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chapter.4
二つの出会い
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******
ジブリールの内部は混乱していた。
「エネルギー供給はどれくらい回復した?」
「ようやく七十パーセントってとこだ。ヤバいとこはなんとかなったってうちの隊長が」
「じゃあバージェス隊の出番だな。俺らガジェッド隊はしばらく待機か~」
「羨ましいぞおまえ! はぁ、あいつら変に弄らないといいけど」
「ま、頑張れスタイナー隊。胃薬は用意してやるよ」
廊下を行き交うそんな会話を聞きながら、シェスカは焦げないように鍋をゆっくりと掻き回す。
二日前のことである。ジブリールに謎の魔物騒動が起こった。それまでただの木だったものが、急に意思を持っているかのように動き始めたのだ。その騒動の中心は、紛れもなく彼女、シェスカ・イーリアスで。シェスカを追うフード付きマントの人物の、その仲間。それが今回の件を引き起こした張本人だった。
なんとかジブリールとジェイクィズと協力して、魔物騒動は抑えたものの、そこからさらに大きな問題が起こった。
ジブリールの施設内のエネルギーを供給しているもの──大魔石が、何者かに盗まれた。
そのせいでジブリールの全機能が一時的に停止し、ジブリールはさらなる大混乱へと陥れられた。おもに医療機関である第二分隊舎と、総合詰所の打撃は強烈で、今もなお第二分隊の隊員たちはあちこちを走り回っている。
大魔石の調査は、第一分隊、第四分隊が担当しており、その場に残っていた魔術の残滓から、魔物騒動を起こした連中と同じ人物ということが判明したらしい。それについて、第一分隊は侵入経路等を徹底的に洗い出しているようだが、二日経った今でも手掛かりは掴めていない、とのこと。
シェスカは、原因の一端は自分にあると、休んでおけというサキやジェイクィズたちの言葉を半ば無視する形で、こうして炊き出しの手伝いをしていたわけだが……。
なんだか、いつの間にかとんでもないことになってるなぁと、シェスカは重い重い溜息を吐いた。
「シェスカちゃ~ん、溜息吐くと幸せが逃げちゃうぜ~?」
「……あなたも溜息の原因なんだけどね。ジェイクィズ」
ことあるごとにスキンシップを図ろうとするジェイクィズを制止しつつ、鍋の火加減を調節する。なんでも、このジブリールは火を起こすことさえ大魔石からのエネルギー供給で賄っていたらしく、つまみを捻るだけで炎が出る便利なカマドがある。が、今は使えないため、仕組みを利用して魔術を掛けて使っている状態だ。
「ところで、ヴィルの様子……どう?」
「変わってない。まだ寝てるぜ」
ジェイクィズは肩を竦めてそう答えた。
ヴィル・シーナーは、二日前の魔物騒動の際、重症を負って以来、まだ目を覚ましていない。重症とは言っても、シェスカによる迅速な治療のお陰で傷自体は直ぐに塞がっていたのだが、出血が多かったためか、危険な状態だった。
彼女が魔術で魔物たちを一掃した後、すぐさま第二分隊──医療集団だと聞いた──の隊長、サラサネイア・ロゼが治療に当たっていた。そしてひとまず昨日には容体は落ち着いたと、ロゼが言っていた。
「シェスカちゃん、こっちの手伝いにヴィルの看病とかで寝てないっしょ? おにーさんは心配よ?」
「ありがと。でも平気よ。私のせいでもあるわけだし」
「だっからさァ、シェスカちゃんのせいじゃないってば。加害意識強すぎね」
「でも、私がいなかったら、こんなことにならなかったでしょ。……少なくともヴィルは、あんな死にそうな怪我、しなくて済んだわ」
かれこれ彼女はずっとこの調子である。ジェイクィズはもう一度やれやれと肩を竦めた。
「あ、おはようございます! シェスカさん! ジェイクィズさん!」
「いい匂いね」
そう言いながら厨房へ入ってきたのは、病院服を着たレオンハルトとアシュリーだった。彼らはあちこちに包帯をぐるぐる巻きにされている。
なんでも、先日の騒動の時は、一時的に傷を塞いでいた状態で、パルウァエで奴らに負わされた傷は未だ完治していないらしい。無理を言って作戦に参加したのだそうだ。アシュリー曰く「私たちのほうが、彼らの顔を知ってるし、話したこともあるからなりきるには有利だ」だ、そうだ。
「君ら寝てなくていいの~? またロゼさんに怒られんぜ?」
「だってもうウチの病院食飽きたんだもの」
「あんまり美味しくないですしねぇ」
そう言いながら、二人は出来上がっている鍋から勝手に料理を盛り付けていく。どうせ配るのだから勝手にどうぞ食べてくださいと言ったところ、昨日からこんな調子である。
「食べたら、ちゃんと戻って休んでくださいね」
「ええ、わかってるわ。早く治して復帰しないと」
「なら、早く食べてベッドにお戻りなさいね。アシュリー・ガーランド、レオンハルト・カッセルズ」
トゲトゲしい言葉を投げかけたのは、青い軍服の上から白衣を羽織った女性だった。歳は三十代後半ほどだろう。たっぷりとしたウェーブのかかった髪を流している。キリッとした眉とは裏腹に、その瞳は優しく、慈愛に溢れた眼差しだ。そんな彼女は、厨房の入り口で腰に手を当て大変ご立腹の様子で立っている。
「ろ、ロゼ隊長……」
いたずらが見つかった子供のようにレオンハルトがするすると小さくなっていく。
彼女はサラサネイア・ロゼ。ジブリール第二分隊の隊長である。
「あんまり病室を抜け出すようなら、スタイナー隊長に言いつけちゃうわよ」
「ロゼさん、それあんまし効果ない脅し文句だぜ?」
「じゃあ痛い薬塗ります」
さあっとアシュリーとレオンハルトの顔が青くなった。効果はてきめんだったようだ。急いで皿に盛った料理をかき込む。
「……ってこんなこと言ってる場合じゃなかった」
ロゼは誰かを探しているらしく、厨房の中をきょろきょろと見渡した。
「どうかしましたか?」首を傾げながら、アシュリーが尋ねた。
「ヴィルくん、ここに来てないかしら?」
病室のどこにもいないのよ、と困ったように肩を竦める。それを聞いて、ジェイクィズは驚きで目を見開いた。
「え、あいつさっきまで寝てたのに!? ……ってシェスカちゃん! 鍋! 火!」
「消しといて!」
いてもたってもいられず、シェスカは入り口のロゼを押しのけるように厨房から転がり出た。そのままヴィルの病室への道へ向かう。
目が覚めて嬉しいのと、いないという焦燥感で頭がごちゃごちゃだ。
そのせいか、前を歩く人物に全く気づかなかった。
「っ、きゃ……!」
「おっと」
思い切り誰かにぶつかった。
──転ぶ! そう確信したその時だった。腕を掴まれて、ふわりと身体が浮く。その次の瞬間には何事もなかったように立っている自分と、目の前の人物。
「大丈夫ですか? ちゃんと前を見ないと危ないですよ」
「え、ええ。ごめんなさい。ありがとうございます」
ジブリールのものではない軍服を着た青年だった。黒く長い髪をゆったりとひとつに纏め、左目には片眼鏡。どこか紳士然としている。
だが、それとは別に、シェスカは彼に言いようのない不快感というか、一種の気味悪さを感じていた。
「怪我はないですか? 女の子が身体に傷でも残ったら大変です」
青年は細い瞳をさらに細めて微笑んだ。引かれた手にさらに手のひらを重ねられる。
何故だろう。彼の笑顔はいたって普通の、当たり障りないものなのに。彼の手は極端に冷たいだとか、熱いだとか、湿っているわけでもないのに。それなのに、首のあたりがピリピリする。自分の中の何かが、彼を拒絶していた。
「大丈夫です。気にしないでください」
助けてくれた相手に失礼だとは承知しているが、少し乱暴に手を振り払う。早くこの場から離れたい。離れたい離れたい離れたい……! シェスカはもう一度「ありがとうございました」とお礼を言ってから、すぐさま走り出した。
「そうだ、お嬢さん」
その後ろから呼びかけられる。びくり、と肩が跳ねた気がした。一度止まって振り返る。
「私はゲニウス。貴方のお名前は?」
青年──ゲニウスの赤い瞳とかち合った。彼は変わらず微笑んでいる。
「私は…………シェスカ」
「いいお名前ですね、シェスカさん。またぶつからないようにお気をつけて」
ゲニウスの声を背中に、シェスカは再び走り出す。その後から遅れて、ジェイクィズが彼女を追いかけていく。その様子を、ゲニウスは笑みを崩さずに見送っていた。
「シェスカ……シェスカ……」
残されたゲニウスは何度も小さくその単語を繰り返す。
「今の『器』はシェスカ──ねぇ」
そう呟いて、彼は静かに身を翻し、彼女らと反対方向へと歩き出した。
******
「あっ、ヤバい迷ったかも」
辺りを見渡して、ヴィルは途方にくれていた。外の空気を吸いに適当にうろついていたら、いつのまにか変な場所に出てしまったらしい。
建物の境らしいこの場所は、全く人の気配がない。等間隔に並んだアーチ状の柱がいくつも並び、それに囲われるようにたくさんの花たちが咲き乱れている。やけに広いが、中庭のようなもののようだ。
建物内には慌ただしく駆け回るジブリールの人たちがいたから、おそらくここはジブリールの中なのだろうと結論付けたものの、ジブリールになど入ったことがないヴィルにとっては未知の場所である。
「うーん……オレ、どっちから来たっけ……?」
似たような風景が広がっているせいで、自分がどこの通路からここに来たのか全くわからない。
「そこの君。迷子かい? ここは関係者以外は立ち入り禁止だよ」
背後から声を掛けられ、思わず肩がびくりと跳ねる。
「すいません! オレ入っちゃいけないとこって知らなくて……」
謝罪しながら振り返る。そこには背筋をぴん、と伸ばして毅然と立っている軍人がいた。
身長は自分とそう変わらないくらいだろうか。しかし、その立ち居振る舞いのせいか、かなり長身に見えた。
オレンジに近い長い赤毛を高い位置で一つにまとめ、耳には金色のピアスがキラリと揺れてその存在を主張していた。身に纏うブルーグレーを基調とした軍服は、紫の太いラインと、細かな金の刺繍が施されており、胸や襟には数々の勲章やメダルが輝いている。一目で、かなり位の高い人間なのは一目瞭然だった。圧倒的な威圧感のようなものを、ひしひしと感じる。
「仕方ないさ。ここは似たような建物が多くて迷いやすいから」
軍人はそう青い瞳を細めた。
「病院服を着ている……と、いうことは、君は第二分隊の患者かな。病棟まで案内しよう」
「ありがとうございます。えっと……」
「私の名はオグマだ。さぁ、行こうか少年」
オグマは言い終わらない内にヴィルに背を向けて歩き出す。置いていかれるとまた迷子になってしまう、と彼の背中を追うことにした。
──ジブリールの軍服じゃないってことは、この人アメリ軍の人かな?
揺れるポニーテールを眺めつつぼんやりとそう思った。
「あの、ここってどこなんですか?」
置いていかれまいと数歩下がって彼について行く。ついでに気になっていたことも聞いてみることにしてみた。
「中庭と隊員たちの修練場だよ。病棟は君が進もうとしていたのと逆方向」
「じゃあやっぱりここってジブリール?」
「君は自分が入院している場所も知らないのかい?」
「気付いたらここにいたんです」
少しムッとしながら答える。
このオグマという人間はどうも苦手だ。笑みを浮かべながらも、何を考えているのか、その底が見えない。
そんなことを考えているヴィルをよそに、オグマはふふふ、と笑う。
「オグマ……さんは、ジブリールの人じゃないですよね。どうしてここに?」
「人探しをしていてね。見ていないかい? 赤毛の、剣を持った魔術師なんだけど」
「──!」
──こいつ、シェスカを知ってる!? ヴァラキアとかいう奴らの仲間なのか……!?
咄嗟に身構える。そんなヴィルを見て、オグマはさらに声を上げて笑った。
「あはは! 済まない冗談さ。私が探しているのは違う人物だ。金髪の黒いローブを着た男だよ。見ていないかい?」
「……見てません」
「そうかい」
ことごとく相手のペースだ。気に食わない。やはりこの軍人は苦手だ。
会話はそこで途切れ、不本意ながらもオグマの後ろをついていく。
ふと、視界の端に見たことのある影が写った。花壇の前にしゃがみ込んで、花をじーっと見ている。蜜のような金髪を耳の下で揃え、黒地に白いフリルをあしらった、背中の空いたポンチョのようなものを着たその影は、確か──
「セレーネ!」
弾かれたように彼女はこちらを振り向いた。驚いたのか、それとも別の何かがあるのか、彼女は少し怯えたような瞳をしていた。が、それもすぐに何処かへ引っ込み、怪訝そうに口を開く。
「目が覚めたの」
疑問系なのか確認してるのかわからない言い回しだな、と彼女の元へ駆け寄りながら苦笑する。
「うん。なんか傷も治ってるし大丈夫。あ、そうだ、きみの名前、セレーネであってた……よね?」
「名前はベルシエル。ベルシエル・セレーネ」
大きな瞳をぱちぱちとさせて、ベルシエルは答えた。
「そっか。オレはヴィル。よろしくな、ベルシエ……」
ル、と続けようとしたが、ものすごい形相で睨まれた。先日のアリスに対する彼女を思い出す。ぽやっとしているところからの落差が怖い。
「勝手に呼ばないで」
ベルシエルは短く拒絶した。名前が嫌いなのだろうか。それともなにか事情があるのだろうか。とりあえずごめん、と謝っておこう。
「少年、君は彼女と知り合いなのかい?」
遅れてやってきたオグマが、ヴィルに尋ねた。
「えっと……知り合いではあるけどほとんど初対面っていうか……」
「セレーネ殿、兄上殿の居所を知っているかな?」
オレの話を聞く気がないなら最初から訊くなよ。
ベルシエルはオグマから一定の距離を保ちたいようで、オグマが一歩踏み出すたび、一歩後ろに後ずさっていた。
「知らない。」
その声にもはっきりとした拒絶が見える。そんな彼女の様子を意にも介さず、オグマは笑みを返すと、
「なら仕方ないね。出直すとしよう。少年も知り合いと会えたようだし、私はここで消えるよ」
そう残して、つかつかと踵を鳴らして去っていった。
ジブリールの内部は混乱していた。
「エネルギー供給はどれくらい回復した?」
「ようやく七十パーセントってとこだ。ヤバいとこはなんとかなったってうちの隊長が」
「じゃあバージェス隊の出番だな。俺らガジェッド隊はしばらく待機か~」
「羨ましいぞおまえ! はぁ、あいつら変に弄らないといいけど」
「ま、頑張れスタイナー隊。胃薬は用意してやるよ」
廊下を行き交うそんな会話を聞きながら、シェスカは焦げないように鍋をゆっくりと掻き回す。
二日前のことである。ジブリールに謎の魔物騒動が起こった。それまでただの木だったものが、急に意思を持っているかのように動き始めたのだ。その騒動の中心は、紛れもなく彼女、シェスカ・イーリアスで。シェスカを追うフード付きマントの人物の、その仲間。それが今回の件を引き起こした張本人だった。
なんとかジブリールとジェイクィズと協力して、魔物騒動は抑えたものの、そこからさらに大きな問題が起こった。
ジブリールの施設内のエネルギーを供給しているもの──大魔石が、何者かに盗まれた。
そのせいでジブリールの全機能が一時的に停止し、ジブリールはさらなる大混乱へと陥れられた。おもに医療機関である第二分隊舎と、総合詰所の打撃は強烈で、今もなお第二分隊の隊員たちはあちこちを走り回っている。
大魔石の調査は、第一分隊、第四分隊が担当しており、その場に残っていた魔術の残滓から、魔物騒動を起こした連中と同じ人物ということが判明したらしい。それについて、第一分隊は侵入経路等を徹底的に洗い出しているようだが、二日経った今でも手掛かりは掴めていない、とのこと。
シェスカは、原因の一端は自分にあると、休んでおけというサキやジェイクィズたちの言葉を半ば無視する形で、こうして炊き出しの手伝いをしていたわけだが……。
なんだか、いつの間にかとんでもないことになってるなぁと、シェスカは重い重い溜息を吐いた。
「シェスカちゃ~ん、溜息吐くと幸せが逃げちゃうぜ~?」
「……あなたも溜息の原因なんだけどね。ジェイクィズ」
ことあるごとにスキンシップを図ろうとするジェイクィズを制止しつつ、鍋の火加減を調節する。なんでも、このジブリールは火を起こすことさえ大魔石からのエネルギー供給で賄っていたらしく、つまみを捻るだけで炎が出る便利なカマドがある。が、今は使えないため、仕組みを利用して魔術を掛けて使っている状態だ。
「ところで、ヴィルの様子……どう?」
「変わってない。まだ寝てるぜ」
ジェイクィズは肩を竦めてそう答えた。
ヴィル・シーナーは、二日前の魔物騒動の際、重症を負って以来、まだ目を覚ましていない。重症とは言っても、シェスカによる迅速な治療のお陰で傷自体は直ぐに塞がっていたのだが、出血が多かったためか、危険な状態だった。
彼女が魔術で魔物たちを一掃した後、すぐさま第二分隊──医療集団だと聞いた──の隊長、サラサネイア・ロゼが治療に当たっていた。そしてひとまず昨日には容体は落ち着いたと、ロゼが言っていた。
「シェスカちゃん、こっちの手伝いにヴィルの看病とかで寝てないっしょ? おにーさんは心配よ?」
「ありがと。でも平気よ。私のせいでもあるわけだし」
「だっからさァ、シェスカちゃんのせいじゃないってば。加害意識強すぎね」
「でも、私がいなかったら、こんなことにならなかったでしょ。……少なくともヴィルは、あんな死にそうな怪我、しなくて済んだわ」
かれこれ彼女はずっとこの調子である。ジェイクィズはもう一度やれやれと肩を竦めた。
「あ、おはようございます! シェスカさん! ジェイクィズさん!」
「いい匂いね」
そう言いながら厨房へ入ってきたのは、病院服を着たレオンハルトとアシュリーだった。彼らはあちこちに包帯をぐるぐる巻きにされている。
なんでも、先日の騒動の時は、一時的に傷を塞いでいた状態で、パルウァエで奴らに負わされた傷は未だ完治していないらしい。無理を言って作戦に参加したのだそうだ。アシュリー曰く「私たちのほうが、彼らの顔を知ってるし、話したこともあるからなりきるには有利だ」だ、そうだ。
「君ら寝てなくていいの~? またロゼさんに怒られんぜ?」
「だってもうウチの病院食飽きたんだもの」
「あんまり美味しくないですしねぇ」
そう言いながら、二人は出来上がっている鍋から勝手に料理を盛り付けていく。どうせ配るのだから勝手にどうぞ食べてくださいと言ったところ、昨日からこんな調子である。
「食べたら、ちゃんと戻って休んでくださいね」
「ええ、わかってるわ。早く治して復帰しないと」
「なら、早く食べてベッドにお戻りなさいね。アシュリー・ガーランド、レオンハルト・カッセルズ」
トゲトゲしい言葉を投げかけたのは、青い軍服の上から白衣を羽織った女性だった。歳は三十代後半ほどだろう。たっぷりとしたウェーブのかかった髪を流している。キリッとした眉とは裏腹に、その瞳は優しく、慈愛に溢れた眼差しだ。そんな彼女は、厨房の入り口で腰に手を当て大変ご立腹の様子で立っている。
「ろ、ロゼ隊長……」
いたずらが見つかった子供のようにレオンハルトがするすると小さくなっていく。
彼女はサラサネイア・ロゼ。ジブリール第二分隊の隊長である。
「あんまり病室を抜け出すようなら、スタイナー隊長に言いつけちゃうわよ」
「ロゼさん、それあんまし効果ない脅し文句だぜ?」
「じゃあ痛い薬塗ります」
さあっとアシュリーとレオンハルトの顔が青くなった。効果はてきめんだったようだ。急いで皿に盛った料理をかき込む。
「……ってこんなこと言ってる場合じゃなかった」
ロゼは誰かを探しているらしく、厨房の中をきょろきょろと見渡した。
「どうかしましたか?」首を傾げながら、アシュリーが尋ねた。
「ヴィルくん、ここに来てないかしら?」
病室のどこにもいないのよ、と困ったように肩を竦める。それを聞いて、ジェイクィズは驚きで目を見開いた。
「え、あいつさっきまで寝てたのに!? ……ってシェスカちゃん! 鍋! 火!」
「消しといて!」
いてもたってもいられず、シェスカは入り口のロゼを押しのけるように厨房から転がり出た。そのままヴィルの病室への道へ向かう。
目が覚めて嬉しいのと、いないという焦燥感で頭がごちゃごちゃだ。
そのせいか、前を歩く人物に全く気づかなかった。
「っ、きゃ……!」
「おっと」
思い切り誰かにぶつかった。
──転ぶ! そう確信したその時だった。腕を掴まれて、ふわりと身体が浮く。その次の瞬間には何事もなかったように立っている自分と、目の前の人物。
「大丈夫ですか? ちゃんと前を見ないと危ないですよ」
「え、ええ。ごめんなさい。ありがとうございます」
ジブリールのものではない軍服を着た青年だった。黒く長い髪をゆったりとひとつに纏め、左目には片眼鏡。どこか紳士然としている。
だが、それとは別に、シェスカは彼に言いようのない不快感というか、一種の気味悪さを感じていた。
「怪我はないですか? 女の子が身体に傷でも残ったら大変です」
青年は細い瞳をさらに細めて微笑んだ。引かれた手にさらに手のひらを重ねられる。
何故だろう。彼の笑顔はいたって普通の、当たり障りないものなのに。彼の手は極端に冷たいだとか、熱いだとか、湿っているわけでもないのに。それなのに、首のあたりがピリピリする。自分の中の何かが、彼を拒絶していた。
「大丈夫です。気にしないでください」
助けてくれた相手に失礼だとは承知しているが、少し乱暴に手を振り払う。早くこの場から離れたい。離れたい離れたい離れたい……! シェスカはもう一度「ありがとうございました」とお礼を言ってから、すぐさま走り出した。
「そうだ、お嬢さん」
その後ろから呼びかけられる。びくり、と肩が跳ねた気がした。一度止まって振り返る。
「私はゲニウス。貴方のお名前は?」
青年──ゲニウスの赤い瞳とかち合った。彼は変わらず微笑んでいる。
「私は…………シェスカ」
「いいお名前ですね、シェスカさん。またぶつからないようにお気をつけて」
ゲニウスの声を背中に、シェスカは再び走り出す。その後から遅れて、ジェイクィズが彼女を追いかけていく。その様子を、ゲニウスは笑みを崩さずに見送っていた。
「シェスカ……シェスカ……」
残されたゲニウスは何度も小さくその単語を繰り返す。
「今の『器』はシェスカ──ねぇ」
そう呟いて、彼は静かに身を翻し、彼女らと反対方向へと歩き出した。
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「あっ、ヤバい迷ったかも」
辺りを見渡して、ヴィルは途方にくれていた。外の空気を吸いに適当にうろついていたら、いつのまにか変な場所に出てしまったらしい。
建物の境らしいこの場所は、全く人の気配がない。等間隔に並んだアーチ状の柱がいくつも並び、それに囲われるようにたくさんの花たちが咲き乱れている。やけに広いが、中庭のようなもののようだ。
建物内には慌ただしく駆け回るジブリールの人たちがいたから、おそらくここはジブリールの中なのだろうと結論付けたものの、ジブリールになど入ったことがないヴィルにとっては未知の場所である。
「うーん……オレ、どっちから来たっけ……?」
似たような風景が広がっているせいで、自分がどこの通路からここに来たのか全くわからない。
「そこの君。迷子かい? ここは関係者以外は立ち入り禁止だよ」
背後から声を掛けられ、思わず肩がびくりと跳ねる。
「すいません! オレ入っちゃいけないとこって知らなくて……」
謝罪しながら振り返る。そこには背筋をぴん、と伸ばして毅然と立っている軍人がいた。
身長は自分とそう変わらないくらいだろうか。しかし、その立ち居振る舞いのせいか、かなり長身に見えた。
オレンジに近い長い赤毛を高い位置で一つにまとめ、耳には金色のピアスがキラリと揺れてその存在を主張していた。身に纏うブルーグレーを基調とした軍服は、紫の太いラインと、細かな金の刺繍が施されており、胸や襟には数々の勲章やメダルが輝いている。一目で、かなり位の高い人間なのは一目瞭然だった。圧倒的な威圧感のようなものを、ひしひしと感じる。
「仕方ないさ。ここは似たような建物が多くて迷いやすいから」
軍人はそう青い瞳を細めた。
「病院服を着ている……と、いうことは、君は第二分隊の患者かな。病棟まで案内しよう」
「ありがとうございます。えっと……」
「私の名はオグマだ。さぁ、行こうか少年」
オグマは言い終わらない内にヴィルに背を向けて歩き出す。置いていかれるとまた迷子になってしまう、と彼の背中を追うことにした。
──ジブリールの軍服じゃないってことは、この人アメリ軍の人かな?
揺れるポニーテールを眺めつつぼんやりとそう思った。
「あの、ここってどこなんですか?」
置いていかれまいと数歩下がって彼について行く。ついでに気になっていたことも聞いてみることにしてみた。
「中庭と隊員たちの修練場だよ。病棟は君が進もうとしていたのと逆方向」
「じゃあやっぱりここってジブリール?」
「君は自分が入院している場所も知らないのかい?」
「気付いたらここにいたんです」
少しムッとしながら答える。
このオグマという人間はどうも苦手だ。笑みを浮かべながらも、何を考えているのか、その底が見えない。
そんなことを考えているヴィルをよそに、オグマはふふふ、と笑う。
「オグマ……さんは、ジブリールの人じゃないですよね。どうしてここに?」
「人探しをしていてね。見ていないかい? 赤毛の、剣を持った魔術師なんだけど」
「──!」
──こいつ、シェスカを知ってる!? ヴァラキアとかいう奴らの仲間なのか……!?
咄嗟に身構える。そんなヴィルを見て、オグマはさらに声を上げて笑った。
「あはは! 済まない冗談さ。私が探しているのは違う人物だ。金髪の黒いローブを着た男だよ。見ていないかい?」
「……見てません」
「そうかい」
ことごとく相手のペースだ。気に食わない。やはりこの軍人は苦手だ。
会話はそこで途切れ、不本意ながらもオグマの後ろをついていく。
ふと、視界の端に見たことのある影が写った。花壇の前にしゃがみ込んで、花をじーっと見ている。蜜のような金髪を耳の下で揃え、黒地に白いフリルをあしらった、背中の空いたポンチョのようなものを着たその影は、確か──
「セレーネ!」
弾かれたように彼女はこちらを振り向いた。驚いたのか、それとも別の何かがあるのか、彼女は少し怯えたような瞳をしていた。が、それもすぐに何処かへ引っ込み、怪訝そうに口を開く。
「目が覚めたの」
疑問系なのか確認してるのかわからない言い回しだな、と彼女の元へ駆け寄りながら苦笑する。
「うん。なんか傷も治ってるし大丈夫。あ、そうだ、きみの名前、セレーネであってた……よね?」
「名前はベルシエル。ベルシエル・セレーネ」
大きな瞳をぱちぱちとさせて、ベルシエルは答えた。
「そっか。オレはヴィル。よろしくな、ベルシエ……」
ル、と続けようとしたが、ものすごい形相で睨まれた。先日のアリスに対する彼女を思い出す。ぽやっとしているところからの落差が怖い。
「勝手に呼ばないで」
ベルシエルは短く拒絶した。名前が嫌いなのだろうか。それともなにか事情があるのだろうか。とりあえずごめん、と謝っておこう。
「少年、君は彼女と知り合いなのかい?」
遅れてやってきたオグマが、ヴィルに尋ねた。
「えっと……知り合いではあるけどほとんど初対面っていうか……」
「セレーネ殿、兄上殿の居所を知っているかな?」
オレの話を聞く気がないなら最初から訊くなよ。
ベルシエルはオグマから一定の距離を保ちたいようで、オグマが一歩踏み出すたび、一歩後ろに後ずさっていた。
「知らない。」
その声にもはっきりとした拒絶が見える。そんな彼女の様子を意にも介さず、オグマは笑みを返すと、
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