星鍛目録―隕鉄の妖刀鍛冶―

いぶりがっこ

文字の大きさ
50 / 52
終章「星鍛目録」

第50話「獄中」

 ピション、と冷たい雫が鼻の頭を叩いた。

 たちまちノヅチが跳ね起きて、寝ぼけ眼で辺りを見渡した。
 もっとも、この薄闇の世界には昼夜の別も無い。
 頭上を見上げれば、天井間際に空いた通風孔よりわずかに光が差し込んでおり、それでかろうじて日中だと分かった。
 ボロボロの外套マントを被り直し、あるだけマシのむしろの上へと横になる。

 瞳を閉じると、地上の物音が耳元にまで届いてきた。
 銃口に促される団体の足音。
 すすり泣く人の声。
 何事か諍いを始める男たちの会話。
 半狂乱になった女の悲鳴。

 騒がしい事だ。
 大きく溜息を吐き出しゴロリと寝返りを打つ。
 もっとも彼らは自分とは違う、特別な囚人たちである。
 自分のように雑にほったらかしにされる事はないだろう。
 彼らの辛気臭い空気が地下まで降りて来ないのだけは、せめてもの救いであった。


 北辺での魔王軍との決戦より、およそ一年。
 魔王の死により、地上に残った魔物たちも統制を失い、各地では順当に掃討が進んでいるという。
 尊い勇者の犠牲により、世界は救われた。
 人類は苦難を乗り越え、ようやく輝かしい復興の時代が始まろうとしていた。
 筈なのだが、この監獄までは、そのような喜ばしい話題も届かない。

 ボルディノ要塞。
 皇都に続く東方からの経路を塞ぐ要衝に在り、先の大戦においても魔王軍の猛攻を支え切った皇国の盾である。
 現在は平時の役目に戻り、皇都に留め置けぬ特別な囚人たちを収監する監獄となっている。

 かつてノヅチは、死刑執行人の一団に混ざり、この地でとある少年の最期を検分した事があった。
 その彼も今は監獄の住人として、検分される時を待つ身である。






 ――ちりん


 通路の奥から、不意に鈴の音が聞こえた気がした。
 怪訝に体を起こすと、鉄格子の向こうに小さな灯が見えた。
 洋灯ランプの火は鈴の音と共に次第にこちらに近付いて、やがて格子の手前でぴたりと制止した。

 網膜を焼く洋灯の光を片手で遮り、来訪者の姿を忌々しげに見上げる。
 黒い男であった。
 黒の山高帽に、黒の外套、男の姿は闇に溶け込み、白い面立ちだけが洋灯の光に浮かび上がる。
 黒塗の鞘に納められた倭刀の柄には、不釣り合いな白銀の鈴が煌めいている。
 刑罰の公正さを示す無垢なる銀は、皇都の処刑人の証である。

 マニング・マウンライルド。
 ノヅチと旧知の青年であり、当代随一と業前と目される死刑執行人であった。

 不意の死神の到来に、ノヅチはパチパチと目を瞬かせ、ポツリと口を開いた。

「こいつは驚いたな……。
 まさかアンタが来てくれるとは思わなかったよ」

「…………」

「へへ、だがまあ、アンタの腕なら断頭台より確かだな。
 手前テメエの刀の切れ味を自分自身で試せるとは、刀工冥利に尽きるって話だ」

「……これが告発書に見えるようなら、貴方も相当、ヤキが回ったって事ですよ」

「おほ!」

 マニングはしばしの間、薄汚れたノヅチの姿をまじまじと観察していたが、やがて大きく溜息を吐いて、手にしたバスケットを掲げて見せた。
 たちまちノヅチは喜色満面、格子越しに差し出されたバゲットをひったくるように奪い取った。

「正直、安心するより呆れましたよ。
 まるで貴方は独房の主だ。
 ここに放り込まれる人間というのは、もう少ししおらしい表情を作るものですよ」

「望みがあればな、悩みもすれば悔やみもするだろ。
 だが生憎と天下は泰平なこって。
 流れ者の槌振りなんぞ、生きてても死んでても同じ事さ」

 マニングの言葉に軽口で応じながら、手にしたバゲットに齧り付く。
 浅ましい話だが、死を恐れぬと気取った所で腹は減る。
 ちょいちょいと指振るノヅチの催促に合わせ、マニングが葡萄酒の瓶を差し込む。
 水代わりに流し込むには勿体ない上物だったが、今のノヅチにはそれを惜しむ余裕も無い。
 ようやく胃の腑が満たされ人心地つくと、ノヅチ改めて顔を上げた。

「ふう、とにかく助かったよマニング。
 こういう時、持つべき者は友人だな」

「そういう台詞は、もっと大事な友人に対して言ってあげたらどうです?」

「なに?」

 言葉の意味を掴みかね、放り込まれた林檎を思わず取りこぼした。
 マニングが洋灯を向けた方を見やると、壁際では険しい表情のロッカがノヅチを見下ろしていた。
 どきり、とノヅチが内心委縮する。

「やあ、若旦那――」

「何をやってるんです! あなたはッ!!」

 不意に怒声が爆発し、反射的にノヅチがビクン、と肩を竦めた。

「再三警告はしていた筈ですよ!
 僕の手紙を読んでなかったんですか?」

「手紙、ああ、手紙ね、見たよ、いや……」

 憤怒の形相の若旦那に対し、ノヅチはいかにも気まずそうに言葉を濁し、拾い上げた林檎の埃を払い始めた。
 確かに彼の言う通り、今日のような事態になるのは初めから明白だったのだ。


 ロッカから警告の手紙が届いたのは、先の戦争の傷跡も癒えぬ秋口の事であった。
 手紙には昨今の皇都の不穏な情勢が綴られ、ノヅチが拘束される可能性を上げ、しばらく都を離れるべきと、丁寧にも幾許かの路銀まで包んであった。
 尋常ならざる文面に、さすがにノヅチも慌て、急ぎ山小屋を発つべく荷物をまとめようとしたのだが、そこでふっ、といつもの悪い癖が出た。

 持っていく荷物など、何も無い。
 当代の勇者に聖剣を打ったあの冬以来、ノヅチは一度も槌を握っていなかった。
 山小屋の食料が尽きたその後は、木の実や魚や山菜を取り、時に炭焼きの真似事で小銭を稼ぐなどして、ただ死なないだけの暮らしを続けていた。

 槌を振れない槌振りなんぞ、生きている価値は無い。
 そんな自分が今更になって、あくせくと生き汚く逃げ回るなど、実に女々しい話ではないか?
 それでいっそ、自身の最期を見定めてやるつもりになって、貰った路銀を酒代に変えると、のうのうと逮捕の時を待ち続けたのだった。
 個人の心情はともかくとして、長年の友誼に泥を塗った事だけは間違いない。


 煮え切らないノヅチの態度に対し、ロッカはずいと歩み寄り、格子の隙間に顔面を押し付けるようにして言った。

「今すぐにでも、ここを出ましょう。
 あなたほどの人間が、こんな所に閉じ込められてて良いワケがない」

「出るったって、無理だろ、そりゃ……。
 ただの喧嘩や掻っぱらいなら、こんな所にブチ込まれたりしないよ」

 そう言って、ノヅチは困ったように頭を掻いて、目の前の林檎に齧り付いた。

「知ってるんだろ、俺の罪状?
 警告をくれたのは君じゃないか」

 ノヅチの反論に対し、今度はロッカの方が言葉を失った。
 ふうっ、と傍らから溜息がこぼれ、押し黙ってしまった両者に代わり、壁際のマニングが次の台詞を引き継いだ。

「――昨年の魔王城での戦いの後。
 もぬけの空となった玉座の間から、一振りの倭刀が発見された」

「…………」

「折れた刃のなかごには『野槌』の銘が刻まれており、皇国はこれを魔王の剣と断定した。
 魔王に与する者は、国家に反逆するにも等しい……、極刑が妥当ですね」

「ロクでもない話ですよ、まったく。
 一時の政局の安定のために、あなたのような罪なき人々を陥れるなどと」

「政局?」

 憤懣やる方ないと言ったロッカの言葉に、思わずノヅチは首を傾げた。
 自分の罪はともかくとして、それが国家の運営にどう関係するというのだろうか?

「先の戦乱は、いわば魔王軍の侵略に対する防衛戦。
 勝利した所で得る物は無く、戦後処理の苦難が残るばかりです」

 ノヅチの疑念に答えるように、再びマニングが口を開いた。

「国政への不満が蔓延すれば、それに乗じて民衆を先導しようとする輩も出て来る。
 共和主義者や不平貴族、過激な異教徒にテロリスト……。
 国家の運営を阻む不届き者を、魔王の信徒と『認定』しては見せしめとする。
 恐怖政治の類ですが、斯様に政情が不安定な時期には有効なのでしょうね」

「それが上の団体様って事かい?
 ようやく魔王を倒した後がこれじゃあ、先が思いやられるな」

「……随分と他人事のように言いますね。
 貴方だって被害者の一人なんですよ?
 後ろ盾のない異邦人ほど面倒の無い生贄は、他にありませんから」 

「絶対に許される事じゃないですよ、こんなのは。
 あなたが鍛えた聖剣が無ければ、世界は闇に包まれていたと言うのに。
 誰も真実を知ろうとしない。
 世界を救った英雄を、ありもしない罪で弑そうというんだ」

「……ああ」

 そこまで説明されて、ようやくノヅチにも合点が言った。
 ようするに、二人は誤解しているのだ。
 確かに今の皇国は最低最悪なのかもしれないが、それはノヅチの現状とは、一切何の関係も無い話である。

 一瞬、次の言葉を告げるのを躊躇った。
 だが、己の立場も顧みず窮地に駆け付けてくれた友人たちに対し、不実を働く訳にはいかない。

「二人には悪いが、残念ながら身に覚えがありすぎる。
 確かに俺は四年ほど前、魔王を名乗る女の為に、倭刀を一振り仕上げたよ」

「――!」

「ば、馬鹿な!?
 何を、一体何を言ってるんです、ノヅチさん」

 思いもよらぬ告白を受け、二人が一斉にノヅチの方を振り返った。
 立ちはだかる鉄格子をすがるように握り締めたロッカに対し、ノヅチは静かに首を振った。

「事実さ。
 その金で親父殿の仕事場を買い戻したんだ」

「そんな……、なぜ、何故なんです?
 あなたほどの槌振りが、よりによって、魔王などと!」

 何故?
 そう問われ、ノヅチの次の言葉が止まった。

 一体、何故あんな事になったんだったろうか?
 率直に思い返してみれば、単に脅されていたから、という話になろう。
 それも自分一人の命だけではない。
 ともすれば相方の命まで奪われかねない窮地であった。
 正直にそれを告白して、泣きながら友人たちに謝罪すれば、彼らは許してくれるだろうか?

 いや、だがしかし、自分は金を受け取ってしまっている。
 自身の作に絶対の自信があったから、思い切りふんだくってやったのだ。
 あまつさえ、これ見よがしに茎に銘まで刻んで来た。
 力尽くで脅されて仕方なく打った、などとは口が裂けても言えまい。

 ……いい加減、正直になるべきだと思った。
 ノヅチが魔王の刃を鍛える気になったのは、そのような表面的な理由ではない。

「ヤツは……、魔王は、親父殿の作刀のファンだったんだ」

「えっ?」

「言った通りさ。
 この地上でただ一人、あの女だけが、流浪の刀工、出乃羽斎槌イズノハサイヅチの業を正しく評価してくれた。
 不世出の鬼才と、乱世に生まれるべき槌振りだった、とまで絶賛したよ」

「…………」

「俺にはそれが嬉しくて、同時に激しく嫉妬したんだ。
 俺だって東島アズマの子だ、サイヅチの子だ、俺にだって打てるんだ、って。
 だからアイツに認められたくて、全身全霊で鍛え上げたんだ。
 魔王の為の倭刀をな」

「それは……、けど、だけど……」

「わかっただろ?
 俺は、俺の鍛えた剣で、自身の唯一の理解者を殺し。
 同時に俺の剣を信じて戦った、何の罪も無い少女の心を裏切った!
 それが俺の罪の全てだ!
 今さら罰から逃れようとは思わねえ」

「だけどッ!」

 ダン、とロッカの拳が石畳を叩いた。
 突然の剣幕に、思わずノヅチも閉口した。
 崩れ落ちる青年の懐から、一本の短刀が、カラン、と音を立てて大地に転がった。

「……だけど、そんなのは、どうしようもないじゃあないですか?
 剣の罪は、仕手にこそある。
 剣、それ自体に善悪なんて、あろうハズが無い……」

 青年が震える手で、短刀の鞘を抜き放つ。
 たちまち澄み切った蒼穹のような刃が洋灯の下に現れた。

 惚れ惚れするほど、良い鉄だ。
 この牢獄では、あの日の空ももう見えない。

「あなたの……、あなたの剣は、美しい……」

 胸中の言葉を絞るようにして、かろうじてロッカが呻いた。
 鮮やかな蒼の地金の上に、ボロボロと大粒の涙が落ちる。

 いいじゃないか。
 ノヅチの中で、ストン、と何かが腑に落ちた。
 親父殿の時は、一人だった。
 その最期を知る者も、自らの作の評価を知る術すらも持ちえなかった。

 鉄格子を挟んで、ノヅチはドカリと胡坐あぐらを掻き、俯くロッカの肩を軽く叩いた。

「君がそう言ってくれるなら、俺にはもう、他に何もいらないよ」

「…………」

「ありがとう、友よ」

 ノヅチの言葉を受け、静寂の監獄に、再び嗚咽の声が洩れ始めた。
 皇都の死神は独房の壁に体を預け、向かい合う槌振りたちの姿を、無言で見つめ続けていた。





感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

ボンクラ王子の側近を任されました

里見知美
ファンタジー
「任されてくれるな?」  王宮にある宰相の執務室で、俺は頭を下げたまま脂汗を流していた。  人の良い弟である現国王を煽てあげ国の頂点へと導き出し、王国騎士団も魔術師団も視線一つで操ると噂の恐ろしい影の実力者。  そんな人に呼び出され開口一番、シンファエル殿下の側近になれと言われた。  義妹が婚約破棄を叩きつけた相手である。  王子16歳、俺26歳。側近てのは、年の近い家格のしっかりしたヤツがなるんじゃねえの?

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

娘を毒殺された日、夫は愛人と踊っていた――聖女と呼ばれた私は、王家を静かに崩壊させる

唯崎りいち
恋愛
異世界に転移し、“聖女”として王太子ジークフリートに嫁がされたフェリシア。 愛のない結婚の中で、唯一の救いは娘シャルロットだった。 しかし五歳の娘は、父から贈られたネックレスによって毒殺される。 娘が死んだ日。 王宮では祝賀会が開かれ、夫は愛人と踊っていた。 誰も娘の死を悲しまない世界で、ただ一人涙を流したのは、第八王子リュカだけだった。 やがてフェリシアは知る。 “聖女は子を産んではならない”という王家の禁忌と、娘の死の裏にある政治的思惑を。 ――これは、娘を奪われた聖女が、王家を静かに崩壊へ導いていく物語。

40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私 とうとうキレてしまいました なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが 飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした…… スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます