凛として吠えろ太陽よ

中林輝年

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第6章 丹羽しおり2

6-2

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 確定した配役での稽古がはじまる。部員たちが続々と部室に集まり、体操着に着替えて外周を走りに出ていくのを、私は見送った。ようやくその人が部室に現れたので、急いで近づいて、声をかけた。

大川おおかわ先輩、ちょっといいですか」
「しおりちゃん、珍しいね。どうしたの?」

 私は大川ちからを連れて、今日の稽古場となっている視聴覚室を訪れた。他の部員たちは走っているので、まだ誰もいない。

「大川先輩に相談がいっぱいあるんですけど」
「いっぱいあるんだ」と大川は苦笑を浮かべた。

 私は親指を握りしめて、彼に向けて頭を下げた。配役が決まってから、ずっと自分はどうするべきなのかを考えていた。どうすれば、演劇部にとっても、私にとっても、最善の結果で劇を終わらせられるのかを。

「私、サライ役に選んでもらえたんですけど、正直、今のままでは、霜雨の演技力の高さに完全に負けています。主役の私がそんなじゃ、文化祭の公演はきっと良くない結果に終わります」
「うん。そうかもしれないね」
「そこで大川先輩にお願いがありまして」

 顔を上げると、大川は鼻から息を吐きながら、すくめていた肩を落とした。彼は微笑みを浮かべていて、慈しみを感じる。彼は物腰が柔らかいし、菰田と同様、私と一緒にいても、気張る様子がいっさいないので、一方的に親しみやすく感じていた。それも彼を頼りたくなった理由のひとつだ。

「意外。しおりちゃんがそんな顔するなんて、入部したばっかりの頃は思ってもみなかった」

 私は今、いったんどんな顔をしているのだろうか。

「大川先輩、私に、演技を教えてください。霜雨に勝てなくても、せめて負けないくらいになりたいです」

 体育の授業で、馬場園は「いやさ、ほんとしょうもないんだけど」と前置きして教えてくれたのだ。
「他人の言葉に耳を傾けるようにしたんだよ」
 なにそれ、と私は笑った。彼女はくすりともせずに、こう続けた。
「先輩から助言をもらったの。私にどれだけ才能があっても、先輩たちは、私より一年も二年も多くここのバレー部にいるし、多く生きてるしね」

 目から鱗だった。先人の言うことを聞く。そんな当たり前のことを、しかし演劇部に入ってから、意識的に行っていただろうか。というか、高校に入ってから、もしくは中学生の頃から、他人からの教えを積極的に吸収していただろうか。考えるまでもなく、していない。だって私は何をしても器用で、容易に他人からかわいがられてきたのだから。自分から必要以上のものを求めて人間関係に不和が生じるのも面倒で嫌だったし。のらりくらりと生きてこられた。恵まれていた。

 私も先輩に頼ってみようと即座に決めた。他人の言葉を、まずは、着実にバレーボールの実力を上げている馬場園の助言を聞くところからはじめるのだ。

「どうして僕に?」と大川は首を傾げる。
「だって大川先輩、たぶん演劇部で一番演技うまいじゃないですか」
「そんなこと、はじめて言われたよ。つぼねちゃんの方がうまいと思うけど、まあいっか。それで、お願いはいっぱいあるんだよね。他にもあるの?」
「もし私が全然成長できなくて、劇を台無しにしそうだったら、その時は、大川先輩にサライ役をお願いしたいです」

 わがままを言っていることは承知の上だった。指導をしてください、でも充分に育たなかったら代わりに劇に出てください、だなんて。それでも私は、ぎりぎりまで諦めたくなかった。

 今までの私だったら、もういいや、と簡単に投げだしていただろう。正直、今でもそうしたい気持ちは残っている。諦観した目であさっての方向を向いて、とぼとぼと演劇から離れようとする自分自身の腕を掴んで、ちょっと待ってよと引いているような感覚だ。でも私ひとりの力では止めきれない。だからバレーボールをやめたんだし。

 今は違う。もうひとり、「しおりと一緒に舞台に立ちたい」と、夜空を舞う無数の火花を背に、その破裂音を掻き消すような実直な声で言う布目が、逃げだそうとする私の手を一緒に引いてくれている。

 一緒に手を引く存在が布目だけではないことにも、私は気づいた。
 下唇をそっと噛みながら、追いるようにも見える目や声で、「部活、辞めないでほしい」と謝った麻野間もいる。「俺、わくわくしてるんだけど。丹羽さんが主演やってくれるの」と言ってきた菰田も。彼と接していると、不器用でちょっと馬鹿なところがあることは見てとれるから、その言葉に嘘偽りがないことくらい伝わっている。別に他人のためにがんばるわけではないけれど、他人にがんばるきっかけをもらっているのはたしかだ。

 分かった、と大川は真顔で答える。
「僕は、初主演は花ちゃんの脚本で飾りたい。だから今回、サライ役はやりたくないんだ。絶対にしおりちゃんを主演として舞台に立たせるよ」

 大川が手を差し伸べるので、私は「よろしくお願いします」と頭を下げてそれに応えた。柔らかくて温かい手だった。
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