上 下
49 / 95
前篇:夢の通ひ路

第二十一話 其の二

しおりを挟む
 小梅の話が確かならば、五十年以上前に転機があったのだという。食事は未だ不明だが、お化粧やお風呂事情はここから大きく変わったことになる。
 食事も、その頃に栄養のことを考慮して今の品数になったと考えられないだろうか。
 しかし、文化というものはそうそう変わるものではない。

 それでも、誰かが、何かが、意図的に変えたとしたなら――
 それが、五十年以上前にあったとしたら?

 いえ、でもお化粧が健康に関係あるなんて……
 そこまで考えて、思い出した。
 ……ある、あるわ! お化粧と健康の関係性!
 当時「白きもの」と呼ばれていた白粉には、米粉の他に鉛や水銀が使われていたはずだ。文献にはそう残っている。鉛や水銀を肌に塗るなんてもちろんよろしくないが、危険という認識もなければ、使用も当たり前だった。だが、今では使われているのは米粉だけ。
 ああ! なんでこんな大事なことを今の今まで見逃していたの!

 ぶわ、と鳥肌がたった。

 私の仮説はどこまで合っているかは分からないが、そうと思うともうこれしか考えられなかった。
 五十年以上前に、何かがきっとあったのだ。確か小梅は、当時の帝に仕えていた薬師がどうのと言っていなかっただろうか。では、この二人のどちらかが大きく関わっているのだろう。

 私は、大変なことに気が付いてしまったのかもしれない。
 偏った食事や不潔が病の元になり得ること、鉛や水銀が危険なものであることを知るのは、この時代よりもずっとずっとあとのことだ。私がそれらを常識として知っているのは、私が現代人だからだ。一番怪しいのは、帝に仕えていたという「薬師」。
 仮説の答えは一つしかない。

 ――五十年以上前に、「誰か」がこの世界へやってきている。
 それも、限りなく私が生きていた時代に近い「誰か」が。


 ◇◇◇


 “※1きながら けぬる あわともなりななむ”

 心細い灯りが小さく照らす下で、そんな書き出しで筆を走らせた三の君はつらつらと何かを続けて書き、墨が乾くのも待たず、その紙を隠すようにしまった。

 『古今和歌集』の有名な歌の、上の句。
 浮きながら消えていく泡のようにでもなってしまいたい――そう詠んでいる。

 しかし、彼女が和歌を送るような相手がいたとは聞いていない。おそらく日記かなにかをつけていたのだろう。

「本当に、泡にでもなってしまえばいいんだわ」

 呟いた彼女の瞳から大粒の涙が落ち、それが暗闇に吸い込まれていった。


 ◇◇◇


 ふと目を開けて身体を起こすと、ずるりとふすまが落ちた。この着物は、おそらくは小梅がかけてくれたのだろう。
 また眠ってしまったらしい。どうしてこんな昼間から睡魔に襲われ、しかもそれに耐えられず意識を失ってしまうのだろうか。そして、そういう時は決まって三の君の夢を見る。

 「泡になってしまえばいい」、彼女はそう言って泣いていたけれど……
 あれがもし彼女の過去なら、よほど辛い事でもあったのだろうか。だとしたら「死にたがり」から脱却してもらうのは、大変に難しいことだ。思わず唸ってしまった。


 食事を終え、小梅や雛菊達と雑談をしていたところまでは覚えている。それから私は、少し横になるといって御張台の中へ入り――そのまま、眠ってしまったのだろう。
 もちろん、本当にそうして休むつもりなどはなく、ただ一人で静かに考え事をしたかったのだ。部屋にいればどうしたって小梅や雛菊といった女房達が控えている。物理的に一人の空間を作るには、御帳台、いわゆる天蓋付ベッドに籠るのが一番手っ取り早いと思ったのだ。それが、まさか用途通りにすっかり寝てしまうなど……自分が情けない。

 部屋の中はいつもより静かだが、女房達の控えめな話し声は聞こえてくる。誰も声を掛けようとしないところを見ると、私が起きたことに気が付いている者はいないのだろう。
 これ幸いとばかりに、私は思考を巡らせることにした。こんなゆっくりとした静かな時間はそうそう持てない。

 先ほどの仮説を立てると同時に、気になっていたことがあったのだ。

『そなたの考える世界とこの世界はまた別物よ。現にそなたはそれを肌で感じているはずじゃ』

 あの、天狗の言葉である。
 あれが、私の仮説を指していたなら――つまり、私の考える世界とは、現代から千年以上も過去の純粋な平安時代のこと。それとは別だと言われたのが、私の知る平安時代と文化が多少異なるこの世界のこと。そう紐づけて考えれば、天狗のいうことにも納得ができるような気がする。実際に私は、自分の知識上にある平安時代と比べ、幾度となく違和感を感じていたわけなのだから。
 天狗は、「いずれ分かる」とも言っていた。あの仮説が正解かは全く分からないけれど、もしそうなら、なるほど天狗の言葉通りに進んでいることになる。

 彼の話したことの意味を、しっかり考えようとずっと思っていた。今がその時なのだろう。一つずつ思い出し、そして言葉の意味を噛み砕いていかなくては。

 あの日、歴史を変えているのではないかと不安になった私に、「歩みを止めるな」と天狗は言った。曰く、このまま何も気にせずにいろということだ。

 しかし、本当にそれでいいのだろうか。

 しつこいがこの身体は、この人生は、三の君のものだ。私がそこに介入することなど本来は許されるはずはない。だが、そう思いながらも生きること自体が、予定調和なのだとも彼は言ったのだ。「変わっているように見えて、その実、何も変わってはおらぬ」――あれは、そういう意味だったはずだ。
 私がしている行動のすべては、そうなる運命だったということか。

 現代の私は、生きているのか、死んでいるのか。私の身体についても、彼は深い言及はしなかった。
 そこに関しては、ほっとしている自分もいた。天狗の口からはっきりそうだと告げられていたのならば、平常心をこうも保てなかっただろうと思う。
 彼は、肯定も否定もしなかった。であるなら、現時点で完全に「死人」であるわけではない。私次第と言うのならば、当然、私は「私」が生きている方を信じる。


 それにしても、一体、天狗は何ものなのだろう。
 鳥を使って会話するあたり、もう人間離れしているとしか思えない。そもそも、人間ではないとか? ではなんなのだ、ともう一人の私が突っ込んで、そうだよね、人間だよね、とまた思う。外見は明らかに人間以外の何ものではもないが、正直中身に関しては言い切れる自信がない。

 もし、もしも……彼が五十年以上前に帝に仕えた薬師だとしたら? 私と同じように時を超えた存在だったら?

 ありえなくはない話だが、結びつけるにはあまりにも情報が少なく、そして強引だ。あんな胡散臭いおじいちゃんが、風呂だの化粧だのの習慣を変えたようにはどうも思えない。

 ああ、駄目だ……一向にわからない。
 そもそも、仮説はあくまで仮説。何か証拠を掴むまでは、私の想像にすぎないのだ。

「五十年以上前に何があったのか、もう少し調べてみる必要がありそうね」

 もうそれしかない。それではっきりさせるのがきっと一番いいはずだ。
 現代へ戻る方法と並行し調べてみよう。


 そう決めた私だったが、この件に関してはこれまで私が聞いた小梅からの情報がすべてで、父や母、兄が会いにきたときに遠まわしに聞いてみたものの、新しい情報は何一つとして出なかったのである。
 皆が口にしたのは、「五十年以上前に変わった、転機があった」とそれだけだ。文化が変わるだなんて随分と大きなことであるはずなのに、不思議なほどそれしか情報がなかったのだ。

 まるで、わざと隠しているかのように。
しおりを挟む

処理中です...