AFTER ZERO:Crisis Ⅲ ~残される境界~

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第26章:定義してはならない(ドキュメント0番)

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――定義された瞬間、未来は“使われる”。
――だから、名前を付けてはいけない。
――けれど名前のないものは、いつか“他人の名前”で呼ばれる。

夜は、逃げる者の味方だった。

光が届かないだけで、
人は少し強くなる。

追う側の目が鈍る。
追われる側の息が伸びる。

BORDER REMAINSは崩れた橋脚の下に潜り込み、
一旦足を止めた。

そこは旧文明の地下通路へ繋がる穴だった。

湿った空気。
鉄と土の匂い。
そして、どこか懐かしい廃墟の温度。

ミナトが言う。

「ここで分散」
「追跡を切る」

ノクスが首を振った。

「分散するな」
「今は“切り離した瞬間”が死ぬ」

セイルも頷く。

「同感」
「今、俺たちは“Δで繋がってる”」

アルトが低く言った。

「繋がりが武器にもなる」
「だが、鎖にもなる」

シオンは息を整えながら、レムの頭を撫でた。

レムは震えが止まっていない。

泣かない。
でも、目が怖がっている。

怖がりながら耐えている。

それが一番危ない。

耐えた分だけ、次は爆発する。

セイルは端末を地面に置き、配線を繋げた。

「……最低限の遮断」
「短距離スキャンなら見えるかもしれないが、長距離は切れる」

ミナトが聞く。

「追跡は?」

セイルが答える。

「希望適合値の測定装置」
「タグになってる」

「受けた奴らは――追える」

「受けなかった奴らは――追えない」

ノクスが笑った。

「だから列を作らせたわけだ」
「自分から首輪を付ける」

アルトの目が暗い。

「……救済の名で、囲う」

シオンは唇を噛む。

さっきまで隣にいた生存者が、
今どこにいるか分からない。

助けたかった。

助けられなかった。

その痛みが、胸に残る。

ミナトが言った。

「次どうする」
「逃げ続けるのか?」

ノクスが首を傾ける。

「逃げ続けたら死ぬ」
「追われる側は必ず疲れる」

「なら」
「“追えなくする”しかない」

アルトが答えた。

「定義を消す」

シオンは眉を寄せる。

「定義……?」

アルトは頷く。

「希望適合値は」
「“希望を測れる”という定義があるから成立する」

「Δも同じだ」
「“現象として定義”された瞬間」
「管理は研究し、制度に組み込む」

ノクスが笑う。

「つまり」
「定義される前に潰す」

アルトは首を振った。

「違う」
「潰すんじゃない」

「残す」
「ただし、使えない形で残す」

その言葉が、第二作目の終わりの匂いを持っていた。

残す判断。

破壊しない。
否定しない。
でも利用させない。

それは矛盾の技術だ。

その時、セイルの端末が微かに光った。

ノイズが走る。

セイルが目を細めた。

「……来た」

アルトが即座に言う。

「通信か?」

セイルが頷く。

「内部回線」
「GENESISの暗号波」

ミナトが唸る。

「追跡か」

セイルは違う、と首を振った。

「……これは」
「“呼び出し”だ」

アルトの顔が強張る。

「カリナか?」

セイルが答える。

「いや、違う」
「もっと内側の権限」

端末に、文字が浮かぶ。

《GENESIS内部資料:閲覧許可》
DOC-0:Δ現象 暫定定義案
参照権限:GNC-CONTROL-001(ALTO)

空気が止まった。

アルトだけに開いた扉。

世界の中枢の扉。

そしてその扉は、罠だ。

シオンが小さく言う。

「アルト……それ、見ちゃ駄目じゃない?」

アルトは答えなかった。

目が動かない。

見る。
見ない。

この瞬間、アルトの中で戦っている。

かつての彼なら見た。

管理のために見た。

でも今の彼は知っている。

見ることは、道を作る。

道は誰かに踏まれる。

踏まれた道は、制度になる。

ノクスが肩をすくめる。

「開くな」
「見た瞬間、巻き込まれる」

ミナトも言う。

「罠だろ」

セイルは唇を噛む。

「……でも」
「見ないと対策できない」

正しい。

でも正しさは、首を絞める。

シオンは息を吸い、言った。

「私が見る」

全員が彼女を見た。

シオンは続ける。

「私なら」
「管理側の“救済の言葉”じゃなく」
「現場の言葉で判断できる」

「アルトは、内部の痛みが強すぎる」
「きっと、責任を背負ってしまう」

アルトが初めて動いた。

「……俺が背負うべきだ」

シオンは首を振る。

「背負わない」
「あなたは、残す側でしょ」

その言葉がアルトを止めた。

残す側。

壊す側じゃない。
背負って潰す側じゃない。

残して、使わせない側。

セイルが言った。

「閲覧権限はアルトだけだ」
「他は開けない」

アルトが静かに端末を持つ。

「なら」
「俺が“読んで、残す”」

ノクスが笑った。

「読んで残す?便利だな」

アルトは答えた。

「読んで、消す」

全員が息を止める。

消す。

GENESIS内部資料を?

無理だ。

でも、アルトの目は嘘をついていない。

彼は現実を知っている。

だから、無理だと分かっていても言う。

言わなければ、この世界は止まらないから。

アルトは画面に指を置いた。

開く。

その瞬間――
端末が熱を持つ。

セイルが叫ぶ。

「っ、追跡信号が増える!」

ノクスが呻く。

「だから言った」

アルトは止めない。

画面に文章が流れる。

そこに書かれていたのは――

“Δ現象の暫定定義”。

つまり、名前が付けられる瞬間。

アルトが読み上げる。

「……Δとは」
「生体ログの同期異常と、周辺物理量の局所偏差を伴う、未分類現象」

ミナトが唸る。

「もう定義してるじゃねえか」

アルトは続けた。

「発生条件:評価不能領域に接触した個体」
「兆候:心拍同期、温度偏差、金属歪曲、監視ログの欠落フレーム」

シオンの背中が冷える。

全部、当たっている。

つまりGENESISは見ていた。

ずっと前から。

気づいていた。

でも公表しなかった。

公表しない方が便利だから。

アルトの声が低くなる。

「……危険度分類」
「優先回収対象:S」

シオンが息を呑む。

S。

やっぱり。

自分はもう、救済対象じゃない。

研究対象だ。

回収対象だ。

アルトは次の項目を読む。

「……対応方針」

そこに書かれていた言葉は、
アルト自身の心を裂いた。

「“希望適合値制度”を用い、Δ発生個体を自発的登録へ誘導する」

ノクスが笑いながら吐き捨てた。

「ほらな」

ミナトが拳を握る。

「救済の皮を被った回収網」

シオンは震える。

自分の善意が、餌になっている。

アルトがさらに読む。

「……DOC-0補足」
「Δ現象は公表しない」
「理由:境界外の混乱と、社会秩序への影響が大きい」

シオンが言う。

「……嘘だ」

アルトが答える。

「嘘じゃない」
「半分だけ本当だ」

「秩序が崩れるのは本当」
「だが、もっと本当の理由は」

アルトの指が止まる。

そこにあった一文。

「Δ現象は、管理機構GENESISの未来予測に干渉する可能性がある」

セイルが呻く。

「干渉……」

アルトが頷く。

「Δは誤差じゃない」
「未来予測そのものを壊す」

「だから回収する」
「未来予測を守るために」

シオンは目を閉じた。

希望を守るためじゃない。

“管理の未来”を守るため。

その時、レムが小さく呟いた。

「……ぼく」
「みらい、こわい」

シオンは抱き寄せた。

「大丈夫」

でも自分の声が震えている。

ノクスが言った。

「アルト」
「お前、消せるのか?」

アルトは画面を見つめたまま言った。

「消すには」
「権限が足りない」

当たり前だ。

でもアルトは続けた。

「……なら」
「“定義を壊す”」

ミナトが眉を寄せる。

「どうやって?」

アルトは静かに言う。

「DOC-0は暫定定義案」
「正式化はまだされてない」

「だから」
「“確定できない証拠”を作ればいい」

シオンが呟く。

「確定できない証拠……?」

アルトは頷く。

「Δが再現性を持たないようにする」
「定義を固められないようにする」

セイルが息を呑む。

「……つまり」
「Δを“揺らす”」

ノクスが笑う。

「面白い」
「制度化できない現象にする」

ミナトが言った。

「そんなことできるのかよ」

アルトは答える。

「できるかどうかじゃない」
「やる」

シオンはその目を見た。

アルトの目は、もう管理側の目じゃない。

でも管理を否定する目でもない。

境界の目だ。

残すための目。

アルトが画面を閉じようとした、その瞬間。

端末に追撃の信号が走った。

セイルが叫ぶ。

「位置、捕捉された!」

ノクスが舌打ちする。

「早い!」

ミナトが立ち上がる。

「逃げるぞ!」

アルトが端末を握り締める。

「待て」
「……まだ終わってない」

シオンが叫ぶ。

「アルト!」

アルトは言う。

「DOC-0を見た以上」
「俺たちはもう、次の段階に入った」

「この章は」
「読む章じゃない」

「選ぶ章だ」

その言葉で、全員が理解する。

ここから先は、逃げるだけじゃ足りない。

定義を壊す。

希望適合値を壊す。

Δを制度にさせない。

そのために、何かを“捨てる”。

救済部隊の足音が、地下通路の向こうで響いた。

近い。

もうすぐ来る。

シオンが息を吸う。

そして言った。

「……アルト」
「選ぼう」

アルトは頷いた。

「BORDER REMAINSとして」

ノクスが笑う。

「やっとだな」

セイルが震える手で端末を抱える。

「……じゃあ行くぞ」

ミナトが先頭に立つ。

「逃げるんじゃねえ」
「突破だ」

――彼らは逃げたのではない。
――追跡からではなく、定義から。
――未来を“確定”させるための線から。

地下通路は、思ったより深かった。

湿り気が増す。
音が反響し、足音の距離が分からなくなる。
闇は優しいが、同時に残酷だ。

見えないものは、守ってくれる。
見えないものは、殺す。

ミナトが手を上げて止めた。

「……静かに」

全員が息を止める。

遠くから、規則正しい足音が響いてくる。

救済部隊の足音じゃない。

もっと軽く、速い。

装備の擦れる音が少ない。

――追撃専門の部隊。

ノクスが低く呟いた。

「“回収班”だ」

シオンの背筋が冷える。

救済部隊は、まだ優しかった。

笑って、手を伸ばして、連れて行く。

回収班は違う。

連れて行くのではなく、
“回収して終わらせる”。

セイルが端末を抱えたまま言った。

「……この通路」
「旧GENESISの整備ルートに繋がってる」

アルトが眉を寄せる。

「旧?」

セイルが頷いた。

「崩壊直後の頃」
「GENESISは地下に“手”を伸ばしてた」

「物流」
「監視」
「避難誘導」

「全部」

ノクスが乾いた声で笑う。

「“救済”って言葉がまだ綺麗だった頃だな」

シオンはその言葉の裏を理解してしまう。

綺麗だった頃。
今は汚れた。

汚れたのではない。
最初から汚れていた。

ただ、それを隠せていただけだ。

ミナトが前へ進みながら言う。

「どっちに行く」
「出口は?」

セイルは端末を見ながら答えた。

「二つ」
「地上への廃棄口」
「それと――」

「中央保管庫」

アルトが即座に反応した。

「保管庫?」

セイルが頷く。

「GENESISが回収した“未分類資料”を溜め込んでる」

ノクスが目を細める。

「面白い」
「そこにDOC-0の原本があるかもしれない」

シオンが言った。

「……原本があったら、どうするの?」

アルトが答える。

「定義を壊す材料にする」

ミナトが低く唸る。

「壊す材料ってなんだよ」

アルトは呼吸を整えて言った。

「DOC-0は暫定定義案だ」
「暫定ということは、揺れている」

「揺れている間に」
「“別の揺れ”をぶつければいい」

「Δを一つに固定できなくすれば」
「管理は制度にできない」

ノクスが頷く。

「定義は、再現性で生まれる」
「再現できなければ、法にもならない」

セイルが顔を上げた。

「……つまり」
「Δを“個体差”にする?」

アルトは首を振る。

「違う」
「“観測差”にする」

シオンが目を見開く。

観測差。

つまりΔは、
同じ現象でも観測者によって違って見える。

定義できない。

固定できない。

それは――ユウが残した世界の形だ。

拾われた未来。
ログに残らない生存。

それが、今の戦い方になる。

足音が近づく。

ミナトが舌打ちする。

「話は後だ」
「走るぞ」

シオンはレムの手を握る。

レムは頷いた。

怖いはずなのに、
その目は前を見ている。

子どもは強い。

壊れやすい強さだ。

通路の先に、分岐が現れた。

左は狭く、崩れかけている。
右は広く、手すりの残骸がある。

セイルが言う。

「右が保管庫」
「左が地上出口」

ノクスが即答した。

「右だ」

ミナトが睨む。

「……攻めるのかよ」

ノクスは笑った。

「攻めじゃない」
「“拾い”だ」

その言葉に、アルトの目がわずかに揺れた。

拾い。

ユウの言葉だ。

ユウ本人はいない。

でも、その思想が残っている。

拾えるなら拾う。

未来を拾う。

それが、ここで必要になる。

ミナトは一瞬迷い、そして頷いた。

「……行くぞ」

彼の決断は、短い。

現場の人間の決断だ。

迷っている時間が命を削る。

保管庫の扉は、半分崩れていた。

それでも内側から青白い光が漏れている。

GENESISの光だ。

地下で生きている機械の光。

セイルが端末をかざす。

「……開く」

ピッ――

扉のロックが解除される音。

その瞬間、空気が変わった。

冷たい。
乾いている。
人間の温度がない。

ここは“保管”される場所。

過去と異物が溜まる場所。

そして――未来も。

中は広かった。

壁一面に並ぶラック。
金属ケース。
無数の封印タグ。

「未分類」
「危険」
「回収済」
「解析待ち」

そのラベルの中に、ひとつだけ違うものがあった。

黒いタグ。
白い文字。

DOC-0

アルトの喉が鳴った。

本物だ。

ノクスが低く言う。

「触るな」
「罠の匂いがする」

セイルが言う。

「でもこれが原本なら」
「GENESISの定義の根っこだ」

ミナトが周囲を警戒しながら言った。

「来るぞ」
「追撃が近い」

確かに足音が響いている。

近い。

時間がない。

シオンが一歩前に出た。

「……私が取る」

アルトが即座に止める。

「駄目だ」
「お前はSだ」

その言葉の意味が重い。

優先回収。
特別回収。

シオンが触れたら、
保管庫ごと封鎖されるかもしれない。

セイルが言う。

「アルトしかない」
「権限が通る」

アルトは黙った。

そして、DOC-0に手を伸ばした。

指先が触れた瞬間。

――静電が走った。

青白い光が一瞬、紫に変わる。

セイルが息を呑む。

「……Δ」

アルトの端末が勝手に起動した。

画面に表示される。

Δ/SYNC:3 → 5

シオンが顔を上げる。

「……5?」

誰が入った?

その瞬間、レムが小さく震えた。

そして彼は、目を見開いて言った。

「……いる」

「ここに」
「いるよ」

ミナトが低く唸る。

「誰だ」

レムは首を振る。

「……わかんない」
「でも、怖いのじゃない」

「……静か」
「すごく、静か」

その言葉に、ノクスが反応した。

「静か……?」

アルトがDOC-0を開く。

中身は、文章じゃなかった。

映像。

記録。

崩壊直後の保管ログ。

そこに映っていたのは――

一人の男。

荒廃都市の屋上で、
壊れたビーコンを手にしている。

顔は映らない。
帽子の影で隠れている。

でも、動きだけで分かる。

“拾う側”の動き。

ノクスが息を呑む。

「……ユウ」

シオンは目を見開いた。

「本人……?」

アルトは首を振る。

「違う」
「本人じゃない」

だが、それでも。

それはユウの記録だ。

生きたログ。

残るはずのないログ。

映像の音声はノイズだらけだったが、
一言だけ、妙に鮮明に残っていた。

「残すな。拾え」

シオンの胸が痛くなる。

残すな。拾え。

ユウは残す人間じゃなかった。

拾う人間だった。

残すことは制度になる。
拾うことは誤差になる。

誤差は管理にとって邪魔だ。

でも世界にとっては、未来だ。

映像が切り替わる。

次の記録。

GENESIS内部の会議室。
白い壁。
無表情の人間たち。

その中央に、カリナがいる。

若い。
まだ“理想”の顔をしている。

彼女が言う。

「希望は測れる」
「測れない希望は、危険だ」

そして画面の端に、アルトが映っていた。

若いアルト。

目が冷たい。

まだ救済を信じている目。

彼は頷いていた。

その瞬間、アルトの指が震えた。

過去の自分が、そこにいる。

アルトは画面を閉じた。

息が荒い。

シオンが声をかける。

「アルト……」

アルトは首を振った。

「……見た」
「見たから、選べる」

ノクスが言う。

「何を選ぶ?」

アルトはDOC-0を握り締める。

「定義を壊す」
「でも“証拠”は残す」

「GENESISがΔを制度化しようとしてる証拠を」
「外に流す」

セイルが目を見開く。

「外に?」

アルトが頷く。

「管理内だけに置いたままだと」
「定義は固まる」

「だが、外に出れば」
「解釈が割れる」

「割れたら」
「制度にできない」

ノクスが笑う。

「観測差を作るってそういうことか」

ミナトが呻く。

「そんなの、混乱するぞ」

アルトは答える。

「混乱していい」
「混乱しなきゃ、管理が勝つ」

シオンは唇を噛んだ。

混乱が必要な世界。

それが、この世界の末期だ。

その時。

扉の向こうから声がした。

冷たい声。

機械の声。

「回収対象、確認」

救済じゃない。

回収。

終わりの声。

ミナトが銃を構える。

ノクスがナイフを握る。

セイルが端末を抱える。

アルトがDOC-0を胸に押し当てる。

シオンがレムを背中に庇う。

そしてレムが、震える声で言った。

「……また、きた」

「しおん」
「ぼく、こわい」

シオンは答えた。

「大丈夫」
「怖いままでいい」

「でも」
「怖いなら、ここで終わりじゃない」

レムの目が揺れる。

恐怖。
意志。
祈り。

その三つが重なった時、
世界は歪む。

さっきと同じ。

でも今度は――もっと近い。

――定義を壊すには、壊すための“形”が必要だ。
――撃ち合いではなく、世界の書き換えで勝つ。
――そしてその代償は、誰かの「名前」になる。

保管庫の扉が、ゆっくりと開いた。

光が差し込む。
青白い光。
GENESISの光。

その光の中に――人影が立っていた。

装備は簡素。
だが動きが静かすぎる。

救済部隊なら、声をかける。
回収班は、声を削る。

息を消し、
温度を消し、
存在を消す。

そこにいたのは三人。

全員が顔を覆うマスクを付けている。
胸元には、GENESISの紋章。

そして肩のタグに刻まれた文字。

RECOVERY/S-PRIORITY

優先回収。

シオンの喉が鳴った。

――自分たちだ。

先頭の回収班が言った。

「DOC-0を返還せよ」
「対象個体を引き渡せ」

声は感情がない。
正しさだけがある。

アルトが一歩前に出る。

「返還はしない」

回収班は迷わない。

「反抗を確認」
「強制回収に移行」

ミナトが即座に撃つ。

乾いた銃声。
火花。

しかし相手は避けない。

“避ける必要がない”。

回収班の装備が光り、弾丸が逸れた。

セイルが叫ぶ。

「偏向フィールド……!」
「弾道修正だ!」

ノクスが舌打ちする。

「面倒だな」

次の瞬間。

回収班の一人が手を上げた。

パチン、と指を鳴らす音。

その音と同時に、
空気が固まった。

シオンの足が止まる。

身体が重い。

まるで見えない鎖が巻き付いている。

アルトが呻く。

「……JAMじゃない」
「拘束プロトコルだ」

ミナトが歯を食いしばる。

「動けねえ……!」

回収班が淡々と言う。

「S-PRIORITYのΔ兆候を確認」
「同期値:上昇」

アルトの端末が勝手に点滅した。

Δ/SYNC:5 → 7

セイルが叫ぶ。

「上がってる!」
「やばい、これ……」

ノクスが低く言った。

「観測されてる」
「観測されるほど、Δが固定される」

アルトは理解する。

これがGENESISの勝ち筋。

観測して、固定して、定義する。
定義して、制度にする。
制度にして、回収する。

正しい流れ。

冷酷ではなく合理。

シオンが必死に声を出す。

「やめて……!」
「救済じゃないの!?」

回収班は答える。

「救済である」
「適合個体の保護は、最大効率で行われる」

言葉は正しい。

だから最悪だった。

正しい言葉は、反論できない。

反論できない正しさは、
人を殺す。

レムが震える。

小さな体で、必死に息を吸う。

「……こわい」
「こわい、こわい」

シオンが抱きしめる。

「レム、見ないで」
「私を見て」

でもレムの目は、回収班を見てしまっていた。

そして、言った。

「……あのひと」
「いない」

シオンが息を呑む。

「え……?」

レムが指差す。

「うごいてるのに」
「いない」

回収班の真ん中の一人。

確かにそこに立っているのに、
“存在”が薄い。

まるでログから削られたように。

アルトが低く呟いた。

「……存在消去装備」
「記録を残さない回収班」

ノクスが笑う。

「最悪だ」
「ユウの世界を、盗んでる」

その瞬間。

レムの心拍が跳ねた。

シオンの心拍が追いかける。
アルトの心拍が重なる。
セイル、ミナト、ノクス。

五人の心拍が、同じリズムに揃った。

そして空間が――揺れた。

金属ラックが微かに歪む。
床の粉塵が浮く。
光が遅れる。

回収班の足元の影が、ズレた。

回収班が初めて、反応した。

「……異常」
「Δ同期値、急上昇」

端末の表示が跳ねる。

Δ/SYNC:7 → 12

セイルが声を失う。

「……12!?」
「これ、もう“兆候”じゃない!」

アルトが叫ぶ。

「レムを見るな!」
「観測するな!」

だが遅い。

観測されてしまった。

そしてΔは、確定し始める。

回収班が銃を構えた。

撃つ。

その瞬間、
弾丸が宙で止まった。

いや――止まったように見えた。

時間が遅くなったわけじゃない。

「弾道の“意味”が消えた」。

弾丸は進んでいるのに、
目的を失って落ちた。

ミナトが呆然と呟く。

「……なんだよ、これ」

アルトが言う。

「定義不能だ」

「“攻撃”という意味が成立しない」

ノクスが笑った。

「これがΔか」

セイルは震える声で言った。

「……世界が、俺たちの方に寄ってる」

その表現は正しい。

世界のルールが、
BORDER REMAINSの側に偏っている。

それは奇跡ではない。

誤差の増殖。

ユウが撒いた“評価不能領域”の種が、
今ここで芽を出している。

アルトは歯を食いしばりながら叫んだ。

「今だ! DOC-0を流す!」

セイルが即座に端末を操作する。

「外部回線――」
「NIGHT経由で拡散!」

ノクスが笑う。

「夜の連合は切れてる!」
「繋がらない!」

セイルは首を振った。

「切れてない!」
「切れてるのは“制度の線”だ!」

「今は違う――」
「Δが“道”を作ってる!」

彼の指が震えながらも、コードを叩く。

そして画面に表示が出た。

UPLOAD:DOC-0/BORDER MIRROR

アルトが息を呑む。

BORDER MIRROR。

境界の鏡。

同じものを見ても、違って映る場所。

観測差を生む場所。

しかし、その瞬間。

回収班のリーダーが一歩踏み込んだ。

足元の空気が割れる。

彼は“Δの揺れ”に耐えて進んでくる。

回収班リーダーが言った。

「定義は既に始まっている」
「貴様らの行動も、全てログに残る」

アルトが叫ぶ。

「残させない!」

回収班は答えた。

「残る」
「残らない未来は、存在しない」

その言葉が、世界の正論だった。

正論の暴力。

シオンは震えながら、前に出た。

「……違う」

彼女の声は弱い。

でも、折れていない。

「残らない未来は」
「存在する」

「私たちが今ここにいることが」
「その証拠だ」

回収班が一瞬止まった。

止まったのではない。

“言葉”が揺れた。

定義が揺れた。

アルトが理解した。

Δは戦闘能力じゃない。

“意味”を揺らす力だ。

ミナトが叫ぶ。

「行くぞ!出口へ!」

ノクスがレムを抱え上げる。

「走れ、ちび」

レムは泣きそうな目で頷く。

セイルが端末を抱え、
DOC-0のアップロード完了を確認する。

UPLOAD:100%

アルトは息を呑んだ。

流した。

これでGENESISの定義は割れる。

外に出た情報は、必ず歪む。
歪んだ情報は、制度になれない。

定義は、壊れた。

完全じゃない。

でも、壊れた。

回収班が叫ぶ。

「回収対象、逃走」
「封鎖を開始」

天井のライトが赤く点滅する。

警報音。

保管庫全体が閉じようとしている。

ミナトが扉へ突っ込む。

「閉じる前に抜ける!」

ノクスが笑う。

「ギリギリが一番燃える」

シオンは走りながら、アルトを見た。

「アルト!」

アルトは頷く。

「行く」

しかし、その瞬間。

アルトの端末に、最後の表示が出た。

Δ/SYNC:12 → 13

そして、その下に――

Δ/NAME:DELTA

名前。

ついた。

GENESIS内部で、初めて。

公表ではない。

でも記録された。

世界が、発火寸前になった証拠。

アルトの指が止まる。

シオンが叫ぶ。

「アルト、早く!」

アルトは端末を握り締めて走った。

逃げるのではない。

残すために走る。

出口へ飛び込んだ瞬間、
背後でシャッターが閉まった。

鉄の音。
世界が閉じる音。

暗闇の通路に戻る。

息が荒い。
汗が冷える。

でも、全員生きている。

BORDER REMAINSは、生きている。

しばらく走って、
ようやく安全圏に入った時。

セイルが膝をついた。

「……やった」
「流したぞ、DOC-0」

ノクスが笑った。

「これで“定義”は割れる」

ミナトは壁に拳を当てる。

「クソが……」
「ギリギリすぎる」

シオンはレムを抱きしめていた。

レムは小さく言う。

「……ごめん」

シオンは首を振る。

「謝らないで」

「あなたが怖がったから」
「私たちは生きた」

レムが涙を溜める。

「……ぼく」
「こわいの、だめ?」

シオンは即答した。

「怖くていい」

「怖いのに動けたなら」
「それは強さだよ」

アルトは端末を見つめていた。

そこには、Δの名前が残っている。

DELTA。

Δ。

記号。

それは始まりの印。

彼は小さく呟いた。

「……名前を付けられた」

ノクスが肩をすくめる。

「遅かれ早かれだ」

セイルが息を吐く。

「でも、外に流した」
「定義は固められない」

アルトは首を振った。

「固められないなら」
「次は“使い方”を巡る戦いになる」

シオンが呟く。

「……4作目だね」

アルトは頷いた。

「まだ発動してない」
「でも世界はもう、戻れない」

その時、遠くで空が鳴った。

地上の話じゃない。
雷でもない。

“空間の揺れ”。

境界線の空が、
ほんの一瞬だけ歪んだ。

そして、誰にも見えない場所で、
監視ログに記録が残る。

――Δ。

たった一文字。

それだけ。
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