凛として吠えろ太陽よ

中林輝年

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第4章 布目霜雨2

4-8

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 私たちは豊橋公園を訪れた。まだ花火が打ち上がっていないのに、人は多かった。道に沿ってキッチンカーが並んでいて、どの店舗にも行列ができている。浴衣姿の人も多い。座って花火を観られる芝生の広場に出たが、すでにぎゅうぎゅうに埋まっていた。

「ねぇあれって花先輩じゃない?」
 丹羽が前方を指さした。
 言われた方に目をこらすと、たしかに私服姿の麻野間が、男性の腕をそっと掴んで歩いている。きっと彼氏だろう。恋人がいるなんてすごいなぁ。私にはうらやましいという感情すら生まれない。
「なんか腹立つ」と丹羽が口を尖らせる。

 開始のアナウンスが流れて、ぴゅー、と甲高い音が鳴って、私たちは同時に振り返る。空気を思いきり殴ったような音を鳴らして、巨大な花が空に咲いた。ぱらぱらと散りきる前に、次の花火が上がる。少しして、また次の花火が上がる。次の花火への間隔がだんだん狭くなり、次々に花火が上がって、上がって、上がる。何かが空中に舞っていて、足元に落ちたので拾ってみると、茶色の紙片だった。

 人は増え続けるばかりだった。私たちはしばらく黙って花火を見上げていた。太陽が沈んでも全然気温は下がらない。汗は止まらないし、人も多くて、目が回ってきた。喧騒が蝉の鳴き声みたいに響く。胸のあたりに何かが引っかかっているようにむかむかする。飲んだスポーツドリンクが温かくて、よけいに気持ちが悪くなった。

「大丈夫?」と丹羽に尋ねられた。
「人が多くて、ちょっと疲れたかも」
「だよね。人酔いしたのかもね。私も嫌になってきちゃった。ねぇ菰田、この花火って豊川の河川敷で上げてるんだよね」
「だったはず。川沿いに有料の観覧席があったはずだよ」
「じゃあ川の方まで行ってみない? ちょっと歩きたいし」
「いいね。俺もちょうどお手洗いに行きたかったし」

 私たちは豊橋公園の出口に向かった。そこまで仲良くもない私たちは、人混みだというのに、それぞれ半端な距離を空けて歩いた。途中、公衆トイレがあるのを見つけて、菰田が駆けていく。私と丹羽はトイレの近くで待った。

 菰田がいなくなるのを見計らったように「ねぇきみ、高校生?」と、ふたり組の男性が声をかけてきた。ひとりはマッシュルームカットの金髪で、もうひとりはスキンフェードだ。高校生には見えない。「きみ」という二人称が、私を指していないことくらい瞬時に分かる。丹羽は表情を曇らせて、「すみませんけど」と断っている。こわい。足が震えてきて、気を抜けば崩れ落ちてしまいそうだ。

 ふいに腕を引っ張られた。丹羽が私の腕に、腕を回してきたのだ。

「あの、私、恋人と来てるんで」
 丹羽の声はいつもよりも覇気がない。腕も震えている。さすがの丹羽もこわいのだ。私もこわい。菰田はいなくて、丹羽は私に頼っている。どうしよう。私がなんとかしなきゃ。喉が震えた。

「おいおい」と私は言う。すかすかの声だった。もう一度、「おいおい」と声を出す。丹田たんでんがぺっこりと凹む。ふうっ、と思いきり息を吸いこんだ。私は丹羽の手を握って、彼女と男たちの間に割って入った。

「なにひとの女に気安く声かけちゃってんの。あぁ?」

 まるで私以外の全ての人間が黙りこくっていたかのように、その場に響き渡った。多くの人がひそひそとこちらに視線を向けている。けれど羞恥心はあまりなかった。

 男たちは、「なんだこいつ」「きもちわる」などと吐き捨てて、舌打ちをしながら去っていった。
 私は肩で呼吸していた。頭がぱんぱんに熱い。汗がどっと湧いてきた。

「霜雨、なに今の」と丹羽が笑う。
「笑いごとじゃないよ」

 私は安堵の息を漏らす。
 そのままその場にへたりこんだ時に、丹羽と手を繋いだままだったことに気がついた。咄嗟に離そうとするが、強く握り返されてしまう。そのまま引っ張られて、私はふらふらしたまま立ち上がった。ようやく戻ってきた菰田が、「なにかあった?」と間抜けに尋ねてくる。

「霜雨が一般市民に日頃の練習の成果を見せつけてた」
「菰田くん、ちゃんとしおりを守ってくんないと困る」
「ごめん。もしかして変な人に絡まれてた?」
「うん。でも霜雨が守ってくれたから、もう平気」

 さぁ行くよ、と丹羽が歩きだす。私は引っ張られて、ほつれる足でどうにか地面を踏む。彼女の手は柔らかくてすべすべしていて、私は自分の手汗が気になって、落ち着かない。

「丹羽さんと布目さんって、いつの間にそんなに仲良くなってんの」
「仲良くなってないよ。敵同士だし」と丹羽が言う。「だね」と私も同意した。

 公園を出ると公会堂がある。公会堂の前でも多くの人が立ち止まって花火を見ていた。そこを通りすぎて、大きな十字路に出ると、歩道橋を渡る。さっきまでの気持ち悪さは薄まっていた。豊川の方に歩いていく。

「前に友だちと行ったことあるけど、この先に橋があって、一方通行になってて、渡りはじめると後戻りできないけど」

 と後ろから菰田が説明してくれる。「大丈夫そう?」と丹羽に聞かれて、私は、確証はないけれど「うん」と答えた。花火の音も、建物に隠れて少ししか見えないけれど、夜空に散る花びらも、次第に大きくなっている。橋からどんな景色が見えるのかと、胸が踊っていた。

 橋にも行列ができていた。みんな花火を見上げながら歩いている。橋から川を見下ろすと、たくさんの人が桟敷さじき席で花火を眺めている。公園にもあんなに人がいたのに、と驚愕する。桟敷席の反対側の河川敷で、ダンダダダダンと連続で音を鳴らして、爆発するように炎が上がる。

 警備員が「立ち止まらないで前に進んでください」と言う拡声器越しの声、子どもの絶叫、隣の車道を走る車の音とどこかから聞こえてくる救急車のサイレン、会場に流れる流行りの音楽、その全てをぶっ飛ばすような音を立てて、私の視界は、光でいっぱいになった。夜の色を隠すように、絶え間なく無数の花が咲き続ける。

 ふと丹羽がどんな顔をしているのか気になって、彼女の横顔を見上げる。大きな目ときめ細かい頬に色とりどりの光が反射している。彼女は小さく口を開いたまま、じっと上を見上げていた。

「ねぇしおり」

 声をかけるが、周囲の音に掻き消されているのか、反応がない。握っている彼女の手を引っ張ると、ようやくこちらを見た。彼女は膝を折って、顔をぐっと近づけた。私は口の前に手を添えて、細くて形のきれいな耳に向けて言う。

「私、しおりと一緒に舞台に立ちたい」
 同じ役を奪い合う敵同士じゃなくて。

 丹羽がまっすぐこちらを見る。無数の火花が泳ぐ瞳の中に、私の姿が見えそうだ。見惚れて目が離せない。

「いいね」と、彼女は頬を緩ませた。
「私、しおりより目立ってやるから」
 すると今度は丹羽が私に耳打ちをした。
「こてんぱんにしてやる」
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