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第二部 第一章 名も無き農民と紅の勇者
魔物との取引
しおりを挟む丘の教会へと向かう。シシィの足は自然と速くなった。
不可解なことが多い。しかし、その不可解さが融けた時、封じられていた何か大事なものが姿を現すはずだと確信できた。
魔物が現れたというのは間違いないだろう。その魔物の数も、それなりに多かったに違いない。
つまり、魔物が何者かの命令によって集団となり、この城壁を何者かの意思によって破壊した。そこに、何かの理由があるはずだ。
魔物が群れを作ることはある。集団で襲い掛かってくるものと何度も戦ったことがある。しかし、これはそれとは違うように思えた。
人を襲うためではなく、城壁を破壊するために集団となり、それを実行した。
魔物に命令が出来るものは、この地上でたった一人だと言われている。
魔王。
シシィの唇に笑みが浮かぶ。ようやく、何かが見えてきた。後は、どのような手段を用いてでもこの村の秘密を暴かなければいけない。
魔王を捕らえ、魔王の持つ力を奪い取る。シシィが魔王討伐のためリディアと組む理由はそれだった。
丘の教会へとやってきたリディアとシシィは、ファサードの前で子どもたちの相手をしている男に目を向けた。にこやかに笑いながら、子どもに何かを語っている。
司祭らしく法服を着て襷をかけていた。シシィはその男に近づいて、話しかける。
「あなたに尋ねたいことがある」
「えっ?」
急に声をかけられて、三十代半ばほどの男が怪訝そうに目をシシィに向ける。シシィは大きなトンガリ帽子を被っていて、男からはその顔がまったく見えなかった。
シシィが持っている大きな杖を見て、眉を顰める。
「あのう、どういったご用件でしょうか?」
「魔物と、なんの取引をしたのか聞きたい」
男の顔がさっと青ざめた。かたかたと震えだし、目を見開く。取り繕うように、一度額を拭った。
「な、何をおっしゃっているのか、わかりません」
「村の入り口にいる老人、村長から、ここへ来るように伝えられた」
「……あの人は、少し呆けてしまっているのです。何を言われたのかは知りませんが、帰ってください」
「老人は呆けてなどいない。あの老人は、ただこの教会に行くように言っただけ、それ以外は何も。あなたが口止めしている内容について語ったりなどはしていない」
男が慌てたように辺りを見渡す。
「わ、わたしは忙しいのです。申し訳ないがあなたに構っている暇は無いのです」
シシィはローブの中に手を入れて、それからひとつの懐中時計を取り出した。時計は金や銀、宝石の類によって象嵌が施され、普通の人間であれば手に入れることが不可能なほど高価な品物であることが一目で理解できる。
その時計の裏を見せて、シシィが言った。そこには鷲を描いた紋章が刻まれていた。
「この時計はパヴァリアスシュタイアー公爵より賜ったもの、公爵は同時にアルゲンブルク大司教の後援者」
「な、なぜそのようなものを……」
シシィは杖の先に炎の球を浮かべた。傍にいた子どもたちが、わぁと声をあげる。
杖の先に浮かぶ火球を、シシィは空へと高く打ち出した。瞬きひとつの間に空の染みに変わった火球が、上空で爆発する。
爆発からしばらくして、どぉん、と大きな音が村に降り注いだ。子どもたちが無邪気に空を眺めて声をあげる。
男はがたがたと震えて、シシィを見る。シシィが帽子のつばを軽くあげて、自身の顔を見せた。
「ハシバミ色の瞳……、時代遅れの大きな杖……、まさか、あなたがあの、翡翠の魔法使い」
「そう」
男がシシィの後ろに立つリディアにちらりと視線を向ける。リディアはフードをぱさりと落として、自身の赤い髪を見せた。
「あなたさまは、もしや、紅の勇者様」
「そう呼ばれてますわ」
「あああ、なんと……。ああ」
男は観念したように空を仰いだ。己に降りかかる運命が過酷なものになることを嘆いているようだった。
男の案内で教会の傍に建てられた小部屋に通される。そこへ向かう途中で、小声でリディアがシシィに忠告をした。
「ねぇあんた、ちょっと焦ってない? 聖職者に暴力はダメよ、脅すようなのもダメ」
「……わかってる」
「どうかしら、あんたは時々とんでもないことやらかすから」
リディアのように破天荒な人物にそう言われるのはシシィにとって不満だった。自分のほうがよっぽど問題を起こしてばかりで、公爵令嬢を何度も困らせていたのに。
一脚のテーブルを挟んで、リディアとシシィ、そして男が向かい合って座る。周囲の建物のように砂岩で建てられているわけではなく、壁は土壁に漆喰を塗ったもののようだった。
窓の方立が、傾いた日差しに合わせて室内に長い影を落とす。リディアは椅子の背もたれにもたれて、シシィがどう出るのかを見張ることにした。
さすがに聖職者に暴力を振るうことを看過することは出来ない。正直、シシィが何を考えているのかはさっぱりわからないが、何か危ないことをしでかさないか見ておく必要があると思った。
法服を着た男が、一度唾を飲み込んだ。
男は自分が助祭であることを先に告げ、名前を名乗った。
「わたしはドートロシュと申します、この教会にて助祭という位階を頂いております」
名前を聞いても、シシィは興味が無さそうだった。
「そう、それはともかく、先に言っておきたい。わたしたちはあなたたちが何をしていたとしても、それを責めるつもりはない。あなたが自分の行為をどう思っていようが、関係がない。わたしたちはただ全てを知りたいだけ」
「っ……、そうですか」
「あなたは、いや、この村は、魔物となんらかの取引をした」
「……仰る通りです、罪深いこととは思いながらも、仕方が無かったのです」
「罪などどうでもいい、その時の状況を知りたい」
横で聞いていたリディアが眉を寄せる。魔物と取引をしたというが、どういうことなのか理解ができない。
魔物が取引を持ちかけてくるなど、考えられることではない。魔物には意思もなく、また、喋ることも出来ないはずだ。
おそらく、この地上で自分ほど魔物を相手にしてきた者はいないはず。そんな自分でも、喋る魔物などというものに出合ったことはない。
そんなもの、動物と取引をしたと言うくらい荒唐無稽な話ではないのか。
ドートロシュ助祭は、落ち着きなく視線を机の上に載せて、それから額の汗を拭った。
「どこから話したらよいのか……」
「すべてを」
「……わかりました」
助祭がぎゅっと目を閉じ、そして迷いを溜息に乗せて吐き出した。
「ある日のことです、魔物の大群がこの村を襲いました。城壁を破り、村の内部へと侵入してきたのです。一つ目の巨大な鬼、身の丈は人をも超える蜘蛛、兎ほどの大きさもある蜂、巨大な火トカゲなど、その種類は様々でした。村人たちは恐怖に震え、誰もが神の名を口にしました。やがて、逃げ場すらも無くなった時です、角の生えた馬に乗った一体の魔物が、突然人の言葉を口にしたのです」
助祭はそこで一度首を振る。
「その魔物が言うのです、この村の首長を出せ、そしてこちらが要求するものを差し出せ、さもなくば村人を殺す、と。村長と司祭さま、そしてわたしが村の代表としてその魔物と話し合い、結局その要求を飲むことにしました。ああ、罪深いのは存じております。神に仕えるものが魔物という悪鬼を相手に屈したのです、しかし、村人たちの命がかかっており、わたしも司祭も、断るなどということは出来ませんでした」
深い悔恨の念に囚われているのか、助祭が歯を食い縛る。それを見て、シシィが口をついた。
「あなたの判断は正しい。村人の命を優先すべき。そんなことより、その喋る魔物について聞きたい」
「喋る魔物ですか? 背は低く、子どもの身長ほどでした。藻のような深い緑色の肌は、ブナの樹皮のように皺だらけで、がさがさしたもののように見えました。顔には大きな嘴があり、目は濁った蜜蝋のような色をしておりました。頭頂に髪はなく、みすぼらしく禿げた老人のように周囲にだけまばらに毛が生えておりました。麻の布を擦り合わせたようなざらざらした声で、神を蔑ろにするかのような恐ろしい事を話しておりました」
「……そんな魔物は今まで見たことがない。魔族では?」
「わかりません、しかし、その魔物は自分のことを魔物だと言っておりました。わたしは魔族にそれほど詳しいわけではありませんが、あのような嘴を持つ魔族については聞いたことがありません」
それはシシィも同じだった。動物のような耳を持つ魔族、耳の長い魔族、小柄であったり大柄であったり、部族によって様々な形の魔族がいるが、緑色の肌をして嘴を持つ魔族というものは聞いたことがない。
もしかしたら、そういう部族もいるのかもしれないが、それがどうして魔物を引き連れることが出来るのかがわからない。
その魔物こそが、魔王なのだろうか。しかし、魔王であるならば、魔物など引き連れずとも自身の魔法だけで同じような脅迫が可能なはずだ。
自分でさえ、この村を壊滅させようと思えば簡単に出来る。
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