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第四章 大切な人
魔王、未来の旦那様を尻に敷く
しおりを挟むちょっと挨拶をしていこうと思っただけなのに、随分と時間を食ってしまった。アデルは影の傾きを見て、そろそろ村へ向かわなければならないと思った。
ソフィはユーリと隣り合って座り、何か話している。
「ジルよ、そろそろ村に戻ろうと思っておる」
「そうか……」
難しい表情でジルが腕を組み、ふーっと息を吐き出す。
アデルは気になっていたことをジルに尋ねることにした。その答え次第では、自分は大きく傷ついてしまうかもしれない。
少しだけ声の調子を落として、ジルに尋ねた。
「ところでジル、村長はまだ生きておるのかのう?」
「生きてるよ、っていうかピンピンしてるぞ。あの人も長生きだよなぁ」
「おおお! そうか! それは良かった、わしがおらん間に死んでおったらどうしようかと思っておったからのう」
「いやいやアデル、お前が言うようなことかそれ?」
ジルが呆れたように言う。
ソフィとアデルは再びジルの店の前へと戻った。アデルが店の前に置いていた荷物を背負う。
「さて、ではジル、奥さん、我らはここで失礼する。どうせそのうち現れるがな」
「がっはっは、まぁいつでも寄ってくれ」
「ソフィちゃん、アデルさん、また来てくださいね」
二人に見送られて、ソフィとアデルは歩き出した。
小さく手を振るユーリに、ソフィが手を振り返す。
「いい人じゃのう。アデルよ、ああいうのが嫁というものなのじゃな。妾も見習わねばならん」
「ははは、そうじゃな」
朗らかにアデルが笑う。そうやってしばらく歩いていたが、アデルが急に声をあげた。
「ああっ! 忘れておった!」
アデルは荷物を地面に下ろして振り返る。何事かとソフィが目を剥いた。
「な、なんじゃ? 忘れ物か」
「おーい、ジル! ジルよ! いや、ジルヴェスターさん! あっ、ソフィ、おぬしも来い」
去っていったと思ったアデルに呼びかけられて、ジルとユーリがアデルに視線を注いだ。
走って二人の前まで来たアデルは、ソフィが来るのを待った。アデルが何をしているのかがわからず、ジルが尋ねる。
「なんだアデル、どうした?」
ジルの問いを無視して、アデルはパタパタと走っているソフィに声をかける。
「ソフィ! おーいソフィ! あ、ようやく来たか」
走るのが遅いソフィが、ようやくアデルの元まで辿り着く。
「な、なんじゃアデル、一体どうしたというのじゃ」
「いや、大事な用件を忘れておった」
「大事な用件じゃと?」
「うむ、とても重大なことじゃ」
アデルが真剣な表情で言った。
ジルが訝しげに声をかける。
「どうしたアデル、忘れ物か?」
「いや違う、いや、そうではなくて、ジルヴェスターさんよ、わしのような愚か者がジルヴェスターさんのような立派な親方にこんなことを頼むのも筋違いかもしれん。まさにジルヴェスターさんは格上の存在、わしのようなものが声をかけるのも躊躇われるほどの偉人」
「なんだよいきなり」
「そんな親方どのにたってのお願いがあってのう。わしもこうやって無事帰ってきたことじゃし、そのお祝いというわけで酒の席でも設けてくれんかのう? いやもう、わしが尊敬するジルヴェスターさんにお酒を勧められたら、断ることなどわしには出来ん!」
拳を握り締めながら演説し、アデルはちらりとジルの顔をうかがった。ジルは呆れているのか口をぽかんと開いてアデルを見ている。
「別に酒くらい奢ってやるけどよ、どうしたんだアデル?」
「おおおおっ! さすがジルヴェスターさんじゃ! 見たかソフィ? 本当にジルヴェスターさんの優しさが心に染みるのう! このように酒を勧められては、断るわけにはいかん! それはジルヴェスターさんに失礼というものよ!」
そう力説したアデルが、ソフィの顔を見下ろす。
ソフィは呆れ返って何も言うことが出来なかった。確かに、目上の人にお酒を勧められたら飲んでもいいとは言った。
しかし、まさかこんな方法を使ってまで酒を飲もうとするとは思わなかった。
どう見ても、アデルがそういう方向へ話を持って行ってるのは明らかだった。
「アデルよ、おぬし、阿呆じゃろう」
「なぜじゃ?!」
ジルは二人が何を言っているのかよく理解できず、アデルに尋ねた。
「何がやりたいんだお前?」
「いや、実はのう……。わしが酒でちょっと失敗して、それで、ソフィにもう二度と飲むなと怒られてな……。目上の人に酒を勧められた時だけは飲んでよいと言われておって」
「ぶわはははははっ! なに、なんだよお前! こんな小さな女の子の尻に敷かれてんの?!」
よっぽどおかしかったのか、ジルは腹を抱えて笑い出した。アデルが苦い表情で頷く。
「う、うむ……。と、いうわけじゃジル、ここはわしを助けると思って、な?」
「そうかそうか! へーぇ、あのアデルが幼女の尻に敷かれてるとはなぁ」
黒々とした髭を撫でながら、ジルがにやりと笑う。隣でそんな様子を見ていたユーリが言った。
「あらまぁソフィちゃん、凄いわね。わたしも見習わなきゃ」
「え? ちょっとユーリ?!」
ぎょっとしたジルが、やめてくれと頼み込んだ。
「なんじゃ、ジルも尻に敷かれておるではないか」
「俺はいいの! 嫁さん大好きだから!」
「まぁ、あなたったら……。わたしも、あなたのこと大好きですよ」
頬を染めたユーリがそう言って、ジルも照れ笑いを浮かべる。
アデルは少しうんざりしながらも、ジルにもう一度頼み込んだ。
「ではジルよ、酒の席のこと、頼むぞ」
「ん? ああ、わかったわかった」
ジルが首肯し、アデルはようやく肩の荷が下りたような気がした。まだ何人かにこうやって頼み込んでおかないと、酒が飲めなくなってしまう。
ユーリは良い事を思いついたかのように、手をパンと叩いた。
「そうだわ、アデルさんとソフィちゃん、そのうち、わたしたちの家で食べていったら? そうすればアデルさんはお酒が飲めるし、わたしもソフィちゃんとお話できるもの」
「いやいや奥さんの手を煩わせるのもどうかと、それにおチビちゃんたちもおるようじゃし」
ユーリの提案は喜ばしいものだったが、アデルは出来ることなら遠慮したかった。
じとっとした目で、ソフィがアデルを見上げる。この男が何を考えているのかが、なんとなく理解できた。
「アデルよ、おぬし、妾が傍におっては沢山飲めないのではないかと思っておるのではないか」
「いやまさかソフィ、そんなことが、ははははは」
図星だった。
ソフィはユーリに向かって言った。
「ではユーリよ、妾たちはその誘いを受けたいと思うのじゃ。ありがとうなのじゃ」
「まぁ! よかった! あなたもそれでいいわよね」
「ああ、俺は構わんぞ」
ジルが大きく頷いてユーリの案に賛成した。
ソフィも頷いて、それからアデルの顔を見上げる。
「これでよいなアデル」
「あ、はい……」
アデルも頷いた。
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