに指を当て、通信を開く。
「レオンハルト、ロゼ隊を急がせろ」
『り、了解です!』
 別の場所でこちらの様子を監視させていたレオンハルトは、今の状況をある程度わかっている。すでにロゼ隊への連絡を入れようとしていたところだったようだ。気弱だが優秀な奴だ。一番最初にヴァラキアたちの存在に気付き、それをサキに知らせたのは彼だった。
『熱き刃、汝を刈り取り、灰と化せ! 《フレアルクス》!!』
 こちらが通信をしている間に、シェスカは早口で詠唱を済ませると、少年を貫いた木の魔物​──このタイプは通称トレントともいう​──に向かって魔術を放つ。現れた赤々とした鎌が、トレントを真っ二つに両断し、切断面から炎が巻き起こる。
 彼女はそこまで見届けると、すぐさま倒れている少年に駆け寄った。
「ヴィル!  聞こえる!?  ヴィル!!」
「ひでぇな、こりゃ」
 彼を直視したジェイクィズは珍しくそう漏らした。ひゅう、ひゅう、とかろうじて息はあるようだが、このままでは失血が多くてすぐに死んでしまうだろう。​──ロゼ隊は間に合いそうにもないか。
「傷を焼いて止血すれば……」
「フツーの人間にんなことしたら、ショックでむしろ死んじゃうって」
「黙って気が散る!!」
 アシュリーとジェイクィズを一喝すると、シェスカはヴィルの傷にそっと手をかざす。傍から見てもわかるほどの集中だ。彼女の魔力が、ブレスレットを介して淡い光となり、傷口に注ぎ込まれる。
『集え清浄なる光、彼の者に癒しを』
 シェスカの魔術は確かにヴィルの傷を徐々に徐々に塞いではいくものの、それを上回る早さで血が流れ出している。シェスカは詠唱に詠唱をさらに重ねていくが、完全に塞がる気配はない。
「治癒魔術でもダメなのか……」
 ジェイクィズがぼそり、とこぼした時だった。
『ああ、もう! つべこべ言わずに治れって言ってるでしょ!』
 半分ヤケになったのだろうか。シェスカが思い切りそう叫んだ。すると、ほんの一瞬だけ、今までで一番強い光が、ヴィルを包む。
 まばゆい光が収まった頃、彼の腹に穿たれていた穴は不恰好ながら塞がっていた。
「​──い、今の……」
「シェスカちゃんやったネ!」
「え、ええ」
 汗を拭いながらシェスカは ジェイクィズに微笑んで見せた。どこか釈然としていない様子で。
「サキ」くい、と袖が引かれる感覚に振り返ると、ベルシエルがじっとシェスカを見つめていた。小さく、サキだけに聞こえるように呟く。
「今の、魔術じゃなかった」
「やっぱりか」
 さっきの魔術が発動したときのシェスカの言葉は詠唱じゃない。おそらくは苛立ちから来た独り言のようなものだ。
「……魔法か?」
「ちょっと違うけど、似た感じした。あの子は気付いてないと思うけど」
 ベルシエルがこう言うということは、あのシェスカ・イーリアスという少女は、どうも只者ではないらしい。もしかしたら、さっきの魔法もどきが、ヴァラキア達に追われている原因なのか​──
 サキは思考をそこで一度止めて、周囲の気配を探る。感じる、小さいがたくさんの禍々しい気配。あの蜘蛛たちは次の獲物を品定めしている最中のようだ。
「落ち着いたところで申し訳ないが、安心するのはまだ早いぞ」
 そう言いながら、サキは周囲を伺いながらシェスカらの方へ歩み寄った。少しだけ安堵した様子のシェスカの顔がまた険しいものに変わる。
「どういうこと?」
「ここにいる木ども、さっきそいつを突き刺したみたいに、また動き出す」
「操ってた少女はもういないはずですが……」
 アシュリーは首を傾げつつ、棍を構え直しながら尋ねてきた。
「さっきヴァラキアが蜘蛛をばら撒いただろ。あいつが動かしてる。
 この量がこっちを殺しにかかるんだ。そいつをここから運び出すのにも骨が折れるぞ。止血して傷が塞がっても、そいつが危険な状態なのは変わらない」
 淡々と語るサキに、苛ついた様子でシェスカは確認する。
「……要するに、ヴィルを助けるには、その蜘蛛をなんとかすればいいのね?」
「ああ。蜘蛛さえ殺せば、ただの木に戻る」
「あの中からちっこい蜘蛛見つけて叩き殺せって?」
「そうなるな」
「無茶言うぜ……」
 やれやれ、とジェイクィズは溜息混じりに肩を竦めた。
「わかったわ」
「えッ!? シェスカちゃん?」
「しばらく集中させて。私に攻撃が来ないように。そんで、出来るなら私から離れた蜘蛛を減らして欲しいの」
「何をするつもりだ?」
「私の魔術で、全部まとめて倒すわ」
 真っ直ぐ見据えてくるその瞳は、怒りで静かに燃えていた。

******

「シェスカちゃん、ムチャすんなぁ……どんだけいると思ってんだろトレント」
「黙って手を動かせ。得意分野だろう」
「そーゆーテメーもな!」
 サキは一瞬で銃を構えるとすぐさまその引き鉄を引く。ワンテンポ遅れて聞こえる、ぐしゃり、という音。
「​──まず、一匹」
「急に黙って撃つな! びっくりすんだろが!!」
「今撃った」
「事後報告ならいいとかじゃねェんだよボケ!!」 

「……大丈夫なの、あの二人」
「気にしないで。いつものことだから」
 シェスカの呟きに、アシュリーが半ば呆れながら応えた。
「私も続くわ。気を付けてね、二人とも」
「あ、はい」
 シェスカが頷くのを確認すると、アシュリーもまた、林の中へと消えていった。残されたのはシェスカと、動けないヴィル、それから、
「……」
 無口な人形めいた少女​──サキにはベルシエルと呼ばれていた​──の三人だ。彼女はぼんやりと、サキが去った方向をただじっと眺めている。葉擦れの音があちこちから聞こえてくる。
「はやく詠唱」
「わ、わかってるわよ!」
 剣を構えて、ゆっくりと深呼吸。脳に酸素を送る。集中しろ、集中しろ。思考をクリアに。
 ちらりとヴィルのほうを見る。傷は塞がっているものの、顔色はよくない。急がなければ。
 めき、めき、と嫌な音があたりいっぱいに響き始めた。幹が、枝が、気味悪く蠢いて、次の獲物に狙いを定めているようだった。
「っ!?」
 太い幹がシェスカめがけて真っ直ぐに伸びてくる。次に来るであろう衝撃に備えて、反射的に目をつぶる。
『貫いて、《クラルテランス》』
 ベルシエルの涼やかな声。それから、何かが砕ける音。おそるおそる目を開けると、目の前には幹の残骸と、不機嫌そうな顔のベルシエルが立っていた。
「……」
 無言だが、いいからさっさと詠唱しろ、と瞳が訴えている。
「う、うるさいわよっ!」
「なにも言ってない」
「目は口ほどにものを言うの!」
「だいじょうぶ」
「なにが」
「サキに言われたもの。あなたの邪魔はしないし、させない。だから早くして」
 淡々と言葉を紡ぎながら、ベルシエルはポーチから短い棒のようなものを取り出した。まるで杖のような、細やかな装飾のされたそれを、彼女がぎゅっと握りこむと、魔力による淡く光る刃が現れる。
​──あれは……マジックアイテムだわ。
 シェスカが物珍しそうにまじまじとそのナイフを見つめていると、眉間に皺を寄せてベルシエルはもう一度、「早く」と念を押した。
「わかってるってば!」
 ぱんっ、と自分の顔を両の手のひらで思い切り引っ叩く。自分で叩いてもあまり痛くはないが、少しだけひりひりする感覚が、思考を冷静にさせる。シェスカはこれ以上余計な事を考えないように、剣を構えてゆっくりと瞳を閉じた。

 集中しろ。集中しろ。全神経をこの剣に。 
 全ての音を遮断する。聞こえるのは自分の息遣いだけ。今はそれさえも騒音だ。
 集中しろ。集中しろ。
 もっと、もっと。思考をクリアに。余計なものを取り除け。思い描くのはシンプルなことでいい。
 敵​──とても小さい。そいつだけを狙う。クモの姿。嫌な気配。
 真っ暗な空間の中に、ポツポツと、無数の禍々しい光が浮かび上がる。
 蠢くそれに、逃げ出したくなるほどの嫌悪感を感じるが、シェスカは強く剣を握り、それを押さえ込んだ。
 範囲​──できるだけ広く。気配は感じるが、正確にどこにいるかまではわからない。
 思い浮かべろ。何よりも強固なイメージ。
 冷たい刃にそっと手を添える。指先から魔力を剣に流し込んでいく。徐々に、徐々に、刃が熱を帯びていった。
​──威力の加減は必要ない。強くないと倒せないでしょ。私のできる最大級で、敵を屠る。思い浮かべるのは、焼き尽くす焔。
 シェスカは深く、深く息を吸い込むと、カッと瞳を見開いた。
『我が元に集いし、猛き獣よ。我らに仇なす邪の者を喰らい尽くせ』
 ボウ、とシェスカの周囲に、足元に、幾重にも赤い魔方陣が浮かび上がる。それらは彼女の声に呼応し、強い光を放ち、熱く燃える炎が彼女を包む。
『あなたが焼き払うは、蠢く黒き禍、裁きの焔よ』
 そこでシェスカは一度詠唱を区切ると、もう一度深く息を吸い込む。これだけじゃまだ足りない。彼女は剣を高く、天へと突き上げる。そして現れる、今度は緑に淡く光る魔方陣。
『立ち昇れ、天高く!! 逆巻け、吹き抜けたる大いなる風! 彼の者どもを包み、荒れ狂え!!』
 竜巻のように渦巻く風が、シェスカを包んでいた炎を巻き込み、より大きく、その勢いを増していく。
 これで仕上げだ。と言わんばかりに、シェスカは詠唱と打って変わって静かに、言葉を紡ぐ。一筋の汗が、彼女の頬を伝った。

『​──​──《クレマティオ》』

 その瞬間、炎を纏った嵐は一気に膨れ上がり、ジブリールは一瞬にして炎に包まれた。
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