凛として吠えろ太陽よ

中林輝年

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第5章 菰田千燦2

5-9

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 10月の最初の週末に、文化祭公演の正式な配役が決まる。当初希望していた役から変更した部員もいれば、そのまま変わらない部員もいた。サライ役はいまだに丹羽と布目が交互に演じていた。ルカ役も決まっておらず、ルカのセリフは全員で交代して読んでいる。

 サライ役をどちらにするのかは、演出の俺と麻野間で決めなければならない。何度か意見を交換したが、麻野間も俺と同じ意見だった。役としてサライに合うのは丹羽。でも演技力では布目が圧倒している。ルカ役を布目に任せると、彼女の演技が主役を食ってしまう可能性がある。

「脇役が主役を食うことはあるよ。脇役がもっとわきまえろっていう意見もあると思うし、食われる主役が悪いっていう意見もあると思う。でも私は、そもそもそんなことになる配役をした演出が悪い、と思ってる」
「サライ役を丹羽さんにするとしたら、布目さんは役から外すってことですか」
「その可能性もある」
「じゃあサライを布目さんに任せて、ルカを丹羽さんにすれば、すっきり収まるんですかね」
「いやー、それもなんかしっくりこないよね。しおりみたいな超スペックがルカを演じるのは、正直なところ違和感ありすぎ」

 こんなふうに結論が出ないまま、脚本の改善を優先して進めた。

 この日も麻野間は行儀悪く机に脚を組んで腰かけて、脚本を読み返していた。

「ねぇ、このAの3の会話で提案なんだけどさ。サライが引きこもってたルカを外に出そうとするシーン」

 サライが『一回試しに外に出てみようよ。出てみたら意外といけるかもよ』とルカを引っ張る。それに対してルカが『そんなに簡単に言わんでよ。無理だよ』と嫌がるシーンだ。ルカはいじめられて引きこもっただけで、根は明るくてユーモラスな性格をしていることを表現したいので、おもしろおかしい動きで拒否をする。

「あ、てかそういえばこの前、渡り廊下ですれ違ったよね。その時に友だちがおもしろい言い回しをしててさ。それ使おうかなって。サライのセリフはそのままで、ルカが『引きこもりの外出に、無料お試し期間はないの』って否定をするの。どう?」
「麻野間先輩はすごいです」
「でしょ。じゃあ採用ということで。やったね。直し入れといてね」

 麻野間の方を見ると、ちょうど視線の高さに、相変わらず短いスカートから彼女のふくらはぎが伸びていた。

「麻野間先輩、パンツ見えそうですよ」
「でも、見えないでしょ」
「見えないです」
「前にも言った気がするけど、見えないようにしてるからね」

 どの角度からなら下着が見えないのか。今なら分かる。彼女はきっと、他のスカートが短い友だちをあらゆる角度から観察して、それを熟知している。そして、他人がどこにいて、どこから視線を向けられるのかを把握したうえで、脚を組んでいる。ずっとそうしていたのだ。たったそれだけのことに、打ちのめされる。

 彼女のどこが軽薄だというのだろう。軽薄なのは、むしろ俺の方じゃないか。プロの小説家を目指しているなんて大口を叩きながら、だらだらと同じような毎日を送っている。視野の広さも他人の感情を想像する力も思考の柔軟さも何ひとつ成長できていない。勝てない。今の自分のままでは、麻野間花にとうてい勝てない。

 下唇を噛んだ。悔しい。ただやみくもに勝負を挑んでいるだけだったここ数ヶ月の自分があまりにも未熟で、情けなくて、悔しい。

 俺は顔を上げた。やはり下着の見えない麻野間の太ももをまっすぐ見つめる。何か新しいことをして、もっと進化しなければ、きっとこの人に勝てないままだ。

 俺は無言のまま、すごい速さで、座っていたイスから転げ落ちるように、彼女の目の前に飛び出た。組まれた脚を正面から見上げようとする。

「はあ?」と叫んで、麻野間が慌てて姿勢を変えてスカートの中を隠すが、勢いあまって机から落ちそうになった。俺は咄嗟に立ち上がって、彼女の手首を掴んで支えた。麻野間は麻野間で、俺が立ち上がっている間にさっと机の下に降りて、机に手をついて自分の身体を支えていた。

「すみません、まさか落ちてくるなんて思ってなくて」

 息を切らしながら謝る。彼女が体勢を崩した瞬間、俺はこの後どうなるだろうと想像していた。俺が全然支えきれず、ふたりで転がって怪我をするかもしれない。もしくは、ラッキースケベ的な展開が起こるかもしれない。全身で彼女のクッションになって、一緒に倒れて、思わぬところに手が触れてしまうかもしれない。俺の想像力はその程度だった。

 でも事実は違った。スカートはひるがえらず、胸には手が伸びない。人間の身体は滅多なことがなければ倒れない。俺はどうすれば落ちてくる麻野間の身体を支えられるかを考えることに必死で、無意味に手首を掴むことしかできないのだ。

「危なかったー。あのさ、まじでセクハラだからね、それ。それに危ないでしょうが」

 叱咤しったする口調の麻野間は、しかし俺の方になど目もくれず、机と自分の手を見ている。机の上に座った状態から姿勢を崩した時に、どんなことが起こるのか、とか。どこに何をぶつけて、どこが痛くなったのか、とか。きっとこの瞬間もインプットしている。中西の言葉を思い出す。ぶっ飛んでいる。そうだ、本当に彼女はぶっ飛んでいる。

 屋上の扉には窓があって、そこから差しこむ橙色を背に、顔をしかめてこちらを睨む麻野間の姿があまりに美しくて、この時抱いた感情に素直に名前をつけたくなかった。でも同時に、言葉にしなければいけないとも思った。だって俺は物書きなのだから。

 憧憬だった。

 俺は、麻野間花に憧れた。言葉にしてしまえば不思議なもので、新入生歓迎公演を観た時から、ずっとその感情を抱いていたような気さえした。
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