凛として吠えろ太陽よ

中林輝年

文字の大きさ
56 / 63
第6章 丹羽しおり2

6-5

しおりを挟む
 その後の稽古でも私はまだ、全然サライではなかった。Aパートのシーン3の練習だった。

「1回試しに外に出てみようよ。出てみたら意外といけるかもよ」

 と、ルカの手を引く。ルカはそれを振り払う。首を振って、「そんなに簡単に言わんでよ」と声を枯らす。出会ったばかりの頃の布目のような、絞りだすような声。布目は実感をもって知っているのだ。声の出し方を忘れた者の感覚を。そしてそれを惜しみなく使っている。

「引きこもりの外出に、無料お試し期間はないの」

 ルカの言葉に熱がこもる。夏の大会の前、屋上に続く扉の前で向かい合って、椅子に座って話したことを思い出す。幼少期のトラウマを、細い紐を手繰り寄せるように、ぽつぽつと言葉を探しながら話す弱っちい声を思い出す。すっかり覚醒しやがって、と毒づきたくなる。

 Aパートのシーン4に入り、私はルカを騙す形で外に連れだす。夜の街をふたりで踊るように駆ける。「どう、ルカ、楽しくない?」と私は尋ねる。「全然。しんどくてしょうがないってば」とルカは息絶え絶えに言う。彼女のその呼吸の荒さと、言葉のつっかえ方があまりにも自然体で、私は置いていかれそうになる。くそ。勝てない。

 私は足をもつれさせてしまい、その場に倒れこんだ。咄嗟に受け身をとったので、怪我はない。

 息が切れていて、肩で呼吸をしていると、中西が「ちょっと休もっか」と手を叩く。汗があごから落ちて、床を濡らす。「しおり」と呼ばれて顔を上げると、そこにはスポーツドリンクのペットボトルがある。素直に受け取って口に含む。ひと息ついても、まるで疲労感がなくならない。

「私、手、抜かないから」
 と隣で同じようにペットボトルを咥える布目が言う。
「ドSめ」
「なんとでも」
「でも手を抜かれたら、たぶん死ぬほど怒るかも」

 私は布目のことを見た。彼女も首や髪の毛の先端が濡れている。もう10月とはいえ、全身を振り回して演技していたら、汗をかく。布目の肩が微かに動いている。呼吸をしていると気づく。彼女だって息を整えている。きっと私に追い越されないようにと、がむしゃらなのだ。

 出会った頃の布目の声は、クラスの友だちが、授業中に小声で私語を話す声よりも小さく感じた。滑舌の練習もまごまごとつっかえつっかえで、見ていていらいらした。見るからに才覚のない人間が、なんで役者を目指しているのか、理解ができなかった。

 ゴールデンウィークの公演のゲネプロで、蠅のように私の周りを漂う姿は滑稽で目障りだった。けれど本番では様子が違った。突然、きらきらと光の粉を撒き散らしながら舞っているように見えた。なんだこいつ、と思ったし、その光がまた目障りだった。日々の練習で、少しずつ体力をつけて声が出るようになる姿には焦らされた。そして、彼女は突如、大会の稽古中に町娘になった。

 はるか後ろを千鳥足で走っていると思っていた彼女が、ものすごい速さで私を追い抜かして、その背中は目を凝らさないと見えないほどになっていた。バレーボールの時のように、才能という壁が立ちはだかったのだと感じた。

 でも当時のその認識は間違っていた、と今なら思える。努力という名前の階段をのぼるうえで、1歩で上がれる段数も、スタート地点も、人によって違う。とはいえ、たった1歩で何階も上の階にたどり着ける者なんて、きっといない。馬場園が毎日朝練に参加して、先輩に教えを乞いながらレシーブの練習を繰り返したように、布目も1歩ずつ、階段をのぼっていたに違いないのだ。私はそれに目をやれなくて、知らなかった。

「霜雨って、幼稚園の時の太陽役がさぞかしよく似合ったんだろうね」
「突然嫌味な言い方でトラウマをつつかないでよ」
「本当に太陽みたいだって言ってんの。霜雨が疲れ果ててたり、達成感に浸ってるとね、沈みかけの夕焼けを見てるみたいな気分になんの。今日、私はどのくらいがんばれたんだろう、って考えさせられて、焦るの。霜雨のこと見てると、背中がぞわぞわして、ほんっと不快」
「私は太陽みたいにきらきらしてないよ」 
「そもそも太陽なんて、きらきらしてないでしょ。まぶしいだけで、見たってすぐに目を逸らしちゃう。なのに、目を逸らしても、その熱気でじりじりと緊張感を与えてくる。紫外線で日焼けするし、肌に悪いし、最悪」

「もし私が太陽みたいだとしたら」
 布目が私の顔を見上げる。彼女は決然とした顔をしていた。
「全部しおりのせいだよ」

 そうだ。ナメた演技をするな、全力の布目を叩き潰したい、と焚きつけたのは、他ならぬ私だ。あの日、私は駐輪場で、全然共感できないと彼女に伝えて、それはまぎれもない本心だった。今となっては私自身に降りかかっている「主役のくせに太陽役に食われた赤ずきんが全部悪いでしょ」という言葉もそう。

 腹が立ったのだ。彼女がおろおろと臆病風に吹かれて才能を枯らそうとする姿を見て、頭に血がのぼった。お前はすごいんだから、胸を張れよと怒鳴りたかった。そんな布目に負けているのも、そのまま彼女が役から外されて、私が繰り上がるのも不服だった。どう転んだってむしゃくしゃするから、力強く、菰田の言葉を借りるなら、凛として立ち上がってほしかった。

 あ、とつい声が出た。思いついたことがあった。

「ん?」
「霜雨は、ルカを演じやすいよね。根暗で友だちがひとりもいないところとか同じだし」
「えぇ、まあ、そうなのかな。言い方は失礼極まりないけど」
「あのさ、霜雨」
「なに」
「私も霜雨と一緒に舞台に立ちたいから」

 私はこれまで、なんとなく生きてきた。
 工夫をしなくても目立てたし、慕われたし、他人から信頼を得られた。他人とのコミュニケーションに苦労することもなかった。相手が求める回答はすんなりと用意できたし、距離感の詰め方も保ち方も、直感で理解できた。自由だった。自由だと思っていた。

 でも改めて考えてみたら、私は自分から何かを求めて、何かを選択してきただろうか。空気を読んで、相手に合わせて、たくさん笑って、適度に毒づいて、傷つきそうになったら身を引いて、それだけでするりするりと生きてきたのだ。後悔したり反省したりすることはなかった。だって無駄だから。そんなものなくても、うまいことやっていけるのだから。

 私は、私自身を、いちいち振り返らずに使い捨ててきた。その廃棄された行動や感情にも、ちゃんとルーツや意味があったのではないか、と思ったのだ。
 演劇部に入るまで、他人に深く興味を抱いたことがなかった。けれどそれよりもさらに私は、私自身に興味がなかった。

 布目霜雨という太陽を呼び覚ました丹羽しおりという存在を知ることも、サライという人間の解像度を上げる糧になるような気がしたのだ。

 私は、私自身も観察することに決めた。日頃、無駄に消費してきた私の感情。布目や他の部員に何を思っているのか。友だちや家族、他のクラスメイトにも同じ。私は何を考えて生活しているのか。他人を見下したり、過小に評価したりと、ろくなものではないような気がする。けれど目を逸らさずに向かい合わなければならない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

フラレたばかりのダメヒロインを応援したら修羅場が発生してしまった件

遊馬友仁
青春
校内ぼっちの立花宗重は、クラス委員の上坂部葉月が幼馴染にフラれる場面を目撃してしまう。さらに、葉月の恋敵である転校生・名和リッカの思惑を知った宗重は、葉月に想いを諦めるな、と助言し、叔母のワカ姉やクラスメートの大島睦月たちの協力を得ながら、葉月と幼馴染との仲を取りもつべく行動しはじめる。 一方、宗重と葉月の行動に気付いたリッカは、「私から彼を奪えるもの奪ってみれば?」と、挑発してきた! 宗重の前では、態度を豹変させる転校生の真意は、はたして―――!? ※本作は、2024年に投稿した『負けヒロインに花束を』を大幅にリニューアルした作品です。

黒に染まった華を摘む

馬場 蓮実
青春
夏の終わり、転校してきたのは、初恋の相手だった——。 鬱々とした気分で二学期の初日を迎えた高須明希は、忘れかけていた記憶と向き合うことになる。 名前を変えて戻ってきたかつての幼馴染、立石麻美。そして、昔から気になっていたクラスメイト、河西栞。 親友の田中浩大が麻美に一目惚れしたことで、この再会が静かに波紋を広げていく。 性と欲の狭間で、歪み出す日常。 無邪気な笑顔の裏に隠された想いと、揺れ動く心。 そのすべてに触れたとき、明希は何を守り、何を選ぶのか。 青春の光と影を描く、"遅れてきた"ひと夏の物語。   前編 「恋愛譚」 : 序章〜第5章 後編 「青春譚」 : 第6章〜

美人生徒会長は、俺の料理の虜です!~二人きりで過ごす美味しい時間~

root-M
青春
高校一年生の三ツ瀬豪は、入学早々ぼっちになってしまい、昼休みは空き教室で一人寂しく弁当を食べる日々を過ごしていた。 そんなある日、豪の前に目を見張るほどの美人生徒が現れる。彼女は、生徒会長の巴あきら。豪のぼっちを察したあきらは、「一緒に昼食を食べよう」と豪を生徒会室へ誘う。 すると、あきらは豪の手作り弁当に強い興味を示し、卵焼きを食べたことで豪の料理にハマってしまう。一方の豪も、自分の料理を絶賛してもらえたことが嬉しくて仕方ない。 それから二人は、毎日生徒会室でお昼ご飯を食べながら、互いのことを語り合い、ゆっくり親交を深めていく。家庭の味に飢えているあきらは、豪の作るおかずを実に幸せそうに食べてくれるのだった。 やがて、あきらの要求はどんどん過激(?)になっていく。「わたしにもお弁当を作って欲しい」「お弁当以外の料理も食べてみたい」「ゴウくんのおうちに行ってもいい?」 美人生徒会長の頼み、断れるわけがない! でも、この生徒会、なにかちょっとおかしいような……。 ※時代設定は2018年頃。お米も卵も今よりずっと安価です。 ※他のサイトにも投稿しています。 イラスト:siroma様

陰キャの俺が学園のアイドルがびしょびしょに濡れているのを見てしまった件

暁ノ鳥
キャラ文芸
陰キャの俺は見てしまった。雨の日、校舎裏で制服を濡らし恍惚とする学園アイドルの姿を。「見ちゃったのね」――その日から俺は彼女の“秘密の共犯者”に!? 特殊な性癖を持つ彼女の無茶な「実験」に振り回され、身も心も支配される日々の始まり。二人の禁断の関係の行方は?。二人の禁断の関係が今、始まる!

負けヒロインに花束を!

遊馬友仁
キャラ文芸
クラス内で空気的存在を自負する立花宗重(たちばなむねしげ)は、行きつけの喫茶店で、クラス委員の上坂部葉月(かみさかべはづき)が、同じくクラス委員ので彼女の幼なじみでもある久々知大成(くくちたいせい)にフラれている場面を目撃する。 葉月の打ち明け話を聞いた宗重は、後日、彼女と大成、その交際相手である名和立夏(めいわりっか)とのカラオケに参加することになってしまう。 その場で、立夏の思惑を知ってしまった宗重は、葉月に彼女の想いを諦めるな、と助言して、大成との仲を取りもとうと行動しはじめるが・・・。

【完結】知られてはいけない

ひなこ
ホラー
中学一年の女子・遠野莉々亜(とおの・りりあ)は、黒い封筒を開けたせいで仮想空間の学校へ閉じ込められる。 他にも中一から中三の男女十五人が同じように誘拐されて、現実世界に帰る一人になるために戦わなければならない。 登録させられた「あなたの大切なものは?」を、互いにバトルで当てあって相手の票を集めるデスゲーム。 勝ち残りと友情を天秤にかけて、ゲームは進んでいく。 一つ年上の男子・加川準(かがわ・じゅん)は敵か味方か?莉々亜は果たして、元の世界へ帰ることができるのか? 心理戦が飛び交う、四日間の戦いの物語。 (第二回きずな児童書大賞で奨励賞を受賞しました)

陰キャの陰キャによる陽に限りなく近い陰キャのための救済措置〜俺の3年間が青くなってしまった件〜

136君
青春
俺に青春など必要ない。 新高校1年生の俺、由良久志はたまたま隣の席になった有田さんと、なんだかんだで同居することに!? 絶対に他には言えない俺の秘密を知ってしまった彼女は、勿論秘密にすることはなく… 本当の思いは自分の奥底に隠して繰り広げる青春ラブコメ! なろう、カクヨムでも連載中! カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/16817330647702492601 なろう→https://ncode.syosetu.com/novelview/infotop/ncode/n5319hy/

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

処理中です...