凛として吠えろ太陽よ

中林輝年

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第2章 菰田千燦1

2-9

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 提出期限ぎりぎりに出来上がった脚本は、部員分の部数を印刷して、提出したその日のうちに配布された。来週は、俺と麻野間の脚本を、役者チームで試しに読んでいくそうだ。その後、部全体でミーティングを開いて、多数決でどちらの脚本を使うのかを決定する。

 俺がつくった物語は、結局ミステリーだった。
 学校でいじめに遭い、家に引きこもってしまったルカという女の子を、主人公のサライが外の世界に連れだす物語だ。
 ある日、かつてのいじめっ子のひとりが何者かに襲撃されて大きな怪我をして、サライとルカは犯人ではないかと疑われる。いじめを扱うし、怪我人も出る。楽しい場面が少なくて、どうにか笑えるポイントを作ろうと、登場人物たちの会話をかなり増やした。

 公平さを保つために、脚本は、作者を伏せた状態で配られた。すぐにその場で読みはじめる部員もいて、落ち着かない。

 俺と麻野間は、約束したわけでもなく屋上の扉の前に集まって、無言でお互いの脚本を読んだ。紙をめくる音がして、例によって積まれた机の上に座る彼女に目を向けると、あまりに真剣な眼差しだったので、どきりとして咄嗟に目を逸らした。

 麻野間の脚本はおもしろかった。会話がすらすらと頭に入ってきた。役者のみんなが実際に演じている姿を想像すると、ついくすりと笑いをこぼしてしまう。目の前に作者がいるのが、悔しいし恥ずかしくて、彼女の方を見られなかった。

 この物語も、先輩たちが文句を言う隙がないようにつくられたのだろうか。

「ね、後輩くんよ」
 しばらく集中して読んでいると、麻野間に声をかけられた。顔を上げると、彼女は机から降りて荷物を片づけている。

「私、バイトだから帰るね。あのさ、私の作品なんだけど、もしよければ、指摘とかあったら教えてほしい。この前、私、きみの小説にいろいろ書きこませてもらったでしょ。あんな感じでさ」
「これに直接書いちゃっていいんですか」
「うん。そうしてくれるとうれしい」
「分かりました」

 すっかり何も考えずに読むのを楽しんでしまっていた。指摘が必要なところがあっただろうか。俺は、彼女の作品をもっと良いものにする意見を出せるのだろうか。

「きみの脚本にもいろいろ書いてるから、もし欲しかったら、この原稿返すね」
「ありがとうございます」

 じゃあね、と麻野間は去っていった。

 この1週間はどきどきして過ごした。部室にもあまり足を運ばなかった。何度も麻野間の原稿を読み返して、自分だったらどう磨くだろうと考えに考えた。赤いボールペンでトントンと紙に点をつける。

 結局ろくな言葉を書きこめないまま金曜日のミーティングを迎えた。彦坂が黒板に俺と麻野間の作品のタイトルを書く。

「では、こっちの方がいいって思った脚本に、手を挙げてください。まずは、『SLOUGHスラフ』の方がいいと思う人、手を挙げて」

 麻野間の作品のタイトルが読み上げられた。

 俺は手を挙げた。挙がる手が次々に増えているのが、音や空気の揺れで分かる。多い。そりゃあそうだ。悔しくて仕方がないけど、でもめちゃくちゃおもしろかったんだから。

「はい、じゃあ次、『招霊木おがたまのきの花を捧げて』の方がいいと思う人」

 俺の作品に、何人かは手を挙げてくれた。こっそりと視線を泳がせる。丹羽が手を挙げている。出口と久保田も。そして、もうひとり手を挙げている人がいて、つい、え、と声が漏れた。
 麻野間が手を挙げていた。

「『SLOUGH』が11票、『招霊木の花を捧げて』が4票なので、夏の大会でやる脚本は、『SLOUGH』に決定します。えー、麻野間さんの作品ですね。菰田くんは残念だけど、今回は平等に多数決ということで、これで決定とさせてもらうよ」

「はい。ありがとうございました。次は負けません」
 絞り出すように言ったが、「次も勝負する気なんだ」と笑われてしまった。

 ミーティングが終わると、さっそく『SLOUGH』の公演に向けて演劇部は動きだす。例によって役者と裏方に分かれた。役者チームは、3年生、2年生が主体となって配役を決めていく。1年生は、順番に稽古に参加してみながら、出演者を検討していく方針となった。

 部室の窓際に置いてある椅子に腰かけて、わたわたと動く部員たちをぼうっと眺めていると、「ちょっと後輩くん」と、麻野間に肩を叩かれた。

「あ、麻野間先輩、お見事でした。完敗です」
「はいこれ、きみの作品。意見、いる?」

 この前の小説の時のように、赤い書きこみがたくさん入った原稿を渡される。紙の隅がへろへろと曲がっている。

「ありがとうございます。ほしいです」
 受け取ってから、申し訳なくて息が苦しくなった。
「あの、でも、すみません。俺、麻野間先輩の作品に指摘とか、全然書けてなくて。なんかいろいろ思いついた気もするんですが、いざ書こうとすると、うまく言葉にできなくて」

 麻野間の原稿をかばんから取りだして、手渡す。赤い点々や、ちょっと書いてみては、ぐちゃぐちゃと塗り潰した跡が残っている。彼女はぱらぱらとめくっていき、最後のページを見ると、ふふ、と柔らかく笑った。

 そこにだけ、くっきりとした文字で『くやしい 負けてる』と書いていた。

 麻野間はその場にしゃがみ、やや上目遣いで目を合わせてくる。

「声に出してしゃべれば、いろいろ意見が出てくるかもしれないよね」
「分からないです。でも、もしかしたら出るかも」
「そっか。じゃあ明日から話そう。お互いの作品について。で、演出について、きみにも意見を出してほしい。脚本は私だけど、演出は私ときみのふたりでって感じね。だから明日からは、外周を走り終わったら、部室集合で。他の部員と演出のことを決めながら、空いた時間で会話しよ」
「分かりました」

 俺の脚本に書きこまれた、麻野間の赤い文字を目で追っていく。
『ここの会話、なんだか変な感じがする』
『場面が動かなすぎかも、もうちょっと工夫したい』
『このセリフいいね、ドキドキする』

「きみの作品はさ、まだまだ粗が多いし、不自然で不気味な会話も多いし、行動が変な人が出てくる」

 麻野間がぽつぽつと話す。俺はそちらを見ないまま、黙って聞いていたが、「でもね」と彼女の声音が急にねるので、つい視線を向けてしまう。

「そんなの、私とか他の部員に読んでもらって、直していけばいい。いろいろ書かせてもらってるけど、とにかく、きみの作品はよかったよ。おもしろかった」

「笑って読めました?」
「笑ったところは少なかったね。笑いながら読まれることを目指してるの?」
「はい。麻野間先輩の作品は、まさしく俺の理想で、悔しかったです」
「でも私はきみの脚本に手を挙げたよ」
「それは、俺が麻野間先輩の脚本に手を挙げたからですか?」
「そんなわけないでしょうが」
 麻野間は首を振る。
「自分の作品の方がよかったら、私は、迷いなく自分の作品に手を挙げるよ。でもまあ、そりゃあ、私の方がおもしろいよ。私の脚本の方が楽しく演劇できる。だってそうなるように書いてんだもん」

「ああ、原田先輩から、去年、脚本のことで揉めたって話、聞きました」
「意外とおしゃべりだよね、あの人」
 と麻野間はため息を漏らした。
「そうだよ。で、私は、この部に迎合することを選んだんだ。けらけら笑えて、ちょっと驚ける要素があるだけの、薄っぺらな脚本を書く道を選んだの」

 俺は思わず麻野間の顔を見た。彼女は依然としてこちらをじっと見つめていて、どきりとする。目が笑っていない。

「悔しくないんですか」
「そりゃ悔しいよ。でもさ、書きたいものと書けるものって、きっと別なんだよ。去年いろいろあった後に自分の脚本を読み返して、思っちゃったんだ。たしかに改変されても文句を言えない出来だったな、って」

 何と返していいのか分からず、俺は言葉を詰まらせた。麻野間が立ち上がってしまって、表情が見えなくなる。

「私からしたら、きみは、私が書きたくても書けないような、重たいけど、刺さる人にはぶっ刺さって抜けなくなる物語を書けてると思うよ。だから本心から手を挙げた。私はね、自分がアウトプットする言葉の価値を1ミリでも下げたくないんだ。だから全部本心で言う。きみの作品の方が、演劇という形で見たい、って私は思ったよ」

 上を見ると、いつの間にか彼女の目は再びまっすぐに俺を見ていて、そのまぶしさに足がすくみそうになる。敵わない、と思ってしまう。
 それでも負けじと食らいつくように、彼女の長いまつ毛や書き足された眉毛に着飾られた、切れ長の目を見つめ続ける。虚勢を張っていることは自覚していて、情けない。かっこわるくて嫌気が差す。

 俺はやはり麻野間花という先輩が苦手だ。
 外見はきらびやかで、校則をやぶるし彼氏はいるしバイトがあるからと部活の途中で帰るし、そのくせ書く脚本はおもしろくて隙がなくて、それなのに俺の作品を直球で褒めてきて、俺はいちいち泣きそうなくらいうれしくなってしまう。
 自分にないものばかり、彼女は持っていると感じてしまうのだ。自分の未熟さやダサさを露わにされるようで嫌になる。

 この人に負けたくない。
 この人に褒められ続けたい、と思ってしまう。
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