名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第二章

Lapis pyrimacus

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 森からは煙が上がっている。その範囲は広く、ソフィが放った火によるものだけではないようだった。
 おそらく、この緑色の魔物が炎を出せる魔物に命じたのだろう。範囲の広さから見れば、あの二人の退路を断つことを目的としたものだとが解る。平原にいる魔物たちも、いつの間にか陣容のようなものを作り上げていた。
 総数はわからないが、魔物だけでも千体近くに達しているのではないかと思えた。それらが横隊を作り、森に視線を向けている。いくつかの横隊がズレて、森に対してVの字を作ろうとしていた。退路を断ち、この平原に勇者が現れたところを鶴翼の陣で包囲するつもりなのだろう。
 両端の横隊には、足が速そうな魔物が用いられていた。中央にはアデルの身長の二倍はあろうかというゴーレムのような魔物が数体、さらに一つ目のトロルが何十体と並んでいる。

 あの勇者はこの魔物の陣を抜くことが出来るだろうか。さすがに最強の勇者とはいえ、これだけの魔物を相手にして勝てるはずがない。これだけの数がもし人間だったとしても、たった一人の人間にどうにかできるはずがない。
 もし、この魔物たちでさえ相手にならないのだとしたら、途中でこの緑色の魔物に逃げてもらわないといけない。こいつなら、ソフィを守ることが出来る。
 多くの魔物を率いることが出来るのならそれも可能だろう。自分なんかよりもずっと役に立つ。
 自分は捕らえられてしまうだろう。拷問の末に殺されるだろう。それでもいい、少しは時間を稼げる。




 背後で、バシッと何かを叩くような音がした。緑色の魔物が地面に倒れていた。ソフィが叩いたのだろうか。
 ソフィはその緑色の魔物に背を向けて、さきほど抜けてきた森に向かって歩く。
「馬鹿な、何をしておるソフィ!」
「……」
 俯いたまま、ソフィはアデルの横を通り過ぎていく。アデルに背を向けたまま、ソフィは森に向かって顔をあげた。

「アデルよ、世話になったな」
「馬に乗れ! ここから去れ!」
「魔王として、妾は勇者と戦おう」
「何を言っておる、馬鹿を言うな! ここは緑色の魔物に任せて逃げろ!」

 ソフィはアデルに背を向けたまま、ぎゅっと杖を握り締めた。背の高いゴーレムの間に立ち、肩で呼吸をする。

「アデルよ、妾の顔が見たくないのなら、このままどこかへ逃げるがよい」
「そっちがここから去れ、わしはもう動けん」
「ならばそこで妾が戦う様を見ておくがよい。あの二人を殺し、妾が、アデルを村に帰してやろう」
「何を……」


「あの勇者は、アデルの村も訪れるであろう。そうなればアデル、おぬしはあの村に住み続けることが出来なくなるはずじゃ。妾は、それを望まん」
「ふざけたことを言うな! 逃げろ! ここに残れば殺されるぞ!」
「何故、そんなことを、おぬしが心配するのじゃ……。顔も見たくない相手が死のうと、おぬしには、関係なかろう」
「ソフィ……」

 小さな肩が震えていた。鼻をすする音が聞こえた。

「アデルの言う通り、こうやってアデルが傷ついているのも、すべて妾のせいじゃ……。ならば妾が責任を取ろう、あの勇者と戦い、決着をつける」
「もういい、もうやめろソフィ。ただ逃げてくれ、頼む、わしのことなどどうでもいい、もうわしのことなど気にするな」
「そちらが逃げればよかろう」
「もういい、ソフィ」

 アデルは足を引きずりながらソフィの背後に近寄った。その小さな肩に手を置いて、ソフィを振り向かせる。
 涙を湛えた瞳で、ソフィはアデルをじっと見つめ返した。

「ソフィ……」
「アデルよ、もう、やめてくれ。妾は、アデルに嫌われたまま生きていたくなどない。それならば、死んだほうがマシじゃ」
「そんなことを、言うな」
 ソフィの瞳からぽろぽろと涙がこぼれはじめた。怒りによるものか、悲しみによるものか、アデルにはわからなかった。その両方なのかもしれない。
 アデルを睨みながら、ソフィはなおも涙を流す。

「アデルよ、おぬしが妾を逃がすため、わざとそうやって、妾に嫌われるようなことを言っておるのは、もうわかっておる」
「……ソフィ」
「しかし、それでも、お前に会わなければよかったなどと言われるのは、悲しい」
「すまぬ……、わしが悪かった」
「会わなければよかった、などと、言うでない」

 ソフィが涙を流しながらしゃくりあげる。震える声で、訴えてくる。
 アデルはソフィの両肩に手を置いて、俯いたソフィに語りかけた。

「わしにとって、ソフィは大事な人じゃ。そのソフィが、敵の手にかかって酷いことをされるのは、何よりも辛い。わかってくれソフィ、逃げてくれ、どうかわしの為だとおもって」
「できぬ、そんなことできるわけがなかろう」
「ソフィ……」
「妾は戦う、そして勝つ。アデルと一緒に村に帰って、また平和に生きるのじゃ」
「それが出来れば苦労はせん、しかし」
「もうよい! 妾は、アデルが死ねば自害する。妾に何か言いたいのであれば、アデルこそ逃げればよい。それが妾の命を救う方法じゃ」
「馬鹿なことを……、お願いだからソフィ」

 こんなことを望んではいない。自分はどうなったっていい、だけど、大切な人が失われるのだけはもう耐えられない。


 二人の悶着に、緑色の魔物が割ってはいる。
「もう時間が無い、おい、男よ、お前の下手糞な芝居に付き合ってやったのにこのザマだ」
 緑色の魔物が自分の頬を指差しながら言った。叩かれたのかわずかに赤くになっている。
「わしは正直者じゃでな、演技に期待せんでくれ」
「どちらにしても、もう腹を括るしかない。戦うぞ、こんな小さな子とはいえ魔王だ。その力は絶大、効果的に使えば勝機は必ずある」
 緑色の魔物の言葉に、アデルは頷くことができなかった。

 それでも、もう覚悟を決めなければいけない。
 緑色の魔物は一度大きく頷き、言った。
「なに、俺に策がある。例え相手が竜殺しだとしても、この数の魔物を抜けるはずがない」
「しかし」
「すでに陣は敷いた。さらに退路を断つことにも成功した。その上、こちらには火力の大きい魔王がいる。ふん、奴らめ、もしかしたらもう焼け死んでるかもしれんな。例え竜殺しの勇者が相手でも、これだけ対策すれば問題などない」
 目元だけ笑みの形にして、緑色の魔物はそう豪語した。









 シシィは森の中を駆けながら、襲い来る魔物たちを氷の矢で次々と射抜いていった。数が多すぎる。これほどの魔物に囲まれて余力を保ち続けるのは不可能に近かった。
 だからといって、ここで魔力を使いすぎるわけにはいかない。シシィはリディアがいる場所へと向かって駆けた。
 ようやくリディアの背を捉える。どうやら多くの魔物に囲まれて苦戦しているようだった。魔物たちは連携を保ってリディアを攻撃し続けている。
 魔物が倒される時に出る青白い光に照らされて、リディアは剣を振るい続けていた。

 シシィは二十本近い氷の矢を一斉に放ち、リディアに群がる魔物たちを射倒した。一気に数が減ったことで、魔物たちの連携が崩れる。その隙をリディアは見逃さなかった。もう二度と包囲が作れないように、リディアは魔物が直線的に並ぶよう移動しながら戦う。
 ようやくリディアも一息ついたらしい。細い眉を吊り上げ、シシィに向かって怒鳴る。

「遅い! 何やってんのよシシィ!」
「退路を断たれた」
「はぁ?! なんで向こうが退路を断ちに来るのよ」
 その言葉に、シシィは呆れを通り越して驚かずにはいられなかった。
「……退路を断ち、わたしたちを一方向へ誘導することで、予め準備しておいたなんらかの武力でわたしたちを叩き潰す気だと思う」
「なにそれ、つまりあいつら逃げるんじゃなくて、戦うつもりなの?」
「おそらく」

 周囲には火災が巻き起こっていた。意図的に火を放ったことは、その位置からして間違いない。そして、ご丁寧にもそれを抜けるための道が用意されている。
 その道は、先ほど魔王たちが逃げていった先に通じていた。追いつかれないように火を放っていた時とは違っている。しかし、相手が自分たちをまだ見くびっているのではないかという気はする。
 燃え盛る森程度なら、自分たちなら突破できる。これで退路を断ったつもりだというのなら、裏をかくことも可能だった。

 シシィが提案する。
「相手の思惑に乗るのではなく、まず火の中を通って相手の裏へ回ったほうがいい」
「却下、相手がわざわざ待ってくれてるのなら、正面から突破よ」
「無茶」
「あたしたちならできるわ、シシィ、あんたもずっと魔力を温存してたんだから、大技のひとつやふたつ余裕でしょ」
「……わたしは魔力が切れたら逃げる」
「それでいいわよ、魔力の切れたあんたじゃトロル一匹倒せるかどうかも怪しいんだから」



 リディアは剣を両手で握り、それを胸の前で立てた。すぅ、と息を吸い込み、リディアがぐっと柄を握り締める。
「さて、行くわよ、宝剣ピリマカス」
 リディアがそう言った瞬間に、剣が光を帯び始める。光はやがて赫々と輝き、炎のような色を灯した。

 宝剣ピリマカスは公爵家に代々伝わる宝剣だった。ラピス・ピリマカスという特別な石を混ぜ込んで作られているらしい。火と戦う石という意味を持つラピス・ピリマカスは、どのような性質かも産地も不明だった。それを使った作剣法はすでに失われている。
 同じ方法で作られた剣は、世界に残り数本と言われていた。

 リディアは宝剣ピリマカスを胸の先から降ろし、それから鞘を剣帯から引き抜き地面に突き立てた。
「シシィ、あんたもいつまでそんな格好してるの。帽子もローブも置いていきなさい、動きにくいでしょ」
「……わかった」
 シシィは帽子を脱いで、それを突き刺された鞘の上に置いた。さらにローブを脱ぎ、それもその上にかけておく。
「そうよシシィ、そのまま全部脱ぎなさい、裸になるのよ」
「これ以上脱ぐ必要はない……」
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