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第二部 第一章 名も無き農民と紅の勇者
魔物に襲われていた村
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木に縛り付けられていた賊は傷だらけの死体となって地面に転がされ、もう二度と動くことのない眼球で夜空を仰いでいた。村長はそれらの死体を前に十字を切った。
胃が痛む思いをしながら、これですべてが終わったのだと村長が安堵の溜息をつく。ここ最近は平和が続いたと思っていたが、こんなことが起こるとは。
村は元々危険な地域にあった。国境に近いせいで今まで何度か争いに巻き込まれたこともあった。
それらから村人を守っていたのが、周囲の森に棲む魔物たちだとは、村人ですらよく知らないに違いない。魔物は、近づきさえしなければそうそう襲ってくることもない。
今まで村が魔物によって襲われたということもない。森に入らないよう村人たちに厳命しておけば、魔物の出る危険な森は村を守る天然の城壁に過ぎない。
しかし、いつからかはわからないが、突然魔物が現れなくなった。そのことに、長い間気づかずにいた。
森から何者かが攻め入ってくるなど想定していなかったため、賊に対して何もすることができなかった。
もしこの勇者様が来なかったとしたら、村の娘たちは一体どうなっていたか……。
魔物が意外と人を襲わないということを、この勇者様は知っているのだろうか?
もしかしたら、知らないのかもしれない。この方にとって普通の人々というのは、地面を這い回るアリのようなものなのだろう。
アリが何に対して恐怖を覚えているのか、それらに対処するためにどのような選択をしているのか、そんなことを気にかけたりはしないだろう。
アリが恐れるものなど、簡単に踏み潰すことが出来るのだから。
個人的には、ロトヴィーユの村が魔物に襲われているというのは信じがたいことだった。魔物が一体何を奪っていくというのだろう。奴らに意思などないし、動物のように食料を奪うため里に下りてくるということもない。
魔物が突然消え去ったことといい、何か自分には計り知れないことが起こっているような気がした。
川沿いの街道に降り注ぐ陽光はわずかに夏の匂いを帯びていた。長い冬が過ぎ、溶け出した雪によって川の流れはやや速い。
晴天の空の下を、リディアとシシィは馬に乗って進んでいた。常歩で馬を歩かせながら、リディアはシシィに話しかける。
「しかし、一体どうなってるのかしら……。どうして魔物が消えたの? やっぱり魔王が死んだってこと?」
「……わからない」
リディアとシシィは各地で魔物を倒して回る生活をしていた。公爵家の庇護の下、あらゆる場所で魔物を討ち果たしてきた。しかし、ある日を境に魔物がまったく現れなくなったのだ。その理由はわからない。
魔物が消滅したのなら、それはそれで喜ばしいことだが、理由がわからなければ安心はできない。
シシィが少し考えてから答える。この問いに対しては何度も答えを探してきたが、何が正解なのかはわからなかった。そもそも、魔王と魔物の関係というのはよくわかっていない。
魔王が魔物を使役出来るという事は歴史的な事実によってほぼ間違いないと思われるが、それ以外のことは謎に包まれている。
魔物というものが一体どのように生み出されているのか、何故魔物は食物を摂らずとも生きてゆけるのか、何故死ぬと消滅するのか、それらもわかっていない。
今まで数え切れないほどの魔物を屠ってきたが、そこから魔王に繋がるような情報が得られたことはない。
シシィの返答に、リディアが難しい顔をして唸る。そうしていると、視線の先に赤い建物が並ぶ村があるのが見えた。今の目的地だった。
「あら、ロトヴィーユの村が見えたわよ、シシィ、急ぎましょう」
拍車で軽く馬を蹴って、リディアが馬を駈歩で駆けさせる。
リディアは紅の勇者と呼ばれ、あちこちで魔物を打ち倒す日々を送っていた。シシィはその瞳の色から翡翠の魔法使いと呼ばれ、リディアと共に戦いを続けていた。そのような活動が、公爵家によって認められ、公爵令嬢やその仲間と共に戦いの日々を送っていた。
魔物を倒して回る旅の途中で巨大な竜と出会い、それに苦戦したことで状況は変わった。仲間の多くがその戦いの中で傷つき、公爵家の宮殿での療養を余儀なくされてしまう。
その後、リディアはシシィだけを伴って魔王を討伐するための旅に出かけた。
しかし、不可解なことが起こる。
魔物がこの地上から消え去ってしまったのだ。リディアとシシィも、魔物を探し回って各地を巡ったが、一体の魔物すら見つけることが出来なかった。
魔物が消えたのは、空の爆発と呼ばれる出来事が起こった日からだろうとシシィは当たりをつけていた。ある日、上空において空が爆発するという事態が起こった。
シシィは、その爆発は隕石によるものだろうと考えている。歴史の中に、そういう出来事が度々記されていた。多くの場合はただの流星となって消えうせるが、場合によっては地表の近くで爆発を伴うことがある。
その隕石と魔物消失の関係はわからない。しかし、関連が無いとは言い切れない。
空の爆発はあらゆる場所から見ることが出来た。それが起こったと思しき場所の近くでは、爆発の衝撃によって建物の損害が発生したり、怪我をした者も多いという。
シシィが個人的に調べて回るには、得られる情報が少なかった。おそらく、教会がその爆発の情報をなんらかの形で抑え込みたいか、利用したいと思っているのだろう。
どのような形で隕石落下という事実を教会が片付けるのかはわからないし興味もないが、事実に辿り着けないのはもどかしい。
駈歩で進み、リディアとシシィは村の城壁の前へと辿り着いた。リディアは馬から降りて、手綱を引く。シシィも馬から下りて、馬の尻に取り付けた馬具から杖を引き抜いた。
長時間の乗馬による気だるい疲れを解すようにシシィが首を回す。リディアは疲れなど微塵も感じさせない明るい声で馬に話しかけていた。
「よーしよし、ほら、遊んでおいで」
門の前で、リディアが馬に話しかけながら馬の首を撫でる。
「えっ? 荷物を下ろして欲しいって? ダメよ、我慢してね。砂浴びとかしたいだろうけど、それはまた今度。ほら、遊んでおいで」
馬を放した。良い馬というのは、人の言うことをよく聞く。特にこの二頭の馬は、リディアの言うことを理解しているかのように振舞った。
こうやって適当に放しておいても、逃げるということがない。リディアが呼べばまた現れる。
村の中へ連れて行くのではなくここで放してしまうということは、リディアは村での用事が長引くと思っているのかもしれなかった。
村の中に入ると、リディアは早速近くにいた老人に話しかけた。白いモジャモジャの髭を蓄えた老人は、肘掛のない椅子に座って日向ぼっこをしているようだった。
「ねぇお爺さん、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
「……この村には宿は無いぞ」
「そうなの? いや、そうじゃなくて、この村は魔物に襲われてたっていうじゃない。そのことについて訊きたいの」
「何故、そんなことを知りたがる?」
老人は丸い目をぎょろりと動かして、リディアの顔を見上げる。緩慢な動きで、老人が髭を撫でた。
リディアは小さく溜息を吐いてから言う。
「あたしたちは魔物を倒して回ってるの。それで、この村が魔物に襲われてたって聞いたから、調べに来たの」
「ふむ……」
老人がリディアの足元に目を落とす。それからじろじろとリディアの姿を眺め回した。
「なに? そんな歳になってもあたしみたいな美人に欲情するの?」
「違う……、そうではない。お前さん、武人か。相当強いようだな」
「まぁね、強いわよ。この世の誰よりも」
「ふん、自分から強いなどと言うとは……」
「事実だからしょうがないでしょ。そんなことはともかく、どうなの? 魔物に襲われてたっていうけど、その時の状況について知りたいの。どうして魔物が村を襲ったの? 何か奪われたものは?」
リディアの質問に、老人が髭を撫でながら視線を落とす。何を考えているのかはわからなかった。
重たいものでも持ち上げるかのように、老人が口を開く。
「丘の上にある教会に行け、そして、そこで村長がここに来いと言っていた、そう伝えろ」
「はぁ? どういうことよ」
「知りたいことがあるのだろう? なら、わしの言うとおりにしておけ」
全てを話し終えたとばかりに、老人は俯いて椅子に座りなおした。
坂道をずかずか登りながら、リディアが文句を言う。
「まったく何よ、何か知ってることがあるなら教えてくれたっていいじゃないの。ケチねぇ、あれが村長なの?」
「……」
シシィは黙ってリディアの後をしずしずと歩く。何故、教会に行けなどと言ったのだろう。シシィは少し考える。
魔物による被害を語ることに、何か問題があるのだろうか。
「リディア、ちょっと待って」
「なに? 歩くの速かった?」
「違う、そうじゃない。先に他の住人にも話を聞いてみたい」
「ん? 何か思いついたの? じゃあ、そうしましょう」
リディアが同意を示し、シシィは教会に行くより先に他の住人に尋ねて回ることにした。
村のあちこちで住人に尋ねてみたが、どの答えもあまり芳しいものではなかった。魔物について尋ねると、住人は一様に口を閉ざし、曖昧に答えをはぐらかそうとする。
魔物に襲われていたことを思い出したくないのかとも思ったが、どうもそういった感じではない。どちらかというと、何者かによって魔物について語ることを禁止されているようだった。
魔物という単語が出た時点で、誰もが困ったといった感じで眉を顰める。そういった話題を語りたがるような主婦層にも尋ねてみたが、結果はあまり変わらない。
中には途中で怒り出すものもいた。
子どもならばどうだろうと、道行く子どもに尋ねてみた。喋ることを禁止されてはいないようで、魔物という単語が出ても子どもたちの表情に変化は見られない。
しかし、魔物に関しては何も知らないようだった。魔物を見たこともないし、魔物が出るという夜には家の中に閉じ込められるのだという。
成果は芳しくないが、魔物によって城壁が破壊されたという情報は得ることができた。その城壁は未だに修復されず放置されているという。
「なんだか、変な感じねぇ」
リディアが呟く。シシィが前を歩き、まずは破壊されたという城壁を見に行くことにした。村の端を訪れると、確かに城壁の一部が破壊されて、外と繋がっている。さほど厚みのある壁ではないので、魔物ならば壊せそうではあった。
城壁も建物と同じく赤い砂岩によって建造されているらしい。その破片が村のほうへ向かって飛び散っている。
シシィは飛び散った城壁の一部を眺めて、それから城壁の外に出た。昔は堀があったようだが、今は水は引かれておらず、窪みが残っているだけだった。外に出て、城壁の上部や胸壁に使われていた石材がどのあたりに落ちているかを調べる。
そして周囲を見渡す。近くには森があるようだった。あの森から魔物が現れて、ここを壊していったのだろうか。
この城壁自体はそれほど厚みがあるものではない。高さもせいぜい二階か三階建ての建物くらいで、村を守るための機能は期待できないだろう。このくらいの城壁であれば、力のある魔物が協力すれば破壊することも可能だろう。
しかし、何故こんなことを。
手伝うこともなくぶらぶらと歩き回っていたリディアが、シシィに尋ねる。
「どう? 何かわかったの?」
「……この城壁が衝撃を受けたであろう箇所は、人間の身長よりも随分高い場所にある。そして、城壁は何度も繰り返し打撃を受けたと思われる。城壁の半分の高さの場所に繰り返し打撃を与え、この城壁を破った」
「それがどうしたっていうのよ?」
「それだけの時間をかけて、この箇所を破る意味がわからない。人間がこれをするのであれば、城門を破ったほうが早い。この場所を選んだ理由は、ただあの森に近いから、それくらいしか思いつかない。破城槌のような攻城兵器を運んだ形跡もない、もしそんなものを使えば大きな轍が残るはず」
「……ごめんシシィ、あたし頭が悪いからシシィが何を言いたいのかよくわからない」
「大型の魔物が城壁を破ったのはほぼ間違いないと思う。そして、この場所を森と村を繋ぐ通路として利用していた」
「え、ええとシシィ?」
「不可解なのは、城壁が破られたのにも関わらず住人がそれを再建していないということ、補修しようとした形跡すらない。魔物がやってくるのに、何故それをしていないのか……」
「あっ、独り言? 独り言よね? 何か結論が出たなら教えてね」
「さらに不可解なものがある。城壁の内部に、比較的新しく建てられたであろう掘っ立て小屋がある。あれを見て」
シシィが指を向けた場所には、確かに小さな小屋がある。壁すらない。中央には一脚のテーブルがあるだけで、他に何かがあるわけでもない。
シシィはその小屋に近づいて、柱が埋まっている箇所を見下ろした。
「建築されてからあまり日が経っていない。おそらく、この城壁が破られた後に建てられたもの。どうしてこの場所に? 城壁を修復する人夫が使うためのもの? しかし城壁が修復された様子はない。石材を拾い集めた形跡すらもない」
「うんうん、わかるー」
「人間同士の争いであればこの箇所を壊すことに意味があるとは思えない。おそらく魔物が破ったというのは本当だと思われる。しかし、魔物が入ってくるという状況を放置する意味がわからない。何故、このような状況が生み出されたのか」
「そうねぇ、魔物が入って来てもいいやー、って感じで自暴自棄になってたのよ」
リディアが詰まらなさそうに答える。
「……なるほど」
「えっ? いや、今のは冗談よ」
胃が痛む思いをしながら、これですべてが終わったのだと村長が安堵の溜息をつく。ここ最近は平和が続いたと思っていたが、こんなことが起こるとは。
村は元々危険な地域にあった。国境に近いせいで今まで何度か争いに巻き込まれたこともあった。
それらから村人を守っていたのが、周囲の森に棲む魔物たちだとは、村人ですらよく知らないに違いない。魔物は、近づきさえしなければそうそう襲ってくることもない。
今まで村が魔物によって襲われたということもない。森に入らないよう村人たちに厳命しておけば、魔物の出る危険な森は村を守る天然の城壁に過ぎない。
しかし、いつからかはわからないが、突然魔物が現れなくなった。そのことに、長い間気づかずにいた。
森から何者かが攻め入ってくるなど想定していなかったため、賊に対して何もすることができなかった。
もしこの勇者様が来なかったとしたら、村の娘たちは一体どうなっていたか……。
魔物が意外と人を襲わないということを、この勇者様は知っているのだろうか?
もしかしたら、知らないのかもしれない。この方にとって普通の人々というのは、地面を這い回るアリのようなものなのだろう。
アリが何に対して恐怖を覚えているのか、それらに対処するためにどのような選択をしているのか、そんなことを気にかけたりはしないだろう。
アリが恐れるものなど、簡単に踏み潰すことが出来るのだから。
個人的には、ロトヴィーユの村が魔物に襲われているというのは信じがたいことだった。魔物が一体何を奪っていくというのだろう。奴らに意思などないし、動物のように食料を奪うため里に下りてくるということもない。
魔物が突然消え去ったことといい、何か自分には計り知れないことが起こっているような気がした。
川沿いの街道に降り注ぐ陽光はわずかに夏の匂いを帯びていた。長い冬が過ぎ、溶け出した雪によって川の流れはやや速い。
晴天の空の下を、リディアとシシィは馬に乗って進んでいた。常歩で馬を歩かせながら、リディアはシシィに話しかける。
「しかし、一体どうなってるのかしら……。どうして魔物が消えたの? やっぱり魔王が死んだってこと?」
「……わからない」
リディアとシシィは各地で魔物を倒して回る生活をしていた。公爵家の庇護の下、あらゆる場所で魔物を討ち果たしてきた。しかし、ある日を境に魔物がまったく現れなくなったのだ。その理由はわからない。
魔物が消滅したのなら、それはそれで喜ばしいことだが、理由がわからなければ安心はできない。
シシィが少し考えてから答える。この問いに対しては何度も答えを探してきたが、何が正解なのかはわからなかった。そもそも、魔王と魔物の関係というのはよくわかっていない。
魔王が魔物を使役出来るという事は歴史的な事実によってほぼ間違いないと思われるが、それ以外のことは謎に包まれている。
魔物というものが一体どのように生み出されているのか、何故魔物は食物を摂らずとも生きてゆけるのか、何故死ぬと消滅するのか、それらもわかっていない。
今まで数え切れないほどの魔物を屠ってきたが、そこから魔王に繋がるような情報が得られたことはない。
シシィの返答に、リディアが難しい顔をして唸る。そうしていると、視線の先に赤い建物が並ぶ村があるのが見えた。今の目的地だった。
「あら、ロトヴィーユの村が見えたわよ、シシィ、急ぎましょう」
拍車で軽く馬を蹴って、リディアが馬を駈歩で駆けさせる。
リディアは紅の勇者と呼ばれ、あちこちで魔物を打ち倒す日々を送っていた。シシィはその瞳の色から翡翠の魔法使いと呼ばれ、リディアと共に戦いを続けていた。そのような活動が、公爵家によって認められ、公爵令嬢やその仲間と共に戦いの日々を送っていた。
魔物を倒して回る旅の途中で巨大な竜と出会い、それに苦戦したことで状況は変わった。仲間の多くがその戦いの中で傷つき、公爵家の宮殿での療養を余儀なくされてしまう。
その後、リディアはシシィだけを伴って魔王を討伐するための旅に出かけた。
しかし、不可解なことが起こる。
魔物がこの地上から消え去ってしまったのだ。リディアとシシィも、魔物を探し回って各地を巡ったが、一体の魔物すら見つけることが出来なかった。
魔物が消えたのは、空の爆発と呼ばれる出来事が起こった日からだろうとシシィは当たりをつけていた。ある日、上空において空が爆発するという事態が起こった。
シシィは、その爆発は隕石によるものだろうと考えている。歴史の中に、そういう出来事が度々記されていた。多くの場合はただの流星となって消えうせるが、場合によっては地表の近くで爆発を伴うことがある。
その隕石と魔物消失の関係はわからない。しかし、関連が無いとは言い切れない。
空の爆発はあらゆる場所から見ることが出来た。それが起こったと思しき場所の近くでは、爆発の衝撃によって建物の損害が発生したり、怪我をした者も多いという。
シシィが個人的に調べて回るには、得られる情報が少なかった。おそらく、教会がその爆発の情報をなんらかの形で抑え込みたいか、利用したいと思っているのだろう。
どのような形で隕石落下という事実を教会が片付けるのかはわからないし興味もないが、事実に辿り着けないのはもどかしい。
駈歩で進み、リディアとシシィは村の城壁の前へと辿り着いた。リディアは馬から降りて、手綱を引く。シシィも馬から下りて、馬の尻に取り付けた馬具から杖を引き抜いた。
長時間の乗馬による気だるい疲れを解すようにシシィが首を回す。リディアは疲れなど微塵も感じさせない明るい声で馬に話しかけていた。
「よーしよし、ほら、遊んでおいで」
門の前で、リディアが馬に話しかけながら馬の首を撫でる。
「えっ? 荷物を下ろして欲しいって? ダメよ、我慢してね。砂浴びとかしたいだろうけど、それはまた今度。ほら、遊んでおいで」
馬を放した。良い馬というのは、人の言うことをよく聞く。特にこの二頭の馬は、リディアの言うことを理解しているかのように振舞った。
こうやって適当に放しておいても、逃げるということがない。リディアが呼べばまた現れる。
村の中へ連れて行くのではなくここで放してしまうということは、リディアは村での用事が長引くと思っているのかもしれなかった。
村の中に入ると、リディアは早速近くにいた老人に話しかけた。白いモジャモジャの髭を蓄えた老人は、肘掛のない椅子に座って日向ぼっこをしているようだった。
「ねぇお爺さん、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
「……この村には宿は無いぞ」
「そうなの? いや、そうじゃなくて、この村は魔物に襲われてたっていうじゃない。そのことについて訊きたいの」
「何故、そんなことを知りたがる?」
老人は丸い目をぎょろりと動かして、リディアの顔を見上げる。緩慢な動きで、老人が髭を撫でた。
リディアは小さく溜息を吐いてから言う。
「あたしたちは魔物を倒して回ってるの。それで、この村が魔物に襲われてたって聞いたから、調べに来たの」
「ふむ……」
老人がリディアの足元に目を落とす。それからじろじろとリディアの姿を眺め回した。
「なに? そんな歳になってもあたしみたいな美人に欲情するの?」
「違う……、そうではない。お前さん、武人か。相当強いようだな」
「まぁね、強いわよ。この世の誰よりも」
「ふん、自分から強いなどと言うとは……」
「事実だからしょうがないでしょ。そんなことはともかく、どうなの? 魔物に襲われてたっていうけど、その時の状況について知りたいの。どうして魔物が村を襲ったの? 何か奪われたものは?」
リディアの質問に、老人が髭を撫でながら視線を落とす。何を考えているのかはわからなかった。
重たいものでも持ち上げるかのように、老人が口を開く。
「丘の上にある教会に行け、そして、そこで村長がここに来いと言っていた、そう伝えろ」
「はぁ? どういうことよ」
「知りたいことがあるのだろう? なら、わしの言うとおりにしておけ」
全てを話し終えたとばかりに、老人は俯いて椅子に座りなおした。
坂道をずかずか登りながら、リディアが文句を言う。
「まったく何よ、何か知ってることがあるなら教えてくれたっていいじゃないの。ケチねぇ、あれが村長なの?」
「……」
シシィは黙ってリディアの後をしずしずと歩く。何故、教会に行けなどと言ったのだろう。シシィは少し考える。
魔物による被害を語ることに、何か問題があるのだろうか。
「リディア、ちょっと待って」
「なに? 歩くの速かった?」
「違う、そうじゃない。先に他の住人にも話を聞いてみたい」
「ん? 何か思いついたの? じゃあ、そうしましょう」
リディアが同意を示し、シシィは教会に行くより先に他の住人に尋ねて回ることにした。
村のあちこちで住人に尋ねてみたが、どの答えもあまり芳しいものではなかった。魔物について尋ねると、住人は一様に口を閉ざし、曖昧に答えをはぐらかそうとする。
魔物に襲われていたことを思い出したくないのかとも思ったが、どうもそういった感じではない。どちらかというと、何者かによって魔物について語ることを禁止されているようだった。
魔物という単語が出た時点で、誰もが困ったといった感じで眉を顰める。そういった話題を語りたがるような主婦層にも尋ねてみたが、結果はあまり変わらない。
中には途中で怒り出すものもいた。
子どもならばどうだろうと、道行く子どもに尋ねてみた。喋ることを禁止されてはいないようで、魔物という単語が出ても子どもたちの表情に変化は見られない。
しかし、魔物に関しては何も知らないようだった。魔物を見たこともないし、魔物が出るという夜には家の中に閉じ込められるのだという。
成果は芳しくないが、魔物によって城壁が破壊されたという情報は得ることができた。その城壁は未だに修復されず放置されているという。
「なんだか、変な感じねぇ」
リディアが呟く。シシィが前を歩き、まずは破壊されたという城壁を見に行くことにした。村の端を訪れると、確かに城壁の一部が破壊されて、外と繋がっている。さほど厚みのある壁ではないので、魔物ならば壊せそうではあった。
城壁も建物と同じく赤い砂岩によって建造されているらしい。その破片が村のほうへ向かって飛び散っている。
シシィは飛び散った城壁の一部を眺めて、それから城壁の外に出た。昔は堀があったようだが、今は水は引かれておらず、窪みが残っているだけだった。外に出て、城壁の上部や胸壁に使われていた石材がどのあたりに落ちているかを調べる。
そして周囲を見渡す。近くには森があるようだった。あの森から魔物が現れて、ここを壊していったのだろうか。
この城壁自体はそれほど厚みがあるものではない。高さもせいぜい二階か三階建ての建物くらいで、村を守るための機能は期待できないだろう。このくらいの城壁であれば、力のある魔物が協力すれば破壊することも可能だろう。
しかし、何故こんなことを。
手伝うこともなくぶらぶらと歩き回っていたリディアが、シシィに尋ねる。
「どう? 何かわかったの?」
「……この城壁が衝撃を受けたであろう箇所は、人間の身長よりも随分高い場所にある。そして、城壁は何度も繰り返し打撃を受けたと思われる。城壁の半分の高さの場所に繰り返し打撃を与え、この城壁を破った」
「それがどうしたっていうのよ?」
「それだけの時間をかけて、この箇所を破る意味がわからない。人間がこれをするのであれば、城門を破ったほうが早い。この場所を選んだ理由は、ただあの森に近いから、それくらいしか思いつかない。破城槌のような攻城兵器を運んだ形跡もない、もしそんなものを使えば大きな轍が残るはず」
「……ごめんシシィ、あたし頭が悪いからシシィが何を言いたいのかよくわからない」
「大型の魔物が城壁を破ったのはほぼ間違いないと思う。そして、この場所を森と村を繋ぐ通路として利用していた」
「え、ええとシシィ?」
「不可解なのは、城壁が破られたのにも関わらず住人がそれを再建していないということ、補修しようとした形跡すらない。魔物がやってくるのに、何故それをしていないのか……」
「あっ、独り言? 独り言よね? 何か結論が出たなら教えてね」
「さらに不可解なものがある。城壁の内部に、比較的新しく建てられたであろう掘っ立て小屋がある。あれを見て」
シシィが指を向けた場所には、確かに小さな小屋がある。壁すらない。中央には一脚のテーブルがあるだけで、他に何かがあるわけでもない。
シシィはその小屋に近づいて、柱が埋まっている箇所を見下ろした。
「建築されてからあまり日が経っていない。おそらく、この城壁が破られた後に建てられたもの。どうしてこの場所に? 城壁を修復する人夫が使うためのもの? しかし城壁が修復された様子はない。石材を拾い集めた形跡すらもない」
「うんうん、わかるー」
「人間同士の争いであればこの箇所を壊すことに意味があるとは思えない。おそらく魔物が破ったというのは本当だと思われる。しかし、魔物が入ってくるという状況を放置する意味がわからない。何故、このような状況が生み出されたのか」
「そうねぇ、魔物が入って来てもいいやー、って感じで自暴自棄になってたのよ」
リディアが詰まらなさそうに答える。
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