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第四章「KANATA」
第21話「ハル・ゴートゥー・ジ・アース(後編)」
しおりを挟む「ハル! またアレやってくれよ!」
「えぇ…また?」
ハルとオリヴァは町から離れた人気のない草原にやって来た。ファルカーとノンファルカーが仲睦まじく遊んでいるところを誰かに目撃されれば、何を言われるかわからない。二人が会う時は必ず人目を避けなければならなかった。草原にたどり着くと、ハルは手を組んで気を高める。風に吹かれて花びらが飛ぶのと共に、ハルとオリヴァの体が浮かび上がる。
「おぉ…」
「ふふ♪」
二人はダンスをするように、空中を泳ぎ回った。自分達は今、鳥のように空を自由に飛べる。オリヴァは今まで体験したことのない感覚に興奮し、ハルは自分を理解してくれる人がそばにいることの幸せを噛み締め、一時の自由を楽しむ。空中浮遊を楽しんだ後、二人は草原に寝転がりながら話をする。
「やっぱすげーな、ファルクは。なんでこんな便利な力を、みんな活用しようとしねぇんだ?」
「そりゃそうだよ。この力は私達の生活を豊かに変えてくれるかもしれない。でも、それと同時に武器にだってなるもん」
「…」
「車と同じだよ。遠くまで人を運んでくれるっていう便利な機能があるけど、使い方次第で簡単に人を殺せるんだから」
ハルは一度、この能力で人を殺したことがある。ジアの人格が目覚めるきっかけとなってしまったあの町での暴走だ。しかし、ファルカーの仕業だと判明したとして、誰が犯行に及んだかまでは特定できないため、すぐに逃げたハルは罪に問われることはなかった。ファルカーのイメージがさらに悪化してしまったが。
「私達は本当に醜い存在なんだよ。その力を利用しようと思いたくなくなるほど」
ファルカーの能力は利用するにはリスクが高い。自ら能力を使いこなし、反発を起こせば簡単にこの星の平和を脅かす。実際に自分達の地位を取り戻すために、ファルカーが暴動を起こした過去があるらしいが、ノンファルカーの開発した銃機器で一掃させたという。暴動を起こしたファルカーの大半が女児であったため、圧倒的な知識と力の差でねじ伏せたそうだ。そこからファルカーも自分達の虐げられる運命を痛感し、諦めて暴動を起こすことを止めた。捨てられた後は静かに死を待つだけだ。
「そう、私達は生きる価値のない人間…」
「そんなことねぇよ」
「え?」
オリヴァは空を見上げながら、ハルの手を優しく握った。ハルは黙り込む。心の中から何かが溢れ出ようとしている。
「お前がその能力を後ろめたく思う理由もわかるけどよ、俺には本当に立派なもんに見えるんだ。俺はお前と出会えてよかったと思ってるぜ。おかげで毎日楽しいし。お前のその能力にすごく助けられてる」
オリヴァはハルに顔を向ける。
「もっと自分の存在に自身を持てよ。お前が思うよりもお前はかけがえのない存在なんだからよ」
「…フンッ、それはファルカーに言ってるのかしら?」
「…!」
いつの間にかジアが目を覚ましていた。空中浮遊のために能力を使い、それに呼び起こされてジアの人格に切り替わってしまったようだ。ジアはオリヴァの心の奥底を見透かしたように笑う。
「ジア!」
「今の励まし、ハルに届かなかったわね。まぁどうでもいいけど」
「…」
「まぁ私は自分のこの能力、嫌いだから。このせいで親に捨てられたんだから。攻撃するにはちょうどいいから使ってるけど」
「…そうか」
オリヴァは起き上がり、ジアの両手を握る。ジアは戸惑いつつも、オリヴァの真剣な目を見つめる。
「じゃあその能力、俺のために使ってみないか?」
「え?」
オリヴァはジアに全てを話した。現在テトラ星意思決定機関で遂行されている大規模な計画を。オリヴァはジアをその計画に誘い、彼女もそれに賛同した。ジアもオリヴァを自分のことを理解してくれるただ一人の人間として認め、自分の能力を彼に奉仕するために使うことを決めた。
それからもハルとオリヴァは交友を深めた。ハルはオリヴァを楽しませるために、毎日能力を使った。必然的にジアの人格に変わってしまうことを承知に、自分の能力をオリヴァのために捧げた。彼は日に日に能力の使用を求めてくるようになった。しかし、彼は自分の存在を否定したりしない。ファルカーだからといって非難したりしない。そのことにだんだん惹かれていき、気がつけば、彼を異性として認識し始めていた。
「オリヴァ、私…あなたのことが好き」
「え?」
「私と付き合って…」
「…もちろん」
突然の告白に驚くオリヴァ。自分もジアにいきなり告白し、驚かせてしまったことを思い出す。そもそも自分はそのジアと既に付き合っている。しかし、ハルとも付き合っていた方が、ジアに近づくのに後々都合もよくなる。それに愛するのは同じ人物であり、人格は意識を共有していない。浮気は成立しないはずだ。そう思い、オリヴァはハルを抱き締めた。
「俺も好きだよ、ハル…」
「オリヴァ…」
二人は唇を重ねる。ハルは信じられなかった。まさか自分がここまで愛され、誰かと共に結ばれる運命を迎えられるなんて。親から捨てられたあの日の自分も、まさか想像もしなかっただろう。ファルカーであるにも関わらず、こんなに恵まれていることに大変感謝し、ハルは彼の中に生きる希望を見出だした。
“違う…俺が求めているのはハルじゃない、ジアだ!”
今すぐ唇を離したい欲求を我慢しつつ、オリヴァはハルを抱き締め続ける。同じ唇であっても、今自分が抱いている女性がハルであるだけで、満足感が嫌悪感へと変えられていく。自分の計画に最適なのはハルではなく、ジアの方だ。しかし、これも計画の成功のため。オリヴァは偽りの愛をハルに注いだ。
「ふふふ♪」
ハルは嬉しそうに段ボールから本を取り出し、本棚に並べる。自分はオリヴァと恋人という関係として結ばれている。それが堪らなく嬉しい。どんな作業をしている時でもオリヴァのことを思い浮かべ、思わず笑みが溢れる。
「ずいぶんと機嫌がいいわね。何かいいことあったの?」
「まぁね♪」
ハルは段ボールから分厚い本を取り出す。オリヴァが要求する時以外はなるべく能力を避けているため、重い荷物を取り出すのは一苦労だ。取り出したその本の背表紙には「プラネット・ログ」と記されている。
「アマンダさん、この本何なの?」
「パドラ星から注文してきた図鑑よ。学会の友達が同じやつ持っててね、私に勧めてきたのよ。なんか面白そうだったから興味本位で買っちゃった♪」
ハルは図鑑を手に取って眺める。プラネット・ログ、銀河の生命体が生息する星々を記録したシリーズ物の図鑑のようだ。テトラ星の近くにあるパドラ星という星の研究員が出版している。その図鑑はパドラ星の有名な宇宙開発機関が、銀河の各地を旅して廻り、実際にその星で取った記録を元に作製されたらしい。
「へぇ~」
ハルは適当にパラパラとページをめくる。偶然目に留まった134ページには、青く美しい星という大きなタイトルと共に、「地球」の詳細が記されていた。
「おっ、地球じゃん」
「ちきゅう? アマンダさん、この星のこと知ってるの?」
「うん。その本持ってる学会の友達が言ってたわ。地球はテトラ星と環境がよく似てるって」
その本の記録によると、地球人とテトラ星人の大まかな容姿、それぞれの話す言語系統、大気や地上の環境、酷似点が非常に多いという。図鑑を見ると、地球を探索したパドラ星の研究員の感想が載っている。まるでテトラ星の兄弟を見つけたようだと。
「地球…ねぇ…」
ハルは図鑑に載っている地球の写真を見つめる。もし宇宙に行くことがあれば、異星の探索もできるのだろうか。
「完成…だ」
デストウェイ学会に所属する研究者の一人が呟く。目の前に組み立てられた、虫眼鏡のような形をした小型の機械を見つめる。
「ほんと? どれ見せてよ。何を作ったの?」
研究者の後ろからアマンダが顔を覗かせる。研究者はアマンダなどの他の研究者とは別に秘密裏で何かを製作していたようだ。
「え? いやお前には関係ねぇよ」
「関係なくないでしょ~。同じ学会のメンバーなんだから~」
「うるさい! 俺に構うな!」
完成した機械を覗こうとするアマンダをはね除け、研究者は研究室の出口へと走っていった。機械は持ち出され、結局何を作ったのかはアマンダにはわからなかった。
「何よ…」
「これが完成したプロトタイプです」
「ふむ」
研究者が完成した機械は、オリヴァの手に渡った。オリヴァはテトラ星意思決定機関の就寝棟のエントランスにたたずむ。腕時計を確認し、とある人物を待つ。
「おっ…来た来た」
エントランスにその人物の影が近づく。テトラ星意思決定機関の職員は、その人物がエントランスに入る前に、奥の部屋へと姿を消した。
ガラッ
「お待たせ…」
来たのはハルだった。どうやらオリヴァが呼び出したらしい。今日はオリヴァの部屋で遊ぶようだ。まさかここがテトラ星意思決定機関の管轄の建物とは知らずに入り口を潜るハル。ハルは辺りを見渡しながらオリヴァに小声で尋ねる。
「いいの? ファルカーである私が家に入っちゃって…」
「いいんだよ。他の奴らは出かけてる。誰も何も言ってきやしねぇよ。今がチャンスだぜ」
「他の奴らって?」
「いや、何でもねぇ。俺の部屋はこっちだ」
オリヴァはハルを自室へ案内するために、エレベーターへと向かう。心配そうにハルもその後ろを着いていく。他のノンファルカーに見つかりでもしたら、何をされるかわからない。
「この本、アマンダさんが持ってる」
オリヴァの自室にある本棚から、分厚い図鑑を取り出してパラパラとページをめくるハル。これは先日アマンダがパドラ星から取り寄せた「プラネット・ログ」だ。オリヴァも同じものを持っていた。
「そうか。ハルはそういうのが好きなのか?」
「好きっていうか…アマンダさんそういう本しか持ってないから、私もそういうのしか読んだことないの」
「とにかく、ゆっくりくつろいでいってくれ。漫画とかゲームとか、何でも揃ってるぜ!」
オリヴァは木箱から菓子やジュースを取り出し、ハルに差し出す。
「ありがとう!」
3時間程が経過した。空を見ると、夕日が沈みかけている。ハルはあの図鑑を読むのに夢中になっている。オリヴァはハルと距離を置く。ハルは今、完全に勇断している。
“今だ!”
オリヴァは気づかれないようにハルに機械のアンテナを向け、スイッチを押す。
「…うっ!?」
ハルは突然苦しみ出す。髪が逆立ち、周りのテーブルや椅子、本、ベッドなどがガタガタと揺れ出す。
「何これ…あぁっ!!!」
ガガガッ
ハルが叫び声を上げた途端、本棚に並べられた本が一斉に飛び出し、空中を砂嵐のように飛び回る。ベッドも浮かび上がり、天井に激突して落ちる。テーブルや椅子も倒れ、部屋の中はめちゃくちゃに荒らされる。激しい物音が室内を覆い尽くす。
「はぁ…はぁ…」
バタッ
ハルはその場で脱力し、膝をついて倒れる。飛び回っていた本は、ハルが力尽きると雨のように床に落ちる。ベッドに押し潰され、菓子が粉々に崩れている。テーブルや椅子は足が折れるほどに壊れている。
「なんで…」
ハルは困惑した。自分の意思とは関係無しに能力が発動した。ジアの人格に切り替わっていた時は別として、今まで勝手に能力が発動したことは一度もない。
「あぁ…」
「ごめんオリヴァ、今のはなぜか勝手に……うぅ!?」
再び苦しみだすハル。能力を使った後に決まって訪れる人格の切り替わりだ。
「…はっ! ここどこ?」
ジアは辺りを見渡す。ハルとジアは意識を共有していないので、ジアにはここがどこかわからなかった。
「すげぇ…成功だ…」
「オリヴァ?」
「やった! 本当にファルクを操れるようになったぞ!」
オリヴァがハルに向けて仕掛けたあの機械。あれはデストウェイ学会の研究者に作らせた、ファルカーのファルクを自由に操作する機械だった。これでファルカーの意思とは別に能力を発動させることができる。
「ファルクを操る?」
「そう! これでファルカーに能力を使わせることができる。自由にこっちから遠隔操作ができるってわけだ!」
「そんなのどうやって作ったのよ…」
「さぁな。実験材料のためにそこらへんのファルカーを一人捕まえてきたらしいけど、そいつの遺伝子を抜き取って何かしたんじゃねぇの? つーか、んなことどうでもいいだろ」
「そうね。これであなたの夢に一歩近づいたものね」
オリヴァは手に持った機械のボディを撫でる。ジアはハルが苦しんだ時に崩れたシャツの襟を整える。オリヴァの視界に、襟から見えるジアの胸元が入る。
「ジア…」
「何?」
オリヴァは機械を床に捨て、ジアに近づいた。
日は沈み、暗闇が町を覆う。時刻は午後6時を過ぎていた。オリヴァはハルをアマンダの自宅まで送る。弱気になるハルの背中を、オリヴァは優しくさする。
「ごめんね…」
「いいよ。故意じゃねぇんだろ? なら仕方ねぇさ」
オリヴァは機械で無理やりハルのファルクを発動させたことは伏せる。ハルだけには計画を最後まで隠し通すつもりのようだ。嫌悪感も共に隠し、嫌々ハルを慰める。オリヴァがファルクを操る機械を作らせたのは、こちらから自由にジアの人格を目覚めさせることができるようにするためでもあった。
「ねぇ、さっき私ジアになってたよね?」
「あぁ」
「ジア、あなたに何か酷いことしなかった?」
「…」
オリヴァは黙り込む。先程のジアの喜びに満ちた顔を思い出す。
「…いや、何もしてないよ」
そしていつもの屈託ない笑顔で返す。そう、ジアからは何もしていない。然るべき時が来るまで、オリヴァはハルに秘密を貫き通すことを決意した。
ポタッ
ハルの頭に水滴が落ちていた。雨が降ってきたようだ。二人共傘を持っていないため、走ってアマンダの家まで向かった。
「はい、これ傘」
「サンキュー、次来た時に返すわ」
「うん、じゃあね」
「おう、またな!」
オリヴァはハルから傘を受け取り、雨の中駆けていった。ハルが家に上がると、アマンダはタオルを持って迎えた。
「おかえり。あぁ…ちょっと濡れてるわね」
「え?」
アマンダはハルの髪を見て言う。雨は本降りというほどではない。パラパラと小さな音を立てるだけの小降りだ。ハルもそんなに濡れたつもりはなかった。濡れる前に全速力で帰ってきたのだ。
「濡れてないよ」
「え? でも髪…」
アマンダに指摘され、ハルは自分の髪を触る。毛先が少々硬くなっている。濡れていた髪が時間を置いて乾いた証拠だ。帰り道では不本意にもオリヴァの部屋を荒らしてしまったことで落ち込み、罪悪感に苛まれて気づかなかった。
「これ…汗?」
「まぁいいわ。とにかくお風呂に入ったら?」
「うん」
この汗はきっと先程能力が発動した時にでも出てきたのだろう。ハルは特に気にすることなく、用意された着替えを持って風呂場に向かう。雨はいつの間にか本降りになっていた。この後に待ち受ける脅威の前兆を示すかのように。
今日も雨が降っている。雨粒を見ると思い出す。オリヴァの家に行ったあの日のことを。あれから一週間、オリヴァに会えていない。いつもはハルの家まで陽気な足取りで訪ねてくるのだが、最後に遊んだあの日から一度も訪れない。窓から外を眺めるも、見えるのは雨によって銀色に濡れていく道路だけ。
「オリヴァ…」
憂鬱な気分に襲われるハル。3日前にようやく達成したアマンダの小型宇宙船の完成にも一緒に喜ぶ気分になれなかった。部屋の中は暖房が効いているはずなのに、謎の寒気を感じる。体が温かくても、心が冷たい。今すぐオリヴァに会いたい。彼の温もりがほしい。
そういえば、最後にキスをしたのは、彼に告白した時したあの時…
『ミスドリードシティから中継です。聞こえますでしょうか? この騒ぎ声』
ラジオから聞こえる女性のキャスターの声が、ハルを現実に連れ戻す。アマンダが学会のメンバーと研究所に行っている間、ハルが退屈しないように気を利かせてラジオを流してくれている。ラジオからはキャスターの声に重なり、小さな女の子の騒ぎ声が聞こえる。何かイベントでもやっているのだろうか。
『道路を逃げ惑うファルカーを、テトラ星意思決定機関の特殊部隊が次々と捕らえています。付近にお住まいのノンファフカーのみなさん、危険ですのでなるべく近づかないように』
「え!?」
ハルは耳を疑った。ファルカーを捕らえるという物騒な台詞が聞こえた。ラジオから聞こえてくる女の子の叫び声は、どうやら捕まえる際の命乞いの声のようだ。更によく耳を澄ますと、叫び声に重なって銃声のようなものも聞こえる。
『意思決定機関によりますと、事情は折り入って説明するとのこと。とにかくノンファフカーのみなさん、この場から離れて…わっ!』
『お姉さん助けて! お願い! 助けて!』
『近づかないでください!』
キャスターに助けを求める女の子の悲壮な声。襲われる恐怖に思わず近くにいたキャスターにしがみついたのだろう。キャスターは女の子をはね除けようとする。
バチッ ビリリッ
『あぁっ! 痛い! 嫌だぁ…』
『お騒がせしました』
『いえいえ、引き続きお願いします』
電気の流れる音がしたかと思いきや、突然女の子の苦しむ声が響く。特殊部隊が電撃銃が何かで女の子を攻撃したのだろうか。特殊部隊とキャスターが話している。現場の状況を何となく察するハル。
『了解。こら、大人しくするんだ!』
『嫌だ! 助けて! 誰かぁ! 嫌だぁぁ…』
女の子を連れていく特殊部隊。キャスターは再び現場の状況を伝え続ける。ハルは背筋が凍り付くような恐怖を覚える。今連れ去られた女の子は間違いなくファルカーだ。テトラ星意思決定機関が、特殊部隊を使ってファルカーを捕まえようとしている。
「何なの…一体…」
ブロロロロロ
突然空からヘリコプターの飛ぶ音が聞こえた。ハルは窓から外を覗く。雨粒で窓が濡れているため、よく確認できない。
「…」
キィィィ…
意を決して玄関のドアを開ける。ゆっくりと顔を出して辺りを見渡す。姿は見えないものの、戦車のようなものが走行する音がうっすらと聞こえる。
「はぁ…はぁ…」
すると、遠くから焦げ茶色の短髪の女の子が走ってくるのが見えた。見た目はハルと同年齢と思われる。かなり焦った様子だ。その女の子はハルのいるアマンダの家目掛けて走ってきた。玄関から顔を出したハルの姿を見つけたようだ。
「ねぇお願い! 助けて!」
「え?」
「奴らに追われてるの! お願い! 助けて!」
女の子はハルの肩を掴み、必死に懇願する。彼女もラジオで襲われた女の子と同じファルカーのようだ。ハルは再度辺りを見渡し、誰もいないことを確認すると、静かに前髪をかき上げた。ハルの額に刻まれたFの文字を見て、女の子は驚いた。
「詳しく話を聞かせて」
ハルは女の子を家に招き入れた。
彼女の名前はウエルカ。ハルと同じく17歳のファルカーだった。前髪をかき分けると、額にFの文字が刻まれていた。ウエルカは15歳の時にファルカーになり、案の定親から捨てられた。それからは一人で路地裏を拠点に生活していた。だがある日突然デストウェイ学会の研究者に捕まり、人体実験をされたらしい。体を隅々まで調べられ、時には頭皮や腕、足、腹の一部の肉を切り落とされたという。何とか意識は保ちつつ、実験が終わりの段階に近づいたと思われる頃合いを見計らってウエルカは脱出した。奴らが追ってくることはなかった。
その後はいつもの孤児生活を続けたが、今日偶然ファルカーを次々と捕らえるテトラ星意思決定機関の特殊部隊に遭遇したようだ。幼いファルカーはすぐに捕まってしまったが、ウエルカは能力を駆使して何とか逃げ延びた。こうしてハルの元にたどり着いたわけだ。しかし、ウエルカにも奴らが突然ファルカーをつかまえ始めた理由はわからないらしい。
「そうなんだ…」
初めて自分と同じ境遇に立つ仲間と出会った。ファルカーの多くは人生に絶望し、死を待つ者がほとんどだが、ウエルカのように必死に抗って生きている者も中にはいるようだ。しかし、人体実験によって一時期生死をさ迷っていた。ウエルカも相当壮絶な人生を送ってきたのだろう。
「とにかく、今は外に出ない方がいいね。奴らがいつここにくるか…」
バァァーーーン!
「!?」
ガガガガ… バリンッ
突然の爆発音がアマンダの家を揺らす。ハルとウエルカは身を寄せ合う。激しい打撃を受け、窓ガラスが全壊した。どうやら特殊部隊がすぐ近くに攻めてきたようだ。
バンバンバンバン
玄関のドアが乱暴に叩かれる。奴らがドアの向こうにいる。ウエルカは恐怖におののく。ハルはウエルカを庇うように抱き締め、玄関を睨み付ける。
「…うぅっ!」
突然ウエルカが苦しみ出す。焦げ茶色の髪が逆立つ。ウエルカはソファーに手をかざす。すると、ソファーは勢いよく浮かび上がった。ウエルカはファルクを発動させたようだ。しかし、様子がおかしい。
「ウエルカ! 何やってんの!」
「あぁっ…!」
ズドンッ
ソファーは玄関の扉目掛け、ロケットのように飛んでいった。大きな音を立てて扉を貫き、破壊する。ソファーはそのまま家の前の道路に転がっていった。開けられた扉の穴から、外に特殊部隊が家を取り囲んでいる様子が見えた。そして一人の男が玄関を潜り、ゆっくりと室内に侵入してきた。誰あろう、オリヴァだった。手にはファルカーのファルクを操る機械が握られていた。どうやらオリヴァがウエルカのファルクを遠隔操作で発動させたようだ。
「すげぇんだぜ、これ。ファルクを自由自在に操れるんだ。お前のおかげだぜ、ウエルカ」
不気味な笑みを浮かべながら、オリヴァは二人に機械を見せつける。ウエルカの人体実験は、機械を完成させるために必要なことだったようだ。
「さぁ二人共、一緒に来てもらおうか」
「オリヴァ…なんで…」
「なんで? そりゃあ俺がテトラ星意思決定機関の総長だからさ」
「え…?」
オリヴァがテトラ星意思決定機関の現総長。つまり、今回のファルカーの捕獲を計画したのはオリヴァのようだ。なぜ自分の恋人がこんな真似をするのか。ハルは困惑した。
「もう恋人ごっこは終わりだ。そもそもお前なんかと恋人なんて反吐が出るぜ」
「オリヴァ…何言ってるの…?」
「全て話すとするか。お前に近づいたのはジアを利用するためだ」
オリヴァが初めてハルと出会った時、ハルはジアの人格になっていた。ジアが能力を使うところを見かけ、オリヴァがそれに興味を持った。そこからオリヴァの計画は始まっていたのだ。
「俺は父さんと約束した。このテトラ星を強い星に発展させると。そのためには武器が必要だ。どうにかしてファルカーを利用できないかと考えた。ジアを見つけた時に衝撃を受けたよ。あんなにファルクを巧みに使うファルカーがいるとはな」
「…」
「それにアイツは実に美しい…能力を使う様はまるで戦場を駆け抜ける女戦士のようだった。自分の能力の使い道がよくわかってる。アイツならきっとこの星の有能な戦力になってくれることだろうと思った。ところが…まさかこんな冴えないクソ女のもう一つの人格だったとはな」
オリヴァは容赦なくハルに吐き捨てる。ハルは呆然として言葉を返せなくなる。オリヴァはジアと密接な関係を築くためにハルに近づいたようだ。ジアを手懐け、計画に賛同するように。
「あなた…一体何を企んでるの!?」
言葉を返せないハルの代わりに、ウエルカか大声で尋ねる。あざ笑うようにオリヴァは答える。
「宇宙侵略さ。ファルカーを兵器として利用し、近辺の銀河の惑星を征服するんだ。その他の星を支配下に置けば、力を持った偉大な星としてテトラ星は崇められるってわけだ。そうすれば父さんとの約束も守ったことになる。戦力こそが強さの証だ!」
めちゃくちゃな考え方にウエルカは呆れた。しかし、彼がこの星の行く末を決める意思決定機関の総長である以上は、計画は変更なく予定通り進められる。彼の意思がテトラ星の意思だ。ファルクを操る機械の開発は、その宇宙侵略のために必要なようだ。
「つーわけで、能力の素晴らしさもわからないテメェには何の価値も無ぇんだよ。価値があるのはジアだけだ。さぁ、わかったらジアになって俺達と一緒に来てもらおうか」
「…」
「もちろんウエルカもいっsy…うぅっ!?」
ビリリッ
突然オリヴァの体に電力が走る。いつの間にか家を囲んでいた特殊部隊は全員倒れており、アマンダが外で銃を構えて立っていた。ライトニングガンで特殊部隊を一掃したようだ。
「二人共逃げて!」
「逃がすか!」
オリヴァは膝を突きながら、腰に携えていたライトニングガンを握る。惜しくも気絶させられなかったようだ。オリヴァは走り出すハルとウエルカ目掛けて発砲する。
バンッ
「うぁっ!」
砲撃はウエルカに命中した。電流で痺れ、ウエルカはその場に倒れ込む。引き返して彼女のそばに駆け寄ろうとするハルを、アマンダは抱き上げて走る。
「待ってアマンダさん! ウエルカが…」
「ダメよ! 早く逃げないと捕まるわ!」
全速力で走るアマンダ。オリヴァの追跡を逃れ、町からはるか遠くに位置する使われていない埠頭までやって来た。そこには自作の小型宇宙船とロケットが設置されていた。アマンダは宇宙船内部へハルを運ぶ。宇宙船はロケットと一体化していた。
「アマンダさん、これ…」
「えぇ…。脱出するわよ、この星を!」
「…」
「しっかり掴まってて!」
アマンダは操縦席に座り、ハルは助手席に座る。出入口を閉め、リモコンを手に取り、そのスイッチを押す。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ…
ロケットのブースターから噴煙が吹き出す。繋がれた宇宙船と共に、轟音を立てて大空へと飛んでいく。
「しまった! くそっ…すぐに奴らを追え!」
噴煙が立ち込める埠頭に、遅れてオリヴァ達が到着する。もはや追い付けない高度までロケットは上昇していた。2分足らずで大気圏を越え、宇宙空間に突入した。窓から見えるテトラ星の紫色の大地が、オリヴァの髪を思わせる。星全体が彼の思想に染まっているみたいだ。
ロケットは熱圏でダメージを受けてボロボロになったため、宇宙空間に入った1分後に切り離された。ここからは宇宙船での操縦に切り替わる。
「アマンダさん、操縦できるの?」
「まぁね、小型船の免許持ってるし」
操縦幹を握りながら、慣れた手つきで周りのスイッチやレバーを動かすアマンダ。
「それにしてもまさか学会の研究者を買収してあの機械を作らせるとはね。ファルカーを捕らえる計画もいきなり始まったし、間に合ってよかったわ…」
「どうやって奴らの計画を知ったの?」
「偶然その買収された研究者が奴らと密談してるところを聞いたのよ。ファルカーを兵器に利用して侵略戦争を始めるとか、今からファルカーを捕らえる作戦に取りかかるとか言ってたわ」
オリヴァが持っていたあの機械。あれはデストウェイ学会の研究者に協力してもらって作ったもののようだ。そして実験材料として、ウエルカも利用された。
「思い切って問い詰めたらびっくりしたわ。いきなり会長が間に入ってきて、私を追放するって言い出したもの」
「追放!?」
「恐らく私がファルカーを匿っていることを、オリヴァが学会に密告したんでしょうね。とにかく私は追い出されたわ。とりあえず奴らの計画は知れたから、あの時急いでハルの元に戻ったってわけ」
学会から追放されたということは、研究者としての資格を奪われたということだ。いつか起こりうることだったとはいえ、完全にアマンダはハルの父親と同じ運命を辿ってしまった。それだけでなく、アマンダはノンファルカーであるのに、テトラ星意思決定機関の連中に追われる羽目になってしまった。ハルを庇ってしまったばかりに。底知れぬ罪悪感がハルの胸を締め付ける。
「ごめんね、私のせいでこんなことに…」
「私は巻き込まれたわけじゃないわ。望んであなたを助けようとしてるんだから」
アマンダはハルの頭に手を乗せる。
「ここまで来たら最後まで抗おうじゃない。大丈夫、あなたは私が守る」
「アマンダさん…」
「一緒に生きましょう」
宇宙船まで開発して、自分の名誉を捨ててまで守ろうとしてくれるアマンダに、ハルは深く感謝した。大粒の涙が星のように光る。そして、アマンダはあの図鑑を紹介してくれた友人の話の記憶を頼りに、地球までの道のりを検索した。奴らからの追跡から完全に逃れるために、ひとまず地球を目指すことにした。
あれから二週間、狭い宇宙船の中でハルとアマンダは生活を共にした。いずれハルと共にテトラ星を脱出するであろうと踏んでいたアマンダは、ある程度の非常食や実験器具の一部、生活用品を宇宙船に運び込んでおり、宇宙での生活には困らなかった。重力調節装置やステルス機能も作動させている。あとはナビを頼りに目標の星を目指す。
“能力の素晴らしさもわからないテメェには何の価値も無ぇんだよ。価値があるのはジアだけだ”
この二週間、ずっとオリヴァに言われたことが頭に残る。結局自分はジアを仲間に引き入れさせるために目をつけられただけ。彼は自分のことを微塵も愛してなどいない。ジアに対してはわからないが。ハルの理解者はアマンダだけだ。いや、この星の住人ならどうだろうか。
「ハル、どう?」
「うん…すごく綺麗」
窓から見える大きな青い星。二週間かけてようやく地球に辿り着いた。着陸体制に入るため、二人は座席に座る。宇宙船はゆっくりと地球の大気圏へと突入する。
「着いた…」
ハルは地球の大地へと降り立った。出迎えているのか、それとも立ち入ることを拒んでいるのか、冷たい夜風がハルの柔らかい肌を刺す。ハルは暗い山の森林地帯で星空を見上げる。テトラ星からここまでだいぶかかったが、難なくたどり着けた。今日からここが自分達の生きる場所…。
「ひとまずここで暮らしましょう」
「うん、奴らに見つからないといいけど…」
唐突に始まった二人の逃亡生活。テトラ星人からの脅威から逃れるうちに、この青く美しい星へと行き着いた。
“ここでなら見つかるかな…私の生きる理由…”
星が答えてくれるはずがない。それでもハルはどこかの誰かに聞かずにはいられない。ハルは自分の生きる理由を探して旅をしてきたのだ。この場所で、お前は生きていいんだと言ってくれる人は果たして見つかるのだろうか。自分の肩に乗せられた多くの重荷を共に背負い、自分の命に意味を与えてくれる人は…。
こうしてハルは地球へとやって来た。
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